すべてはこちら側のこと






部屋にはいろいろなものが溢れていた。
ジルは着る意味もないのにきれいな服を買ってよこしたし、ヤーグは本やら武器雑誌やらを買ってきてくれるし、シドは望みを先回りして叶えてくれている。
ここに囚われている以外では、何もかも自由だ。そしてその一点の曇りだけは、ジルにもヤーグにもシドにもどうにもできない。ただ、この狭い部屋の中でせめて快適であるように努めてくれている。
幸せものだ。もう何十年も、こんな生活が続いている。彼らでなければきっと投げ出されていただろうと思う。よくもまぁ飽きないことで。
たとえこのさき百年囚われるとしても、彼らは傍にいるのだろう。

「……づぁー」

一番苦しいのは、ここにいては外の変化を察知しようがないということだ。友人や元仲間がどこぞで危険な目に遭っていたとしても、自分はそれに駆けつけることができない。
かといって外に出るわけにもいかない。この街を出ることができるなら話は別だが、中途半端に逃げまわっても誰かに迷惑をかけるばかりだ。
だから結局、室内でなんとかこうにか時間を潰すという結果に落ち着く。だらだら筋トレしてみたり、本を読んでみたり、映像メディアを見てみたり。絶対数が少ないため女優がほぼ同じ人間で使いまわされているのは残念だが、それでも演技はやたらめったらうまいので見ていて楽しい。
今日も今日とて、身体の筋肉をゆっくり解して狭い部屋での運動不足を解消し、ふと時計を見ればもうまもなく深夜。そろそろ彼らがやってくる頃だろうと、シャワーを浴びるため浴室に向かおうとする。来る相手がジルやヤーグならともかく、シャワーを浴びておかないとシドと一緒に入る羽目になる。別にそれはもういいのだけれども、とにかく狭いので面倒だった。
そんなことを考えながら、棚からタオルと替えの下着を取り出した、その時だった。

「いやぁぁぁあ!!助けてぇぇぇ!!」

悲鳴だった。必死に上げられる金切り声。
一瞬迷った。が、あくまで一瞬だった。
彼女は小さな窓から下を見る。……連中だ。一様に白いローブを纏った集団がローズブロンドの女を囲んで、奥地へ引きずろうとしている。彼女は必死に抗っているようだが、押さえつけている男との体格差で結局ずりずり地面を引きずられているだけだ。
時計にもう一度目をやる。あと数分。ならば外に出てしまっても危険は少ないはず。
その集団は全員手斧や鎌といった武器を所持していた。それなら、そして女を捕らえている理由が“今回も同じ”なら、一欠片も容赦する理由は無い。

あのガキゃー何してんのかね。暗黒街の治安は守るとかなんとか言ってたくせに。

彼女は整えられた理由を抱いて、窓から身体を外へ滑らせ、跳ぶ。

そして、陽の光から遮断され続けて真っ白になってしまった足が、十メートル下方にいた女を拘束する男の鎖骨に上から文字通り突き刺さった。内側に折れた骨に肺を突き刺され呼吸できなくなったその男のことなど彼女は振り返らない。すぐさまローズブロンドの女を己の背後に突き飛ばすと、地面に転がった手斧を引っ掴む。

「こんばんはー救済の諸君よ。何してんの?深夜のおデェト?この人数で?いくらなんでも輪姦てどうよ、自重って言葉知らないの?」

「お前っ……指名手配の!?」

「殺せ!危険人物だ!!」

「ええー救世院の手配書信じてんの?宗派考えろよ馬鹿者。ブーたんってば一応エトロの仇なんだからね。この世の悪いことは全部あいつが悪いんだし」

手斧というのは、日常生活でも使える柄の短い斧だ。武器としても優秀で、どんな人間でも扱うのに鍛錬があまり必要ないという意味で人気がある。
だから、そんなものを正式採用してしまっている時点で、この集団の戦闘力などたかがしれている。しかも、もう彼女に武器が渡ってしまっているのだ。結末など火を見るより明らかである。
語るべくもないほど。

「ちなみに救済の諸君よ、エトロの娘を自称する私が早めにフラグを折っとくと、母さんもうとっくに死んでるんですけど」

「ッ!?なぜ貴様がエトロの名を!?」

「だってエトロの直接の配下だったんだもん。ちなみに言うと、私は原初のユールとほぼ同一時期に生まれているのでー」

手斧が一閃、重たい死線を敷いた。剣より早く、彼女の操る切っ先は寸断するかのように彼らの首を的確に裂いていく。
自分たちで問うておいて、もう答えなど彼らは聞き取る余裕もなかった。

「エトロが最初に血をわけた人間の一人、ってことになるのかね?覚えちゃいないが」

「うわぁぁぁあぁぁあ!!」

「逃げろっ、殺される!」

「ダメじゃん?今まで殺した女に逃げる時間を与えたか?与えなかったよな?なら私がお前らに与えるはずもないじゃん?」

手斧を投げ、逃げ出した一組の男女の背中をそれが貫き、勢い余って転がる様を確認さえしなかった。どうでもいいことだからだ。
そして最後の一人になる。

「やめてくれっ……やめてくれよ……!死んだら、死んじまったら終わりなんだよぉぉぉ!!」

「そうだよ。知らなかったの?じゃあなんで、女たちを殺したの?」

彼女もまた、問うておいて答えなど聞かなかった。答える前に、男の身体に手斧を埋め込んでいた。斧に割り込まれ、生命を断ち切られ、その男は血を吹いて倒れる。
そうなってから、彼女はゆっくり足元の死体を数えた。六人。ということは単純計算で、三千年分の人生がここで潰えた。
殺人者でさえなければ、殺す必要もなかったのに。彼女はそんな意味のため息をつく。例えば彼女が殺すのはこういうときだ。殺さねば誰かに危害が加えられる。でも逮捕する暇はない。そういう時。一方、足元の彼らが殺したのはそれが彼らにとっての欲求の対象だったからだ。こればかりは、元を絶たないとどうしようもない。
世界がどこを切り取っても平和なら、彼女は人を殺さない。けれどこの死体は違った。それがどういう差異なのか、彼女はよく知っている。
振り返ると、怯えきったローズブロンドの女は「ひっ!?」と悲鳴を上げた。地味に傷つくものである。

「あなた……あなた、確か……!!」

「ありゃー、皆さんよく覚えてんねぇ。そうですとも、あの手配書は私ですよー。……噂の猟奇殺人者じゃないからやめて、その怯えた顔。何もしないよむしろ助けたでしょお」

「で、でも、ひ……人殺し!!人殺しだわ!!」

「あーもーそういうのいいから逃げなよ。ここ暗黒街ですよ、夜出歩けば救済以外の連中も寄ってきちゃうから。早く帰りな、んで髪染めな」

しっしっと追い払うようにすると、女はじりじり後退したのち、慌てて坂を駆け上がっていく。傷付くわー、と彼女はひとりごち、壁に背中を預けた。走り去る女の髪は少し違う。あれじゃ赤みが強すぎる。あれじゃ本物は釣れないよねぇとひとりごちてみる。
女とすれ違いに、坂をゆっくり降りてくる人影があった。

きれいなローズブロンドがたまに風に巻き上げられる。涼しく睨む双眸がこちらを見下ろす。身長も、顔も、おそらく声も中身も何も変わっていない。仕草だけで、それはなんとなくわかる。

「待ってたよライトニング」

「久しぶりだな、……ルカ」

「私の記憶だと五百年ぶりぐらいだけど、それも実際は違うし……互いの感覚とかを排除して考えたら、丁度ぴったり千年ぶり……だねぇ?」

「一瞬だったなぁ……」

「そりゃ君千年ぐらいこの世界に存在してないんだから一瞬にも感じるわ。時間の概念からして違うわ」

彼女、ルカは足元の手斧をあくまでさりげない動作でもう一度拾い上げた。ライトニングは目を細める。
お互いにわかっていた。もう、立場も目的も何もかもが違う。ルカのそれらはあけすけだ、エトロの元配下でこの街に生きていて恋人友人仲間もろもろを守るためならなんでもする。それだけだ。でもライトニングは違う。
千年の空白に、世界は様々な変容を遂げた。その中でルカも五百年分の変化を背負っている。もう、今のライトニングのことなどわからない。
何を抱え、何を望み、何を為しにやってきたのか。ルカにはわからない。
だから警戒をする。

ライトニングの武器は変わらず剣。しかし盾も所持。その点は大きな変化。
問題は太刀筋。変わっていれば、その分対応が遅れる。一瞬でもいいから観察するために距離を取るべき。
こちらの武器は血で粘つく手斧ひとつ。向こうも手練、生半な応酬では終わるまい。

しかしその睨み合う視線は、どちらからともなく外される。

「……なんてな」

「お前と戦う気はないよ。面倒だし、後が怖い」

「ん?ジルが?先輩が?」

「両方。怖い上に面倒くさいという稀有な例がふたつもあるなんてお前は幸せ者だよ」

「奇遇だな、さっき噛み締めてたところよ」

まるで全く変わらない間柄を示すような会話の軽さが、二人の間を漂っていた。武器を向け合う必要なんてないんだと、今にも決めてしまいそうだった。ただ信じるなんてことは互いにできないくせに。
と、そこへ事情も知らない声が連続して降ってくる。

「ルカ!?なんで外に出てるのよッ馬鹿!危ないからダメだって言ってるでしょうこの鶏頭!?」

「唐突に罵倒された!?いや見てよこの状況を、明らかに飛び降りるだけの事情があって出てきてんだよ!?」

「飛び降りた……のか」

「先輩やめようその笑顔。身の危険を感じてしまいそうだからやめよう」

「自業自得って言葉知ってるか?」

「何!?なんでヤーグまで辛辣なの!?私が何をした!?」

「……なんだこれは」

待ち合わせ時間きっかりに現れたジル、ヤーグ、シドが三者三様にルカを問い詰めるのを見て、ライトニングは訝しげにおもいっきり顔を歪めた。
そしてそれから、「気味が悪い」と呟くように言った。

「へ、何が?」

「五百年前にも四人所帯の有り様だったが、旅の最中はお前とそいつらの殺し合いに巻き込まれて散々な目に遭っただろうが。それが今や何なんだ?はっきり言って不気味だ」

「ら、ライトニングさん、言ってはいけないことを連打しなくてもいいじゃん……?何?何なの?」

「ああ……そうか、あの頃か……」

「年を取るって嫌ねぇ、ほとんど覚えてないわ?」

「わざとらしいわ」

「……お前たち、本当に仲良かったんだな」

視線を逸らしたシドの横で頬に手を押し当て穏やかな笑みで首を傾げるジルにヤーグがため息をつく。それを見て更にライトニングの顔は驚愕に歪む。
何を失礼な、と思うルカの視線の先、ライトニングの背後からまたも増える。

「いんや、こんなに仲いいのは五百年前からだな。それ以前は当然のように殺伐としてたぜ、俺の記憶では」

「……おい待て、あんたまでいるのか?おいルカ何人連れてきてるんだ」

「私のせいみたいな言い方やめましょうよ!?リグディで最後だっつの。ってかリグディも来るとは私も思ってなかったし、ついでに言うなら今ここにいるのにもちょっと驚いておるわ」

「俺も呼ばれたからな。ま、決行するんなら俺も行くし。……っていうか、こんなところで話してていいのかよ。さっき赤い髪の女に掴みかかられたぜ、指名手配犯が居ましたって」

「うわぁなんか脱力するなぁ……!せっかく助けたのに」

「それをどう対処した?」

「いるはずないって言って、それから救世院にはこちらから通報しておきますご協力感謝シマスっつってそれだけです。まぁでも、あの様子じゃ自分で通報しに行きかねねぇなぁ」

シドの問いに答え、考えこむような仕草で続けるリグディに、皆一様に顔をわずかに曇らせる。そしてそれからシドが視線を上げた。

「仕方ない。隠れ部屋ならとりあえずは安心だろう」

「そうだな……少し狭いだろうが」

「そこは無駄に体格のいい誰か三人をヤスリか何かで削ればいいんじゃないかしらね?」

「おい」

「わぁぁ久々にこんなに客が……どうしようお茶っ葉切らしてる」

「期待してないから大丈夫だよ」

ごちゃごちゃとした会話を続けながら、シドが先導し一行は裏路地へと入っていく。一見して入り組んだ、明らかにまともな人間は生活していなさそうな区域にライトニングの表情はまたも怪訝に歪められる。どうしてこんなとこにルカがいるのかがわからないとその顔が雄弁に語る。部屋に戻ったらそこから説明しなければならないと思うと、ルカの気は重い。
金属製の、薄汚くすでに古びた階段を全員登っていく。久々に足を載せたそれは大層老朽化していて、ルカはこんなものを日々彼らに使わせていたのだと己の今の身分に辟易した。が、それもこれまでだ。
ライトニングが来たらすべてが変わる。それはもう、ずっと彼らに説明してあった。

ルカは自室へのドアにさしかかり、シドが長いパスコードを片手で入力するのを見ていた。中に入れば、それはもう確かに狭い部屋であった。ここ数十年過ごしてきた場所が、なんとも言えず更に窮屈なのは、客人五名という有り様がゆえだ。普段の許容量はせいぜいが三人で、それを超えることは実際稀であった。それが今や、総勢六人である。当然狭い。座る場所も見つからない。
結局、ジルとルカはベッドに座り、ヤーグとシド、リグディは各々邪魔にならない位置で立ったまま壁に背を持たれ、ライトニングは最も出口に近い場所にある椅子へ案内された。この部屋は、椅子がひとつしかない。狭すぎるからだった。
居心地は悪そうだが、そんなことはおくびにも出さずライトニングはじっとルカを見つめた。

「……で。なんでルカはこんなに完全防備なんだ?」

「完全防備て、そんなことは……」

「あるだろう。ドアは防弾、窓も防弾、壁と床は明らかに金属製の板を部屋の内側に貼り付けて加工しているな?おかげでこの部屋はだいぶ狭い」

「うん、まぁ、それはされてるけどさ」

「で。ルカ、何をした?」

またお前がやらかしたんだろうと言いたげな双眸に、うっとルカは息を詰まらせた。
その通りだった。やらかしたのだ、己は。やってはならないことをした。今の世界では、殺人なんかよりずっとしてはならないことをしたのだ。
それというのも。

「至高神ブーニベルゼよねぇ問題は」

ジルの疲れたような声に、ライトニングとルカを除く全員が揃ってため息をついた。過剰反応だとわかっていても、しかしルカはそれに納得がいかない。

「んでも私が言ったことは全部事実じゃないか!ブー太郎のあのペド野郎!ホープくんの誘拐は絶対あいつなんだよあのペド野郎!性的犯罪者のリストに乗せて足に発信機付けなきゃ被害者は増える一方ですよ!?ああいうのは幼けりゃ誰でもいいんですからね!!しかもあいつなまじ神だから性別とか問わないんだぜ完全に頭がおかしい神に釣り合うんなら幼女でも少年でも攫ってくるに決まってるんですあのショタコンロリコンペド野郎!うわあじゃなくてわあいなんですよ!?飛ばし過ぎだろあのショタコン!!嬲り殺してやらないと夜も安心して眠れないよ子供時代の記憶がないことが私にとってどれだけ救いか!!ある日突然誘拐されて子供の姿にされていたらいろいろと吹いたりショックで吐くわ自信がある!胆汁まで吐いた後舌を噛み切る自信がある!!」

「ああ、うん、怒ってるのはわかったからそのへんでな。怖い」

ジルもヤーグもシドもルカのこの長台詞の内容にはもう慣れきっており一切の反応を返さないのだが、リグディだけは別で、その凄まじい剣幕を区切りの良さそうなところで止めた。放っておけば本題に入れないと踏んだらしい。ルカとてそこまで暴走するつもりはなかったのだが、そう思われている心当たりはあるので仕方ない。
と、ライトニングはなにかを考えているようだった。ホープが……?とその唇が動くのを、ルカは確かに見た。それは絶望ではなかった。純粋な疑念のように思えた。
それを追及したかったルカであったが、会話を脱線させたとの理由でジルに腿をつねられたルカのとしてはこれ以上摘まれるのも辛く押し黙る他ない。結局黙ったルカに代わり、続きを語るためシドが口を開いた。

「……そんなわけで、声高高にこんなことを主張してしまってな。ルカは救世院の手で連続猟奇殺人者に仕立てあげられた。一時期は街中に手配書がばらまかれた」

「おかしいよね?ロリペドサイコパス扱いされたくらいで何この仕打ち。さすがゲス神の中の最高位クズですよね?」

「微妙に自業自得なんだな……」

「ライトニングまでそんなこと言う!?」

「脱線しない。……とまぁ、こんなことになっている原因はそれだ。十二年前から、ルカは正式に失踪したことになっている。まぁ、救世院には何をしているか十中八九お見通しだろうがな……」

「私達を見張っていればすぐに気づくことだからな。食事を買う量だって尋常ではないし」

「感謝してるけど人がめちゃくちゃ食うみたいな言い方はやめようぜ……?」

「ともかく、だからあなたを待っていた」

ジルが足を組み換え、じっとライトニングを見つめる。誰が切り出すか一瞬悩むような暫時の空白の後、やはり口火を切ったのはシドであった。

「君に力を借りたい。ルカを、この街から逃すために」

ライトニングの鋭い目が見開かれた。それをルカは、どこか平衡感覚を欠いた他人事のように眺めていた。







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