Why you can feel like nothing changed at all.
(どうして何も起きてないって信じられるんだろうね。)


夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。




――これは夢だ。
ナツメはすぐに気がついた。だってあんなところに照明はなかったし、それにこんな下着は持っていなかった。己の身体を見下ろして思う。
ポールダンサーが着る下着は、ほとんど透けてて役目を果たしていないのが普通だ。昔己が着せられていたのもそんなのばっかりだった。でも今身につけているのは3/4カップのブラジャーだし、ショーツもしっかりしたシルク。普段着るタイプの、機能性も意識したもの。
それなのに、ナツメはバーの前の狭い舞台にいる。ポールの横に立っていて、男たちの野次は遠くに聞こえる。照明の位置はおかしいけれど、間違いなく昔働いていた場所だと思った。

ナツメはただそこに立っている。男たちは口笛を吹いて、ぎらついた目で己を見る。
それがひどく落ち着いた。

こんな場所、恋しくもなんともない。そんなのとは違う。働いていた当時だって、好きでやっていた仕事じゃなかった。
でも、明らかに平和じゃない、いつ男たちに引きずり降ろされてレイプされて殺されるかわからない舞台は、この上なく落ち着いた。

私は大丈夫。だってわかるもの。どんな人間が危険だか、見れば触れば息遣いを聞けばわかるもの。
私は大丈夫よ。

「直面する恐怖から逃れる方法はたったひとつ、訓練することよ」

唇が意思にかかわらず動いて、私の心を私に教える。
ああ、でも、その通りだ。こうやって晒されていないと、不安で生きられない。
不安で。いつまた捕まるかわからなくて、不安で仕方なくて。でもこの中なら、ナツメは彼らの息遣い一つで意思を感じ取れた。近づいてくる男は睨みつけて、ガードマンに顎をしゃくってみせるのだ。バランスド・アクアリウム。ナツメはこの店を、心の中でそう呼んでいた……。

言葉にできないくらい、この夢が続くことを祈った。この中にできるかぎり長くとどまっていたい。この安息は、管理された危険の中でしか得られない。

「……」

私は。
この中なら、私は。

ナツメが言葉を再度紡ごうとした直後だった。

意識が浮上する。

ゆらゆらと揺蕩う水面に浮かび、現実世界の情報が脳に流れ込む。誰かが呼んでいる。
声がする。誰より愛しい声だ。

ナツメ、大丈夫か?」

「……へーき」

クラサメは目を細めて、ナツメを覗き込んでいた。汗が額を滑るのを感じる。彼が助け起こそうとするので、ナツメはその介助を拒否して自分で身体を起こす。喉がからからだ。と、当然のようにミネラルウォーターのペットボトルが差し出される。さすがにそれを拒否する気にはなれなくて、素直に受け取った。

ベッドに腰掛けて膝に肘をつき、クラサメは水を飲むナツメを見ていた。ナツメの額から落ちようとする汗の雫を、指の腹でそっと拭う。そのいかにも恋人らしい仕草が、胸をついた。
なんでそんなことをするのと、ナツメは彼を睨む。

「触らないで」

「なぜ」

「なぜじゃないわ。私はクリミナルであなたはビューロウ」

「そんなことはどうだっていい」

それがあからさまに恋人だった頃の声音だったので、ナツメは戸惑った。もうずっと前のことのように感じる。伸ばされた手を、今度は拒否していいかわからない。
頬に落とされるキスが、明らかに己に温度を与えたのを感じる。彼が触れた場所が心臓みたいに熱くなった。
間違いなく、ナツメは変わらず恋をしている。この優しい男に。

ナツメは暫しためらった後で、ゆっくりと口を開いた。

「……ねえ、ポンペイって街を知ってる?古代ローマの」

「ああ、噴火の?」

「そうよ。79年に火砕流で滅んだ街。あれと、同じ名前の歌があるわよね。私たちきっとあの歌そのものなんだわ」

どこか独り言めいた声で、ナツメは言う。歌詞を思い出す。
まさに今、空が暗くなって、愛した街の壁が崩れ去っていくのに。

「私は変わらずあなたを愛してる。否定なんてできないから、諦めるわ。でももう、崩れた後なの。悪夢の夜はとっくに終わって、いまさら逃げ惑ったってもうどうしようもないのに」

顔を上げて、クラサメを見つめる。険しい表情だった。何を言われようとしているか、クラサメはきっとわかっている。
ナツメ以上に、わかっているはずだった。

「目を閉じればそんなふうに、何も起きていないって思えるの?ここには何の変化もないと?」

「……ナツメ

「確かに愛してるわ。でも恋人にはもうなれないのよ」

ここに確かに愛があって、恋があっても、誰もそんなことを許さない。ナツメがどんなにそれを許しても。
いつかきっと、クラサメが苛まれる。それくらいわかるのだ、ナツメには。それぐらい彼を愛している。

「……じゃあ朝食もいらないな」

「そうね」

朝食を用意するのは恋人の仕事だ。
ナツメはベッドを降りて、シャワーを浴びるべく部屋を出る。と、その背中にクラサメが言うことには。

「そんな格好で寝るのもやめろ」

「それはいや」

恋人じゃなかろうが、あなたを誘惑するのはやめらんないわね。
我ながらひどいことを思いながら、ナツメは下着姿で寝室を後にした。









コーヒーショップでラテとベーグルを買って、ナツメはクラサメと共にFBI支部に向かった。まだ慣れないナツメだが、向こうは案外しれっとしたもので、エミナが普通に笑って「おはよう」と言うのだから怖い。どこまでが演技なのかな。本心だったらもっと怖いなと、人知れず思った。

その日見せられたのはとある強盗兄弟の写真だった。直截会ったことはない。でも、そいつらをナツメは知っていた。

「ザイアス兄弟ね。まさに凶悪犯だわ」

「ああ。狙うのは地方の銀行や資産家の別荘。時には強姦、殺人もする兄弟だ」

ナツメちゃんも知ってる?なにか、計画を売ったりとか」

「こういうやつには売らないわね。こっちがどんなにスマートなものを作ってやっても、絶対成功させられない奴ら。個人的にも嫌いだし」

ナツメが舌打ち混じりに言うと、カヅサは驚いた顔でこちらを見た。

「なによ」

「いや……なんか意外で。そういうこと気にしなさそうだと思ってた」

「レイパーを嫌わない女なんてこの世にいないから。勘違いするなよナギ」

「何でこの流れで俺にそういうこと言うの!?しねぇよ!」

ナツメはいつもどおりにハニーラテをすすりながらナギを指差して言った。つられてエミナがナギに向けた目の厳しさといったら。

「で、この兄弟を捕まえるの?ここってそういうチームだっけ?」

「いや、……これはまだ公開していないんだが、先日弟のほうを捕まえた。今、勾留してるところだ」

クラサメが妙に言いよどむ。片目を細めて訝しんでみせると、エミナが続きを引き取った。

「あのねー、一昨日の夜偶然コンビニで見かけて、ワタシが捕まえちゃったの。顔は監視カメラとかでわかってたしね」

「捕まえちゃったの、って……」

ナツメ、こう見えてエミナさんはめちゃくちゃ強い。喧嘩を売らないよう気をつけろな」

「強かったらそれだけで凶悪犯の単独逮捕とかできるものなの?……あれ、兄のほうは?」

「うーん、それが問題なんだよね」

カヅサは苦笑しながら、手に持った袋の束を落とした。証拠品を入れるジップロックだったが、中には紙が入っていた。
ナツメはそこに書かれた文字を読み上げる。

「もしおまえらが俺の弟を解放しないのなら、……えースペルミスでわかりづらいけど、」

FBIの連中を襲撃してやる。遠くからライフルで狙撃してやる。俺も捕まるまでに一体何人殺せるか、楽しみだ。

「……これは」

「ま、つまりは殺害予告だね。それで、これはさっきのことだけど。埠頭で起きた殺人事件の調査にいく途中、FBIのバンが遠くから狙撃された。幸い死人はいなかったが、運転手の腕にあたったおかげで運転が狂い、民間人に軽傷を負わせる事故になった」

「一大事じゃないのそれ」

「そうなんだよねえー」

「ま、それで、おまえのとこのチームが原因だからなんとかしろってなお達しがな!」

「それもそれでどうなのよ……?ともかく、なるほどね。それで至急こいつを逮捕しなきゃいけないと」

「そういうことだ。心当たりはあるか」

「さっき嫌いだって言ったばっかりじゃない。組んだことも寝たこともない男の所在把握してるほど暇じゃないんだけど」

「ま、それもそうよねー」

ずけずけと言うナツメにためらいのない賛同を返したのはエミナだけだった。ナツメはふんと鼻を鳴らし、クラサメと住んでいた部屋から回収してきた携帯電話を取り出した。見た目はただのノキアだが、中は発信元が特定されないよう複数の基地局を経由するため特別製のICチップが入っている。

アドレス帳からダフ屋という項目を選んで、電話をかける。
もちろん本当にダフ屋につながるわけではない。

「CL、元気?ナツメだってば。ええ、そう……今日顔を出すつもりだからそれで連絡をね。ええ、ザイアス兄弟のことが聞きたいの。いい?」

そうして、CLと呼んだ相手からの要求にイエスと言い、それじゃ夜に、そう言って電話を切る。チームの面々に向き直ると、妙につまらない顔をしてこちらを見ていた。

「お前さあ、ツテがあるのはわかるしそれをアテにしてんだけど、無相談で動くのやめろよなぁ……」

「だって相談したら却下されそうだったから」

「ならなおのこと相談してほしいんだけど!?」

「懇意にしてる情報屋に連絡したの。武器職人もやってるから、長距離スナイプできるような武器を買ったなら知ってるだろうし。FBIでも有名なはずよ、なんだっけ。炎の……?」

「炎の商売人!?」

「指名手配リストに常に名前が入ってるんだが、その武器商人……」

ナギが驚き、クラサメが呆れた声で言う。こいつらが逮捕したがったら面倒だから話さずにおいたのである。
なんせ、ニューヨークで武器を買うならCLだというぐらいの有名商人。珍しいことに、買い付けから整備まで全部一括で行っているので、不良品ということがほぼない。グリップやスコープの交換なんかも頼めばしてくれるし、慣れない武器なら撃ち方の指導にも付き合ってくれるという親切ぶり。とどめとばかり、値段が高い代わりに初期不良は無料で交換してくれる優良店である。
犯罪者の世界でも、最後に大事にされるのは顧客を大事にするまともな店なのだ。それだけ愛される武器商人だから、CLがいなくなればニューヨーク中の犯罪者たちに激震が走ることは間違いない。

「……まあ、気のいいやつらだし、情報屋として扱ったほうが火傷しないわよ。ああいうやつらをしょっぴくと、たぶんとんでもない大物を釣り上げちゃうから、全員消されても文句言えないしね」

「……FBIとしてはそれに頷きたくはないのだが、まあ今回はザイアス兄弟が先だな。それで?今夜行くのか?」

「ええ。ついてきてもいいけど、顔の売れてないやつだけね。バレたら大変なことになるし」

「じゃあ、それは後でクラサメくんがついていけばいいか。とりあえず狙撃の現場に向かおう、狙撃ポイントを見つけないとだし」

カヅサが手を叩いて面々の顔を見渡し、それで席を立った。それを見ていて思ったことだが、彼らの中には実質的なリーダーがいないような気がする。全員で意見を持ち、必要なときに必要な人間がリーダーシップを発揮するというか。
ずっと単独で仕事をしてきたナツメにはわからない仕事のやり方だ。それでうまく回るものなのかな、とは思ったけど、ナツメにはさほど関係のない話だ。

どうせ、記録が見られるまでのこと。深入りはしまい。


FBIの大きなバンに乗せられて、ニューヨークをダウンタウンに向け下っていく。車は吐くから苦手だし監禁されてた頃を思い出して死にそう、とさんざごねた結果助手席を獲得した。ちょろいなと思いながら、ブルックリンに向かう橋を渡っていたときだ。
深く腹の底を揺らすような鋭い音がして、銃声が低いところで跳ねた気がした。
そして直後、赤い光らしきものが目の前を横切って、凄まじい速度でナツメの目のすれすれを通り過ぎてサイドブレーキの根本に突き刺さった。

「んなっ……!?」

「クラサメ!」

運転していたクラサメの名を呼ぶと、彼は前をじっと睨んで「ああ」と言った。「狙われているようだ」
銃弾は右から左へ通り過ぎ、幸い助手席のナツメにも運転席のクラサメにも当たりはしなかったけれど、当たっていたら即死だった。というか、銃弾はサイドブレーキの真下を貫通していったわけだが、これは大丈夫なのだろうか?車はまだ一応動くようだが、その銃痕から細い黒煙が上がっている。

「でもこの車FBI仕様じゃないんだよ!?何でバレたの!?」

「わかんねっすけど支部を見張ってたなら有り得るんじゃねえっすか!?」

「くくくクラサメくん急いで、どこか屋根のあるところに……っ!」

ナツメは既に割れた窓を肘で叩き割ると目を皿のようにして銃を探す。ちょうどウォール街から連なるビル群が遠くに見える。せいぜい三百メートルというところだが、車の時速は60kmを超えている。それだけの速さで動くものを、側面からの狙撃。至近距離でも難易度が高いものを、あのビルから狙うなんていうのは。

「違う……ザイアス兄弟じゃない……!」

そんなことができる人間をナツメはニューヨークに二人しか知らず、そしてその二人はナツメを狙う理由がある。

ナツメは舌打ちし、車の鍵を開ける。「ナツメお前何を、」後部座席から跳ねるナギの声に応えている余裕はなかった。

ドアを開き、ナツメは身体を丸め、車を飛び出した。ぐるりと世界が周り、一回転。地面に叩きつけられ、ライダースは確実に釈迦になったなとどうでもいいことを一瞬考えた。
それでも、全身の激痛を無視して身体を起こし、ナツメは即座、橋の両端を守る腰の高さほどの塀に隠れた。少し先でバンを無理やり止めて、FBIの連中が慌てて追ってくる。銃声が続けて響き、彼らの進路を妨害したのがわかった。ナツメは片手を上げ、彼らを制止した。来てはいけない、狙われているのは己だ。

耳を澄ませて、音を聞く。イーストリバーには大量のフェリーが通っている。音が最も近づいた瞬間を狙えばいい。
長距離狙撃ライフルは一発ずつ装填が必要な場合が多いし、実際さっきから連続しては打ってこない。
FBI牽制の弾がもう一発鋭く響いたこと、そしてFBIの彼らもまた塀に身体を隠して追いかけてくること。ナツメは懸命に集中して脳を回転させ、すべての情報を得る。銃弾がもう一発。ナツメの近くの石畳をえぐった。

直後、フェリーの汽笛。

今だ。

ナツメは、一番近くに迫るクラサメに、唇を動かして伝える。i, run, but, please, pick, me, up....

彼ならきっと把握してくれる。期待通り、クラサメは深刻そうな顔で一度だけ頷いた。

ナツメはそれに微笑みを返して、塀の上を掴む。
立ち上がる。掴んだ腕の力で身体を持ち上げる。塀に飛び乗る。

そして、飛び降りる。

ひゅっと耳元で風の音が鳴り、ジャケットが翻るのを感じた。
ただ、足が折れないといいなと思っていた。



Back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -