Act.49






北方の果て、空の彼方、闇の中にあってなお存在感を示す宮殿がある。
ナツメには赤い空の中に浮かぶそれがうっすらとだが見えていたし、問うてみればシュユも見えていると言った。堅牢豪華で禍々しく、選ばれた者しか入れない未踏の地。
けれどあそこに行くしかないんだとナツメは知っていた。他でもない、0組が。





血を透かしたような赤い霧雨が空気を湿らせる中、戦いは続いていた。
ナツメは魔導院前、ホールにて最終防衛の任についていた。とは言っても、誰が任じるものでもないのでただ自発的にクラサメがそうする隣で魔導院を守っているだけだ。たまに漏れて入ってくるルルサスをぶちのめしては、0組の中でも遠距離戦闘を続けている面々に依頼しファントマを回収してもらっている。

『軍令部より通達!軍令部より通達!正体不明の襲撃者あり、魔導院を包囲している!総員迎撃に当たること!襲撃者をこれよりルルサスと呼称する、全力を上げてこれを討て!!』

COMMからタチナミの声がする。最重要命令として繰り返し叫ばれるそれを聞きながら、ナツメは舌打ちをした。そして、それが終わるや否やナツメもまたCOMMを叩いて四課を呼ぶ。
が、応答がない。やはり後でガソリン流し込んで蒸し焼きにしてくれようか、ああでも昨夜からそのままなら9組寮にいるはずだなと思い直す。それではなかなか一網打尽とはいくまい。

「クラサメ、ルルサスの攻撃はファントマを欠損させる。一撃食らったらすぐ下がるように言って」

「ああ、わかった」

「……四課の連中を積み上げて壁にしてやりたい。いつまで寝てるの、腑抜け共……」

繰り返し仲間の殺戮を目論むナツメをよそに、クラサメはナツメが伝えた通り0組に伝令を出した。彼らの応える声を、ナツメも一つ一つ数えて安堵する。ちゃんと全員いる。マキナがいないだけ。もうずっと。
赤い雨は少しずつ躰に纏わりつくようで、徐々に身体を重くしていく。

「クラサメ、この雨はよくない。ルシが要になるんでもいいから、0組もだけど候補生を一旦下げさせて部隊を編成した方が……」

「そうだな。総力戦を挑むには早すぎる」

軍令部が一番、現実がわかっていない。誰かが現場の指揮を取らねばならないので、クラサメがそれを担うしかない状況だった。
候補生は0組と同様、動けるものは率先して前線に立ち、負傷者を回収して回っている。戦闘の切れ目がどこにもないので、下げるにしても、全員を下げたら戦線が一気に魔導院を囲い込んでしまう。

ナツメはクラサメに前線を見に行くと言い残し、0組やシュユが交戦中の地点へ向かって走り始めた。

そうしながらも、ナツメはCOMMを指先で叩き続けている。ずっと戦いっぱなし、0組も何も考えず適当に出撃させている状態が続くのはまずい。せめて補給だけでもする時間を作りたい。
戦闘だけならば、ナツメとシュユ、クラサメが代わりを務められる。そして重要なのは、“四課ならびに9組全員”の出撃。そこが満たせないと、誰も下げることができない。

『……ぉおーい、何だよ……朝から鬼電すんな……』

「ッナギ!!起きたな!?」

『っはい!な、何だよ!?』

「あんまり時間がない、頭が起きてなくてもいいからちゃんと聞け。可及的速やかに四課全員と9組全員を叩き起こし、戦闘準備を終えさせて外に出てこい!敵襲を受けてる、このままだと魔導院が危ない!」

『皇国がまだ諦めてなかったのか!?』

「違う、事態はもっとひどい……。だから四課の全員を連れてくるの。“全員”よ!下男まで含めて全員、戦場に出るときと同じ装備で引きずり出せ!!」

どうであれ、ナギはナツメの言葉を飲み込んだ。そしてそれから、こういうときばっかり見せる絶対の頼りがいを滲ませ、

『わかった。待ってろ』

と言った。
これだからナギは四課のボスなのだ。あんなんでも四課の現在最古参、四課最強の名をほしいままにする最終兵器。ひとたび戦場に出れば、課長より上等の決定権を持つ。

……まああとニ時間早く起きてさえくれればこんなに苛立ちはしないのだが、そこが結局ナギたる所以なのだろう。あの野郎。ナツメは内心舌打ちしつつ、それでもナギを待った。0組が呼ぶ救援依頼に応えながら。
ついでとばかり、シュユにもそれを手伝わせて戦う。が、ルシが戦ってさえ、全ての命は拾えない。

候補生の頭が、目の前で吹き飛ぶ。ああ、戦力が減っていく。
ナツメはそれを横目に見ながら、己にも注ぐルルサスの鎌を間一髪で躱した。舞う血飛沫に視界が奪われ、一瞬その次の反応が遅れる。続けざまの一撃を、通りがかりのシュユが神がかった速度で相殺した。

「まだ生きているな」

「ここがあの世じゃないなら、たぶん、そう」

シュユとすら軽口を叩くくらい、既に疲労が溜まっている。魔力はクリスタルのおかげで尽きこそしないのだが、それでも目減りしていく感覚が気持ち悪い。ルシでこれなら、0組は、クラサメは?
怖い。このままではいけない。ナツメは前方からやってくるルルサスを最大出力のファイア魔法で焼き尽くしながらシュユに視線をやった。

「シュユ卿、もう少し経ったら0組と候補生を可能な限り魔導院に下げます。協力して」

「何故」

「質問タイムは全部終わったらにして」

答えるつもりはないとばかりに言い放った直後、COMMが鳴る。

「なに?」

『お前、これ、何だこれ!?どういうことだこれ!?』

「説明する余裕ないしそもそも説明できるほどこっちも事態把握してないの!そこにファントマ回収部隊はいるよね!?」

『ファントマ回収部隊、って、そりゃあいるけど人前に出せねぇって!ファントマ回収も見られるわけには……ッ』

「言ってる場合じゃないでしょうが!あとでガタガタ言うやつ無報酬で全員殺してやるよ!いいからっ、回収部隊も集めたら呼びに来い!」

片っ端から各個撃破、ルルサスを消し飛ばす。でもどんなに消し炭にしても、灰の中から平然と戻ってくる。

ファントマを回収しないと殺せない。
一方で、ファントマ回収は魔導院でも0組と、四課の下男たちしかできない最重要機密事項の一つだ。詳細を知るだけで暗殺者が赴くほどの国家機密である。
クラサメもナツメも、ファントマが死体から調達できることは知っているが、採取の仕方は知らない。どうも、一朝一夕でできることではないのだそうだ。

だから、四課の下男たちが肝要になる。

彼らは下男といっても下働きという意味ではなく、正式には魔導院所属ですらない、命の保証などナツメより無い可哀想な連中だ。死体の転がる戦場をこそこそと駆けずり回りファントマを集めるのが仕事で、姿を見られたら処分され、流れ弾にあたっても放置される。入れ替わりも激しく、ナツメは彼らの“個”を認識してすらいない。そういう奴ら。四課で最も過酷な扱いを受ける者たち。

それでも今、0組に代わるのはそいつらだけだ。

「ナツメ!」

「遅いッ!」

「遅いも何も寝起きなんだよこちとらァ!つうか何だこれ、お前まさかこれ、酒セーブしろとかなんとか言ってたのこのためかよ!?」

「そういう話は生き延びてからでいいでしょうが、とりあえず四課集合!魔導院前に集めて!シュユ卿ちょっと五分ほどここ頼みます!」

「何故」

「だから後にしろっつってるだろうがぁぁ!」

執拗に理由を問うシュユを置き去りに、ナツメはナギの腕を引いて走る。ナギはそれに引きずられながらも、COMMを通じて四課に召集を掛け、戦闘行動の前に魔導院前に集合するよう命じる。
ルルサスの死体が蘇ろうとするのをなお叩き潰しながら二人、魔導院前まで戻った。叩き折られた朱雀像の周囲に四課員が勢揃いしていて、クラサメもいるのでなんとも言えない絵面になっている。

「ナツメ」

戻ってきたナツメにクラサメは目元を一瞬緩めた。心配させた、申し訳ないと思うのに、もう大丈夫とは言えないことが辛かった。

「クラサメ、ごめん。ちょっと待ってて」

「……無理はするなよ」

「するよ。生きて戻るためにね」

クラサメの腕に指先が触れた。ほんのわずかな接触、温度の交換。交錯する視線が滑らかに混じり、過ぎ去っていく。
それからナツメは四課員に向き直る。クラサメの足音が遠ざかっていくのを背中に聞いていた。

四課課員はナツメとナギを抜いて十四名。
9組にのみ所属する候補生は八名。
ファントマ回収部隊の下男たちは十一名。
武器庫と呼ばれる武器との接続魔法だけを保持した従卒が十名。

課長を除いて、これで四十五名。結構な大所帯だったんだなと、のんきなことを少しだけ考えた。戦争前から各国に潜入していた武官も多くあり、終戦に伴って戻ってきたばかりの者もいるようなので全員が揃っているのを見るのはこれが初めてだ。
そしておそらく、これが最後。誰が欠けるかなんてわからないけれど、少なくとも全員は戻ってこない。

「さっきナギにも聞かれたけど、何が起きているかはわかってない。ただ、あの化物……ルルサスっていうやつが侵攻してきていて、人間なら無差別に殺そうとしてくるのは事実」

ナツメは静かに、説明をした。
ルルサスの攻撃はファントマを破壊せしめるので、二撃受けたら死に至る可能性が高いこと。
一方ルルサスに堅さはないので殺すのは難しくないが、その後ファントマを抜かないと数分以内に蘇生されてしまうこと。
そして、魔力の自動回復が見込めない様子であること。道具も限られてくるので贅沢はできないこと。

「じゃあ0組か、俺たちじゃねえと対抗できねえってことか……」

「そういうこと。そして今、0組が出ずっぱりで戦ってる。空がこれなんで正確な時間はわからないけど、もうずっとなの。なんとかして補給と休息に戻らせないと、あの子達が倒れたらいよいよ終わりだから」

ナツメの説明を静かに聞いていた四課や9組が、されどと反論を始める。

「っつっても、ファントマ回収は見られちゃいけねぇルールだぞ……」

「候補生も苦戦してるんでしょう?そんなのわたしたちでなんとかできるの?何もかもが限られてるのに」

「できたとしても、終わった後で全員仲良く処刑されたらーあ……?」

ナギも懸念したことを誰ともなく言い出し、一瞬で空気が重くなる。これだけの窮地だ、皇国の朱雀侵攻の折ナツメがそうしたように逃げたがる気持ちの方が強いんだろう。
けれど、隣でナギは一度だけ肩をすくめると、一歩前に出た。そして突然、首のぽっきり折れた朱雀像に手を掛けて飛び上がり、その上に立ってしまう。

このとき、ナツメはただ、“何してんだあんたは”と思った。
一方多くの朱雀出身四課員ならびに9組ならびに以下数名、そして遠巻きに見ていたクラサメはあまりのことに硬直した。

そういえば。
ナツメは思い出す。魔導院に初めて来たあの日、朱雀像を指してかつての保護者の一人が言った。「あれは朱雀。ルブルムの守り神で、クリスタルに次ぐ国のシンボルね。国旗のモチーフにもなってるし……」そうそれからなんと言ったっけ、……「まあつまり、あれにいたずらとか、上に乗ったりとかすると、超不敬罪でとんでもないことになるから注意すること」。

ナツメにはそいういうの、よくわからないのだが、とたん朱雀生まれの四課の連中までもがわなわな震え「ああああのちょっとそれはやばいまずい」「降りて降りて誰か拭くやつ持ってきて」と慌てふためきだしたのでなかなかにとんでもないことをしているのだなということだけは察せた。

まあ確かに、戦いが始まってすぐ、朱雀像がぽっきりいった時はクラサメですら動揺していたくらいだから。重要なんだろう、朱雀民にとっては。

「うるっせえ黙れ!」

それでもナギが片手を振り上げて言えば従うほかなく、黙る。課長にも次ぐ発言権と随一の戦闘力を有するナギの命令に逆らう人間は、なんだかんだと四課にはいない。

「ナツメの話聞いてたなお前ら。ファントマ回収部隊を中心に、ここにいる人間を部隊として編成する。0組一人と同等の働きしろたぁ言わねぇ、ただ0組が下がっているあいだ間をもたせる努力をしろ。そんで、たぶんこれが最重要だが、各部隊の連携を密にしろ!ファントマ回収できるやつが死んだらその部隊は終わりだ、残ったやつは最寄りの部隊にすぐさま統合する!」

ナギは朱雀像の首が載っていたあたりに足を載せ、その瞬間四課からかどこからか「ああ〜……」という声がしたりしたが、それも綺麗に無視して話を続ける。

「これからでもなんとかファントマ回収できる人間を増やす画策はするつもりだが、一番大事なのはファントマ回収部隊だ。お前らがどうやら今となっちゃ、0組の次に大事な存在になっちまったらしい。そしてその周りにはりついて、回収部隊を守りながらルルサスとかいう化物と戦わなきゃなんねえ俺らも、価値は引き揚げられたと考えていい」

ナギが何を話すつもりかわからず、ナツメも顔を上げた。
そして、少し驚いた。その晴れやかな顔に。

「喜べお前ら!こいつは、初めて、“お前らが死んじゃならねぇ任務”だ!あのルルサスってやつらを一網打尽にするまで死ねない!直接魔導院を守る、初めての見せ場だ!他の誰にもできやしねえ、俺らにしか守れねえ初めての戦いだ!なあ他の誰にできるってんだ?俺たちを卑怯者と馬鹿にするあいつらに何ができる?表を堂々歩けるくせに不満ばっかり垂れ流す連中には何もできねぇんだ!いいか、俺たちだけだ……俺たちだけが、魔導院を今、守れる!その後のことなんて知ったこっちゃねえ、四課がどうなるかなんて構う余地ねぇよなあ!!?どうなったって構うもんかよ魔導院さえ守れたら俺たちの立場も変わるかもしれねえ、赦免だって思いのままだ!一度くらい、もう一度くらい大手振って表を歩きたいと思ったことがねぇなんて、んなスカした嘘言わせねぇぞ!!!」

晴れやかなのに……でも、どこか泣きそうにも思えて。そんな顔、ナツメだって見たことはなかった。

「何百年もの間、存在のはじめからずっと、四課が日陰者の鼻つまみ者だったのは!!捨て駒扱いされてきたのは!!全部、全部この日のためだったと思いやがれ!!!」

ナギがそう叫んだ、その直後だ。
ナツメの隣で咆哮めいた叫びが劈き、直後には黄色い悲鳴が上がった。えっ何?ナツメが他人事の温度で慄くのを置いて、四課は本日最高潮の盛り上がりを見せる。

「さすがナギの盛り上げ上手ーッ!ポイント押さえてるねッ」

「ここで死んだら男も女もそれ以外も廃りまくりだしな!」

「誰がそれ以外だゴルァ!?女と認めろアタシを!!」

「っつうか二日酔いなのに叫んじゃった、今死にそう、さようなら現世」

「赦免ちらつかせるのは卑怯だぜくそーっ」

「ボスーっナツメがものすごく他人事な顔してます!」

「なんだとうらぎりものめ!」

「ルシさまともなると他人事かこら!赦免だぞ!四課半壊の件忘れてやってもいいんだぞ!?」

「それは一応私の罪状じゃないじゃないの……忘れてくれるのはありがたいけど」

近くの課員にやんややんやと責められ揺さぶられるも、同調できないもんは仕方がないのでナツメはされるがままになる。しかしナギはそれを見下ろし、笑った。

「ま、お前は朱雀が必要としなくても生き延びる奴だもんな?」

「……そりゃあ、当然ね」

「じゃあお前に盛り上がる必要はねえってこった。クラサメさんと0組回収してこい、あとは任せろ」

ナギは手を伸ばした。ナツメはパシン、とその手のひらを叩いた。
タッチ、な。ナギの唇が、そう動く。

「でも、生きて帰れよ」

「お前こそ、生きて帰れよ」

無理かもしれないと思いながら、欺瞞に満ちたことを言った。ああ嫌だなと、ナツメは冷静な頭で思った。ナギがどんなに強くても、0組と並ぶわけじゃない。
よしんばナギが生き残れたとしても、他の四課はなおのこと弱い。きっと生き残れない。

決して思い出深い仲間たちではない。同じ釜の飯を食う、みたいな、それに類した経験も一切ない。愛してないし信じてないし、大事じゃない。それが四課。
それでも彼ら全員と顔を合わせるのは、きっと、これが最後。
感傷めいたことは言わなかった。思いもしない。だから、胸の内に宿るものは無視して、ただ戦いを選ぶ。



それから、魔導院のほうへ一度戻ったナツメはクラサメと二言三言話して、再度外へ向かった。二人で連携して0組の回収に当たる。前線をそのまま四課に引き継ぐのは簡単なことではなく、いくらかルルサスを殺し、死に体の候補生を可能な限り助けた。しかしそれでも、0組を下げる過程で前線は魔導院側に押されてしまった。勢いが増している。

「少しは戦闘慣れしたつもりでいたの」

「……いつ」

戦闘の合間に落とされたナツメの言葉にクラサメは俄に怪訝な顔をした。ナツメの戦いぶりは未だに候補生と並ぶかどうかといったところだった。そりゃあ訓練生よりはマシだろうが、クラサメの目から見れば児戯も同然。時々はっとするような反射神経を発揮するものの、時々では意味がないというのがクラサメの考え方だ。それは当然だ。どんな技能だって、“いついかなるときも確実に成功しなければ”価値などないのだ。

「ビッグブリッジ、大変だったし少しは強くなれたかと……」

「場当たり的に戦いをこなせば強くなれるというものじゃない」

「はいはい私は弱いですっ」

潔く情けないことを言い放ちながら、ナツメはアラウド魔法を使ってルルサスを散らした。ちょうど一人で戦っていたエースとやっと合流し、すぐ魔導院へ戻るように伝える。エースは体中擦りむいて、肩で息をしていた。
ここまでぼろぼろの彼を初めて見た……。ナツメは僅かにたじろぎながらも、慌ててケアルを使う。いくらかの傷は治せたが、全てではなかった。彼の荒い息はそのままだし、赤黒いような顔色も変わらない。

「隊長、ナツメ、レムがいない……」

エースが掠れた声で言う。ナツメははっとして、COMMをもう一度叩き、今度は0組に交信を出した。

「レムを見た人いる!?」

『う……アタシは見てないよ……』

『俺もだ』

『僕も……』

「誰もいないのね!?」

ナツメとクラサメははっと顔を見合わせた。そしてそれから、互いの思考を完全に読みあった上で、ナツメが先に「私が!」と叫ぶように言った。

「魔力が回復しないいま、私の方がスタミナはあるでしょう!弱くても!」

「しかし、レムを見つけたとして、自力で動ける状況かわからないんだ!お前が戦いながら運ぶことなんてできるのか!?」

「だからこそだよ。言っておくけどね、私はね、いくら戦場だろうとあなたが他の女子抱き上げてるところなんて死んでも見たくないんですからね。たとえ候補生で、自分の生徒でも」

とたんクラサメが見せた顔を一生覚えておこうと思った。何を言っているんだこいつは、そういう顔。見開いた緑の目、皺のない眉間。

「ほら早く!エースを運んで、他のみんなの撤退も頼んだからね!」

「……なあちょっと、僕を挟んで惚気は勘弁してくれないか……」

「はっ!?おい、待てナツメ、おい待てナツメ!!」

背後で呼ぶ声を無視して、ナツメは走り出す。四課課員が0組と交替を始める頃だろうから、発見した人間がいるかもしれない。ファイアボムを身体の周囲に纏わせてルルサスを攻撃しつつ、走りながら同時詠唱でアラウドを上空に打ち上げる。COMMを叩いて、今度は四課に声をかけた。

「四課、生きてる?0組の一時撤退は完了した?」

『こっちは済んだ!』

『戦闘中だちょっと待て!』

『あんだよナツメ今の白い火、お前か?』

「そう。それで聞きたい、レムを見たやついない!?見つからないの!」

ナツメが周囲に視線を配り、撤退していく候補生の背中を容赦なく狙うルルサスを爆破させながら叫ぶ。と、ノイズが激しい中で、ようやっと聞こえた声があった。

『ナツメ……!こっちだ、レムならここに……』

「見つけたのね!?そこから見て、私の魔法はどっちに見える!?」

『し…………西……だ……!』

四課課員の声がして、ナツメは慌てて東に向き直る。魔導院から放射線状にばらけているはずなので、脳内で地図を描きおおよその地点座標をイメージした。
走り出す。思うように進めない。足がそろそろ重くなってくるし、ルルサスはまるで減らないし、血の臭いが戦場の比じゃなかった。硝煙がないから、血の臭いしかないんだと、どうでもいいことに気が付いた。

二つ曲がり角を過ぎて、死体を二十は見た。そして、ニ十一だかニ十二体目の死体の顔が知ったものだったので。
一瞬だけ、足を止めた。

「……」

それは、昔同じクラスだった男だった。0組副隊長になったばかりの頃、クリスタリウムで絡んできたやつだ。4組の、名前はもう思い出せない。
ただ怖くなった。ナツメにとってもうどうでもいいこの男のように、レムも倒れ伏していたら?さっきまでは、エースとクラサメがレムを覚えていたから確実に生きていた。でも今は?クリスタルの加護の一歩外にいるナツメに忘却はもうやってこないんだから、もうわからない。

この、重い足がやっと辿り着く頃に、もうレムがいなかったら。
マキナはどうなってしまうんだろう。

彼の目を思い出していた。殺気を滲ませ、ナツメを見た。
クラサメを奪われた過去の記憶の中のナツメがそうだったように、同じようにマキナはきっと狂っていく。

坂道を転げるように走り抜け、交戦の音を聞く。飛び出した先で四課員に鎌を振り下ろそうとするルルサスを、ナツメはサンダガで一気に散らした。飛び交う怒号と、各種様々の魔法の雨。

「レムはいる!?」

「あっ、ああ、ああ、いるよ……!」

ナツメが助けたのは9組の候補生だった。純正の四課で、諜報能力は高いが戦闘力は高くない。ナツメが目の前で散らしたルルサスを、傍らの下男がファントマを抜き取って殺す。「なあこれもしや、稼ぎ時?」なんて間抜けなことを言っている。売りに抜ける度胸があるならたしかに稼ぎ時かもしれないが。

その背後、彼らが庇っているのは、虫の息の候補生たちだ。その中に倒れ込むようにして、否それらを守るようにして、レムがいた。見えているかも怪しい焦点の合わない目で虚空を睨み、敵がまだいるかもわからないのか候補生たちを背後に抱え込むようにして守っている。己の身を盾にして。

「レム……ッ」

レムの傍らに膝をつく。ナツメの声が聞こえたのか、レムはゆっくり顔を上げ、ナツメを探すようなそぶりを見せた。耳は聞こえているらしい。
ナツメは彼女の手を取り、ぎゅっと握る。それで隣にいることがわかったようで、「ふくたいちょう」と彼女は呟いた。

「大丈夫よ。もう大丈夫だからね」

よかった、生きている。レムのためかマキナのためか、それとも自分のためかもわからずナツメはひどく安堵した。
ナツメはレムに手を貸し、立ち上がらせる。歩けるかと聞いたら頷こうとしてかくりと首をもたれさせてしまったので、こりゃ無理だなと判断した。すぐ無理をする子だ、と内心苦笑しつつ、ナツメは彼女を背負った。
鍛えていない自覚があるので、全力疾走はできないなと素直に認めるほかなかった。でも我儘も言ってられないな、みんな限界を越えて戦っている。

「ねえ、ちょっと!前線が下がってもいいからこの死に体連中をすこしずつ魔導院に運んで!」

「ああ!?包囲がキツくなるぞ!?」

「それは後から私がもう一回来て、吹き飛ばすから」

ナツメがそう言うと、9組の彼は驚いた顔をして見せた。なによと問えば、いや、うんと妙に歯切れ悪く言う。

「お前が誰かを背負って前線を走るとか、他の候補生を助けるためにまた戻ってくるとか。聞いたこともねー、から」

「それは……そうでしょうね。まあ、世界の危機に瀕すれば私もちょっとは善人に近づくのよ」

「嘘つくなや気持ち悪い」

オエッと言わんばかりの顔をしながら、彼はルルサスとの戦闘に戻っていく。ああもう好き勝手言いやがってと内心苦笑して、まあいいか全部今までのナツメの歴史が与える印象なんだからと諦めて。
だって実際、彼の感想は事実だ。ナツメが守りたいのは人間じゃなくて、世界という容れ物だった。この中でしか息ができないのなら、何と引き換えても守り抜かなきゃいけない。

「……でも、でもね、」

それでもレムのことを守りたいと思ったのは本当だった。マキナがここにいないなら、ナツメが彼女を守らなきゃ。
ぐったりと身体を預けてくる体温を守るために、ナツメはふらつきながらも走り出した。

「クラサメ、クラサメ聞こえる?」

『ナツメ!?レムは無事か!?』

「大丈夫、見つけた。すぐ戻る」

魔導院に戻る寸前、ナツメは空を睨む。
真っ赤なその世界の果てを探すようにして、懸命にルシに向けて声を上げた。クリスタルの中を響かせるようにして、ルシはなんとなくの意思の疎通を図ることができる。

――頼むから。助けに来て。世界を救うから。

「クラサメ、どこかで上手い区切りを見つけて、0組を完全撤退させてほしいの。四課に引き継がせるようにするから」

虚空に溶けた願いの末を見送って、ナツメはレムを抱え直す。
まだここからだ。一歩一歩踏みしめて、死体を積み重ねていくほかない。

死んだ命を振り返ることもなく、ナツメは次の一歩を踏み出した。







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