Act.27-a





からからと、透き通った音をたて、魔晶石が足元に転がった。光の乱反射をつい目で追うナツメは腰を折って手を伸ばし、いびつなその球体を指先で摘むように持ち上げる。そして、元あったテーブルの上へと戻した。
光を吸収してきらきら輝く、削られていない原石状態のそれらは、ざっと三十は積み上げられていただろうか。朝方、四課から持ち出してきたものだ。本来なら罰則ものの行為だが、そもナツメがナギに言われて本来必要もないのにせっせと作ったシロモノであり、ナギとナツメ以外おそらく作ったことさえ知らないのだから問題はない。
ナツメは浅く息を吐いて、指先にある戻したばかりの一つに魔力を流し込んだ。

午前、自室にて。エミナを問い詰め、四課の武官らを殺した翌日のことだ。そういえば今朝、ケイトがぬいぐるみがどうのと言っていたなと思い出す。全くもってあの子達は、知らず知らず他人のさだめに関わってしまうのだから。クラサメにも、自分にも。今回の一件に関しては、白虎と蒼龍が諸悪の根源だけれど。
大丈夫だ。白虎を追い詰めるのが、己の仕事。それはいつだって変わらない、これから挑む現実においても。

「……ああ」

それにしても、息が続かない。走りすぎた後のように息は上がり、しかし体温は限りなく低く感じる。それぐらい辛いことをしていた。
魔晶石に、魔力を貯めこんでいるのだ。エーテルは高価だし、所持に嵩張る。だから魔晶石に大量の魔力を流し込むことで、その代替とする。
それに魔晶石なら、武器にも他の便利な道具にも化けるのだ。0組が任務で使うもののような加工はさすがに面倒だが、そこまで至らなくとも起爆剤や詠唱無用で魔法を発動させられる。

「とはいっても、そろそろ限界か……」

浅い息が喉を焦がすようだ。なんにせよ、辛い。それでも辞められないのは、 それしか今できることがないからだ。
魔晶石をもう一つ摘み上げ、魔力を流し込んでいく。ほとんど枯渇した魔力は、クリスタルが近くにあることもあって素早く回復するが、それをまた即座に消費しているので魔力が増減を繰り返し尚更辛い。でもそんなこと、知覚している場合じゃない。どうだっていいのだ。自分がどうなるのかなんて。

「っとと」

とはいえ、やりすぎては動けなくなる。ぐにゃりと膝が折れ、床についた。動けなくなったナツメはあからさまに苦々しく表情を歪めると、這うようにベッドを目指しベッドへ倒れこんだ。脳の血管がうごめいて必死に血液を行き来させるのをどこか遠くに感じながら、額を流れる汗を拭ってナツメはサイドテーブルに伏せて置かれた一枚の書類に手を伸ばした。
ナツメのものではない字で、淡々と書かれた報告書。その内容は、ナツメを糾弾するためのもの。

「……ふふ」

これを手に入れるのには、結構な手間がかかった。それでもその価値はあった。あるはずだ。
ナツメは泣きそうな顔で笑った。自分のやり方が間違っていることなどとうの昔にわかっていて、何度も思い知っていて、それでもナツメにはこれ以外の道が存在しないから。

ナギは怒るだろうな。カヅサとエミナは呆れるか。0組も、今度こそナツメを見損なうだろう。
クラサメは。

「……どうでもいいことね、それは」

休む暇などない。くだらないことを考えている暇も。
それでもくらくらと休もうとする脳は、暗澹とした眠りの中へ落ちていく。なぜだか泣きそうな気分だった。







眠った自覚も大してないままに、目を覚ました。一瞬しか眠っていない気でいたが、それが錯覚であることは明白で、時計を見れば数時間はゆうに経過していた。

変な夢を見ていた気がする。まるで思い出せない夢。色だけが思い出せるような、不思議な夢だった。
赤い、穏やかな炎のゆらめきのような色。クラサメがいた気がする。幸せな夢、だった。そう思った瞬間、すとんと胸に落ちるように、幸せな夢だったと何度も頷いた。それなのに、頭がぐらぐらと痛む。沸騰しそうな体温が、不調を訴える。

幸せな夢ほど嫌なものはないと言ったのは、さて四課の誰であったか。いまいち記憶が薄いから、おそらくもう死んでいる。
ナツメはそれには賛同したことがない。幸せな夢は、間違いなく幸せだ。目覚めてそれが夢だったと気付いて絶望したとしても、その絶望も幸せだったことの証明だから。

けれども、足元のおぼつかなさに泣き崩れたくなるのも確かであり、そしてナツメはそんな自分が大嫌いだ。こういうとき、近くにいてほしいのは大抵クラサメではなく、そして当然ナギでもない。クラサメといれば尚更泣きたくなってくるし、ナギはナツメが傷ついていると自分が傷つけられたような顔をする。そしてそれを、楽しんでいる節がある。
だからこういうときのナツメは、いつもここにくる。

「カヅサ、いる?」

本棚を横に動かして身体を滑りこませる。と同時、しゅっと耳元で何かが噴き出す音がした。

「んぐっ!?」

「おおー、今日もせいこ……う?」

「ガァァッァ……ヅサァァァァァ……!!」

「うわぁぁぁナツメちゃんだ!ごめん!うわ、中途半端に避けるから!」

「私が悪いのこれ……!?目が開かない、あ、あああもおおおお」

頭上から降り注ぐ麻酔薬の罠が発動する音に気付いた瞬間、天井を仰いでしまったナツメの目を麻酔の飛沫が焼く。床に膝をついて、必死に現状を把握する。
時間を置けば回復するのはわかっているが、場所が粘膜のため吸収が早い。ナツメは慌ててエスナとケアルを重ねがけした。

「カヅサ……釈明は」

「だ、だって0組だと思ったから!」

「釈明しろって言ったのよ、罪を増やせとは言ってないわ!せめて言い訳をしろー!」

0組だと思ったなら尚更悪いわと舌打ちしつつ、ナツメは壁をつたって立ち上がる。そして、なんとか回復したことを確認しながら、カヅサをじとりと睨み上げた。

「こんな手を使わなくてもいいでしょうに……もしかして0組にいつもこんなことをしてるわけ!?どういうつもり!」

「……うわーお?」

「何よ」

「いや、……ナツメちゃんがほかの人のことで僕を睨むなんて珍しいなって……」

「……は、」

カヅサが呆然と吐いた言葉に、返すセリフが見つからなくてナツメは唇をぱくぱくと魚のように動かした。カヅサの発言の内容を、脳がうまく咀嚼してくれない。
ええと、だから、それは、つまり……。

「クラサメくんや僕ら以外にも、好きな人ができたんだね」

「……いやいや、意味がわからないんだけど。どうしてそうなるのよ」

「だってね、君は本当に怒らない子なんだよ。気付いてなかったかな?それがクラサメくんやエミナくん出ない限り、君は表情すら変えないんだよ。誰が死んでも、視線を向けることすら煩わしそうにすることがあるんだ。そんな君だから、0組のことで僕に詰め寄るなんて、すごく珍しいことなんだ」

「えー……あー……そう、かな」

「そうだよ。目の前で見知らぬ誰かが死んだとしても、君はクラサメくん以外どうでもいいって顔してるだけなのさ」

「そうなの……」

改めて自分の評価を他人からもらうと、無用に傷つくこともある。ナツメはどんな顔をしていいのかわからなかったので項垂れておいた。と、目の前にビーカーに注がれたコーヒーが出てくる。触れる熱さでないことは知っているので、受け取るのを一瞬躊躇う。

「なんで研究者って揃いも揃ってビーカーを料理に使用するのかな」

「ゼリーくらいしか作ってないよ」

「本来の用途はなんなのよもう……」

苦笑と共に、袖を指先まで伸ばして受け取った。カヅサは手袋を嵌めた手で、いつもの楽しそうなにやけた笑みを浮かべコーヒーを啜っている。
取り立てて何か用事があったわけでもないナツメは診察台に軽く腰掛け、コーヒーを冷ますためそうっと隣においた。そうして、ぼうっとカヅサの研究を眺めた。なにやら緑色の粉末を、液体に

「今は、何をしてるの?」

「今はねぇ、どこかの誰かさんが僕の作った毒薬の影響でラリったことになってるからねぇ、意識も神経もまともなまま言動だけ気が狂うようなお薬を作ってるんだよ」

「実にすみませんでした」

「はっはっは、まぁそんなでまかせを言ったのはそもそもクラサメくんだからねぇ。君を責めても」

「……いや、私が中途半端にあんなことしたから。だから、私が悪いのよ」

ナツメがそう言った後、一瞬沈黙が落ちた。カヅサは俯いていたので、その表情は窺えない。ナツメは奇妙な居心地の悪さに身を縮こまらせる。
数秒の後、彼はゆっくり顔を上げた。

「ナツメちゃんにとっては……失敗したのは、“中途半端だったこと”、なんだね」

「え……」

「こうなってしまったのは残念だけど、そもそも君たちはそれ以前に、0組の隊長と副隊長になった時点で、いくらでも会話できただろうにね。それを恐れて、結果もっとひどい事態になってるんだよ、わかるかな」

あれ、なんだかカヅサ怒ってない?
ナツメは困惑するも、カヅサの言葉はあくまで平坦に、ただ静かに続くため何も差し挟む隙がない。

「君たちがうまくいかないわけを教えてあげようか。君たちはね、二人揃って相手のことしか考えていないんだ。つまりは、自分のことしか考えてないってことだよ。人付き合いはね、どんな関係であれ、関係を続けていくためのことも考えないとうまくいかないものだよ。それが恋愛関係なら尚更ね。……ナツメちゃんもクラサメくんも、お互いの関係のことをまるで考えてないでしょう。だから、君たちは一緒にいることにさえ戸惑ってる」

部屋は静かだった。カヅサの声だけが響いていた。

「そうでしょう?」

問われた。告げるだけでなく、彼は、問うた。
クラサメでなく、ナツメに。クラサメの親友であるはずの彼が、他でもないナツメに。
聞かなくても、答えなんてわかりきっているくせに。けれどきっと、クラサメのために、彼は口を開かなければならなかった。

クラサメと一緒にいたかった。離れたくなかった。彼の隣にいたかった、彼の仏頂面を眺めていたかった。ときどき眉間の皺が緩むのも、考え事をするとき目を瞑る癖も、少し低い身長を実は気にしている素振りも見たかった。
武官として成功する姿も。0組以前、生徒を指導する姿も。トンベリに時たま見せる穏やかな顔も。理解されないことに悩み続けた日々に寄り添うのは己でありたかった。全部、“私”が隣で見たかった。

「……私は……」

本当は。
一緒に、生きていたかった。
ナツメが知らなかったナツメの本心だった。必死に見ないようにしてきた、心の奥のこと。
いやそれもきっと違う。本当はずっとわかっていた。ただ、自分の気持ちとして正面から向き合ってしまったら、今度こそ死にたくなるから。
だって絶対叶わないのに。……叶わない、のに?
そうじゃ、ない。

「……そうか。叶いそうなんだ。今度こそずっと一緒にいられるかもしれなくて、だから私必死なのね」

なんて浅ましいのかと、思った。
あのとき、報復のためにその手を離したのは己だった。四課を知るために、クラサメだけを置き去りにした。だからこそ選ばなかった、選べなかったその先の未来を、ナツメは綺麗なままでとっておこうとしている。
あの遺品箱の中にしまい込まれた、小さな小箱をふと思い出した。ナツメの行動は、あれに似ている。ああやって、誰にも見えないところに隠せば守れると思っているのだ。自分という女は。
自分の腐った点を思い知るたび、皮膚を一枚ずつ剥がされているような気分になる。中にあるものは誰でも同じなはずなのに、自分だけきっともっと汚いような気がしてくる。

両手でそっと持ち上げたコーヒーの黒い湖面に、ナツメの沈んだ顔が映り込んでいた。

「そろそろ素直になるといいよ。クラサメくんも、そのほうがきっといい。卑屈な女の子より、我儘な女の子のほうが気が楽だからね」

「……言ってくれますね」

「僕が言わなきゃ誰も言わないからね。全く、手のかかる子ばっかりだ」

「それは……誰のこと?」

「そりゃあ、ナツメちゃんとクラサメくん、エミナくんに0組だよ。あの子達はとても面白いね、君のことを調べてるみたいだけど」

「ああ……ケイトたちね。そういえば、調べて回ってるって聞いた」

「自分を調べてる子たちと仲良く出来る君も不思議だよね」

「調べるのも調べられるのも慣れてるし。それに、あの一件の公式記録はどこにもないんだから、調べようもないし……あ、カヅサ、あなた話してないでしょうね。ちょっとケイトからそれっぽいこと聞いたけど、やり過ぎるのやめてよね?」

「う、うん、もう話してないよー……?」

「カヅサー、いるー?」

カヅサが声をどもらせた直後に本棚をずらして入ってきたのは、ちょうど話題に昇っていた彼らであった。ひょっこり姿を現したケイト、シンク、ジャックの三人は、ナツメの姿を見つけると驚いたように一様に肩をすくめた。

「あれ、ナツメがいる!」

「副隊長、今日授業には来なかったよね〜?」

「ナツメっち、体調悪いのかと思ってたぁー」

「あー、大丈夫。朝方ちょっとね」

「わかった、ズル休みね!?あーあ、アタシも休みほしーい」

「あはは、ほしいねぇ〜!二日ぐらいゆっくり寝てたいよ〜」

「とか言ってー、ジャックは毎朝遅くまで寝てるじゃんー?」

「それはシンクもでしょぉ〜?」

「この間延びした空気はなんなのだろう……」

シンクとジャックが一緒にいるとすぐにコレである。ナツメはふっと遠い目をしてみせた。ケイトがやれやれと肩を竦めるのは慣れているからゆえの仕草だろうか。
ともかく話題を仕切り直そうとしたのか、ケイトが「カヅサカヅサ」と少しだけ声量を上げて呼んだ。

「いいからナツメとクラサメの話してよー!」

「ちょっと待て」

何を言っているんだこの子は。
ナツメはとっさに彼女を押しとどめるように手を伸ばすと、ギギギギ、と錆びた音でもしそうにゆっくりと背後の彼を振り返る。
もう十年近い付き合いにもなるはずの、ときどき突拍子もないが大抵は頼れる、年上の、クラサメについで兄貴分であったはずの彼を。

「……話しあおう、救いはある」

「貴様に神などいない」

真顔である。
素早く繰り出されたナツメの右手は一直線に二枚のガラスを目指す。しかし、直前に働いた理性が辛うじて力を逸らせ、平手が眼鏡を弾き飛ばした。

「さっき話してないって言ったのは何だぁぁ!!どこまで、どこまで話したぁぁぁぁ!!」

「ウワァァァァ眼鏡がァァァァ!!」

「わ〜すごいきれいに割れてるね〜……」

「何で!?何で君は昔っから僕の眼鏡を執拗に狙うの!?何で!?」

「一回だけ一回だけ痛くしないからって言いながら追いかけてくるからでしょうが!!あんたに本気で攻撃できなかったビビリの部分をありがたがれバカ!!」

「カヅサ何やってんのよ!?」

嘆き悲しみながらも白衣のポケットからスペアの眼鏡を取り出すカヅサに驚愕の視線をぶつけるケイトだが、彼にその視線は堪えない。
奴は慣れすぎている。

「だってクラサメくんが執拗に麻酔を盗むから!追いかけるしかなかったんだよ!?」

「あんたの麻酔をそのままにしておくと魔導院が機能不全に陥りそうだったからでしょうがっ……!ああもう、なんでもいいけど、0組に昔のことをべらっべら喋るのやめてよね……いくらこんなことでもないとカヅサの話を誰も聞いてくれないからって……」

「さり気なく今日一番ひどいこと言ってるよねー?」

ナツメが深く吐いたため息を、シンクが案外冷静に穿つ。ナツメはがくりと落とした肩を戻しながら、目を細めて彼女を見た。

「あなたたちも。こんな風に調べ回るんじゃなくて、聞きたいことがあるなら直接聞いてよね。それならまだ内容を選べるし……」

「選ばれちゃうからカヅサに聞いてんのよ」

「ああうん、そんなことはわかってるけど……っていうかケイトあなたあっさり約束破らないでよ、調べないって約束したじゃないのよ……」

「五年前何があったか、あんた結局全部教えてくれなかったじゃん!」

「そういう問題なの!?おかしくない!?」

言いようもない脱力感にナツメが頭を抱えたのと同時だった。並び立ったシンクとジャックの後ろで、本棚に隠された扉が開く。その先に立っていたのは、もう一人の渦中の男。
一瞬で空気に威圧感を落としこんだ彼は、クラサメであった。

「ケイト、シンク、ジャック……課題は」

「ひぃっ」

「んぐっ」

「はぅっ」

「……そういえば、今日提出の課題あったわね」

最近クラスにあまりにも顔を出していないため、課題の詳細までは聞いていないが、ずっと前にスケジュールだけは受け取っている。それを思い返し、そして、目の前にいる三人が課題未提出キラーであることを思い出した。
ケイトはテストこそそう悪くない成績のようだが、課題など面倒くさいものは全面的にシャットアウトするらしい。シンクとジャックに関しては、課題があったことを認識しているかも怪しい。芳しくない三人の返事に、クラサメの眦が吊り上がる。
やばいキレる。長年の勘からそれを過敏に感じ取ったナツメはとっさに、矛先を逸らした。

「クラサメ!か、カヅサがクラサメの個人情報0組にばらまいてるよ!!」

「……何だと」

「二次被害!?やめてクラサメくんこっち来ないで、話しあおうごめんなさい!」

「ふんっ」

「あああ僕の眼鏡がぁぁぁ!!」

手を伸ばしたクラサメが抜き取った眼鏡は、黒い手袋に包まれた手の中で無残にも粉々にされる。銀のフレームは跡形も無いまでにひしゃげ、クラサメはそれをぽいと放る。

「それでお前たち、課題は」

「何で!何で二人して僕の眼鏡を!」

「まだスペアあるでしょ」

「眼鏡だけで許されたことを感謝しろ」

「ああああ……」

スペア眼鏡を更に取り出しつつ打ちひしがれたカヅサを横目に、クラサメは0組の三人に向き直る。

「課題だ。今提出できないのなら減点するが、明日の朝までは待っている。くだらないことをしている暇があるならさっさと課題を持ってこい」

「く、くだらなくないわよ!0組の士気にも関わることだし、ナツメのどこがくだらないのよー!」

「私!?」

「ナツメのことではない。くだらないのは、他人を嗅ぎまわる行為のことだ。お前たちに何の得がある。戦争中だぞ、もっと実のあることをしろ。時間を無駄にするな」

「えー、いいじゃぁん。わたしたちにも娯楽のひとつぐらい、許されてもいいじゃーん」

「娯楽ってはっきり言われると腹立つんだけど」

「あはは〜、僕達これといって娯楽がないからねぇ。まぁこれくらい許されてもいいかな〜って?」

「誰が許すか。今すぐ寮に戻れ。今日中に提出できない場合は、明日の放課後に補習だ」

「えええやだぁぁぁ……!しょうがないなぁ、行こ、シンク」

「うん……はぁーあ、ジャック、範囲覚えてるー?」

「僕が覚えてるわけないじゃ〜ん」

範囲さえ覚えていないのかとナツメまでもが遠い目をする中、彼らはようやくカヅサの研究室を出て行った。
それを見送って、ナツメはクラサメに向き直る。

「ちょうど困ってたところだったの。来てくれてありがとう。あの子たち、なぜだか私とあなたのことに興味津々なんだよね」

「……お前のせいか」

「僕!?ちょっと待って頭掴まないでそれ商売道具なの……あだだだだヘッドロックしないでぇぇ……!」

「あーあー……」

「見てないで助けてよぉぉ!」

カヅサの悲鳴をため息とともに無視した瞬間だった。
ナツメのCOMMが、不意に鳴る。誰だろうと思いながら、指先で通話のタブを引っ掻いた。

「はい?」

『てめっナツメ!!今すぐ四課に顔出せてめぇっていうかどこにいる俺が行』

しかし切った。

「……ナツメちゃん?今、COMMに着信来てなかった?」

「気のせいでしょ。そんなことよりクラサメ、もう部屋に戻る?」

「ああ、仕事はあるが」

「そっか……私ちょっと四課行かなきゃいけないみたい。あとでそっち行くね」

ナツメは首を傾けて微笑み、踵を返した。クラサメがその背を見ていることはわかっていたけれど、振り返ることはできなかった。
またひとつ面倒を乗り越えるのだ。そうして、行ける場所へ行く。

問題ない。死ぬつもりなんてない。でも、クラサメと生きる未来と四課での目的なんて、秤にかけるのすら間違っている。手段の目的化は、いずれの場合もまともな結果が得られない。
ナツメみたいな女でも誰かに偉そうに教示できることがあるとしたらそれは、優先順位ははっきり決めておくということだ。でないと、自分の命を秤に載せる瞬間になって血迷う羽目になるから。そしてそういう状況下では、大抵躊躇う余裕はないものだ。


そわそわ落ち着かない気配の魔導院の中は嵐の前みたいに静まり返って、ナツメの靴音さえ響かせた。四課へ降りる長い階段に足を踏み入れ、先の見えない暗さにナツメはいっそ微笑んだ。
ずっと前も思ったように、ここは正しく死へ誘う階段なのだと、いまさら確信してしまったから。









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