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魔導院に入るとすぐ、柱に凭れて待っていたナギと目があった。あ、と思うより早く、大股で近づいてきたナギに頬を張られる。おい、と僅かに焦った声で後ろからクラサメが制したが、怒られる理由はわかっているので素直に謝った。

「悪かったわよ……」

「お前が素直なの気持ちわりー。まあいいや、とりあえず来い」

ナギはクラサメに言葉少なに礼を言い、ナツメの腕を引いて歩き出した。一瞬だけ振り返ると、クラサメは立ち尽くしナツメを見ていた。
その視線を振り切って、ナツメは進む。

「体調は。……腹のに、何か異常は」

「問題ないと思うよ。いまのところは」

「何があった」

「後家が、……後家が死んだ。クラサメが殺した」

お互いの耳にしか届かない程度の小声での会話、エステルの死を告げた瞬間だけナギの足が止まった。すぐに変わらず歩き出し、ナツメもそれに続く。もう必要もないのに、ナギは腕を離さない。
常ならぬ強い力が、ナギがどれだけ心配してくれていたかを知らしめていた。悪かったわ、改めて言う。ナギは薄くうなずいた。

「でもそんなに心配されると思わなかった」

「ま、戦時中ならな。でも四課もよ、もうほとんどいねえんだよ。俺が心配してやれる相手もな。まして身重の身だろうが」

「そうね。行くべきじゃなかったんだと思う。でも、後家は、あの調子ならたぶん、行かなかったら向こうから襲ってきたと思う」

「詳しく聞く。四課は……ちと遠いな。お前の部屋でいいや」

四課に行くには、9組寮を通るか長い階段を降っていく必要がある。どちらにしても、武官寮の方が近いし、ナツメの体力を思っての判断だろう。

後家のことは、まだナツメの頭の中でも纏まっていなくて、とりあえずナギや四課が把握している情報の共有を求めた。その中にはナツメも知っていること、後家から聞いたこともあったが、初めて聞く話もあった。

エステル・ドゥルジ・ネス・シルマニー。享年23歳。
シルマニーの歴史は、彼女の言った通り蒼龍の娼館から始まった。青龍クリスタルの沈黙、夭折の際、蒼龍に複数の宗教がたったのは有名な話であるが、シルマニーもまたそのうちの一つであったそうだ。
シルマニー教は青龍クリスタルが没して後すぐ歴史の表舞台に現れた。そしてあっという間に一地方の信仰の担い手となるが、蒼龍クリスタルの誕生を迎え、政教一致を目指す蒼龍府によって雑多な多神教が駆逐されたときに、シルマニー教もご多分に漏れずその対象となった。
地下深くに隠れることで存続はしたものの、当然表立っての信仰などできなかったため、シルマニーの教徒らは信仰の変容を強いられ、娼館の娼婦たちにのみ信仰されるようになった。そしていつしか、弾圧を恐れる恐怖心のせいなのか、身体を酷使する娼婦たちの妄執のためか、水銀毒やヒ素を経口で与えて男たちを殺し、蜘蛛の神に捧げる供物とする儀式が主な神事となったのだという。経口で毒を与え続けることで、体内に蓄積された毒は彼女たちを著しく短命にしたが、元々湿地帯で疫病も多かったうえ娼婦たちは梅毒で早々に死ぬことが多く、露見することなく信仰を保ち続けることもできた。そういった変遷を経て、クリスタル教の単一信仰のもと生き残ってきた、それがシルマニーの教義。

さても、そのシルマニー教と四課の歴史は、数十年前に遡る。
およそ八十年ほど前、娼館の怪しげな儀式を目撃した客が蒼龍府に通報したことで、シルマニー教の存在が露見した。蒼龍府はただちに娼婦たちの一斉逮捕、更には処刑を行った。ほとんどの教徒が殺され、命からがら逃げ出した数名の娼婦も行き場がなく、逃げ惑った末朱雀に密入国を果たすこととなる。そしてそこで、偶然にも当時の四課員の一人と出会った。
そこでどんなやり取りがあったかはもう誰にもわからない。公式な記録も当然、存在しない。ただ、神事によって毒を貯めた女たちのその身体に、四課が価値を見出したのだけは間違いなかった。

以降、一族はルブルム内に生きることを許される代わりに、当主が四課にて暗殺業に従事することとなった。
エステルはそういう経緯で四課の人間となった、実に七人目の当主だった。

「ただし、あくまでも仮契約だ。向こうが庇護を求めるから成立してるもので、例えば蒼龍府が潰れるようなことがあれば、あるいは今みてえに全ての政府がぶっ壊れるようなことがあれば、いつだってシルマニーは朱雀を出て、クリスタルに依らない宗教を再度確立できる」

「あいつは、私の胎児を求めてた。神託とか言ってた……でも、結局何を求めてんの?よくわからないわ……」

「エステルがどうしたかったか、というより、シルマニー教がどうしたいか、だよな。どうも、蜘蛛の神に長年身を捧げた結果、クリスタルにも似た魔法体系を持ってたみてえだな。俺も詳しくは知らねえが、寝た相手を殺すのもその一環だったはず」

「確かに、変な魔法をたくさん使ってた。酸の砲弾とか、巨大な蜘蛛の巣とか」

「神事の結果、生贄を捧げまくることで蜘蛛の神……まあ実在するのかは知らねぇが、なにやらそういう“特殊な上位存在”に力を与えられていたらしい。奴らはそれを守りたかったんだろう。蒼龍クリスタルに追いやられたことを相当恨んでた節があったらしいから、最終的には復讐も考えてたかもな。教義の内容にも俺は詳しくねぇが、胎児を求める神託もその中に含まれてたんだろう。胎児はどこの宗教でも始まりの象徴だし、欲しがってもおかしくねぇようには思うがな。蜘蛛の神は女神だから、産み直しの象徴だ」

「エステルはそんなことのために、全部棒に振ったってこと?これからの人生も?」

ナツメはつい、笑ってしまいそうになった。なんだかもう笑うしか無いくらい、救いのない話だな、そう思ったからだった。
ただ、テーブルを挟んで反対側に座るナギは、ただ眉間の皺を深くしただけだった。

「お前にだきゃあそんなこと言う資格ねぇだろう。クラサメさんのためって言葉で人生全部棒に振ってきただろうが。お前は興味も関心もなかっただろうが、後家は、お前のそういうとこに親近感覚えてたんだと思うぞ」

ナギの疲れたような声音に、ナツメはただ息を吐いた。心当たりの無いわけもなかった。親近感。ナツメが後家を助けようとした理由も、正体はそれだとわかっていた。
それからしばし痛い沈黙が落ちたが、頭の切り替えのめっぽう早いナギは「さてさて!」と話を変えにかかった。

「後家のことはいい。死んでるっつうなら明日にでも死体を回収に向かうさ。問題はお前が呼び出された経緯だ。こんな時期にわざわざ行くくらいだから、それなりの理由があんだろう」

「あ、そうだった言い忘れてた。クラサメの記憶奪ったの後家みたいよ」

「それ早く言えよこの野郎……。例の呪術とかいうやつか」

「そうだと思う。でも、詳しいことを聞く前にクラサメが殺しちゃった。私が呼び出しの手紙残してっちゃったから、それを見つけて追いかけてきたみたいだった」

「どうせお前を助けようとしたんだろ。……記憶なんてなくても、クラサメさんはクラサメさんだな」

「……」

本当、そうなのだ。ナギの目から見てもわかるくらいにそうだ。
ナツメなんていなくても。なんと返したものかわからず、ナツメは話題を変える。

「そういえば。輝石がどうとか、言っていたわ」

「誰が?」

「後家よ。死ぬ寸前、妙に穏やかに笑ってた。輝石を使って、とかなんとか言ってた」

「んー……?俺の知る限り、輝石に使いみちなんてねぇけどなあ」

「そうよね……まあそれは今はいいわ。ねえ、死体を回収したとして、遺族には知らせる?遺族って、いるの?」

「いるはずだぜ。マクタイの近くに家があって、集団で生活してるはずだ。でも、フィニスの災厄を生き残ってるかどうかはわからねぇ。そこは調べねぇとだな。死体回収したら一応公式に遺族に通知出すわ」

「何かわかったら、私にも教えて」

「おう」

ナギは頷き、立ち上がる。後でメシ持ってきてやるから、ちゃんと食って寝ろ。部屋の出口に向かうナギの後ろ姿を見て、ナツメはなんだか寄る辺ない心地になって、「ねえ」、一言声をかけた。

「ん?なんだよ」

「戦争が終わって……四課は確かにもうぜんぜんいないし、心配する相手が減ったのもわかるけど、どうしてそんなに私を助けようとするの?死なせまいとするの」

「あー……それはなあ……」

振り返ったナギは、鼻の頭を掻いて、一瞬逡巡してから、まあいっかと言った。

「クラサメさんが前にさ、四課半壊させたとき、俺もその場にいたんだよ。それで、クラサメさんとちょっと話したんだけど。あの人のあのときの顔とか、あと言葉も忘れらんねぇんだよな。ナツメはどこだ、って切羽詰まってて。俺はあれにたぶんめちゃくちゃ感動した」

「……感動?なんで」

「これまで、四課に落ちたやつを探しに来た人間なんて一人たりともいなかった。あの人だけだ。クラサメさんは後先もなりふりも考えず、お前を連れ戻しに来たんだ。あのなあ、これってすげえことなんだぞ?四課に睨まれたら殺されても文句言えねぇんだ。どんな目に遭うかわかったもんじゃない。それでもたった一人を探しに来るなんてことは普通できやしない。ま、実際のとこ、あんな話四課にされたってどうしようもないんだがな。じゃあハイ返しますってわけにいかねえし、お前は軍令部の所属だったし。結局俺が追い返したが、俺はあの時お前が羨ましくなったね」

「あんたがそこまでクラサメのことが好きだったとは知らなかったわ……さすがにあんたにはやらねーぞ」

「いらねーよアホか。違ぇっつの。……俺は、俺が四課に入ったとき、誰かに連れ戻してほしかったんだってあのとき気づいたんだよ。選択肢なんてない、四課に入らなきゃ生きる価値も認めてもらえないってときに、なりふり構わずそれ以外の道に連れ出してほしかった。ガキだったしな。今じゃもう他の生き方なんてよくわからねーが、それでも、あの時から俺はお前をできるだけ助けると決めている」

俺がお前を守る限り、クラサメさんがお前を守ったことになるだろう。
そうすりゃ俺は、四課に落ちてもまだ希望はあると信じられる。いつか違う人生を望めると信じていられる。

ナギとはこれまで数年間所属を同じくし、短くない時間を共に過ごしてきた。けれどこんな話は、聞いたことがなかった。

「ナギ」

「あんだよ?ちょっと恥ずかしいんだけど」

「ありがとう」

ナツメは彼の緑の目をまっすぐ見つめ、礼を言った。
ナギは口角を上げて笑い、片手をひらりと振って部屋から出ていった。
完全な沈黙の落ちた部屋で、ナツメは深く息を吐き出し、胃を下から突き上げるような吐き気とじっと向き合った。

ずっと孤独だと信じていた自分が、そうではないと思えた。
今知った。きっとそうだ。やっと理解の域に達した。まさにそうだ。

一人ではない。クラサメが傍にいなくても、ナギがいてカヅサがいてエミナがいる。0組もいる。みんな、ナツメのためだけじゃない、クラサメのためと思うからナツメをこんなに助けてくれる。
愛してくれる。
全部、クラサメがくれたものだ。

ナツメは一人ではないのだと、最初から孤独ではなかったのだ。ナツメはようやく、それを知る。
クラサメがいるから、大丈夫なのだと。投げやりな思いはひとつもなく、初めて己は大丈夫だと、心の底から信じることができたのだ。










ナツメの部屋を出たナギは、ナツメが行方不明と聞いて放り出した仕事に戻るため、四課へ向かって歩きはじめていた。それでホールに足を踏み入れてすぐ、己を呼び止める声に気づく。
振り返るとクラサメがいて、彼は普段どおりの険しい顔でそこに立っていた。そういえばナツメはこの人の表情すいすい読むよなぁ、やっぱり付き合いの長さかねと、ここにはいない女のことを少し考えた。
それにしてもナツメを連れ戻してからずっとここで待っていたのだろうか。いや、まさかな。

「なんです?どうかしましたか」

ナツメはどうしたんだ。かなり顔色が悪かったが」

「そうですねぇ、でも今のあんたには関係のないことです」

ついそう言い放ってから、ナギは後悔した。こんな言い方って無いよな。そもそも四課のとばっちりさえなければ、この人は誰よりナツメの関係者だったのに。というか、この人の子供のことなのに。
そう思ったが、クラサメは眉間に皺を寄せただけで、

「聞く権利がないとは思わない」

と言った。ナギの嫌味など意にも介さぬ、強い人だと思った。確かにそうだ。聞く権利がないと思ってたら、ナツメを一人で助けになんかいかないだろう。
ナギは細く長い溜息を吐ききってから、そうですねと返事をする。

「クラサメさんには関係ないって言うのも、ナツメが決めたことだしな。あんたが知りたいって言うなら知らせるべきなんだろうが、それでもナツメに聞くべきだ。俺が独断でほいほいなんでも話してたらあんたらの関係もっとうまくいっちゃってるだろ。少なくともあんたにそれはしたくないし」

「……は?」

「ああいや、こっちの話。……まあでも、そうだな、記憶がないあんたが問い詰めても多分何も言わねぇだろうしなあ」

「……ナツメは強情そうだな。それならやはり、なんとかして記憶を取り戻す他あるまいな……」

クラサメは僅かに俯き、ぶつぶつと言って、ぱっと踵を返そうとする。ナギはその足の向く先に妙に嫌な予感がして、クラサメを止めた。

「ちょっと待ってください、何でクリスタリウム目指すんですか!」

「もうカヅサに頼る他ないだろうが、何も思いつかん」

「パルプンテは最後までとっといてくださいよ!もう何もかもどうしようもなくなってからでいいでしょうがあの人の出番は!下手したら取り返しつかないことになるから、どうせ今度は全ての記憶が消されましたとかそういうオチが目に浮かぶようだわ!!いいから、おとなしくしててください、俺にもちったあ考えあるから!!」

クラサメさんって実は結構、落ち着いてないし冷静じゃないし突飛だし適当だよなあと、折に触れてナギは思う。それが見た目や普段の様子の印象を裏切るから、こういうときはなんだかとてもついていけないような心地になるものだ。ナツメに言うといつも首を傾げられる話だが。あれはクラサメの性格に慣れている。

「実は、クラサメさんが記憶失くした原因がわかったんですよ」

「階段から落ちたせいだろう?……我ながら情けない話だがな」

「いや、それが四課のせいだったんです。うちで子飼いにしてた他国の人間が、ナツメを狙って起こした事件でした。クラサメさんは完全に巻き込まれた形……というにもちょっと語弊がありますが、たぶん階段から落ちてなくてもナツメかクラサメさんかのどっちかに記憶障害は起きていたものと思われます」

クラサメは僅かに目を見開き、その後は沈黙していた。暫時の空白。何事か考えているようだ。
ともあれ、

「そういうわけなので、うちでも調査に行って、なんとか記憶を戻せないかやってみます。心当たりも一応あるので」

「……そうか。わかった」

「じゃあ、何か分かり次第連絡しますんで」

これで失礼しまっす、そう言ってナギのほうから立ち去ろうとしたときだ。
不意に後ろからマントが掴まれ、ぐえ、ナギは軽く首が締まるようなやり方で留められた。

「ちょ、なんです?」

「私も調査とやらにつれていけ」

「はあ!?何言ってんですか、四課でやるって言うのにそんなんできるわけないでしょうが!……っていうか、あなたは被害者なんだから動く必要は」

クラサメのことを思って出た発言だ。
だいたい、今はナツメのことも覚えていないのだから、思い出せなくったってクラサメにはショックでもなんでもないはずだ。それで生活が恙無く送れるのであれば、そんな努力は必要ない。
少なくとも、思い出さなくっていいなんて可愛くないことを言う、四課なんてめんどうくさいところに所属している女など、関わらず生きていけるならその方が気が楽だろうに。

ナギは間違いなくそう思ったが、しかしナギをじっと見据えるクラサメの目を見て意見が変わった。ほとんど同じ高さにある青さの混ざった碧の目は、四課に単身乗り込んできたあの日の彼の目に相違なかった。

「あいつは……自分なんかいなくても私は生きていけると言っていた。それは確かにその通りなのかもしれないが。それなら、あいつだって私がいなくても生きていけるのでなくては、おかしいだろう。そしてそれなら、私の記憶のことで脅迫されたって、一人で敵陣に乗り込むなんてことをするはずがないんだ」

クラサメの眼光は揺らぐことなくナギをじっと睨んだままで、貫くようだった。

「私自身、自分で理由はわからないが、あいつをこれ以上一人にしておきたくないと思うのは、……記憶がない私が言うのはおかしいか」

「……とても、おかしいと思います」

ナギはゆっくり首肯した。「でも、それが聞けて、俺は嬉しいです」。そう続けると、クラサメの目が丸くなった。珍しく驚いているらしかった。

心当たりは、あった。クラサメの記憶を奪ったのが後家、エステルならば。
シルマニー教を探れば、呪術のこともわかるはずだ。そこから解呪の方法も調べられるかもしれない。
あくまで心当たりに過ぎないが、あてずっぽうに試すよりはよほど理のある話だ。

「明後日くらいには、調べに行けると思います。時間をあけてください」

「わかった」

ナギにとってはこんなもの、四課の終焉のため、その身辺整理の一つ。
四課がきちんと死ぬためにできること。有用である、それだけの理由でかつて取り込んでしまった禍根を絶ちおくということ。
それにクラサメがついて来ようが、ナギには問題のない話。

ただそれが何か、現状突破のための取っ掛かりが掴めればと、それだけを思っていた。




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