You are only anybody that i used to know.
(あんたなんか、昔の知り合いってだけじゃない)


夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。




真夜中。
腕の絆創膏を見つめ、ゆっくり剥がしてから、ナツメは服を着替えた。レディライクなペンシルスカートと薄手のホワイトニット。カシミヤ混のダッフルコートとニット帽で傍目には学生っぽさを意識する。
相手が悪いから、色んな所で策を弄する。コートを脱ぐ前と脱いだ後で印象を変える、女詐欺師のよくやるテクニックだ。

膝丈のブーツに足を突っ込むと、ミニテーブルに放った薔薇が気になって、手を伸ばし、ゴミ箱に向けて一直線。
払い除けた。

「……」

一本の真っ赤な薔薇。家族との電話を切った後、これが窓の桟に置かれているのに気が付き、ナツメは舌打ちをした。これは呼び出しだと、すぐに理解したからだ。

とげ抜きの一切されていないそれにどんな意味があるのかはだいたいわかっていた。
“あなたしかいない”されど“不幸中の幸い”。花言葉になぞらえるのが好きな犯罪者が身内に多すぎてナツメも覚えてしまった。
言っておくけどかっこよくはないよ、ただひたすら不気味だよと幾度となく忠言しているのだが、聞き入れてもらえない。まあいいか、奴らが悉く女に振られるとしてもナツメには関係ない。

リビングの角にある本棚の三段目、その籠の中に合鍵を隠していることにはもう気づいていた。鍵を取り、音を立てないよう注意して家を出る。
場所は考えて当てるしかないが、連絡を寄越した奴の性格からある程度は絞りこめる。クンミなら廃工場でも適当な倉庫でも構わないのだろうが、赤い薔薇を一本だけ寄越すようなやつはそのあたりにこだわりを発揮するだろう。明らかにアッパーサイドだ。イーストかウェストかはわからないが、あとは行き掛けに考えるか。


表通りに出て、タクシーを捕まえる。深夜運賃のイエローキャブに乗り込み、ノイエ・ギャラリーに連れて行ってほしいと言った。

ノイエ・ギャラリーはセントラルパークのすぐ近くにあり、とりあえずの行き先としては申し分ない。ファッションビル、画廊、ギャラリーなんかが溢れかえっている辺りだ。このぐらいの時間ならまだやっている店もあるだろうが、ナツメはあえてそれを除外して考える。秘密の話をするのに、常に誰かがいる場所は望ましくないだろう。

「……」

警察やFBIの息が掛からず、誰でも入れるわけではない場所。条件は入り口が目立たないこと。
そうなると、会員制のクラブかなにかだろうな。ナツメは目算を立てる。その上で、当然ナイトクラブやバーはパス。フィットネス系だろうか。だがそんな場所に呼び出されるというのも。

アッパーサイドにある、ミリテス所有の建物を思い浮かべる。呼び出した奴の権力規模からして、明らかに貸し切りでは使えない建物は除外。クンミのことを思うとミリテス内で噂が広まるのも避けたいはず、ならばミリテスが経営に関わるところも除外。
ただ金を出しているだけのところで、夜は開いていない、中規模の施設。

思いつくのは一つだけだった。じゃあ間違いないなと思った時が、タクシーの窓から見える風景がちょうど様変わりするところだった。ニューヨークという場所は、妙に区分がはっきりしているので、その境を越えた瞬間雰囲気から空気からがらっと変わってしまうのだ。
アッパーサイドの空気。夜闇をものともしない煌々とした光。あとは酔っ払いと、酔っぱらい狙いのスリ。


タクシーを降りて、晩夏、既に白く染まる息を吐きながら、ずんずん迷いなくナツメは歩く。目指す果てにあるビルは、路地裏の奥から入れる会員制のプールだ。表側はただのファッションビルだが、裏から入ると全く様子が違うという話を聞いたことがあった。
あまり広くはなく、貸し切りに対応することが多いのだとか。ミリテス以外にも後ろ暗いところを持つ人間が使うことがあるので、スタッフ側にミリテスに関係した人間はいない。

鉄製の重いドアは、押したらあっさり開いた。やっぱりな、と正解の感触。来たことすらないけれど、まさか営業時間外に開くわけがないだろう。
最上階のプールにしかいけない小さなエレベーターを降り、あえて靴音を抑えずにナツメはゆっくり奥へ向かう。受付らしきブースを通り抜け、ロッカールームを横目にひときわ目立つ観音開きのドアを押し開く。

明るくはなかった。でも、決して暗くはなかった。プールの水面を挟んで反対側、部屋の奥にいる二人の姿ははっきり見えるのに、表情はほとんどわからない絶妙のバランス。

そこにいたのは、カトルの腹心の部下である、フェイスとニンブスだった。

二人揃って高いスーツを着ている。まるでやりての弁護士みたいに、ブランドスーツが制服なのである。
やってることも、やりての弁護士と大差ない。脅して、騙して、手に入れる。唯一の違いは、執行力のバックボーンが法律ではなく暴力なこと。

フェイスはプールサイドのビーチチェアに腰を下ろし、ニンブスはその傍らで姿勢良く立っている。
外は寒いのに、よく暖房が効いていて暑いくらいだった。だから、この二人がいつからここにいるのか知らないがスーツをかっちり着込んでいて暑くないのかと、どうでもいいことを考えた。

プールは、数名で充分貸し切りにできる程度の広さしかないので、実質十メートルも距離はない。フェイスの口がゆっくり孤を描く。

回り込んでそちらへ行こうとしたら、瞬間、ニンブスが手を伸ばした。その袖口から覗く銃口が、じっとりとナツメを睨んだ。

「……、」

ああ、なるほど。だから暑いのか。

ナツメは内心、舌打ちするような気持ちで、後頭部のあたりを掴んでニット帽を脱いだ。コートも脱いで、乾いた床に落とす。
ブーツ。スカート。最後にニット。ブラジャーとショーツまでは脱ぐ必要はないだろう。カトルにバレたら、既に彼らは折檻を食らいそうな状況である。

ナツメは音もなく一歩前へ踏み出して、力を抜き、軽くターン。息を止めて、背中から、落ちる。

鼓膜を直截に叩くような、水面の波濤。己の足がぐにゃりと曲がったように見えた。
深い水底へ一瞬だけ近づき、身体はすぐに浮かび上がる。ふは、と息を吐いて、吸って、真上の光を見る。

広い天窓の中央にシャンデリアが一つ。光は月と重なっている。
さて、と振り返ったときだ。不意にもう一つ、ドボンと深い水音が鳴った。はっとして振り返るも、それより早くその腕がナツメの腰を支え、ナツメの意思に関わらず強い力で水中を引きずっていく。

「えっ、ちょっ」

すぐにプールの縁に掴まらせられ、プールから上がり、振り返ってようやっとそれが誰か理解した。とんでもない高価なスーツを平然と駄目にして、ニンブスはすぐそこに浮いていた。
比喩ではない。真実、すぐそこでニンブスはぷかぷか浮いている。両手足を広げて。

「……」

「……」

「ニンブスさんは紳士なんですよ、ナツメさんを助けようとしただけなんです」

「さすがにその言い訳は通らないと思うよ。泳ぎたかっただけだろあいつは」

フェイスの差し出したタオルを受け取り、ナツメはフェイスの座っているのとは少し離れた位置にあるビーチチェアに座り、髪や身体を拭き始めた。

「武器がないことを調べたいだけなら、ボディチェックでもさせりゃいいのに」

「あなたの武器は銃とは限りませんから。なにひとつ持っていない状態でなければ、あなたと交渉する気にはなれない」

フェイスの視線の先で、ニンブスは今度は平泳ぎを始めた。表情には全く現れていないが、楽しそうである。

「……今度また連れてきましょうかね。気に入ったみたいです」

「ニンブスは今日もよくわからないわね……妹とは正反対だわ」

「ああ、クンミさんですか。先日は大変でしたね」

「ま、アレがうちの義姉よ。慣れてるわ」

ニンブスを眺めながら、まずは世間話を始める。会話の始まりが一番気を使うのは、どこの業界でも同じ。
フェイスはビーチパラソルつきのガーデンテーブルに置いた、トロピカルな色の飲み物に手を伸ばしながら首をかしげる。こいつらもう普通にプール楽しんでるんじゃないかとナツメは辟易する気持ちになったが、そんなことはおかまいなしだ。

「なんともややこしいですよね。毎回忘れてしまいますが、ええと、ナツメさんの元々の家で、義理の姉妹だったのがクンミさんなんですっけ」

「ん。私もクンミも養子だからね。それで、クンミの血の繋がった兄がニンブスって構図ね。理想の家庭像を作るために兄妹引き離して妹だけ引き取るような親だから、私もクンミも揉めて追い出されたわけだけど、その後でミリテス内で再会したときはカトルがなんかとんでもない黒幕なんじゃないかとさえ思ったわ」

兄妹だけあって、ニンブスはクンミとよく似ている。同じく褐色の肌に金色の髪をしていて、深い茶の髪に青い目のフェイスと並ぶと対照的だ。

「ううん、わかりづらい……。結局あなたきょうだいは何人いるんですか?」

「公式には姉が一人だけど、非公式にきょうだいとして数えてる人間を含めたら、……六人かな」

「カトル様は除いてですよね。ニンブスさんを含めてですか?」

「……何でニンブスがきょうだいなのよ?クンミだって拒否するのに、私は何の関係もないじゃない」

クンミが、養子になる前のトゥルーエの姓を名乗っているのを聞いた時は、ほっとした。クンミは家族ではない。姉ではあるが、何も通じ合わないし、理解もできない。姉としての距離でいられるのは、精神衛生上よくなかった。
とはいえ実兄であるはずのニンブスもまた拒絶されているところを見るに、クンミは何者とも距離を置きたいようだった。詳しいことはわからないが。

「それで?用件は?」

「クンミさんと同じですよ。たぶんそれで呼び出されたんでしょう?」

「クンミはカトルの弱みを握りたいって言ってたけど?えっ謀反?謀反なの?」

「いやいやいやいや、そこまで同じじゃないです!カトル様のことっていう部分は同じだって言いたかったんですよ!!……それにしても、そうですか……クンミさんは弱みを握りたいと。困りましたね」

そう言うフェイスの、憂いを帯びた視線の先で、ニンブスは背泳ぎを試み、失敗して沈んでいった。わけがわからなすぎてフェイスの話が地味に頭に入らない。

「えー……ともかくですね。我々としては、早急にボスを救出したいわけです。というか……普通は、こんなことはないんですよ。いや、逮捕されることはありますがね、明らかにFBIも証拠不足でほとんど立件できてないですよね。普通は、カトル様みたいな“大物”が逮捕される場合、いろいろなところの内通者から情報が入って、さまざまほうぼう手を尽くして。ああこれは無理だ、減刑できてもここまでだと、ではこの仕事は誰が引き継いで、と“準備”が整った状態での逮捕なんです。今回は、全員にとって寝耳に水でした。おかげで動くのが遅れ、カトル様が逮捕されて一週間、ろくに面会もできていない状況です」

「いま面会なんて行ったらむしろ危険なんじゃないの?」

「それはそうですが、放っておくのが一番危険ですよ。私やニンブスさんがうろついていれば、FBIからしたら芋づる式にミリテス幹部を引っ張る機会に見えるでしょう。当然、送検までの時間が伸びます」

「なるほど……ものは考えようってことね」

ニンブスは無表情のまま大慌てで水面に戻ってくると、ぜえぜえ息を吐いた後でクロールを始めた。いまさらだが、高いスーツは当然重いし、それが水を吸えばなおのこと重い。よく泳げている。

「……っていうか話に集中できないよ、ニンブス止めなよ」

「ニンブスさんは基本誰の話も聞いてくれないので、本人が飽きるまで放っておくしかないですよ」

「にこやかに何言ってんの……こうしてると本当、凄腕のスナイパーには見えないわ」

実際のところ、クンミを狙撃したのも彼だろうとわかっていた。指示を出したのはフェイスのはずなので、フェイスの意思によってのみ行われたのだろうが、回避が一歩遅れれば実の妹を殺していたのだろうに。これがスナイパーの本髄と言わんばかりに、全く気にしていないようである。
ここも不思議な兄妹だと思った。

「計画があります。そろそろ、裁判のために判事立会いの元、司法取引の話になるでしょう。私が付き添いますが……」

「付き添いなんて入れるの?」

「弁護士なら入れますよ」

「資格持ってたの?」

「ええ。ずいぶん前に取りました。ちゃんとロースクール出てますし、年度がくるたび更新もしてます」

「それで、今回使うってわけね。似非弁護士みたいな格好だなと思ったら、実際弁護士だったの……」

知的犯罪組織の人間が弁護士資格を持つというのは別にめずらしい話じゃない。こういうふうに必要になる機会が多いし、そもそも法律を知らなければ詐欺だってできないし。
そう思って、じゃあ弁護するわけかと聞いたら、否との答が返ってくる。

「どんなに減刑できても一年は食らうでしょう。今それはできません。クンミさんの目論見通りになりますからね。近日中に脱獄を狙います」

弁護士資格は使い捨てるつもりらしい。一度でもそんなことを許せば資格を剥奪されるし、十二分に逮捕事由だが、フェイスにはどうでもいいことのようだ。それよりも、早くカトルを救出したいのか。
だが、それにしては、

「遅かったじゃない。こっちは計画立ててずっと待ってたのに」

ナツメは足を組み、その上に肘をついて笑う。
嘘ではない。最初から。“カトルが代わりに逮捕された瞬間から、計画は練っていた”。

「おや、それは想像していませんでしたね」

「カトルの情報を得るためにしおらしくしてきたのよ。FBIに結構な情報を売ってやった」

さすがにこれは嘘だが。

「それじゃあ、聞きましょうか。計画は?」

ざばんと大きな波を立て、ニンブスがプールを上がってくる。もうタオルはないらしく、フェイスにも捨て置かれているが、特段気にもせずフェイスのビーチチェアを乗っ取った。「ちょっ、ニンブスさん!!」フェイスは濡れたくないのか、大慌てでそこから退いた。

スーツの裾を絞るニンブスも聞く気はあるらしく、ナツメに向き直る。

「まず、判事のところにいくタイミングは、狙い目だと思う。フェイスがついていくならなおのことやりやすくなる」

「そのタイミングで襲撃を掛けますか?」

「FBIに死人を出すのは得策じゃないわね。相手の執念に火をつける真似はしないほうが無難だよ、私もやりづらくなるし。どちらかというと、判事を変えるほうで考えて。高等裁判所の判事室、一番奥から二番目の部屋の窓の下、来週から水道管の工事があるらしいから」

「水道管工事……ってまさかあなた……」

ナツメの言葉に、ニンブスの傍らでフェイスが戦々恐々と言わんばかりの顔をした。一方ニンブスの表情は変わらなかったが、「へっくしゅんっ」と唐突に可愛らしいくしゃみをした。
下着姿のナツメは暖房のおかげで特に冷えないが、ぐしょ濡れの冷たいスーツを全身に纏っていては寒かろう。

「……」

「……」

「……あの、私使ったけど、タオル使う?気にするならロッカーで別のタオルを持ってくるけど。フェイスが」

「私ですか!?」

「気にしない。妹の義妹だ」

「つまり完全なる赤の他人なんだけど……まあいいや。はい」

受け取ったニンブスはナツメが差し出したタオルでスーツを拭き始めたが、濡れたスーツって拭いてなんとかなるものなのだろうか。

「ええと……それで。なんでしたっけ」

「だから、えーと……あー待って……うん、思い出した……だからね、水道管工事の予定があるから」

「あっ、そうだ!ナツメさんあなたまさかとは思いますけど!カトル様に下水道でも通らせるつもりですか!!?」

「そのまさかだけど」

「そんなわけにいかないでしょうが!カトル様ですよ!?自分どんな手を使ってでもカトル様に下水道なんて使わせるわけにいかないですよ!!!」

「決行日は」

「来週前半で決められたらいいかなって思ってる。私はさほど手伝えないけど」

「問題ない」

「聞いてるんですか!?」

タオルに水分を移し終わったニンブスは満足した様子で、タオルをその辺に放り投げる。誰が拾うと思っているのだろう。フェイスか。

「カトルもそれぐらいの苦労はするべきだ」

「何を言ってるんですかぁぁ!」

「……前から思ってたけど、フェイスはいいとして何でニンブスはカトルの側近やってんの?」

フェイスが大騒ぎするのを横目に見ながら、ナツメはニンブスにそう聞いた。実際ずっと疑問だったのだ。
施設で育って、別々に養子になりながら、ミリテスという犯罪組織で十数年ぶりの再会。そんな状況で、違う派閥にいる兄妹というのが。
確かに見る限り仲はよくない、クンミはニンブスに会うたびメンチ切っているし、執拗に脛を狙っているし、たまに唾を吐いている。だがそのくせ、二人で無言で夕飯をとっているところなどをたびたび目撃されているので、壊滅的に仲が悪いというわけでもないようなのだ。
同じ組織内でも、違う派閥ではいずれ敵対しあう可能性もある。一度ついたら、鞍替えすることも容易ではないし。

「……クンミが」

「姉さんが?」

「あいつが、シドについたから。この方が都合がいい」

「え?」

「バランスがとれる。戦力均衡はパワーゲームの基本」

「……いや何言ってんですかニンブスさん……」

フェイスががくりと肩を落とす。これは煙に撒かれたのだろうかと思ったが、ニンブスは無表情を崩さない。顔や雰囲気はクンミによく似ているのに、表情から性格からまるで違う。別々に育てば仕方がないのだろうか。
ニンブスについてはもう何を言っても無駄と判断し、ナツメはフェイスの了承を取る。水道管工事をうまく利用できたら、下水道に入ったことすらすぐには察知されないのだから、こんなに良いアイデアはないと思うのだが、納得させるのには時間がかかった。面倒くさい男だなお前は、そうため息をつく。

「一つ聞いていいですか」

「何よ。っていうか服着ていいよねもう?帰っていいよね?」

ナツメさん、あなたどうして、カトル様を助けようとしているんですか」

振り返って刹那、お互いの目が煌々と光っているのを見た。
夜のプール、この距離ならありありと判る、互いの冷たい無表情。

「あなたは、カトル様のお父上、前々ボスの幼児誘拐とその売買の被害者ですね。そしてそれを知っている。アリア嬢も同じ状況ですが、反応は真逆。面白いことです」

「アリアも知ってるの?そう……真逆の反応なんだ。でしょうね。アリアは……あいつのことが、とても好きだから」

ナツメさん。我々としては、正直あなたへの対応を決め兼ねているんですよ。最終的にカトル様があなたの罪を自ら被った形、それは確かにそうなのでしょうが、もともとはそうじゃなかった。あなたがカトル様を呼び出し、FBIに差し出した。見事なまでの裏切りです。一方で、こうして脱獄させるために計画を練っていたりもする。カトル様からあなたを守るよう厳命されていたのでそれに従っていましたがね、結局どうすべきなのか。悩ましいところなんです」

「……そうね。まあ、そこは仕方がない」

カトルを売り飛ばしたのには、ナツメなりに重大な理由があった。FBIに入り込むこと。
裏社会に根を張って、数年。これだけ時間をかけてもうまくいかなかった、マキナは影も形も見えない。
裏から探して駄目なら、表から。マキナの目的だけは目に見えているのだから、そこを探るにはもうFBIに取り入るしかない。

「だから、あなたがカトル様を助けようとするなら。次は罠じゃないという確証がほしいんですよ」

「確証ね……これはビジネスであって家族愛の話じゃないんだから、結局のところリスクは丸呑みするかゴミに捨てるか、どっちかしかないんじゃないの?私に確証を求めてる時点であんたは大物にはなれないね」

「激しく同意」

「ちょっとニンブスさん!?」

「だから、我々はただ、悪者らしくこう言うべきである」

ニンブスは何気ない仕草で、恐ろしく整った無表情をして、怜悧な目をこちらに向けた。射抜かれるような、心臓に悪い視線だ。

「レム・トキミヤ。イザナ・クナギリ」

己の目が見開かれるのを感じる。
そりゃあ知っているだろう、わかっていた、調べればわかることだ。

「そして、マキナ・クナギリ」

でもそれを、こうして持ち出されるとは、思っていなかったのだ。少なくともカトルはしなかった。だからナツメはきっとそれに甘えていたのだろうと自分で思う。

ナツメはただ、耐えきれず、傍らのテーブルを蹴り倒す。
フェイスの飲んでいた飲み物のジョッキが床に叩きつけられ、けたたましい音とともに割れて散った。ジョッキに入っていた時は黄色とオレンジ色の間みたいな、爽やかな色をしていたのに、薄暗い床に広がる時は真っ黒に見えた。

「ああっ、まだ半分も飲んでないのに!なんてことをするんですか!!」

「これが我々のビジネスだ」

「……そうね。そのとおりだわ」

ナツメは彼をじっとりと睨む。しばしそうして睨んでいたが、ナツメは舌打ちとともに立ち上がりプールサイドを歩いて服を拾いに行った。
服を脱いだ、その場所に立って、振り返る。

「ビジネス上の契約をするわ。カトルを脱獄させる手伝いはするし、罠にもかけない。代わりに、あいつらに手を出すことは許さない」

「約束はしませんよ。ビジネス上のことですからね。あなたの言ったとおり、リスクは常に飲み込むしかないものです」

「そうでしょうよ。そうなったらFBIを動かして、あんたらの拠点全部叩き潰してやるから。……二度と、お前らの“被害者”になんてならない」

相互に弱みを握り合ってようやく成立する痛み分けの関係に反吐が出ないでもないけれど、これが自分たちの生きる世界だ。
その薄闇からマキナを引きずり出すために、これしかないともう覚悟したのだ。


ナツメは来た時同様、イエローキャブを捕まえた。
そして、真夜中の過ぎた熱の冷めゆくニューヨーク、アッパーイーストサイドを後にした。クラサメが異変に気がついていないよう祈る気持ちも、ないまぜに。




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