Act.51





その地点は、前線の外にあった。つまり、もう候補生が守れていない場所に。
だというのに、ルルサスの姿はどこにもなく。

まるでその最悪の戦いを避けるかのようだった。



二人が戦う、行き止まりの路地。クラサメとナツメは、陸橋の上からその地点を見つけた。空から炎が散っていた。肺の内側が焼けそうで、ナツメは袖口で顔を覆う。視線の先で光が激突した。
マキナのボルトレイピアとレムのダガーがぶつかって、鈍い金属音が響く。そのあまりの速度と鋭さは、ナツメの見る限りでも人間のものではなかった。

ふたりとも、ルシだ。ナツメがわざわざ説明しなくても、そんなことは火を見るより明らかだった。

ナツメとクラサメは、急いで階段を駆け下りた。その先に積まれた瓦礫の向こう、切り結ぶ閃光が見える。
二人はその光に目を細め、失望し絶望し、ふがいなさに唇を噛んだ。

マキナがルシになったタイミングをナツメは知っている。停戦が解消され明けたばかりの朝、白虎からの逃亡劇の途中。止められるとしたら自分しかいなかったのに、様子がおかしいことには気がついていたのに。
そしてレムがルシになったこの日、クラサメもナツメも傍にいた。もし、クラサメや、他の大人も、クリスタルにとって望ましい人間が他にいれば、彼女がルシになることはなかったのだろう。あるいはレムが、そんなことしなくても大丈夫だって思えたなら、それでもこうならずに済んだのかもしれない。


いや、たぶん、そういう問題ではないのだ。頭ではわかっている。どうしようもなかったし、全ては後の祭りだ。

しかし拭えない悔恨と不安と、底知れぬ恐怖が逃してくれない。自分たちは関係ないなんて、とても思えるわけがない……。

これこそが最悪か。喉が干上がるような心地に、ナツメは身震いをする。
その先を行くクラサメが、簡単に崩れそうな瓦礫に足を掛け、上に立ってから手を差し出す。ナツメはしっかとそれを握った。引き揚げられながら、自分でも血の気が下がって蒼白だろうとわかるような顔で、クラサメを見た。

「……ねえ、マキナってさ、私に似てるよね」

「猪突猛進なところが?」

「うっ……、ま、まあ……そう」

遠くで火花を散らすマキナとレムは、鋭くその刃をぶつけ合いながらも、まるで互いの力を測っているような戦い方に見えた。その二人のもとへ、足元の崩れた瓦礫を踏み抜いて飛び降りる。不安定だし、周囲への警戒も続けながら瓦礫を登ったり降りたりするのはなかなかに神経を使うものだった。

「相手のためって言葉を、御為ごかしに使ってしまうと、ドツボにはまるっていうか……そのうち、どこからどこまでが純粋な好意なのかなんてわかんなくなっちゃってさあ。本当は、全部最初から自分のためなんだよね」

マキナを見て、それでようやくわかること。
鏡に写したみたいに、マキナは本当に己によく似ている。ナツメは諦観と寂寥で以て、遠くに霞む彼の横顔から目を逸らし、下方を見た。ひび割れた石畳が、どこまでも続いているようだった。

「でも、愛してるって思うのは、本当だよ」

それだけは、絶対嘘じゃないよ。
ナツメが恐れすら孕み、祈るように言った言葉に、クラサメは。

「それだけは」

クラサメは、極めて平淡な声で、当然のように、

「一瞬たりとも、疑ったことはない」

そう、きっぱりと断じた。


「……うん、知ってる」

ナツメが妙に逸る気持ちで言うのに、クラサメは一瞬黙り込み、

「なら、いい」

とだけ言った。
こういうときに実感するのが、ああこれはちゃんと愛なんだなって、そんな初歩的な話でなんだか申し訳ないけれど。

ここに心があるのはただしく、ほんとうで、厳かなきもちでナツメは前を向いた。割れた瓦礫の破片を蹴って、周囲に敵影のないことを確認する。他のルシが襲来する気配はないし、ルルサスもここには近寄れないらしい。
ただ、凍りついた無表情で、レムとマキナが睨み合う。その刃を狙い、ナツメはアラウド魔法の詠唱を始める。見ればクラサメも、氷剣の柄に手をかけていた。

「それじゃあついでに、いいかしら」

「なんだ」

「生きて帰ったら、結婚しよっか?」

「……戦闘前に言ってはいけないことだなそれは」

「あれ、よくご存知で……」

「それくらい私でも知っているから、その話は生きて戻ってからだ」

「生きて戻ったら、こんな話しませんよ」

ようやっと体勢を整えて、笑いながら二人、戦う彼らへ足を向ける。
逃がさないし、許さないし、死なせない。もうそれだけ。
だってもううんざりなのだ。

「抱えている候補生が馬鹿をやっているのだ。止めねば責任問題になる」

「あれを見て、ただ馬鹿やってるだけなんて言えるところがほんとすごい」

「お前に比べれば、あんなもの」

「はいはいごめんなさいね。……戦わないとね。もう、取り残されたくないもんね」

「……ああ。そうだな」

もううんざりだ。愛しい誰かが死んで、それで取り残されて、何もわからないままなんて。
そういうとき自分たちは、道に迷った幼子みたいな、途方に暮れた気持ちになるから。せっかく生き残った命を粉々に砕いて、死にたくなるから。





元々戦場に置いた身であれば、全部が全部一瞬々々、命がけの生。ならこれもきっといつかの延長。
舞い散る炎に、急転直下、光と氷撃の割り込み。

ねじ込む身体、ナツメは劈く無属性の光でレムのダガーを捕らえ、剣先を強く弾いた。彼女はそれを取り落とすまではいかなかったが、マキナを正確に捉えていた刃の通り道は確かに逸れ、ナツメを僅かに巻き込みながらも空を切る。掠めた浅い切り傷を瞬時に回復しながら、ナツメは落ちていく。

着地の音は、四つばらばらに鳴った。

荒い息が滲む。
ルシが三人に、死神が一人。
そのうち二人は、正気を失っている。

「話し合いの余地などはまるでなさそうだな……!」

「マキナは白虎クリスタルに頭やられてるし、レムはたぶんもともと意識がない」

ナツメやシュユは、属するペリシティリウムにいたから正気を保っていられた。ナツメからしたら、マキナが今白虎を離れていられることが少し信じられない気持ちだ。
意識すればわかることだが、なんとなく、あの赤い石に縛られているような、不気味な感覚が付き纏っている。たわんだワイヤーが首にゆったりと巻き付いているのをイメージすれば近いだろうか。走り出したら首が締まる。それに抗って、マキナはここにいる。

ナツメには推測する以上のことはできないが、彼はおそらく、レムを守るために懸命に戻ってきたのだろう。でもいま、マキナにはレムが見えていないし、レムの目にはマキナもなにも映っていない。
意識をクリスタルに支配された彼女が敵対行動を示しているから、マキナも反射的にそうしているのだろうか。どちらが先であれ、結果は同じに見えた。

ここにいられるのだから彼も意識を乗っ取られているわけではないと思うが、ナツメとクラサメを前にしても無反応であるところを見るに、実際白虎クリスタルに抗ってここにいるのだけで精一杯で、目の前にいるのが敵ではないことに気がついていないようだ。

クラサメは剣を、ナツメは魔法を唱え、各々ルシと対峙する。
互いに乙型ルシと死神と、朱雀ルシ同士である二人。実力差さえ明確には測れない。


戦いは、一呼吸ののち、マキナが走り出したところから始まった。クラサメがその剣先を弾く音を背後に聞きながら、ナツメはアボイドを詠唱し、レムの攻撃を避けるのを自らやめる。甲型ルシと真っ向から戦って抗えるような戦闘能力、ナツメは最初から持ち合わせていない。だから、アボイドに任せる。

ナツメはレムの繰り出したダガーの斬撃を、受け身を取って転げて避ける。走りながら、一番得意な炎魔法をキャンセル魔法も駆使してレムに放った。全弾外れはしなかったが、一つもまともにダメージを与えられていない。甲型ルシが身軽なのも確かだが、相手に意識がないだろうことを思うとナツメもためらいなく全力は出せない。

せめてどうか、意識を取り戻してほしい。繰り返しナツメの心臓を狙うレムは、微笑みを湛えたまま固まった表情でダガーを振りかぶりナツメに迫る。その腕を懸命に掴み、体重を利用して身体を地面に叩きつける。ろくなダメージもなく立ち上がるレムに、とっさに短い悲鳴を上げる。
このままでは埒が明かない。ナツメは元々戦いができない。内心舌打ちしながら、一瞬視線をぱっと周囲に向けた。クラサメとマキナが近くにはいないことだけ確認したら、もう一度炎魔法を詠唱する。

ナツメにできることは、最初から限られている。対する相手が人間とか、ルルサスとか、能力が高いわけでない相手ならルシとして戦えばいいけれど、ルシ同士ならルシとしてのアプローチに限界がある。
だから、人間だったときに何度もしてきたことを、戦術としてまた採用するしかない。ナツメにできるのは、命の価値を引き下げることだけ。

「レム、……ああ、もう、ごめん」

やりたくない。初めて、そんなことを思った。
こんな攻撃がレムに致命傷を与えると思ってるわけじゃない。ただ、彼女に、これを放つのが。


そういえば、白虎に潜入したときも、同じことをしてレムに怒られたな。

治せるからって怪我をしていいわけじゃない。簡単に自分の身体を道具に扱ってはならない。
治癒魔法は、人が苦しむのを許容するためにあるわけじゃない。

その通りだ。わかってはいる。あのときは届かなかった、その正誤など考えもできなかった。
でも今、ナツメでもわかるのだ。どうしてレムが怒ったか。これにレムを巻き込むのが嫌だから。

でもやるしかない。ナツメには、他の好手が思いつかない。
ナツメは、充填された魔力を極限まで研ぎ澄まし、丁寧に詠唱をした。これまで一度もしたことがないくらい、丁寧に。

精一杯。命をかけて。
救うための自爆を。

「ファイガ……!!」

手繰る炎、頭の奥が軋むように痛み、その破裂音を聞いた。
そして、ほとんど同時の刹那だ。

「ナツメ!!!」

世界で唯一の愛しい声が、ナツメを現実に引き戻す。炎の厚い壁を貫くように、ナツメは眼前に革手袋に包まれた手が迫るのを見た。直後、肩だか腕だかもわからない場所をありえないくらい強く掴まれて、炎の中から引きずり出される。あっ、と声を上げるいとまもなく、ナツメは地面に叩きつけられた。

何が、今何が起きた?わからなくて顔を上げたとき、頭上で鋭く激しい金属音が高く鳴った。
視線で追うのではもう遅い、視界はじゅうぶん開けているのにナツメは気配と勘でクラサメを、レムを、マキナを探した。そしてクラサメの気配に炎の魔力の残滓を僅かに感じて、何が起きたのかを理解した。

炎の中からクラサメがナツメを引きずり出した。自爆は失敗して、レムもまた大事には至らず、クラサメとレムにいくらかの火傷を負わせただけで終わってしまった。
クラサメと目があって、睨むようなその眼光にナツメは一瞬怯えた。彼の言いたいことが、言葉をかわさなくてもわかってしまう。

今更、そんな簡単な逃げ道は許さない。自分が恐れる世界を、他人に強いる根性を許さない。
冷たい光だと思った。そしてそれは、ナツメのための冷たさとわかった。

逃げてはいけない。ナツメは詠唱を始めながら、視線を前後左右に鋭く動かした。
はっきり言って恐慌状態だ。クラサメに睨まれたことが精神に割とダメージを食らわせている。でもクラサメの顔を見たら、正気に戻った。

クラサメは決して、抱える候補生を前に楽な道は選ばないだろう。ナツメに対しても、そんなことはしない人だった。
それじゃあナツメは、クラサメを愛する限り、同じようにするべきなのだ。
ああこんなこと、もう何度思ったか知れないぞ。覚悟しては挫ける己の弱さを呪いながら、ナツメは走り出した。

レムのダガーの神がかった速度の斬撃を、クラサメは剣神とでも云うべき速度でねじ伏せている。クラサメの相手で手一杯になるレムをマキナがボルトレイピアを振りかぶり襲いかかろうとするのを見て、ナツメは照準を絞った。

「さすがに、それは、ナシでしょうがッ……!」

自動追尾にチューニングされた光の覇弓、アラウド魔法。無属性で鋭く、致命傷を与えにくい。ナツメは下手な鉄砲なんとやらと、続けざまに大量のアラウドを放つ。
されどマキナは一日の長があると言わんばかりに、そのアラウド魔法を辛うじて弾き回避すると、転げながらも光の篭もらない冷たい目でナツメを睨む。ここにいる朱雀ルシはレムだけではないのだから、彼にとったらナツメも充分標的なのだろう。

声もなく、憎しみもなく、ただ敵であるという理由だけで、マキナのボルトレイピアがナツメめがけて迫りくる。が、アボイド魔法のあるナツメとしてはむしろ好機。
同じ乙型ルシなら、同等の戦闘力のパワーゲーム。戦闘技術でマキナに勝てるとは思わないが、魔法の技術なら負けはしない。

アボイド魔法に頼りっきりで防御は捨て、ナツメは決して避けられないだけのファイガ・ライフルを同時多発的に放つことにした。ろくな思考はない、ただ思いついたことを脊椎反射で行動に移すだけ、その繰り返し。手数が尽きる前に勝負をつける、それしか考えられない。

アラウドと違って追尾はしてくれないのだから、きちんと引きつけて放つ必要があった。ナツメはアボイド魔法を信じ、ただ数十の炎に集中する。ルシになったからって、増えるのは魔力だけで、技術までが上がるわけじゃない。数十発の魔法をそれぞれ放つのにはかなりの集中を要した。

さて、アボイド魔法の本質は反射である。それを利用して、ピッキングやソナーに応用することも不可能ではない、そういう魔法だ。

だから攻撃が迫れば、運動エネルギーを持ったその攻撃に比較して、移動あるいは静止中の身体が持つ運動エネルギーが少ないからという理由で術者は弾かれ、攻撃を回避できる、というのがこの魔法の理屈。

そしてこの魔法は常に全身を覆うわけではない。厳密に言えば、与えられた攻撃という一方向からのベクトルに対して、僅かに上回る量のベクトルを一つの面で発生させるのである。攻撃を受けては構築され、分解され、また構築を繰り返す。
それを全て自動で行うのだから、白魔法の中でも利便性で言えば最重要とも呼べる魔法だった。

なればこそ、ボルトレイピアの一撃目、二本ある刃の一本目の刺突は、アボイド魔法が避けた。
けれどもう一撃、残った一本が放った刺突に、アボイド魔法は間に合わない。魔法に集中するナツメ自身も回避行動には移れない。
分解、構築、その隙間だった。手の中に練り上げた魔力が、唐突な衝撃に耐えきれず霧散していくのをナツメは見た。

「う、ぐッ……!?」

理解が遅れた。その一瞬、まさに己の肺や膵臓や腎臓、腸を貫き背後の壁に叩きつけられるその刹那、ナツメはマキナの顔を間近に見た。
目が合った。マキナの目の、瞳孔が、ゆっくりと開いていくのがまざまざ見えた。そんな気がした。

ふく、たい、ちょ……う。
唇がそうやって動いた、それと同時。
ナツメは風が吹いたのを感じた。

「レムッ!!?待てッ!!!」

クラサメの声がする。コマ送りで、でも最高速で、時間が進んでいく。地面を喜々として蹴る足音と跳躍の影。跳び上がったレムの姿が、炎を受けて赤く燃えているように見えた。
目の前のマキナが、咄嗟の反射行動で、ナツメには刺さっていないレイピアだけを振り抜き、構えた。そして後はもう、ただ起きた出来事だ。



「う……あ……」

ナツメからはレムの顔が見えない。
でもレムが動かないことはわかる。
マキナが動かないことも。

「あ……ああああ……ああああああああ……!!」

マキナの声が震えている。聞いたこともない、絶望した声。

彼がレムの名を呼ぶ。否、叫ぶ。
いっそ狂気すら感じるような、切なく悲鳴じみた呼び声だ。

「あああああああああッ!!レム……レム……!!」

「マキ……ナ……あは、やっと……」

やっと、見つけた。

悲鳴の間を縫って、レムの小さな声が聞こえた。

ナツメは動けない。縫いとめられて、息ができない。
痛みはほとんど感じないが、呼吸ができないのがとても苦しかった。視界が赤く染まって、ゆっくり霞み、その奥にあるはずの景色から消えていく。

「ナツメッ!!ナツメ、だめだ、目を閉じるな……!!」

クラサメの声がする。近づいてくる。
手が触れる。抱かれている。でも感覚がない。温度も感じない。こんなのは最悪だと思った。

「問題ない、これくらいなんだ、死なせない、こんな……今更こんな、こんなことで……死なせない……ッ!!」

その顔が見えない。見たい。
息ができない。苦しい。

噴き出すように、ナツメは血を吐いた。もう味なんてしなかった。泥水みたいに濁っていて、更に呼吸が苦しくなった。

ナツメ、ナツメと繰り返し呼ぶクラサメの声の向こうには、マキナの気配だけが強く残っていた。



――「弱いのは、いやだ……」

よくわかるよ。弱いのは、だってずっと怖いってことだから。私もいやだった。

――「レムを失いたくないんだ、このままじゃ兄さんみたくレムもなくしてしまう」

私もそうだった。クラサメを失いたくなかった。あのままじゃ、×××みたくクラサメもなくしてしまうと思った。

――「ルシになれば全てが変わる……そうだろ?」

四課に入れば全てが変わる。そう信じていた。何かを得られると思っていたし、結果も変わると思っていた。


繰り返し繰り返し、声がしていた。

ナツメはただ、夢の中、それを懸命に否定していた。ルシになったって、何も変わらなかった。変わらなかったんだ。
今、あなたを救えないみたいに。


クラサメがせめてナツメを横たえるべく、すこし屈んだ。そのとき、一瞬だけ、ナツメの視界はほんのわずかに明瞭さを取り戻した。
そしてナツメは、それを見た。繰り返しレムを呼ぶ声の中、クリスタルになったマキナが、同じくクリスタルに成り果てたレムを抱えていた。
二人はまったく救われなかった。誰も望まない、ルシの成れの果てとして、昇華しきってそこに在った。



そのことに、今までにないほど、ナツメは絶望をした。

それから。
今目を閉じたらきっとこれが最後の景色になるのだなと思いながら、ナツメはゆっくり目を閉じる。

さて、クラサメは己を忘れるだろうか。そんなことを思った。








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