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校舎裏、そしてラストエデン寮入り口付近には、思った通り既に数名の教員が揃っていた。
「バンダムちゃん……」
「カサブランカ!無事みたいね、よかったわ」
「うん、二十分前までは無事じゃなかったんだけどね。ケアルって便利ですよね」
「これが終わったらあなたの容態を確認する予定だったけど、靴下とスカートがぼろぼろな以外問題なさそうね。よかった……」
「ねぇねぇスカートってもう一着もらえる?制服の予備一枚しかないんだけど。さすがに冬服は着たくない」
「……カサブランカ、あんたの肝はどうなってんのよ……豪胆ってレベルじゃないわ……。いいから、何があったのか先生方にお話しして」
担当教諭であるバンダムに促され、前へ進み出たルカは、妙な居心地の悪さについ身動ぎする。演習の鬼教官、学年主任教官。その二人に同時に見下ろされることなんてなかなかない。得も言われぬ感覚に後ろから掴まれているような、恐怖にも近い感覚。
と、その傍らで同じようにルカを見下ろしていた、先ほど助けてくれた寮長が助け舟を出すかのように教官たちに向かって口を開いた。
「私が来た時には、既に彼女は倒れていました。あの辺りです」
「外壁が壊された場所から、およそ十メートルか。あの壁を壊したのだから相当な威力の爆撃だったはずですな」
「よく生きていたなカサブランカ」
学年主任教官が手を伸ばして距離を目算で計測するよそで、鬼教官が闊達と笑った。ルカは肩をすくめる。
「教官に鍛えられてますから」
「っは、よく言った!それなら午後の教練には出られるな!」
「教官ったら本当にそれしか考えてないですね……」
「ともかく、これだけの爆撃だ。明らかにテロという意味で、軍を動かすに値するでしょうな」
「待ってください教官。これを」
不意にジルがヤーグの腕を掴み後ろから進み出て、ルカの鞄を上向けて教官らに示した。そこには破片だけでなく、釘がいくつも刺さっている。ルカはその釘がなんなのか、最初見た時にはわからなかった。混乱していたとも言う。だが今にして思えば、それは釘入り爆弾が使用されたと、そういうことだろう。
「釘入り爆弾なんて使用する意図はひとつしかない。誰かを殺すための装置だ」
「殺人未遂が追加だな。殺傷能力が高すぎる。軍を呼ぶぞ、二人は取り調べられるだろう。残念だが、午後の教練は諦めるしかなさそうだ」
「……そうですね。シド・レインズ、ルカ・カサブランカ。貴重品を持って来なさい。コミュニケーターと財布くらいでいい。身分証明端末に、学生証も」
表情が険しくなったバンダムの突然の命令にルカは戸惑うも、寮長は顎を引いて頷き寮へ足を向けた。ルカはといえば、ヤーグが持ってくれていた鞄を受け取るだけで済んだ。鞄を上向けて、状態を保存しつつ、軍の到着を待つこととなった。
朝起きたときにはこんなことになるなんて思いもしなかったのに、ルカがふうとため息を落とし、これ以上迷惑を掛けないためジルとヤーグに授業に戻ってくれと伝えようとしたとき、戻ってきた寮長の言葉で更に脱力する羽目になった。
「一階の窓ガラスが何枚か大破しています、教官。一階談話室も軍の捜査の対象になりそうだ」
「……ですってよジルちゃん」
「面倒ね……あと次にそう呼んだら殺す」
「今日、寮に帰れるのか……?」
「帰れるといいねぇ……」
ため息とともにジルとヤーグを見送って、ルカは寮長を振り返る。シド・レインズと呼ばれていたか。ようやっと名前を知ることの出来た彼に、ルカは力なく笑いかけた。
空腹が辛い。
「やぁぁぁっと終わった……」
朝起きて寮を出て忘れ物をして戻ってもう一度寮を出て数メートル歩いた辺りで爆撃に巻き込まれました。
たったそれだけのことを繰り返し繰り返し詳細に詳細に、延べ三時間にもわたって聞かれ続けたルカの疲労はピークに達していた。最後にこの件は報道規制がかかるので学内でも他言無用、と厳命されて聴取は終了となった。事件解決に努めます、聴聞官のその言葉を最後に部屋の退出を許可される。
「……ああ、終わったのか」
「あれ、待っててくれたんですか寮長」
「二人まとめて学校に送ってくれるらしい。行くよ、おいで」
「はーい」
取調室を出てすぐのベンチで待ってくれていたらしいシド・レインズに連れられ、ルカは階段を登り外へ向かう。取調室やらは地下にあったので、地上に立った瞬間一瞬だけ平衡感覚が鈍った。妙に立派な建物から出ると、すぐ近くの駐車場に止められた車の傍で軍服を着た人間が待っていた。
車に乗せられると、すぐさま発進し、ルカの身体は滑りだすような初速をゆっくりと味わった。音がまるでしない。なんとなく、高価い車なのだろうと思う。あいにくルカは車には詳しくなくて、車種もなにもわかりはしないが。
後部座席がかなり広めで、運転席との間に仕切りがあった。見る限り防弾である。護送車なのだとぴんときた。一応ルカとシドは爆発の被害者であり、まだ何も明らかになっていない以上確実に守らなければならないと、おそらくそういうことだろう。少なくとも移送中という軍の管理下にある状況で何かあるのはまずいのだろうなとルカは理解した。とりあえず無事に送ってくれるのならなんだっていい。
「……結局、今日は授業に出られなかったですね」
「それはほっとした顔で言うことか?」
「寮長は、聴取は……」
「寮長、と呼ぶのはやめないか。どうせもうすぐ譲る立場だ」
「じゃあ、先輩?」
「それでいい」
シドは窓の外に走らせていた視線をルカに向け、口角を上げて微笑んだ。多分初めて真正面から見た顔は端正に整っていて、一瞬視線が逸らせなかった。ジルといい勝負かもしれないな、とぼんやり思う。黒髪が不思議と涼しげだった。
「聴取は……見つけた時の状況を、ひたすら詳しく。爆音と、一瞬だけ燃え上がった火の色と……あと、君がどんな風に倒れていたかとか」
「私?」
「ああ。君が狙われた可能性も一応な。まぁそれはほとんど可能性としては存在しないから、ついでみたいなものだが」
「……っていうと、ある程度目星とかついてるんですか?犯人」
「……軍は、いろいろと情報を持っている」
シドがふっと細めた視線には、明らかに嫌厭の感情が宿っていた。ルカは驚き、唇を半開きにしたまま固まった。
士官学校という場所は、卒業生のほとんどが軍人になり、数少ないその他の進路を選ぶ人間も軍に関係した施設に就職するのが普通で、当然で、例外などルカは聞いたこともない。だから、軍には肯定的な人間ばかりなのだ。基本的に。
「先輩……?」
「ああ、いや、軍がどうのという話ではない。別にね。今回の一件に関しては……軍の行動は賢明だ。それに、迅速だしな」
「今回ってつまり、何が起きてるんですか?」
「私にもわからない」
そう言って彼は、にっこりと微笑んだ。その笑みは明らかに、何か知っているという態度だ。ルカが面食らって、「先輩、何か知ってるんじゃ……」と声を荒らげかけた瞬間、シドの大きな手がさっとルカの口を覆った。喋れなくなって息を詰まらせたルカに、シドは尚も微笑む。視線は滑るように車内を見回した。ここにはルカとシドしかおらず、運転席にしか人はいない。誰にも聞こえないはずだった。
それでもシドがこうも口をつぐませるからには、何かあるのかもしれない。ルカは何度も頷いて、ようやく解放してもらう。
「わからない、んですね?」
「ああ」
「私も何もわかんないです」
「そうだね」
よろしい。そう言いたげな顔で頷いた彼を見つめ、ルカはふぅと息を吐く。朝から疲れることばかりだ、ルカは深く唸る。隣にジルとヤーグがいないことも、妙に落ち着かない心地にさせた。まるで、ひとりきりで知らない駅に無一文で立っているかのような心地。どこにもいけないのに、どこかにいかなければならない落ち着かなさ。忍び寄る静けさが、己を脅かす気がしていた。
程なくして学校に辿り着いた後も、その居心地の悪さは続いた。放課後が近いこともあって、授業には出ず寮へ戻ったのである。
そして寮へと入って、すぐ。ルカは振り返って、シドの長駆を見上げた。
「それで、説明は……」
「静かに」
しかしシドはさっとルカの腕を掴むと、何を言うでもなく階段へ向かう。そうして四階にあるシドの部屋へと連れて行かれ、半ば引きずり込むような強引さで中に押し込められる。いよいよもって、尋常ではない。
「まだ少し、静かに」
「ん、んんんん」
かくかくとうなずいてみせるも、彼はこちらを見てすらいなかった。彼はポケットから金属製の薄い四角いケースを出した。なんとなくソーイングセットを思わせるそれを開けて、鈍色の小さな球体を取り出すと、彼は手を伸ばしてそれを離した。指先からこぼれ落ちたそれはAMPテクノロジーでも搭載しているのか、床から50センチほどのところで停止した。球体には無数の線が刻まれており、そこを割れ目にして勝手に開いていく。
円盤状になったそれは、数秒程宙に漂うと、また音も立てずに球体へ戻っていく。シドがその下に手を差し伸べると、突如重力の支配に囚われて彼の手へ落ちていった。
「よし。問題なさそうだ」
「先輩はナニモノですか……。何ですかそれ」
「探知機だ。盗聴器、発信機、盗撮器の類があればわかる」
「なんですか、ストーカーでもいるんですか?」
「いや。先ほど軍が入ったからな」
「軍がそんなことするはず……」
「するとも。今回の一件、君は本当に何が起きてるかわかっていないのか?」
シドは青の双眸でじっと、ルカを射抜いた。ざわ、と皮膚が裏返るような寒気が背筋に走った。
ところでシドの頭の位置が高すぎて、ルカは首を痛めそうだった。
「わかってないのか、って言ったって……そりゃ、まだ何もわかってないじゃないですか……?」
「……なんだ、本当に何も知らないのか。何も知らないのにあれに居合わせるだなんて、本当に不運だな」
「なんでそんな口ぶり、……もしかして……知ってるんですか?何で?何であんな、突然起きた爆発のこと……もしかしてはんに」
「違う」
「食い気味に否定された!むしろ怪しいという可能性が……!」
「それなら君をもう始末しているとも」
「なんという黒い発言!?受けて立つぞ!」
「無駄に漢らしいな……まぁそんなことはいい。知らないなら、知らずにいればいい。無関係なんだろう」
「なんですかそれ……ああして爆発でふっとばされたんですよ、充分すぎるほど関係あるでしょ!痛かったんですよびっくりしたんですよPSICOMに連れて行かれるのもめんどくさかったんですよー!!」
ルカは苛立ちとともにシドを睨んだ。彼は逡巡するように一瞬目をそらした。
「そこに恐怖が挙がらないところは評価するがな、しかし……」
「この事件が何か面倒なことなら、また何かあるかもしれないんですよね?嫌ですよ私、またあんなのに巻き込まれるのなんて。今回は私だったからまだいい、でもジルだったら?ヤーグだったら?そんなことになったら、犯人絶対許さない」
「……そうか」
シドは鷹揚にうなずき、すぐ傍の椅子に腰を下ろした。おかげで見上げるために痛かった首を戻すことができたので内心少し感謝しつつ、シドが口を開くのを待つ。
「……どこから話そうか。今回の件は元々、反PSICOM団体のしわざであることぐらいは見当がつくか?」
「なにそれ、初めて聞いた」
「そこからか……」
ルカの目の前で、呆れ返ったようにシドはため息をついた。そしてパソコンを何やらいじると、画面に何かのサイトを映す。
「これを見ろ」
「なんですか、……ああ、成程。あるかもわからない下界からの侵略に備えるPSICOMは税金の無駄、と……ぐうの音も出ないですね!」
「……これからそういうことを言う時は、必ず自分の立場を確認したまえよ」
「え?先輩がそれ言っちゃいますか?」
「私は場所を選べるからな。君には難しそうだが」
「む、むむ……。で、この団体がなんですか?見た感じだと民間の非営利ですよね、……ああ税金だけじゃなくて、そういった危険思想排除、とかいうのもあるんだ。へえ……でもそう言われるとなんか虚しいなぁ、一応市民のためって名目で鍛錬してるのに」
「名目とか言わない」
「……と、とにかく!こんな団体が、爆破なんて思い切ったことしますか?しかも士官学校を狙うって、ちょっとずれてません?」
「思想からしてずれているんだから、そこは問題ない。……爆破までするとは確かに誰も思っていなかっただろうがな、最近過激になってきているというのも噂で聞いた。どうやら去年、リクルートが大成功したらしくてな。新進気鋭の若者を大量に引き込んだ結果、有り余るやる気によって建前でしかなかったスローガンが全て実行に移されたようだ」
「そ、それは成功なのか失敗なのか……」
「本人たちにもわかってないだろうな。なんにせよ、PSICOMももうとっくにこれは掴んでいるだろう。あとは証拠固めと、誰を逮捕するか。この団体ごと潰すか否か、どの程度情報操作をするか……それくらいか」
「案外リーチかかってる可能性が高いんですね?」
「ああ、そういうことだ。ただ……相手は曲がりなりにも軍の公式施設を爆破までした。まして、ここにいるのは士官候補生とはいえまだ公的には市民……ここまでした連中がそれを冷静に理解し、逮捕されたくらいで足を止めるかどうかは、私にはわからんがな」
シドはそう言って鼻で笑った。明らかすぎるほど、彼は敵を馬鹿にしていた。ルカも、馬鹿だと思う。PSICOMを相手取るならきっともっと……。
「もっとうまいやり方、いくらでもあるでしょうにね……」
「うまいやり方?」
「例えば……それこそ軍に入るのが王道ですよね。PSICOMが嫌いだって言っても、警備軍だってあるんだし。そこで偉くなってから、理想を叶えればいいんじゃないですか?一人でやるのは無謀でも、このひとたち、数はそこそこいるんでしょう?」
ルカがそう言い放つと、シドはぐっと黙りこんでしまった。どこか、痛いところを突かれたというような顔をしていた。
「先輩?」
「あ、ああ。……そうだな。まぁ、それが思いつかない人間もいるわけだ。ともかく、そういうわけで……君が彼らをよく知らないのなら、それでいい。不運な被害者ということで」
「……へ?」
ああ。なるほど、合点がいった。
つまりはこういうことか。
ルカは眦を釣り上げる。
「わ、私がソイツらの仲間で、被害者ヅラして事件に巻き込まれて、今後何かするんじゃないかと疑ってた……んですね!?」
「まぁ……そういうことだな」
「うわあなんですかそれ!?ありえないでしょアホでしょ私ただの士官候補生ですよ何でそんなドストライクにブラァックな陰謀に巻き込まれてなきゃならんのですか!?」
「違うのならそれでいい」
「いいわけあるか!……はぁ、まぁもう済んだことですけど……っ!」
ルカは深々とため息を吐き出して、ふんだり蹴ったりだなと肩を竦めた。朝から爆発、三時間の聴取、そして謎の嫌疑。これが厄日か、とルカは低く唸った。
「……とりあえず、もういいんですよね?私部屋に戻ります。確かに、そこまで大騒ぎになる問題なら、私にはあんまり関係ないんでしょうし……」
「そうだな」
「じゃあ、えー、お世話になりました?」
別れの挨拶の言葉がこんなに思いつかない相手も初めてだ。ルカは自分の言動に首をかしげながらもそう告げて、シドの部屋を後にする。
数時間ぶりの自室は妙なよそよそしさに満ちていた。それでも安堵はしたし、簡易キッチンで水を飲んだら落ち着いた。
妙な疲れが溜まっていたので、軽くシャワーだけ浴びて昼寝でもしようかとベッドに横たわった。すぐに襲いかかってきた眠気に抗うこともせず、意識は夢のなかへ落ちていく。
そのすぐ後、シドが例の装置を寮の一階で試し……実際いくつもの盗聴器を発見したことなど知りもせず。
「……疑われているのは、君だけではないとも」
シドは盗聴器をすっかりもとに戻し、自室へと引き上げひとりごちた。そして彼は、この事件がこれで終わったとも考えてはいなかった。
実際、事件はまだ、始まったばかりだった。