Act.49-a:make up them mind.





そして、幾度か撤退と出撃を繰り返してそののち。
クラサメからの完全撤退命令を聞いて集合した0組は、ホールで喧嘩するルシというわけのわからないものを見る羽目になった。すなわち、シュユとナツメである。

ふたりともずたぼろ、シュユは全身傷だらけだし一方のナツメも武官服がところどころ裂けて血だらけだ。いつも特段整えられていない髪が、なおのことぼさぼさである。さっきまでシュユは前線維持のために戦っていたし、一方のナツメは似合わないことに候補生を回収する作業を指揮していた。完全に疲れ切っているはずだ。
そのわりに元気に言い争っているので、0組は困惑し硬直した。

「だーかーら!背中に二人と腕に一人ずつで一度に四人じゃない!三回で運べます!」

「一度行けばどうなるかわからない。往復はできない」

「そこを気合でなんとかしなさいよ!」

「……本気でそれが可能だと?」

なにを話しているのかも0組には到底わかりそうもない。何が一度に四人で、三回で運べるんだ?ようわからん、つうか疲れた。
早朝からほとんど出ずっぱりで戦っていた0組は集中力も体力も限界にきていた。元々、地力の違う彼らでさえそうなのだから、他の候補生はもっとひどい。



それがまだ大きな混乱に陥っていないのには、ひとえにクラサメの指揮が理由としてあげられよう。彼はナツメが渡りをつけた四課にも指示を出し、撤退と出撃のタイミングを管理した。みんな無理はさせられていたが、させられすぎることはなかった。
急場拵えの指揮体制に未知の敵。その状況でなお、クラサメは可能な限り的確な指示を出した。混乱しきった候補生たちのSOSを聞きながら、それでも重要度にランク付けをし、救援を出しては戻した。

そしてナツメは、クラサメの指示を受け救援部隊を指揮した。四課を動かすこともあれば、訓練生を連れて走ることもあった。
誰しもがぼろぼろになっていく。それはナツメも、侵入してきたルルサスの迎撃も担ったクラサメも例外ではない。それ以上に、0組はなおのことひどい。そこには、アレシアの不在も関係しているだろう。


「少し休みたいですね、このままでは私たちがもちませんよ」

「トレイはぁー、体力がないもんねぇー」

トレイのため息にシンクが笑い声をたてた。その声もまた、少し疲れを滲ませている。さすがのシンクちゃんもちょっち疲れたよーとため息をついていたけれど、彼女がそんなことを言うからには、疲れはぜんぜん“ちょっと”じゃない。みんなわかっている。

アレシアは、夜明けが赤く染まって以降、連絡が取れてない。それ以前から所在は知れないので今回のことが原因かは正確にはわからないのだが、あんな惨劇が繰り広げられれば誰だってそれを疑う。石畳は何度も流れた血でまだらに黒ずみ、積み上がった死体を土嚢袋にして戦っている始末だ。それでどんなに不安だったか、0組はされど一言もそんなことは言わなかった。
心配を口にしても無駄だ。その無駄を積み上げてほんのすこしでもアレシアが安全になるなら、喉が枯れるまで彼らは喚くだろう。でもそんなことはないから、ただ口をつぐんで武器をとった。心配する心は、言わなくても互いに伝わっている。
無事かはわからない。でも魔法が使えるということは、アレシアがまだ生きているということだ。だからそれだけ信じている。
けれど、不安が消えない状況が、どれだけ彼らを苛むかという話。だからこうして撤退できたのは正直助かった。



クラサメから届いた、レムが無事であるとの知らせを聞き、同時に伝えられた完全撤退命令でようやっと戻ってきたのがついさっき。そこで出くわしたこの喧嘩だ。シュユもちょうど休息で戻ってきていたのだろうところに、ナツメも死にかけた訓練生を引きずって帰投してきた。彼女は訓練生にケアルをかけると、ホールの床に乱雑に転がした。そこで優しく寝かしてやる程度の思いやりを見せてもいいんじゃない?と嘆いたのはエイトで、この体調でそんな光景見たら胡散臭くて吐くわと嘲笑ったのがサイスである。

ナツメは離れたところから0組に肩を竦めてみせたので、もしかしたら聞こえていたかもしれない。走り回って補給品を届ける従卒から水の入った軍用水筒と携帯食を受け取ったナツメはそこから少し水を飲み、少し齧り、ずたずたになった武官服をホールのゴミ箱に投げ入れた。それからため息をつき、換えの服がいるなと血まみれのシャツの裾を摘んでひとりごちるのが聞こえた。


そして、彼女がシュユを見つけて慌ててすっ飛んでいき、冒頭に戻る。



「私は乙型だから、魔力に秀でている以外できることがない。甲型のあなたに頼むしか無いってわかってるでしょう」

「物理的に不可能だ」

「そうは言っても誰かが運ばないとでしょうが!?飛空艇じゃ無理なのよ、さっき四課で飛ばした艇が落ちたとこだし……」

それは0組も知っている。補給の際、軍令部でナギに会ったときにちょうど通信が入り、飛空艇が落ちたらしいことはわかった。
しかし元気だなさすがルシ、と思っていると唐突に、クラサメがホールをつっきって歩いていき、騒ぐナツメの腕を掴んだ。

「騒ぐな、休め」

「えっ、なっ、なんでよ?」

「あと五分動いたらお前、倒れるぞ。わかっていないのか」

「えー、あー……わかった」

珍しく、ナツメも言われるがまま首をこてんと頷きの形に倒した。そして四課の方へ歩き出した瞬間、なぜか膝ががくりと折れてその細い背を歪ませて地面に崩れ落ちた。はらりと髪が揺れ、細い首が見えた。
クラサメは言わんこっちゃないと言わんばかりに彼女の腕を掴んで引き上げると、さっと猫の子にするように抱き上げた。ナツメは青白い顔で、クラサメに身体を預けている。

「ああもう、脳内麻薬が今ので完全に切れた、もうむり、責任とって……」

「だから運んでるだろうが」

その仕草に色気めいたものを感じる余裕もない。クラサメはそのまま武官寮に姿を消し、0組は「いらんもん見ちゃったな」「なー」「なんか妙にテンション下がるわー」とため息を請け合って少しでも休むべく寮へと向かう。

「何が怖いって、ぎゃあぎゃあ騒いでる状態の体力ゲージを正確に計るところ怖い」

「まあ俺たちもお互いのことは結構わかるほうだけどな、なんだかんだ十年一緒にいるし……」

「でもあとどの程度っていうのはわかんないよねえ。そこまで無理したことがないってのもあるけどさー」

「で?あたしらを集めたのはあいつらだろ?これどーすんだ?」

彼らがそう言い合ったとき、不意に背後で魔導院のホールのドアを押し開ける音がした。何の気なしにそちらを見やったのはトレイで、彼は「ええっ!?」と珍しく驚愕の声を上げた。
ので、全員がそちらを振り返る。
と、そこには。

「やあ、その方ら、生きているか」

青く塗ったまぶたの印象的な微笑みを浮かべる、少女めいた容貌のルシ。
ホシヒメがいた。惨劇や終末の中にあって、全く変わらないその笑みは恐ろしいまでの余裕を感じさせた。
この人は人間だった頃からそうだったなと、0組は唖然としつつも妙な安心を覚えた。それから、でも一度は殺し合った相手で今も敵じゃあないのかねと思い直す。蒼龍とも戦争は一応明確に終わっているが、王城はほぼ維持したままでの終戦だ。蒼龍側が戦闘に耐えきれなくなってきたからであって、白虎がそうであったような徹底抗戦の末の終戦とは少し違う。0組はとっさに身構えたが、ホシヒメはややあってからまた鷹揚に笑った。

「そう警戒しなさるな。私はな、その方らのルシがお前たちのために求めているのを聞いて、来たのだから」

ホシヒメがそう言うとほぼ同時に、ばたばたと走る音がした。見ると、武官寮に向かっていたはずのナツメが階段を駆け下りてくるところだった。後ろからクラサメも続いて追いかけてきていた。なんだこの光景、と0組は硬直する。

「待て、コラ、阿呆、寝ろと言っているだろうが!!!」

「ホシヒメぇぇぇぇぇ!!」

「聞けナツメッこの馬鹿!!」

ナツメはホシヒメの名を叫びながら、なぜかシュユのほうへ突っ込んでくる。シュユはそれをあっさり捕まえると、殺した勢いでぺいっと投げ捨てた。ナツメはなにもかもわかっていたみたいにちゃんと着地して、ホシヒメに掴みかかる。

「来てくれたのね!!」

「うるさかったのはおまえだな?こんなうるさいルシいないとソウリュウが呆れ果てていたぞ。いくらルシが、おぼろげに互いの意識を感じ取れると言っても、ここまではっきりと聞こえることはないからな」

ホシヒメが喉を鳴らして笑う。不意に、彼女の目が真っ青な色を帯びて染まる。それにびくりと警戒心を露わにした0組など置いて、ナツメの目もまた真っ赤な色を浮かべた。

「いいのね?」

「愚問だな。お前もさっき思っただろう、シュユでは一度で全員など運べない。無駄死にだ」

「“本当に、いいのね”?」

「……もう誰もいないからな。私には。お前やあの坊主とは違うさ」

ルシ三人の目が暗く光る。その目に飛び込む光全て、各々のクリスタルの色に染めて。ぎらりと深い煌めきは威圧感そのものといった感じで、0組ですらつい気圧された。
彼らは、“違う”のだ。ルシは、強いとか怖いとかそういう次元にそもそもない。強い人間につねづね抱く畏怖や反発を抱くこともなかった。そういう対象じゃない、高次元にズレてしまった、もう触れない異質な何か。さわれないもの。神聖でありながら悪夢の体現でもあるような、そういう感じがするのである。

が、不意に、ナツメが足を後ろに引いた。そしてその直後、ぐらりとナツメの身体が揺れる。それにエースたちが介助の手を差し出すより早く、クラサメが追いついた。傾ぐ身体を腕一本であっさり捕まえると、ルシとルシの間でルシを抱えるというルシまみれの中であるにも関わらず、

「寝ろと言っているだろうが阿呆!!」

一切の躊躇なくナツメに切れた。ぺしんと頭を引っ叩かれ、ナツメは「痛ぁっ!?」と騒いだ。瞬間、ルシたちの目に宿っていた光がしぼむように消える。

隊長マジなにもんなの?
いやでも、和む気ぃするよねえ。

明らかに場違いなことを思って0組は嘆息する。でも、実際、どこまでも異常な現実が延々続く今、いつもどおりの馬鹿騒ぎが必要な気もしていた。

ナツメはずりずり引きずられ、また武官寮へと連れ去られていく。ルシにあの態度すっげえなという空気が0組だけでなくホール全体から生まれていた。
半ば抱えられながらも、ナツメはホシヒメに向けて叫ぶ。

「頼むからね!!無事に届けてよね!!」

ナツメらしくないと思ったのは0組だけだったかもしれない。ナツメは誰かに何かを頼むことがない。せいぜいナギをいいように使うぐらいで、誰かに何かを頼んでいるところなんて見たことがなかった。誰かに任せることは嫌いなんだろうなと、たぶん誰かに何かを頼んで、失敗したときが嫌なんだろうなと彼らは思っていた。気持ちはわかるし、0組も自分たちのできることがなまじ多い代わり介入を望まないことは多いので、共感してもいた。
でも、今回は頼んだ。それはつまり、頼むしかない、ナツメにはどうしようもないことがあるからという意味を逆説的に受け取れる。

「……くっくっく。愉快だな、お前たちの上官は……待て、あれは上官という扱いなのか?どういう立ち位置なんだ?」

「あー……副隊長だから、上官には変わりないし、身内なのも確かだよ」

たぶんもうそれだけじゃないけれど。
クラサメだけではなく、ナツメも、もうずっと一緒にいるような気がする。まだ一年もたっていないのに、戦争のせいだろうか?
形容すべき名前は思いつかず、ただそれでもこれからも一緒にいるんだろうと思ったし、離れがたいとも思っている。

そうか、と笑って、ホシヒメは0組を羨むような目で見た。デュースが「あの、ホシヒメさん……」と口を開き、一瞬なんとも言えない沈黙が満ちた。
ホシヒメに息子がいたことを彼らは知っている。
殺したのは彼らだ。

殺さないという道はなかった。向こうも殺すつもりだったのだから、結局はお互い様ということになるんだろう。
それが戦争なんだと彼らは知っていて、ホシヒメも知っている。
ホシヒメは何も言わなかった。恨み言も、泣き言も、何一つ。まぶたを深く閉じ、少し沈黙して、ゆっくりと開く。

ただ、代わりに、蒼く染まったあの目で、静かに口を開いた。

「シドはかの地にて、真なるものを手に入れた。お前たちも向かうのならば、私が送り届けよう」

「それって……シドが、アギトになるってことか?」

エイトが目を細めて言う、それに頷くでもなく、ホシヒメは淡々と言葉を続ける。

「お前たちは好きに選んでよい。シドのもとへ向かうのも、ここに残ってあの化物らと戦うのも、自由だ。これは私の選択で、お前たちもまた選択をするがよい。ただ……時間はもう、然程ない。私が正気を保っていられるのも、蒼龍に危害が加わっていない今だけだ」

すっと目に浮かんだ蒼い光は消え、ホシヒメはあの神秘的な微笑みを浮かべて、0組の面々を順繰りに見た。

「お前たちも選べ。後悔しない道を。私は、そのために来たのだから」

じっと、血なまぐさいホールに沈黙が落ちた。何を言うこともできず、彼らはただ視線を床に落とす。

もう十年近い付き合いだ。
それも、ずっと一緒にいての付き合い。
何を言わなくても、しぐさや目の動き、ほんのわずかな表情だけで互いの考えなど全て見透かせる。

だから、顔を上げればみな互いの心はわかったはずだ。でも、それができなかった。

もしそこに齟齬があったらと、たぶんみんな怖いのだ。話が大きいから。
アギト神話はオリエンスのどこにでもある神話で、世界の根幹に関わる話だ。無名の書に刻まれたフィニスの刻がまさに今なら、誰かがアギトになって世界を救わなければならないということ。そしてそれ以上に、この惨状の朱雀を放って行くということだ。その間何が起きても帰ってこられないし、助けられない。

そんなの簡単に決断していい話ではないし、行くなら全員だ。一年間ここにたらここに、友人や仲間を残して去るなんて。化物の猛攻は止まる兆しなどかけらもなくて、効果的な抗戦ができるのは0組と四課だけなのに。
シドのもとへ向かいアギトになれば、この戦いは終わるのか。あの化け物たちは止まるのか。ここに残って戦い続けていれば、いつか最後の一匹になるんじゃないのか。そのほうが結局、アレシアも朱雀も救うことになるんじゃないのか。
誰にもわからない。わからないことは怖い。だからどうすればいいか、迷ってしまう。





誰からともなく少し休もうという話になって、一旦教室へ戻った。
ようやく座って、戦場から離れたことをまじまじ実感できた頃、クラサメからCOMMに通信が入って、レムは魔法局で保護したことを伝えられた。あそこなら安全だねとジャックが笑って、それでみんな呆然と安堵した。

ずいぶん久しぶりに見た時計は戦闘開始から八時間が経過していることを示しており、これはさすがに疲れるわとエースがひとりごちる。隣でデュースも虚ろな目をして頷いた。

「さすがに……八時間戦い続けたことはありませんもんね……」

「クラサメの言い方もひどいよねえ、もう下がりたいのか?もう体力がもたないのか?って、そんな言い方されたらさあ」

「わかる。燃える」

ぐったりと背中を投げ出していたエイトが、音もなく身体を起こして言う。目にはぎらぎらとした静かな闘志がある。
クラサメの言い方は実に卑怯だと彼らは口々に言い合った。どこどこの戦場ではもっと良い働きをしていたように思ったがなぁ?だの、そうかまだ他のクラスは下がってないがお前たちはもう無理か、だの。

そんなこと言われたら。
あんたにしごかれた自分たちは、まだ大丈夫ですって。誇りに思ってくれて構わねぇぞって、そう言いたくなるに決まってるじゃないか。

とまあそんなことの繰り返しで。
一応、完全撤退する前にも、四課や他の候補生と入れ違いに何度か補給と休息で撤退はさせられたのだが、なにぶん0組以外は急ごしらえの部隊で、当然ながら0組より弱いので出ずっぱりに近かった。そのうえで手が空いたらまだ生きている候補生の撤退を支援したり、補給品の輸送を警護したりと大騒ぎだったのだ。おかげで疲労はこれまでにないほど蓄積している。

それでもまだなんとかなっていた。魔導院には侵入を許さずに済んでいるし、犠牲者も最小だとナギがこともなげに言い放った。

最小。
ゼロではない。

「……まあ、戦争をしてたからな。仲間が死んでくのには慣れているが」

記憶が剥落していくのにも、もう慣れているけど。キングがきっと、それすら含んだ声で言う。
彼はその先を言わなかった。面倒がったんだろう。どうせ心はみんな、わかっている。

0組が魔導院を去れば、今最小に保たれている犠牲者がおそらく爆発的に増える。
クラサメもナツメも四課も手を尽くすだろうが、それでも追いつかなくて、もしかしたら彼らすらも失われてしまうかも。

彼らはじっと沈黙した。
たぶん、0組は唯一、決断するということに慣れていないのだ。作戦は上から下るものであって、自分たちで決めるものではなかったから。

ホシヒメは選べと言った。後悔しない道を。でも、そんなものが本当にあるんだろうかと思う。それはつまり、正解を選べってことだろうけど、でも正解なんて思いつかなかった。
何を選んでも後悔すると思うから、選べないのに。

静かな教室に、不意にCOMMの音が鳴った。きっとクラサメだろう、もう一度戦場に戻れって話かな。疲れ果てた目で、彼らはCOMMに手を伸ばす。

『無事か、0組』

「ぼちぼちー」

「生きてりゃ無事だよ」

『む……』

ケイトとサイスが不機嫌な声で答える。それに一瞬面食らったような声を出して、クラサメはじっと押し黙った。
嫌な静けさだと、彼らは思った。クラサメもそうだったろう。
それを裂いたのは、結局クラサメだった。

『……なんだ、お前たち。そんなものだったか』

またこれだよ!!
彼らはついとっさにCOMMを外して床に叩きつけたくなった。
ケツの叩き方が一辺倒なんだよこの朴念仁!燃えるっつっても限度があるわ!

けれど、クラサメの言葉はそれくらいでは止まらなかった。

『私が候補生だった頃、魔導院の最高位クラスは1組で、0組なんて伝説の存在でしかなかったものだ』

「……」

クラサメは、いつもの端的で事実のみ伝えんとする話し方ではなく、どこかゆっくりとした話し方をして話し始めた。

『皆、1組に上がるのを目標にしていてな。私もそのひとりだった。いつか1組に入って、ゆくゆくはアギトになるんだと息巻いていた。まだお前たちと変わらない歳の頃の話だ』

その穏やかさに、彼らはまず不穏なものを思った。その穏やかな口調にどことなく聞き覚えがあるような気がしたから。
ビッグブリッジにて行われた最後の通信と同じ話し方だった。

『だが、いざ1組に入っても別に英雄ってわけじゃない。仲間たちもかなり死んだ。残ったやつらは軍に入ったり武官になったり……そんな中で、戦争が起きて、お前たちが来た』

「……クラサメ」

ナインが、何を言っていいかわからないといった様子で、彼の名をぼんやり呟いた。クラサメはいつもならその不躾な呼び方に怒るはずなのに、喉を鳴らすみたいに静かに笑っただけだった。

く、くくくくくくクラサメが笑った。
そのとき0組に激震走るも、クラサメには彼らが凍りついた様など見えていない。

『ああ、これが、と思った。これがそうだったんだと思った。“これ”こそ英雄で、アギトたらん者たちなのだと。私はお前たちの研鑽のためにここにいて、そのためにこそあの日々があり、たくさんの死をまざまざ見ながらなお生き延びて、今武官であるのだと。そのためにこそ私は生き残ったんだと、本気で思った』

慣れない笑い声、声に滲んだ感情の色。

何かが。
何かが湧き上がる。
彼らは心のうちから沸騰するみたいに燃え上がる何かに打ち震え、顔を見合わせた。
何だこれは。わからない。でもとにかく、熱い。燃える。
何でこんな、泣きそうなんだ?

『その思いは作戦を遂行していくお前たちを見ていてずっと強まった。今もそうだ。このために全てがあったのだとすら思える。お前たちは、今までになく最も有能な候補生だ。……それで?いつまでそこでぐずぐずとうなだれているつもりなんだ?』

燃えるところに、唐突に声が冷たくなる。説教モードのその声に聞き覚えがありすぎるナインとジャックとシンクが震え上がった。

『ナツメから話は聞いた。はっきり言ってあいつの言っていることはよくわからんが、言語化が苦手なのは私に似た。許せよ』

「なんで唐突にのろけんの?さっきまで不発遺言再びとか思ってた気持ちが台無しだよ」

『……?』

「意味わかんないって声出すなぁ!」

こういうことに真っ先に反応するのはたいがいサイスとかケイトで、今回もそうだった。エースやトレイが、つい笑う。

『それで、お前たちは、まさか悩んでいるなんて言うんじゃないだろうな』

「……それは、悩みますよ。私たちはこのままここで魔導院を守った方がいいかもしれない。そのほうが人を死なせずに済むかもしれないから」

『そんなことは問題じゃない』

クラサメは、十二分の一大事をそんなふうに一蹴した。さすがに意外で、彼らはぽかんと口を開けて固まってしまう。

『後悔しない道というのは……まあお前たちはナツメを見ていたからだいぶ想像しやすいだろうが、』

「ねえ何で今日ちょいちょいのろけ入んの?」

『やかましいジャックなにがどうのろけに聞こえるんだ。……だから、お前らはよくわかると思うが、』

後悔しない道なんて、この世のどこにもないんだ。
どんな道だろうと、どこへ行こうと、人は絶対に後悔する。どこへだってついて回る。

『常に選択の連続で、逃げることはできない。だから、後悔しないためにできることは、懸命に走ることだけだ。覚悟を決めて、これと譲らず、走ることだけ。後悔なんてものが生まれるのは、後ろを振り返った瞬間なのだから、振り返るまではどんな選択だって最高に正しいんだ』

あいつが正しいと言いたいんじゃないぞ、間違っても手本にするなよ。
でも、懸命に前を向け。解決策があると思うなら、何をおいてもそれに飛びつけ。

『後悔したくないのなら……この道を選ぶなら後悔しないと決めろ。それも含めて、覚悟しろ。ただそれだけの話だ』

クラサメはそう言って、これで言うことは終わりだと言わんばかりに言葉を切った。
0組もたっぷり沈黙していたが、それでも暫時の沈黙ののち、最初に席を立ったのはナインだった。

「……行かねぇとな」

「ナイン……」

「お前ぇらもそうだろ!ここまで言われて、黙ってここに残れんのかよ!」

「まあそんなことしたら殺されそうではある」

『おい』

「……覚悟を決めろ、か」

セブンが、いつになく重々しくつぶやいた。実は0組でも気弱な彼女が言うには、少し辛そうに思える。
近くにいたシンクが気遣わしげにその顔を覗き込む。が、セブンはそれに微笑みを返した。

「行こう。マザーのこともわからないし、正直不安でいっぱいだけど、でも……覚悟を決めるならこっちだろって、思うんだ」

「それは、たしかにそうだな。どうも、ホシヒメの言い方じゃ僕たちにしかできそうにない」

「さすがに誰かに代わりに行ってもらえないもんねぇ、アギトになる戦いなんて」

エイトが笑って、皆も口々に賛同する。
確かに、自分たちにしかできないことは、決まっている。
レムは無事だし、きっとクラサメとナツメが守ってくれる。大丈夫。

今ここにいないマキナのことは、懸命に口に出さないようにして、彼らは立ち上がる。

『……だが、ひとつだけ、考えを改めよう』

クラサメが、水をささない程度の声量で、静かに言う。
でもこころぎめを滲ませる強い声でもあった。

『お前たちは英雄かもしれないが、世界全ては背負わなくていい。私も、ナツメも、めいめいが背負えるだけ背負うから。お前たちは残りを受け持ってくれればいい。こちらはこちらで、もう覚悟を決めている』

安心して行って来い。
戻ってきたら朱雀が壊滅していたなんてことは、絶対にないから。

その声の確かな熱に、背中を押されて。蹴り飛ばされるような乱雑さだったと、自分たちの誇れる隊長のことを笑って話して。
ちゃっかりしっかり燃え上がって、彼らはホシヒメの元に向かう。

世界を守る戦いは、防戦一方で続いていく。
でもこれから彼らが挑むのは、世界を救う戦いだ。








長編分岐
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -