Act.43-b:Nobody to love.







「ねえ、ナギってさあ、ナツメのことすきなの?」

唐突にそんなことを聞いたのはシンクだった。夕方、授業が全て終わり、ナギは次のミッションに伴い発令されるコード・クリムゾンの説明をしに来て、全て話し終わった後のこと。
さて、そんで説明はないか?そう聞いたナギに、返ってきたのがこれだ。
質問があるのはいいことだが、任務関係ねえじゃねえか。周りの0組も、呆れたり笑ったり怒ったりしている。ナギとて一瞬面食らったが、まあこれもいい機会かと苦笑した。何事も、いい機会。そう捉えられない諜報員に価値はないというのが持論だ。
変に疑われているのは気づいていた。暇さえあればナツメを探してからかっているのは事実なので、疑惑を招いているのはナギの方だ。こういうことは、真っ向からきっちり反論するのがいい。

「よく聞かれるけど、男女の仲かって意味なら違ぇって答える」

「だからぁ、ナギはすきなのって聞いてるんだよー」

少しだけずらした回答にごまかされはしない勘の鋭いシンクに笑って、ああ、まあ、そうだなと言った。
言っておこう。無用とは思うが、何があるかはわからないのだし。

「好きか嫌いかって聞かれたら、好きでもないやつにあそこまでしねぇやな。でもちょっと考えてみてくれシンク、あいつが、クラサメさん以外の誰かと“そういうふうになれるか”ってこと」

「ちがくて、だからぁ……」

「違わねぇの。あいつは他の誰のことも求めてない。どころか、たぶん他の奴がそういうふうにあいつに触ると、殺される。俺が十二のガキならともかく……そういうふうに壊れてる奴が女として魅力的に映るほど俺はガキじゃねぇな」

そう言ってにやっとナギは笑う。こんな話をするのは初めてなので、ナギの見せる顔に驚いたのか、0組の誰かが後退った気がした。
じゃ、次の任務も頼むぜ。ナギは音もなく、座っていた机を飛び降りると、すぐに0組教室を出る。

そうしてゆっくり廊下を歩きながら、まったく毎度毎度こんな勘違いをされるのだからと苦笑した。
嫌いではない。否、むしろ、好きだ。好ましく思うし、自分のものにできるんならそれもいいだろうなと思う。

でもそれ以上に、そうはできない理由があるし、何より愛してない。

これが重要だ。愛していない。シンクに告げた通り。ナツメのことは好きだ。でもそれはたぶん、ナツメが壊れているからで、壊れている女は女として好きじゃない。むつかしいな。
ずっと近くにいて、面白いことがあったら一緒に笑いたいと思うし、逆境に立ち向かうとき傍にいられたらたぶん心強い。でも、あれはクラサメのものでいいし、一番近くにいたいわけじゃない。そんなのは疲れるだろうし、これ以上近い距離に行けば関係が瓦解するのは確実だろう。ナツメがたとえナギを好きになったとしても、あの自分勝手にはナギが耐えられない。ナギとナツメでは、自分勝手のぶつかり合いだ。

「ああ、腹減った。リフレでも行くかな……」

ナツメは飯を食ったろうか。放っておくとすぐ飯を抜くのは、どうも仕事に関わるかららしい。任務中はいつでも食べられるわけじゃないし、食べられない訓練として有効だから、と言って。実際は食わず嫌いなものが多すぎるだけだったりする。そういうところばっかり年甲斐なく、かわいらしい。クラサメの前ではなんでも食うところが、性根のネジ曲がった子供みたいで、また。

面倒のかかる女だけれど、なんだかんだナギの面倒を一番見るのも彼女なので、もちつもたれつうまくやっている。ナギのことなどどうでもいいと彼女はいつも言うけれど、そんなことはない。きちんと仲間だ。
でも、それだけだ。

ナツメにはクラサメしかだめで、でもそれが理由にならないのはシンクの言った通りだ。誰かを好きになることに、そういう理屈が前提でないことは事実。
けれどナギには、女を愛せない理由がある。もちろんそれは他に愛を向ける対象があるからではなくて――もういっそそうだった方が良い人生歩めたろうなとは思うのだけれど、そうではなくて、もっと切実でくだらない理由だ。

たぶん正確には、“愛してはならない理由”なんだろう。

すれ違う候補生が気安く挨拶するのに片手を上げて笑みを返し、ナギはゆっくり魔導院を行く。目指すは四課。ミッションコード・クリムゾン受注につけ、やることは付随して生まれる。今回はさてどうなるかなと頭の中でナギは絵を書く。作戦のどこに人が足りないのか、どこに誰を足すべきか。ナギ一人で考えることではないけれど、作戦立案に関してはナギも責任を負う立場にいる。

こういうときはナツメみたいなのが羨ましくなるな。ナギは四課にとっても重要なので守られている一方、責任が重いのだ。最近のナツメなんて任務失敗しても「すいまっせーん反省してまーす」っつって終わりである。もちろん重要任務ならそうはいかないけれど、四課内であそこまで任務に対していいかげんな奴も珍しいというか。

ナツメはしょせん、外からやってきた人間。生え抜きの四課ではないので、その適当さも仕方ないのだろうけど。ナギのような、四課でだけ生きてきたような男にとっては、時折それが自由に見えたりもする。
ナギはそうはなれない。たぶん一生こうだ。四課に縛られ、命を閉じられ。逃げる逃げないの話ではない。そんなことを夢想する余地がない。たくさんの理由が、ナギを逃がさない。


ナギが四課に入ったのは、四歳の頃である。父に連れられ、裏口から魔導院地下に入ったのが最初だった。表を歩くと目立つというので、訓練生身分を得るまでは隠れて魔導院に入る生活が続いた。
幼きナギは何もわかっていなかった。命の重さ、あるいは軽さ。殺しまではしなかったが、場に慣れるべく拷問や処刑をさんざ見た。時には手伝いをした。それが怖いことだということすら、ナギにはよくわからなかった。
幼い自分が四課に入れられた理由を知ったのは八つの頃だった。十五になる頃ようやく、事態も所以も正確に把握した。
いくら四課でも、意味もなくそんなガキを使ったりはしないのだ。だから、幼いうちに四課に入れられるような人間は、もれなく全員特殊な背景を持っている。ナギの場合は、家だった。

ミナツチ家は、ルブルムでも歴史が古く、貴族と呼べばそうとも映る家だった。金もあったし、領地もある。そして代々、四課で重要な役職を与えられる。ナギの父も、存命の頃はそうだったし、母も一時四課にいたのだそうだ。
その所以は、戦争で武功を上げたことでも、豪商だったりということでもない。ただ、“悲劇”の結果だった。

“それ”はある日、突然に起きた。

まだ人間も多くない、魔導院もなかった頃の話だ。
建国から百年は経っていたろうか。ともあれ、今は魔導院があるこの地を、災禍が襲った。

それは旋風であり、山火事であり、大波であり、病であった。とりとめない、まったく関連などないいくつもの災害が絶え間なく降ったのである。
理由は誰にもわからなかった。ただただ繰り返し、人が死んだ。それは当然国力の低下であったので、国の上層部はそれを悩み、連日連夜揉めに揉めた。
どれだけ話し合っても、策を講じても、なんら意味はなく。ただただ惨劇は続き、国は荒れ、皆絶望をした。最悪の悲劇であった。
あまりのことに、今では歴史に残っていない。書物も資料もない、当時の連中が何もかもを消し去って忘れようとした悪夢。

それを解決した男を、ミナツチ家では初代と呼んでいる。

「おーっナギおっはー」

「おはようもう十七時だけれども」

「あたーらしーいーあっさがっきったー☆」

「十時間ほど前に来たなそれは」

愉しげに飛び跳ねて走り去る9組の女子を見送り、ナギは苦笑しながら四課に入る。昼夜逆転してやがる。
長い階段のおかげで足腰が鍛えられてしまった。9組の寮からなら魔法陣移動も可能なのだけれど、この静かな回廊をナギはことさら気に入っていた。地獄へ下っていく感覚がして。

ナギが思うに初代は、たぶん魔法の才能があった。まだ体系もきちんとできてなかった魔法を理解していたんだろう。今では普通にやっていること、候補生誰もが理解している理論。ファントマを用いた錬成、昇華。それを、彼はたったひとりで実行した。
有象無象の民を避難を騙って一箇所に集め、そして。
ファントマを集め。使って。
最上級クラスの風魔法を放った。

ナギの家に口伝で伝わるところによれば、その風は家々を吹き飛ばしながらも舞い上がり、初代が指を向ける先を舐めるように滑って、山火事を飲み込んで大波を消し飛ばした。たくさんの人が巻き込まれて死んで、それでも構わず風は首都を蹂躙。最後にはその風が最果てで散って、災禍は去った。
風に切り裂かれて積み上がった死体は、焼け焦げてもう血の臭いすらせず、まるで“つちくれ”のようであったという。

たくさんの人が死んだが、それでも国は守られた。大罪人として殺されてもおかしくなかった、されど救国の英雄でもあった初代は当時のルブルム上層部にとっても多分新たな悩みの種であったろう。喩え国を救おうが、“国を救うためにファントマがいるからたくさん殺そう”なんて発想をして、実行してしまうような男だ。安易に褒めそやして褒賞を与えるには抵抗があったはずだ。
けれど、犠牲を払っても国を救った男。それを罰しては、今後国を守るためにそういった決断をすることが憚られるようになるかもしれない。それもまた、国としては避けたい判断。

結果、与えられたのは領地と、褒賞と、“処刑人”としての立場。
そして“ミナツチ”の姓。

皆、つちくれ。
初代の彼が為した結果の話。

貢献は確かだ。それは認めている。
けれど、惨劇を忘れるな。
そういう意図あってのことだろうと思う。でも、言われなくてもミナツチ家はそれを忘れることなどできなかった。

初代がミナツチ家を名乗りだして、何年か経ってからのことだった。
処刑人をしていた初代はある日、処刑実行の断頭台にて、斧を手にして、“狂った”。理由はわからない。ただ、大喜びで首を刈り、並んでいた死刑囚たちをあっという間に皆殺しにしてしまった。そしてその目がぎらりと、処刑を見に集まっていた市民に向いた。
偶然その場にいた初代の妻がいなければきっとまずかった。彼女が懸命に彼を止め、無理に連れ帰らなければ、その場で彼は喜々として斧を振り回し市民たちを襲ったかもしれない。

初代はその夜、夢をみた。千千にちぎれた四肢で這い、彼を食い殺さんとする数多のつちくれの死体の夢を。
そしてその話を聞いた妻は理解した。初代がしたことは確かに国を救ったかもしれないが、代わりに多くの人間を犠牲にした。避難と騙り、希望を与え、蹂躙し尽し懺悔もしない。こんな理不尽な死があったものか。
それが災害のせいだったなら、彼らは誰かを恨んだりしなかったろう。でも、彼らを殺したのが人間ならば、死して尚呪おうとしても何もおかしくはない……。

「あれ、ナギ。早かったのね」

「……ナツメ」

「何よ、その顔は」

四課奥、会議しない会議室、溜まった書類に目を通すナツメに行き合って、ナギはほっと息を吐いた。
ああ、考えるべきじゃなかった。己の中に棲む魔性を見つめるのはただ単に自殺行為だと、これを継いだ時から知っていたのに。

「付き合ってくんね」

「……しょうがないわね」

ナツメはため息一つ落とし、書類をテーブルに投げて立ち上がった。会計報告一列ズレてたから全部やり直しね、なんて悪魔みたいなことを言って笑って、ナギより先に会議室を出て行く。
ナギはその背中を追った。向かうのは闘技場。戦闘の訓練は、あそこでしかしちゃいけない決まりだし、いつもあそこには誰かがいる。ナギがやり過ぎることもない。

初代は、“ミナツチ”という呪いを負った。狂いの呪いで、処刑場での一件から数年が経つころには、初代は眠っている間に傍らの妻を縊り殺すに至った。
彼に人としての情があったかなどナギは知らないが、それを後悔したのだろうか、そのすぐ後に初代は自殺している。

「なあ、何でお前そんなクラサメさんのこと好きなんだよ」

「それ聞く?いまさら」

「まあそうだけど」

「別に好きになりたくてなるものじゃないから、理由って聞かれても難しいわ」

「ああ……そりゃそうか」

初代が死んだ時、まだ幼かった二代目に呪いは継がれていたらしい。彼もまた数年後には発狂。その次も、次の次も。呪いは延々と続いた。
どうやら狂うにもトリガーがあるらしく、人の血を見ることだったり動物でもだめだったり自分で殺すのが引き金だったりした。狂う度合いは少しずつ弱まっているが、それでもまだナギにきちんと引き継がれている。
そして十八代目にあたるナギは、十七代目である父親が死んだときに母からこの話をされ、子供ながらに思った。

何であんたら子供作ってんの、馬鹿じゃないの?

十七代も続いておいて、自分の前には誰も“子供を作らない”という試みをしてみた者がいなかったようだった。馬鹿じゃないのマジで?
まぁ確かに、昔は効果的な避妊技術はなかったし、今現在に至っても朱雀には確実と言える方法がない。というか、避妊という発想があまりないのだ。子供はできてしまうものだという考えだし、純粋に労働力だし、兵士は一人だって多くほしいから。

幼きナギは一瞬だけ考え、すぐ結論を出した。
だったら誰とも契らなければいいのだ。簡単な話。

空の果てに朱い陽が落ちていく。空は薄紅と薄紫に染まって綺麗で、でも何の感想もでてこない。
いくつもの色が混ざった光にたやすく染まって、ナツメが振り返る。ナギは笑って、ナイフを繰り出し切りかかった。

ナギのトリガーは、戦闘行為だった。
ただの拷問や処刑ならば何も芽生えないのだが、戦いだと駄目だった。向かい合って武器を持ち、睨み合う。殺す可能性と殺される可能性が同時に存在する瞬間がある。生と死が完璧に二分の一、その分水嶺。どんな相手にも必ずある、極論の二者択一が。
あとは体調やメンタルの状態がうまく嵌ってしまうと、引き金が引かれるのだ。

ひどいときには想像しただけで駄目なときがある。そしてそれは、戦いが終わるまで止まらない。狂いが。体の奥底、心の根幹を強引に捻じ曲げられている不快感。歪な恐怖。
だから終わらせる。
そのためにナギはナイフを振りかぶるのだ。

けれど。

そうしてナイフの切っ先がナツメの喉を捉えた瞬間、不意に頭上を這うように伸びる青い光を見た。
結論から言えばそれは氷魔法で、空の光を収束させて青く歪めたのだった。

「ぴぎゃっ!?」

「わああっ」

ナギの眼の前で、ナツメは普段からは想像もできない機敏さで後退り、その氷を避けた。ナギは思いっきり捕まって、下半身が完全に氷で固まってしまっている。
恐る恐る、振り返る。
鬼神がいた。

「夕方十七時半以降は……暗くて危険なので、武器を用いての戦闘訓練は禁ずると……」

「あ……あ……」

「規則にきちんと……定められているはずだが……?」

「く……クラサメ武官……何でここに……」

顔は暗くて見えなかったが、笑っているはずもない。慌ててナツメに視線をやれば、自分だって銃くらい隠し持っていたはずなのに知らない顔でそっぽを向いている。
というか聞いといてなんだがナツメを探しに来たんじゃなかろうかこの男は。そして慣れているからナツメはあっさり避けられたんじゃないだろうか。いやそもそもナギの背後から魔法が放たれた以上ナツメからはクラサメが見えていてもおかしくないのである。

「すいませんもう武器出さないからお願いします魔法解いてください」

「罰則規定には二時間の禁錮が許可されている」

「そんなんマジでやられてる奴見たことねーわ!あんた自分の女に武器向けた野郎が気に入らないだけでしょうが!!?」

それからなんやかんやあって―本当になんやかんやあった、照れる大人二人の暴走的なものが―、とりあえず氷は解いてもらえたのだけれど、おかげで寒くて仕方がない。もうとっくに季節は秋である。でも代わりに、頭がシャッキリ冷えている。

「もう平気そうじゃない。毎回ブリザドにしようか?」

そう言ってナツメは笑ったが、魔導院に戻る途だけで風邪をひきそうになったので拒否する。そのからりとした笑みはなかなか見れるものではなかったので少々驚いたけれど、クラサメが近くにいるので猫を被っているのだとすぐに察した。
これも面白い現象だよなとふと思った。好きでもなんでもない相手になら自分の本性をさらけ出すことに抵抗がなく、おかげで興味のない男にばかりモテまくる女というのがたまにいる。ナツメもそれの小スケール版なのだろう。モテてるところ見たことないけれども。悲しいな。

クラサメの後を歩いて、ナギとナツメはゆっくり薄闇の中を進んでいく。前を行く二人とも服の色が暗く露出もないので、うっすらとした暗闇がその二つの身体を溶かしていくような気さえしていた。
二人の間の境界線が、完全に滲んだように見えたときだ。ナツメは不意に振り返り、ナギにたずねた。

「一応ケアルかけとく?」

「んー、平気。帰って風呂入るわ」

「風邪引かないのよ」

「え心配してくれんの?珍しっこわっ」

「社交辞令って知ってる?」

「お前が社交辞令を言うのがもう怖いんだよ。察せよ」

「……」

にこにこ笑って静かに威圧してくるナツメも珍しくて、つい笑う。すげえよなあこいつ、クラサメさんがいるとちゃんと大人みたいにできんだもんなぁ。そういうときのナツメが実はこっそり好きだ。いつもより少しナギに厳しくなって、優しくなる。まるでクラサメを真似るみたいに。

四課に入った時まだ魔法も使えなかったナギに父が与えたのは、小柄でも戦えるナイフだった。銃は反動で肩を壊すし、重い剣など持てやしないからというのが理由だ。
しょせん消去法で選ばれた武器だ。けれどナギは今も、同じナイフという武器を使っている。

ナギは初めて家の話を聞いた時、空の棺と虚ろな眼の母を見てこころぎめをした。
一つは、もう覚えてもいない父が与えた武器をずっと使おうということ。
そしてもう一つは、己の代でミナツチの家を絶やすということ。

だからナギに、ナツメはいらない。
誰かと一緒にいたくても、誰とも一つになりたくない。ただ、それだけの話だ。








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