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「ふくたいちょう、いる?」
「……あれ?ジャック、どうしたの」
冷の月の終わり、寒さがとうとう深まりゆくある日のことだ。例によって未採点のテストを片付けようと、ナツメは教員室で行儀悪く机に肘をつきだらだらと仕事をしていた。四課にいるとナギに絡まれまた始末書千本ノックにつきあわされる羽目になる。会計監査が仕事をすればその分の仕事は浮くはずなのだがどうして彼らは魔導院にいないのか。せんにゅうちゅーう、間延びした声でナギが嘆いたのは記憶に新しいが、いくら戦時中で大忙しだと言ったってなぜ内務の連中まで潜入に駆り出されているのやら。
そんな寒い日、寒さに強いナツメが暖炉に火も入れないで平然と冷たい茶を啜りながら採点していたテストに書かれた名前を呼び、半身を室内に滑り込ませた彼の顔を見た。高い身長、撫で付けた髪は普通なら他人を威嚇するんだろうに、へんにょり下がった眦と常に柔らかく笑んだ唇、そしてそこからついてでてくる撓むような間延びした声がその印象を大いに裏切る。なかなかセミドライなところもあるがおおむね優しい、穏やかな青年である。
「ちょっと……いい?」
「いいけど、なに?深刻な顔ね。保健体育系の相談でも乗ることは乗るけどナギ通してもらったほうが結果的に恥ずかしくないかもよ」
「どう考えても余計に恥ずかしいよね!?そんなことに利用されるナギも恥ずかしいよね!?」
「大丈夫、あいつはセミウェットだから」
「何の話なの〜……」
ジャックは困ったようにへらへら笑って、机の反対側の椅子に音もなく座った。猫のようなしなやかさがあった。
ナツメはジャックの相貌を見ながら広げていたテストをかき集め、彼に見えないよう、そして見せまいとしていることが気づかれないよう気をつけて束ね、テーブルの上でとんとんと整えた。ジャックはそれを見て笑みを一瞬だけ苦く深めたので、全てバレているのだとナツメにもわかった。
「それで?何かな。何の相談かしら」
「ええと……んんん……」
「何をもじもじしているの。ナギ呼ぼうか?」
「いやっ、あ〜……でも……うーん……」
それもやむなしかと表情をくるくる、主に曇らせながらジャックは何度も唸った。いじらしくもちらちら表情を窺う視線を真正面で受け止めながら、ナツメは彼の言葉を待った。彼と二人で話すのは初めてかもな、とふと思った。
「……デュースがね。大変だったじゃない」
「うん」
「それで、……いの一番に僕を頼ってくれて、嬉しかったんだぁ。でも、ご存知の通り、僕突っ走ってすぐ解決しちゃったでしょ」
「うん」
「で……ほんとはもうちょっと、一緒にでかけたりとか、堪能したかったのになって、思って……」
「サイテー」
「言われると思った!言われると思ったよお!でも僕だって思春期なんだよぉ〜……」
なんら感情の籠もらない声で最低と罵ったナツメに、ジャックは嘆きながらテーブルに顔面を突っ伏させた。拍子にゴン、となかなか痛そうな音がした。
「あー、まあ一般論でサイテーって言っただけだから。そんな気にしないで」
「一般論じゃサイテーなんじゃあん……」
「そりゃあねえ。ストーカーに、しかもあんな自意識と自尊心と倫理観もろもろぶっ壊れたタイプのキモい奴に付きまとわれてた女の子の話なのにね、もうちょっと弱みに漬け込みたかったですなんて言われても」
「そこまで言う!?」
「ごめん私年下男の知り合いってナギしかいないからナギに接するみたいになっちゃうわ。でも真剣な相談なら、潜入中みたいに思ってもないこと言えないじゃないの」
「う……そっか、うん……副隊長は真剣に考えてそういう答えしか出てこない人だよねぇ……」
「真顔でまたひどいことを」
そう言いながら、ジャックは立ち去ろうとはしない。まともな大人、まともな女でないことくらい0組はもう充分熟知していて、そんなナツメにわざわざ相談にくるのだからある程度は覚悟の上なのだろう。
「それじゃあつまり、デュースとまたデートしたり横顔堪能したりしたいのね?」
「うぐっ」
「誘えばいいじゃん?」
「それができたら苦労はない、わかってないひどい〜!!」
「それができない男に欲を抱く資格はないんだよ」
「大人みたいなことを言う……」
「大人だからね」
「誘うにしたって、どうしたらいいんだろう……どこに行けばいいかもわかんないし、何をしたらいいのかもわかんない。だから副隊長、女の子が好きそうな店とか……」
「いいことを教えてあげましょう、そういうテンプレートを適当に嵌めたデートコースは案外落胆するもんよ」
「ええ……じゃあどうしたらいいの」
「そうね……好きなんでしょ?じゃあさんざん観察してきてるでしょう?言葉の端々とかさあ、そういうとこをちゃんとキャッチしとけばたいていはなんとかなる。俺のことそんなに覚えてくれてたんだ……!って勝手に感動して自爆してくれるからそれを待つ」
「潜入方法について聞きたいわけじゃないんだよ?」
「おっと間違えた。ごめんごめん。……でもま、実際そういうことだよ。それがわかってれば、問題ないの。それがクリアできてれば、恋愛なんて大概なんとでもなるものよ」
「……じゃあ聞くけどクラサメ隊長の行きたい場所とかわかるの」
「んぐっ」
「駄目じゃん!?」
「だってどこも行かないもの!そういうの興味ないもの私もクラサメも」
「何の参考にもならないよおお!周りにアベックがいないからわざわざ聞きに来たのに!」
「そんな理由で副隊長のとこきたの。カスミかエミナんとこでも行きなさい、まともな恋愛はまともな大人に聞きなさい」
「大人のくせにー!!情けないぞー!」
「言ってくれるな小僧め」
どうしようかな、キャラじゃないしな、不公平かな。
ナツメは悩み、しばし考え込んだ後で、しょうがないねと肩を竦めた。
「デュースもさ、憎からず思ってると思うよ。護衛を誰にお願いするかって話になって、ジャックに頼みたいって言ったのあの子なんだから。……しょうがないから、依頼を出してあげようか」
「え!?依頼!?」
「何か口実があればいいんでしょー?四課の毒薬在庫が減ってるみたいだし、蒼龍で一通り材料集めてきたら買ってあげる。ナギが」
「最終的にナギに買わせるんだねえー……」
「ま、それでも誘わなきゃならないけどね。何にしたって、時間をかけてゆっくり進めればいいんじゃないの。若いんだし」
「副隊長時々おばあちゃんみたいだよねえ。五歳ぐらいしか変わんないのに」
「おばあちゃッ……年齢関係のことを年上の女に言うもんじゃないわよ死なすぞ」
ナツメが苛立ちを露に睨むと、ジャックは「おお、怖」と笑った。
後日、お土産と銘打って蒼龍の名物菓子のギサール饅頭が差し入れられ、そのあまりの不味さにナギと悶絶することになるとはまだ知らぬナツメであった。
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