Act.27:Fearful







カヅサのファイルだけは行き場がない。
ナツメはナギと9組の教室で別れた後、自室に戻ってきていた。そしてファイルを抱きかかえて右往左往し、結果、カヅサのファイルだけは遺品箱にしまいこむことにした。クラサメのファイルはこれから使うから必要だけれど、カヅサのファイルは燃やしていいものか迷うのだ。かといって誰かにみられてはまずいので、誰にも調べられない場所にしまうしかない。思いつくのは、ここだけだった。遺品箱ならば、死人に興味のないオリエンスでは中身が中身なので漁られる心配がない。無論縁者がいればその限りではないが、ナツメは元々天涯孤独である。

寝室、クロゼットの中に遺品箱はある。この部屋に越してきた日、奥へしまいこんでそのままだった。ナツメはそれを引きずり出すと床に座り込み、一度中の荷物をすべて取り出して、底に敷くようにしまいこむ。そして、床に並べた古い銃やら手帳やらをその上に丁寧に戻し始めた。その最後、小さな小箱に行き当たった。
床から拾い上げた瞬間、指先で何かが転がる音がした。小箱の中に、何か小さなものが入っている。数はおそらく二つ。ぶつかって金属音のような音がするから、二つとも金属だ。
なんだろう、と思って留め金を外そうとする。

「ん……ぐ?」

爪先で引っ掛けても、留め金はびくともしなかった。妙に固い。数秒は挑戦したが、どうにもうまくいかない。どうしたら外れるのかとひっくり返して留め具を見てみる。と、ほとんど同時、ドアが外から叩かれた。

「おい」

「んはぁっ!?」

驚いたせいで肩が跳ねる。そうなると手の中で箱が跳ねる。それゆえ箱は足元に転がって、留め金がその反動で外れた。慌てて開かないようにそれを抑える。

「何をしている?」

「く、クラサメ」

緑の双眸で見下ろしている彼を振り返ってから、ナツメは小箱を掴み、小箱が留め金なしでも勝手には開かないことを確かめて留め金を留めないまま遺品箱の一番上に置く。荷物をすべてしまい終えたので、ナツメは遺品箱を元あったクロゼットの奥へ両手で押し込めた。と同時に、クラサメが寝室へ続く開け放たれたドアをくぐる。

「鍵をかけろ。不用心だ」

「そ、そうね。誰も入ってこないから、つい」

「……私は入ってきたんだが?」

「あなたを阻む理由がないから、……と、ごめん、今のなし」

クラサメがぐっと表情を歪めたのをマスク越しにも感じ取り、慌ててナツメは右手をひらひらと顔の横で振り否定した。拒む理由がないのなら、この五年の説明がつかない。
実際のところ、拒んだことはなかった。拒んだのは、自分が彼の隣にいることだ。逆ではない。それはまったく同じようでいて、天と地ほども違う。
彼の傍にいられるのなら、それが本当は一番よかった。でもできなかった。これは、そういう話だ。

「次から気をつけるよ」

「そうしろ」

「うん、……うん。ごめんね。それで、どうかした?用事でも?」

クラサメは問うたナツメの前に立ち、一瞬言いよどんでから、「夕飯は」と口を開く。

「最近、食事をまともにとってないだろう」

「……誰がそんなこと」

「やっぱりか」

「カマかけなんて汚いわ隊長」

「普通に聞いたら答えないだろうが」

舌打ちでもしそうな声で言われてはぐうの音も出ない。確かに食事は最近雑になりがちである。まだ9組に在籍していた頃は、魔導院にいる間だけは多少食事が提供されたが、正式に武官になってしまうと完全に個人の裁量に委ねられる。リフレを利用することもできるしサロンも購買もあるし、麓の街で買い物をしてきて自分で料理する人間も数多くいるが、ナツメはどれにもとんと縁がない。リフレは4組がいるので行きづらいし、サロンは軽食だけしか利用できない上利用時間も限られてくる。では自分で料理するのかと言われたら、それもナツメにとってはやはり縁遠い。ナツメが料理するのはせいぜい潜入中だけである。そしてその結果、朱雀より白虎よりの料理しか作れない。それゆえ白虎嫌いのナツメは尚更作る気も食べる気も起きず、というまさにデフレスパイラルの真っ只中の食生活。
だから、今のナツメはエミナやカヅサの強制的なお恵みや9組の食堂やナギのお情けに生かされている。

「いろいろあって、ご飯食べる気にならないことが多くて……」

「生徒に健康な食生活を、なんてどの口が」

「はい、この口ですとも。……しょうがないじゃない、4組の経験を活かせって言われたらそう言うしかないわ。9組の経験を活かせって言われたら、食うより殺せって言うしかなくなるけどね」

肩をすくめてそう言えば、クラサメの眉間に皺が寄った。ナツメはつい笑ってその眉間を指でつついた。心配することないのに。いよいよ危険と思ったらさすがに手は打つのだから。

「ともかく、だから。食事を作るから、……お前も来い」

「……遠回しに夕食のお誘いしてたの?もう、わかりにくいんだから」

ナツメはまた笑って、踵を返す彼についていくことにする。今は少し前向きな気分なのだ。エミナを守った、いいことをした後は気分がいい。
クラサメのファイルを持って部屋を出る。今度こそ、ちゃんと鍵を掛けた。







そして、斜め前のクラサメの部屋にて食事を終えて、シャワーも終えて。
まるで五年前の生活に戻ったみたいな安堵と、それを否定する心がやかましい。相反して背反する二つの気持ちに、針が交互に触れて妙にせわしないのだ。
だって勝手にお気に入りの皿を並べる一方、勝手にクラサメの寝床に潜り込むことはない。昔とは違う、けれど同じ。その釣り合わなさが、身を切るように痛かった。
けれどもっと苦しまなくてはならない。同時にクラサメを傷つける危険があったって、今立ち止まるのはもっとまずい。

さてこのままだとまたああいうことになる。それがわかっているので、ふたりとも妙に静かだった。口火を切ったのは、結局焦りのある方。つまりはナツメであった。

「クラサメ、話があるの」

「奇遇だな。私もだ」

「それは今朝から知ってるけど、でも私の話を先に聞いて」

「なぜ」

「なぜじゃないっ」

既にマスクをしていないクラサメが片眉を上げて首を傾げた。不穏なものを感じたらしい。ナツメの話、なんて安心して聞けるものではないだろう。
ナツメはしかし首をぶんぶんと横に振り、端によけていたファイルを既に皿の片付いたテーブルの中央においた。黒い背表紙、まっさらの表紙。わかりやすいネームタグなんてついていない、それでもこれはクラサメのファイルなのだ。

「これは?」

「四課のあなたのファイル。ナギから取り上げてきた。ちゃんとナギに持ってこさせたから、これについて内務調査に何か言われることはないよ」

「……まぁあるとは思っていたがな……私のものまであるのか」

「あなたのファイルがないわけないでしょ……。まぁ、魔導院では四課以外の全ての人間のファイルがあるわよ。0組から12組まで、全員分。内務調査部が調査してファイリングしていくのね。院長のもあるよー、兵站局局長は愛人じゃないわよ」

「あるのか……そしてそんな情報まで詰まっているのか……」

「まぁいろいろね……ともかく、それであなたに聞きたいことがあって。あなたの口からも聞きたいけど、同時に四課の判断もちゃんと知りたい。だからまず聞くね」

ナツメはいいよどまないように、親指の爪先を人差し指の腹に食い込ませた。唇を動かして、声を載せろ。ただそれだけの行為を躊躇うなんて駄目。なによりそれは、彼のために。

「クラサメ、あなた五年前、私がいなくなった後の四課で何をした?」

一瞬、空気が冷えた。クラサメの視線がすっと冴え冴えとした色を持ち、ナツメを見つめている。その鋭さに背筋がぴんと伸びた。負けられないと、勝負でもないのに思った。
視線を逸らした方が負け。そして負ければ、逃げになる。ただでさえあまりに身勝手なナツメが、その身勝手さを肯定することにもなる。だから、視線は逸らせない。

「誰から聞いた?」

「ナギ。言うつもりだったかどうかまでは知らないけど、それで私を止められると思ったのね。悪いけど、余計止まれないわ」

思いの外、吐き捨てるような言い方になった。私を止めたいのなら、止まれるだけの安心がほしい。怖いばかりで、行動だけ封じられるのがナツメはどうしても恐ろしいのだ。がんじがらめに縛られて、暗闇に一人転がされているような寄る辺なさが心を抉るから。
誰にぶつけるでもないいらだちが、きっとナツメの中にはあった。

「これを、見てもいい?それから、何があったのかが、聞きたいの」

あなたの口から。
他でもなく、あなたから。
あなたがどう思ったのか。一秒毎に移り変わる速度で、心を教えてほしい。
誰かや何かを傷つけながら、一番傷ついていただろうあなたを。

「……それを、知ってどうする」

「これからどうするか決めるのよ。軍令部か四課かはともかく、私もあなたも排除される可能性があるから。……それ、許せないから」

「だからまた一人で危険な行動に出て、自己完結するつもりか」

クラサメはじっと目を細めてナツメを見た。ナツメの考え全てを読もうとしているように思えた。

「それでもいい。私は、そんなことはどうだっていい」

「どうでもいいはずがないだろう……!」

「どうでもいいのよ!!」

ナツメの手のひらが、不意にテーブルを強く叩いた。無意識での行動に、自分でも驚いてしまう。手のひらにじんじんと軽い麻痺が広がり、唇が勝手にわなわなと震えている。

「わ、わた、私、あ……あなたが、いてくれないと……」

あなたが、あなたが。
それ以外の言葉を忘れたみたいに、唇がそこから先を紡げない。

クラサメが椅子を蹴倒して立ち上がり、ナツメの腕を掴んで立ち上がらせ強く抱きしめた。それに覚えるのは安堵ではない。
この体温を、感じられなくなるのは耐えられる。でもこの体温が、この世のどこからも消えてしまうのには耐えられない。

「わた、し、私、あなたとは違う……違うの……あなたは生きられるでしょう、私がどこで消えたってあなたは忘れるだけでしょう?でも私は、それじゃ終わらない……」

「なぜ?」

あからさまに苛立った口調に肩が跳ねる。でも己は間違ったことを言っていないと、ナツメは潤む目で彼を睨み上げた。

「五年前、私は人生を失ったからだよ!!私を助けてくれた人が、四人中三人死んだ!私の人生は半分以上が真っ白になったのよ!?それであなたが死んだら、私はどうなるの!?あなたがいなくなったらどこまで失うの!!」

「ナツメ……!」

「もう嫌なのよ!!できるだけのことをしてないと、不安で不安で仕方ないの!何人殺しても安心できない、私はっ……怖くて」

怖くて。
それはもう、怖くて。
五年間標的を殺し続けた理由は、ただそれだけだ。

「……話そう。四課で、私がしたことを。それで少しは安心するか」

「……うん」

「代わりに、ではないが……この五年のことも、話せ。知る権利くらいあるだろう」

「え、やだ」

「おい」

つい反射で答えると、身体を少し離したクラサメが軽く額を小突いた。優しい手つきだった。昔とは少し違う。

五年より前のことだ。ナツメの中に芽生えたものと、おそらくは似たものが彼の中にも芽生えた。そして五年前、あの日、その二つは一つに繋がった。一度ナツメが断ち切って、けれど何の因果かもう一度、ちぎられた糸の先端を結ぶように一つになった。
ナツメはそれをどうするか、決めあぐねている。おそらくはクラサメも。大切にしてもう一度育てていくにはきっと互いに時間も立場もない、かといって捨ててしまうことなどできはしない。

それでも。

「……全部話すことはできないけど、できるだけ話すよ。ねぇ……私、あなたの傍にいていいの?」

クラサメは目を細め、ナツメの肩口に額を押し付けた。もう二度とここを離れるな。懇願するような響きが、ナツメの耳朶を打った。
傍にいることを許されてなどいないはずだけれど、それでもここに彼がいる。許されなくとも、ここにいろと。









そしてナツメは深夜、四課へと戻ってきた。
クラサメのファイルを読んだから。最新の報告にあった、クラサメの出撃の詳細を知ったから。
昨日、四課の底で魔晶石に囲まれていたナツメを探しに来てくれたケイトたちが教えてくれたことは真実で、けれど事態はそれどころでなく深刻だった。

「ルシの支援って……支援、どころじゃないでしょうよ……」

乾いた笑いが、泣き声めいたものに混じって暗闇に落ちた。
ナツメはクラサメのファイルを戻して、ぐっと奥歯を噛み締めた。このファイルはまだ処分するわけにはいかない。
まだまだ更新されなければ困る。クラサメの出撃をひっくり返せないとしても、でも……。

「私に……できることなんて、ない。なかったはずだった」

でもそれじゃ終われない。たったひとりで、無力でも……こんな運命に押し流されるわけにはいかないから。
ナツメにはもう、これしかないから。








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