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最初に言ったのは誰だったか、腹の皮がたるむと目の皮もたるむのだ。
だから、昼食後というのはとてもとても。そのうえ、演習後なんてオプションが加わっていたらとてもとても。
耐えられる気がしない。
「……して、人々はコミュニティを結成し、それが発展して今日の聖府を……」
……あ、やばい。
「……そもそもコクーンにおいては人種という概念そのものが希薄であり……」
意識がふわふわ浮上しては落ちを繰り返す。そして最後、完全に下まで落ち込む寸前、しかし綺麗な声が無理やり押しとどめた。
「先生、カサブランカさん寝てます」
「うおあぁぁぁぁぁッ!」
「うるっさい!!」
その上から怒鳴り声が意識の覚醒を手伝い、というかかっさらい、目を開ければ怒りで目を皿にする教師と視線がかち合う。
「カサブランカ……授業は寝る時間じゃないことすらわからないなんて言わないわよねえ?」
「失敬な!そこまでバカじゃないです!」
「集に一度は五限か六限を寝て過ごすアンタは失敬じゃないのか詳しく教えてくれるかしら」
担任でもある彼女は溜め息と一緒にこめかみを揉む。
はは、なんか怖いかんじ。ははは。
「わかった、カサブランカには一回寝るたび課題を加算することにしましょう」
「!?そんな理不尽な!船こいでたくらいでなんという鬼畜……!そんなんだから婚期を逃すんですよ!?」
「うっさいわ!アンタ簡単に言うけどねえ今コクーンでは晩婚化が進んでて大変なんだから!それに結婚がいかに難しいものか、好きだ嫌いだの問題じゃないのよ結婚てのは!相手の親を懐柔し自分の親との関係にも気を配るそりゃもう神経ばっかすり減らすまさに人生の墓場とはよく言ったものよねえまったくもう」
「授業……」
後ろでヤーグがぼそりと呟いた。そして心なしか私を睨んでいる。えっ私のせい?まあ私のせいか……いや私のせいなの?あれ?
ちらと盗み見ると、ヤーグは手元で内職をしていた。レポート書いてるこの野郎。
隣のジルは机の下にハードカバーを広げているし。うわ、しかも来季使うコクーン史の資料。予習にも程があろう。
私なんかバンダムちゃんのお説教あらため婚活談義に巻き込まれているというのに、
「周りはどんどん結婚しやがるし!……ってちょっと、聞いてるのカサブランカ!」
「うぼぁ、聞いてます聞いてます」
「先生はアンタが結婚できなくても知らないからね!むしろしたら殺すクソガキー!」
「うわあああこの人生徒に向かってなんたる暴言を!てかほんと何タイムなの今!?」
結婚なんてしたくもないけど親の視線が最近うるさいのよね談義タイムね、と隣のジルが言う。ああ、なるほどたしかに……。
バンダムちゃんて割と美人で割と若いのに割と残念だよね、と呟くと、彼女は薄く笑った。そして、その“割と”が重要なんでしょうね、と呟くように言ってからきりりと顔を上げる。
「先生。授業を進めましょう。コクーンにおける都市制度の確立からです」
「はっ……ああ、ごめんなさいねナバート。先生動転してたみたいだわ」
丁度バンダムちゃんがひとしきり不満を吐き出して落ち着いたところで、タイミングよく解放される。
ジルって空気読むのまで完璧だよね、そういうとこ大好き。
あら、ありがとう。
小声でぽそりと呟くと、向こうも何の気なしに返してくる。
後ろでヤーグが、小さく溜め息をついたのが聞こえた。
そんないつもの授業を終え、更に六限まで終えた放課後のこと。廊下が酷く騒がしかった。混ざりあって、男だか女だか判別できない声が混ざり騒音と化していた。
放課後といえど、このクラスは自習する人間も多いから、迷惑がって舌打ちをする奴までいる。
「うるさいねー」
「テストの結果が、出てるんじゃないかしら」
ジルは結局授業中読み通して残り数ページのハードカバーから一度だけ顔を上げ、興味無さげに返答してくれた。見に行く気などまるでないという様子だ。まあこの人順位変わりませんもんね……そりゃそうよね。
が、当然気になるらしい周りの子らはジルの声に騒がしさの理由を察し立ち上がる。
私も行こうかな、と思うが、ぶっちゃけついでに帰りたい。理由もなく学校に残るほどの優良児じゃないもので。ので、席でうだうだしたままジルが本を読み終えるのを待つ。
暇なのでヤーグで遊んでいると、数分後、ジルがパタンと本を閉じた。その隙を逃さず帰寮を提案する。順位の確認も兼ねて。
「んね、ついでに順位見てこーぜえ」
「ええ……嫌よ。まだ居るでしょう、うるさいし」
「いーじゃんか、どうせジルとヤーグが行けば道があくじゃないか」
「それが本当の理由だろう……とりあえずペンを返せペンを、もう書かないから。しまうから、帰るから!ほら寄越せ!」
「お、ヤーグは行ってくれるの!?このツンデレが!」
「……その一言で行く気が失せたわけだが」
「だってよジルさん、ヤーグは行くそうでございますよ!」
「おい無視か」
「しょうがないわねえ……見たらすぐ帰るわよ」
ジルはやれやれといったふうに溜め息を吐き出して立ち上がる。なんかヤーグのせいみたくなってる。てへ。
ふざけた調子でこつんと拳を自分の頭に当てると、ヤーグはイラっときたらしく本格的にはたかれる。いやんバイオレンス。
まあ順位そのものはどうでもいいんだけどね。ほっとくとこの子たち確認しないしね。せっかくがんばったんだから、結果くらい確認してもバチは当たらないのにねぇ。
廊下に出ればざわめきの声はより大きく思えた。
二人が後ろからついてきてることを確認しつつ、空調の効いた教室より僅かに蒸す廊下を歩く。まだ初夏とはいえ、冬服で過ごすには少し辛い。ええい衣替えはまだか。
曲がり角を曲がれば、正面に目当てのものはあった。近寄ると、誰かがジルに気づき、当然のように人ごみは二つに避ける。この光景はもう見慣れたが、ジルの影響力たるや。私はミジンコレベルです。
さすがにそこまで悪くはないはず、と私は上位五十名の順位表をチェックする。と、真ん中より下に名前を見つけた。
「えーと、私は……37位か。んまー悪くはないわね!」
「悪いわバカ。あんだけ詰め込んでやったのに何でこんな順位なのよ」
「あのジルさん、私より下に六十人くらい居るんでそういう類の暴言は……。まあまあ、年間四十位以内なら武闘成績もあるし来年も優秀者クラスに入れますから!」
「ぎりぎりで入ってどうする」
ヤーグがあきれたように言う。まああなたたちからしたら、どんな順位でも大差ないのでしょうよ。私が順位表の上を見上げると、当然のようにそこにはジルとヤーグの名前があった。
ジル・ナバート、総合一位。合計798点。
ヤーグ・ロッシュ、総合二位。合計764点。
その後の順位の点数が、712点、704点と続いていることからも、テストの難易度を疑わせる。ていうか難しいよね。ね。そんな中で、ジルの得点たるや。ヤーグも凄まじいものがあるが、ジルはまた別次元である。
やっぱりな。どうせこんなことだろうと思ったんだよ私は。私はというか、後ろの二人も分かってたから来たがらなかったわけだけど。
「ていうか、ジルは逆にどこを間違ったのよ……8教科でミスが2点て、ほぼ全部100点じゃないの」
「確か……ああそうだわ、武器学。散弾銃に適した素材の特徴記述で、パーセンテージを誤ったのよ。減点対象になったわ」
「教師陣が明らかにジルに満点を取らせまいとしている件だけども。むりやり減点ひねり出してるよねそれ」
「ほら、確認が済んだら帰るぞ」
私たちが掲示板を離れると生徒たちがこっちに注視しているのがわかる。口々にジルとヤーグを誉めているのがわかる。二人はまるで聞いちゃいないが。
私はちらと二人を見る。こいつらは有力幹部候補なのだ。今のうちに媚を売りたい気持ちはわからないでもな……いやわからないけど、意味は理解できる。
特にほら、ジルなんかはよく貢物が机に入ってるし。っていうか親衛隊があるって噂は本当なのかな、非公式でジルの前には絶対に姿を現さないからジルと一緒に居ると見られないみたいなのよね。
卒業までに一度は見てみたいものだぜ、と溜め息を吐き出すと同時、ジルが首だけを動かして振り返った。
「ルカ、次は十位くらいには入りなさいよ。情けないから」
「ええええ、突然何言ってんのこの子……」
「お前な、そろそろ寮にそぐわないとか言われないようになれ」
ヤーグまでもが深ーい溜め息をついて、私の頭を掴んだ。あだだだ。
いんだって私は、成績なんて別に。
そんな反論にもならない異議は、あっさりと黙殺された。