「君は、何者だ?」

シドはじっとルカを見下ろしていた。体格の大きさだけが原因じゃない威圧感にルカは呼吸さえできない気がした。銃口がまっすぐルカを睨んでいる。気に入らない答えをすれば撃つつもりで、ルカを殺すことも厭わないのだろう。彼は、そういう表情をしていた。
怜悧な相貌が、じっとルカの命を狙っているように思えた。

「暗所での複数人による一斉攻撃を、いとも簡単にいなしたな。しかも全員を戦闘不能に追い込んだ。一人あたり三秒もかかっていない。全員含めても、十秒かそこらで始末している。さて、知る限り、“コクーンのどこでも、もちろん我らがエデン中央士官学校でもそんな技術は習得できない”」

そもそも、教えられる人間がいないだろう、そんな事態は想定されないのだから。
シドの言うことは、シンプルな真実であった。
軍人である以上、制圧は基本的に多数の兵が少数の数名を取り押さえるものだ。だからこそ、対人格闘は演習で扱いはするものの、基本は多数対一での制圧方法だ。せいぜい一対一の戦い方しか学ばない。あとはモンスターとの戦い方、それがすべてだ。単独、しかも暗所で数名を同時制圧する方法など、教本どころか武闘に関する書物すべてをひっくり返しても記載がないだろう。コクーンの治安はすこぶるよく、軍人でない者が戦い方を学ぶのだって、やはりモンスターとの戦い方ばかりだった。

「さて、では当然の疑問だな。君はその技術をどこで手に入れた?」
「し……知りません」
「そうだろうな。君の記録が真実ならば」
「……私も、調べていますか。まあそうでしょうね」

当然だな、と淡白に思った。ジルとヤーグを調べたのに、ルカを調べない理由がない。

「君は一年半ほど前、突然、エデンの中央通りの路地裏に倒れていたそうだな。そして病院に搬送された後、長期記憶障害と診断された。生まれてからこれまでの記憶が全くないと。言語や最低限の知識にも多少の抜けが見られる、そう記録されている」
「……」
「ちょうど数日前に両親が事故死していたことから、心因性と判断され、君はそうして、全てを忘れたまま入学し、今に至る。そうだな?」
「……ええ、そうですが」

誰にも話したことがないのに、知られているというのは、やはり不気味だなと思った。ルカは深く息を吐いた。
呼吸はもう、落ち着いている。

「気がついたらコクーンとかいう場所にいるって言われて、それすらなんだかわからないから、最初は苦労しました。まあ、医者のが苦労してたのかな。看護師も。どこから教えればいいかって。両親が死んだとか言われても、写真とか見せられてもぴんとこないし。何が何やらで。ともかく……どうにかして一人で生きていかないといけなかったし、未成年だからこのままだと施設に入ったほうがいいとか言われて、それはなんだか嫌だったから、士官学校に入ることにして、それで、……はい。今に至ります。ご納得いただけました?」
「全く。つまりは私の疑問は何一つ解決していないのだから」
「……そうは言っても、私も知らないんですよ」

ルカは困って、ため息を吐いた。シドは肩をすくめるが、銃を下ろす気はまだないらしかった。

「私の持論だが、この世で起きる不可思議なことの大半の裏にはファルシがいるものだ。一年以上回復しない長期記憶障害など、そうそうあるものではない。そんな人間がある日突然路地裏に倒れているというのもおかしい。エデン中央通りなんて、監視カメラまみれだというのに、突然倒れている?そんなわけがない。君がどこからどうしてやってきて、なぜそこに倒れたか、全ては詳らかになっていないとおかしい」
「……い、言われてみれば……あれ?なんで誰も、教えてくれないんだろ……?」
「それに、両親が死んでいる?だからなんだ?君の歳ならミドルスクールに通っていた時期はそう昔でもない。友人の一人もいないのだろう?それはなぜだ?」
「え、いや友達いないって言ったら私の社会性がブッ死んでるからだってジルには言われたんですけども」
「……君の社会性はまあ、ともかくとして。そういう人間が、聖府が直截口を出してくるラストエデン寮の寮生であることも違和感につながるだろう。この世のすべては、ファルシの裁可で決まるのだからな」
「じっ……じゃあ、私がどうして記憶がないのかも……?」
「ファルシならば知っているだろうさ」

いよいよ話がおかしな方向へ向かっていることはわかるのに、ルカはごくりとつばを飲み込んで、彼の次の言葉を待ってしまう。
この男は、一体なにを目的としてこんな話をするのか。それが気がかりなのは間違いないのに、それすらどうでもいい気がしてくる。ただ、彼の言葉の続きが聞きたい。事実がどうであれ、彼が真実だと思うものを知りたい。奇妙な欲求だと自分でも少し思った。

「さて、話を戻すが。そんな戦闘技術はコクーンでは学べない。ならばどこの技術なのか。可能性があるとしたら」

彼は銃口で一瞬だけ地面を示した。ルカはそこを見つめ、「下界」と呟く。

「そうだ。それしかあり得ない。君が来たのは下界だ」
「……そんなこと……」

ないとは言えなかった。それは実のところ、ルカにずっと付き纏っていた違和感を説明する説であったからだ。

地表が丸く内側を向いていて空の果てに反対側の大地が見えるだの、下界は地獄だの、聞いて言葉として理解はできても感情が全く伴わない。何かがおかしい、そんな戸惑いが必ず付随していた。記憶障害というのは、こんな違和感さえ生むものなのか?記憶障害とはつまり、脳の中にある記憶にうまく接続ができないだけだと医者から聞いた。接続できないだけで知識はあるというなら、この“そんなはずない”と騒ぐ心は、いったいなんだ?どの食事も知らない味ばかり、薄味で素っ気もない。実家とやらに帰ってみても、自分の部屋のどこからも自分の生活の気配がしなかった。こんなことは、有り得る症状か?
知識といえば更に思い出したことがあった。スプーンや歯ブラシの使い方はわかるのに、ルカは最初、ドアひとつまともに開けることができなかったのだ。ボタンを押すだけだというのに。それをシドに伝えれば、シドはやはりなという顔をした。下界にそういったものがなかったんだろう、そう言われたらそれが真実だという気がしてきた。

「でも、それじゃあ、下界に行けば、なにかわかるかもってことですか。記憶が戻るかもしれない?」
「可能性としては。一年以上かけて戻らないのなら、自然治癒の可能性は低く、また想起させるものもコクーンには乏しいのではないか」
「……別にこれまで、記憶が戻るかなんて、そんなに気にしてなかったんですが」

でも、もしファルシが下界から私を引っ張り上げて、PSICOMのエリート街道に進めるような場所に私を置いているのだとしたら。

「ファルシが遊びでそんなことするわけないし。……なにか、私に期待するようなことが、あるわけですか」
「そうだろうな。おそらく、愉快な結果にはならないだろう。君は手を打たざるをえない」
「……私がなにかされるんなら、周りにいる人間も危険になるかもしれないってわけね」
「さあ、どうだろうな。ともかく、私は君を確保しなければならない。どんな形であれ。ファルシが君を何かに利用しようとしているのなら、君はいずれ“切り札”に成りうるのかもしれないからだ」

そこまで話していいのか、とぼんやり思った。単純に、危険だ。彼が銃口でルカに強いているのはつまり、どちらに利用されたいか選べと、そういうことなのだろうから。はいわかりました、なんて言うバカはいない。

「さて、これで先程の問いへの答えになるだろう。だから私は君をここへ連れてきた。経歴があまりにも不審で、ファルシが人間に成り代わって内部から監視している可能性もあったからだ」
「……はっ?」
「当然だろう。爆弾を受けてなんら取り乱さない学生なんていてたまるか。確かめなければならなかったが、PSICOMに仇なすようなことをそれとなく言っても食いついてさえこない。更に深く踏み込んでも変わらず。それだから、もっと深く踏み込ませ、少なくともファルシの手先でないことを確認しなければならなかった」
「それは、どうしてですか?」
「簡単だ。私は人間を、ファルシの支配から解放する」

願望や希望を希うにふさわしい熱狂的な語り口ではなかった。まるで事実を語るような、なんならすでに起きたことを過去として語るような、そんな言様であった。
ルカは目を見開き、彼の静かな青い目をじっと見た。そこに嘘はなかった。彼もルカへの疑念を捨てたのだろうか、シドはとうとう銃を下ろし胸元にしまった。それでもまだ、命の危機は去っていない気がする。

「そのために必要なものは利用し、不要なものは排する」
「さっきの……レイダっていう子とかも、利用したんですね」
「彼らも言っていただろう、試金石だ。彼らにとっては君の命を奪いかねなかった爆弾がそれで、私にとっては彼らそのものだったというだけのこと。聖府に対して正面から攻撃を仕掛けた結果、どの程度の反応が返るか見る必要があった。しかし想定外に早く爆弾の解析が進んだため、先回りしなければならなかった」
「逃してあげたりとかは……」
「爆弾からは繊維と皮脂が出た、と言ったな」

シドの表情は何も変わらなかった。けれどルカはぞくりと背筋を冷たいものが舐めるような、そんな感覚を味わった。

「たかがあの程度の威力のシンプルな釘入り爆弾を作るのに、その程度のものしか作れないというなら、なんの役にも立たない。それどころかすぐ足を引っ張るだろう。無能な働き者から殺せ、ということだ」
「……ひどいんじゃないんですか。先輩が焚き付けたんでしょ」
「他人に焚き付けられた反抗心で体制と戦うような人間も気に入らん」
「それは、ぐうの音も出ませんが……」

彼の言葉に、レイダたちへの慈悲はなかった。彼女たちが何を信じていたかルカにはわからなかったが、レイダは少なくともファルシへの明確な怒りを持っていた。怒りを利用されるのは、あまりにも哀れだ。
ルカとて被害者なので、さして擁護もできないのだが。

さて、とシドは言って、腕を組み、ルカを見下ろした。「それで、どうする?」

「どうする、とは」
「君はこれからどうする。PSICOMに入って、昇進して、君をコクーンに引きずり込んで粘土みたいに捏ねくり回し記憶を奪っただろうファルシに数十年使い潰されて死ぬのか?あまりにももったいないと考えたことは?」
「……何が言いたいんですか」
「私についてくるのなら、下界に行くことができるかもしれない」

シドの言い分はこうだ。
ファルシを排することが可能になったら、人間の自治政府を立ち上げる。だがファルシ=カーバンクルが停止すれば、食糧の生産はすぐに追いつかなくなる。そうなった場合の対処として考えられるのは、下界への移住。

「下界が生活できないような土地だったらどうするんですか」
「そんなことが有り得ると思うか?それならファルシが引きずりあげてくる土やら水やらは何なんだ?あれが無事に問題なく我らの居住環境に沿う以上、我々だって下界に沿う。当然のことだろう」

荒唐無稽だと思った。ファルシを排する?ただの人間なのに?ファルシって、殴って斬って撃って殺せるものなの?
けれど彼には、それを信じさせる確かな何かがあった。それはカリスマ性だとかリーダーシップだとか、なんだかそういうふうに呼ぶべきものなのかもしれないけれど、ルカには名前をつけられそうになかった。

「本当に、……下界に必ず行けますか」
「必ずではない。志半ばで死なないとも約束はできん。だがそれでも、そのために努力すると約束する人間は、君の人生において、私をおいてほかにはいないだろう」

ダメ押しのように、彼は突然、誠実な言葉を吐いた。安易な誓約よりずっと、ルカに誠実だ。
おそらく、わかってそうしているのだ。ルカは御為ごかしの欺瞞を高値で買う人間ではなかった。たかが安堵するためだけに耳良い言葉を求めたりはしない。ルカには記憶がなく、ファルシがそれにどんな形であれ関わっていて、それならばルカはなにかに利用される可能性がある。記憶を取り戻すためにはこれまでと違うアプローチが必要で、下界に行くこともそれに含まれていて、そのために手を貸せるのは自分だけである。
穴はある。ルカの記憶がないことに、絶対にファルシが関わっているとは言えないし、将来利用されるかもわからない。利用されたとして、例えばルカが殺されるだとか、周囲の人間に危害が及ぶだとか、そこまでの事態にならない可能性もある。穴はあるのだ。それでも、彼の論理はそれなりの信憑性を常に保ち、十二分に起こりうる未来の脅威を説明していた。

だったら、ルカは悩まなかった。迷いも惑いも全くない。頭は今日一番すっきり晴れている。彼の言葉は、結局単純だ。今シドを選ばないなら、ルカは殺される。
まだ、命の危機は終わっていない。わずかながらでも向けられ続けている、これは殺気だ。彼はルカの一挙手一投足をじっと見守り、気に入らない動きを見せればすぐさま、ルカをも排するのだろう。

「……だからあ。吊り橋効果とかでうっかり好きになっちゃったら、どうすればいいんですか、っての」
「……その発言は予想外だが、君は少し若すぎるかな」
「真面目に答えんなよおー、だいいち、歳がいくつかなんてわかんないでしょ、下界から来たんならさ。……ま、いいや、そこは歳をとるわけでしょ、私も。そのへんは、追々でいいとして」

頭を抱えて一度膝を折って、それから顔を上げ、あまりにも高い位置にある顔を見た。逆光で表情が窺えない。

「できなくても約束してください。何が何でも、どんな犠牲を払ってでも下界に連れて行くと。あと、ついでに記憶を取り戻す手伝いもすると」
「高くつくが、構わんな?」
「バリバリ構うけど、まあ、結局すべては需要と供給です。ああ、それから。ジルとヤーグを、巻き込まないで。何も叶わなくったって、これだけは絶対に守って」

ルカの求めるものを与えるのは、生涯この男だけだ。ならばこそ、青田買いでもするべきだと思えた。

「では改めまして。おそらく下界出身、ルカ・カサブランカです。特技は制圧、弱点は吊り橋効果。よろしくどうぞ」
「これはこれはご丁寧に?……私はシド・レインズ、君が従うべき相手だ」

ルカが差し出した手を彼は握り、引っ張って立ち上がらせた。硬く大きな手に太い腕だ。ここまで鍛えるのにどれだけの努力をしただろうとふと思う。それだけの努力を、おそらくファルシとの戦いに注ぎ込んでいるのだ。
そう思ったら、なんかうっかり心臓が跳ねた。ひどいうっかりだ。
どうしよう。ルカは先程までとは全く違うことに悩んでしまう。

つまり……それがどういう意味であれ、この男に好意を抱き始めていることに間違いはなく。
更にとても困ったことに、それを消す方法もわからないのだった。






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