Act.46




戦争が終わった。
一年に及ぶ戦いは、この世界に数多あった戦争の中では短い部類に入るかもしれない。それでもなんだかすごく時間が経ったような気がするねと言うと、隣の彼もまた、そうだなと返した。
いろんなことがあった。
それでも、戦争は終わった。



彼らは、0組は、興奮冷めやらぬ中での帰投を行った。
ナツメもそれに続いた。クラサメも隣にいた。
飛空艇に乗って、残留白虎兵の攻撃には警戒を続けながらもゆっくりと魔導院に戻っていく。0組は疲れ果て、ひとしきり騒いだ後は疲れ切ってしまったようで、糸が切れたみたいに何人かが飛空艇の床に転がり眠りについていた。

ナツメは心がざわついてどうしようもなく、クラサメの近くで沈黙を続けていた。一秒一秒災厄が近づく気配を感じながらも、このまま何も起きないのかもしれないと同時に思う。
何も起きなければ、全て懸念で終わる。どうかそうあるよう、ナツメは虚空を睨む。

「……副隊長?どうしたんだ」

「なんでもないわ」

「なんでもない、って顔じゃないと思うけど」

セブンが気遣わしげに問うのを、ナツメはゆっくり首を横に振って否定を返す。セブンは片眉を上げてナツメの答えを更に否定したが、それ以上重ねて問うこともなかった。

狭くない飛空艇の中は今、安堵で満ちている。戻ってゆっくり休みたい、みんなそれだけ考えている。それをできるだけ邪魔したくなかった。
それにあんなの、ただの悪夢かもしれないし。それか白昼夢。……白昼夢の悪夢とか?
だめだわからなくなってきた。ナツメは落ち込む。

「……はあ」

「本当にどうしたんだ?少し変だ」

「……どう話せばいいかわからないのよ」

クラサメまでもが、声を落として囁くように聞くので、ナツメはとうとう暗に肯定を示す答えを返した。ああ、そうだ。自分は少し、いやとても変だ。
けれどどうしようもない。クラサメだって、いくらなんでも信じてくれないだろう。それに……伝えたところでどうなるんだ?あの世界はどうやって打ち破るのが正解なんだ?
赤い空は、海は、恐ろしい化物たちは。ナツメに何ができて、クラサメに何ができるんだ?……そして、できることの中に、“生き残ること”は含まれているのか?

結局のところ、それが不安なのだ。ナツメはどこまでいっても利己的で、自分の人生が変わらず保持されることだけを祈っている。

飛空艇が、魔導院近くに至る。飛空艇発着所は大混雑していたが、0組の凱旋は最優先された。飛空艇のタラップを彼らが降りる度、外から歓声があがるのが聞こえている。

「外、騒がしいね」

「0組は英雄になったな」

「……女王暗殺直後のあの冷え切った空気覚えてる?」

「ああ。……言いたいことはわかるが、そういうものだ」

ナツメが肩を竦めて言うと、クラサメはそれを諌めた。誰しもが自分を守ろうとしていて、家族や仲間を守ろうとしているから、あれは仕方がなかった。クラサメの言うとおりだ。
ナツメだってわからないわけじゃない。ただ、ああいう連中が嫌いなだけ。何もできないその他大勢なら、口も開かなければいいのに、なんて。
そこまでは思っていないにしても、クラサメも似た感想なんだろう。そうじゃなかったら眉間に皺は刻まれていなかったはず。

歓声が収まったのを待ってから、ナツメはそろそろと飛空艇を出た。魔導院の方へ凱旋した0組たちを追って、騒いでいた候補生や訓練生、従卒もほぼいなくなっていた。
ナツメもクラサメも、うるさいのは嫌いだし、賞賛は0組のためのもの、と意見が一致していた。だから、静かになるのを待っていたのだ。

「大丈夫そう。行こう」

「ああ」

魔導院が大騒ぎになるから、きっとクラサメは大変だろう。0組だってさすがに羽目をはずすだろうし、見張っていないといけないだろうから。
ナツメもナギや四課がかつてないほど興奮して暴れまわるだろうから、傍にいないと。放っておくと、多分死人が出る。普段だって四課の酒宴では、、急性アルコール中毒を引き起こすバカが大概二人は出るというのに。

0組を追って教室に向かおうとするクラサメの背中をナツメはしばらく見ていたが、思い至って彼を呼ぶ。

「クラサメ!」

「ん?どうした?」

彼は振り返る。少し、表情から険が取れている気がした。ここ最近、戦争の激化以降ずっと気鬱そうだったから、ナツメは嬉しい。

「夜、あなたの部屋に帰るね」

だから、一緒にいてね。
そんなことをわざわざ乞うナツメに怪訝な顔をしながら、クラサメはうなずき再度魔導院の方へ歩き出した。約束は、果たすまでの命を保証しようとしているみたいだなと、ナツメは他人事のように感想を抱いた。


肩を竦めたナツメが空を見上げたときだった。果てより滑空する赤い光を見た。
シュユだった。

彼はナツメの隣に着地すると、あの温度のない目でナツメを見下ろした。

「何をうなだれている」

「……あの世界は、いつくるの?」

「おそらく、次の夜明け」

「あなたはずっと知ってた?」

「ルシの記憶には断続性がある」

「世界を跨いでまで続くなんてすごいのね」

ナツメもまた温度の無い感嘆を漏らすと、シュユはわずかに首を傾げてみせた。

「……その表現は語弊がある。世界は別のなにかにとって変わられたのではない。全ての始まり、この世界が存在して以降、一度として連続性は失われていない」

「ああ……そういえばドクターが、世界を“巻き戻す”と言ってた。つまり……この世界は、変わらずずっと続いているのね?何度もあの赤い夜を経て、巻き戻っている……?」

「そういうことだ。回帰点を作成、起点として扱い連鎖が成立している」

「……じゃあ、私たちは……ひたすら、ずっと……あの夜を越えられずにいるの?」

赤い闇が来る。
視界の裏を一瞬覆っただけのあんな世界、ナツメはもう正確には思い出せない。赤い空、黒い大地しか思い出せないのだ。

俯き黙り込んだナツメに、シュユはもう語る意味はないとでも言わんばかりに、しれっと踵を返した。


夕陽が落ちていくのを遠くに見ていた。風が冷たい。ミリテスから、血と硝煙の臭いを載せて北風が吹く。
戦争が終わるなら、きっとこの臭いはいずれ薄れ、ナツメは安堵するんだろうに。
でもシュユの言ったことが事実であるならば。



背後で二つ、靴音が鳴る。
無人のはずの飛空艇発着所だ。ナツメは飛空艇を降りてきて、以降飛空艇は現れていないのだから、いるはずもない人影だ。
ナツメは振り返る。そこには二人、たしかに人間がいた。

一瞬朱雀軍の軍兵かと思った。朱雀軍のコートを着ていたからだ。
けれど、下に着ているのはどうも軍服には見えない。候補生の制服に似ているような気がする。どうもちぐはぐだ。
戦争集結直後にそんな格好をしている兵士などいるわけがない。

「あなたたちは……」

ナツメがわずかに警戒を強めたのは、彼らが朱雀軍のコートを死体から剥ぎ取り潜入してきた敵兵である可能性を懸念したからだ。だが、彼らはナツメにそれ以上近づくこともなく、攻撃しようとはしていないようだった。
目深にかぶったフードが顔を隠しているのでよく見えなかったが、身体の線や身長から見るにどうも男女の二人組らしく、男の方がわずかに高い背を屈めて傍らの少女に何事か囁いていた。

「……だって、絶対……」

「でも確証が……理由も……」

挙句二人してちらちらこちらを見ながら何やら内緒話を始めた。当然いい気分ではない。

「ちょっと、何なの?どこから来たの」

しびれを切らして問うと、二人はこそこそ話すのをやめ、ゆっくりとこちらへ歩き始めた。

「こんばんは、先生」

「はじめまして」

男はナツメを先生と呼び、女ははじめましてと言った。
聞いたことのない声だ。二人とも、知らない人間だ。つまり先生だのと呼ばれる所以はなく、間違いなく“はじめまして”だろう。

「あなたたちは誰?」

「此度の輪廻には役を与えられていない者です。今日は、ジョーカーが会いたいというので来たの」

「……?」

「ティス、そこまで端折ったらオレ以外の誰にもわかんねーって」

「最初から説明したところで、結局理解には至らないと思うもの」

「そうかもしれねえけど」

「何度も繰り返す世界の説明なんて、誰も信じない」

ティスと呼ばれた少女が、鈴の音を鳴らすみたいな清涼な声で告げた話が、ドクターに聞いたものとよく似ていたので。
ナツメは顔を顰めながら、問い返す。

「此度の輪廻と言ったわね。世界が繰り返してるって話をしてくれるつもりなら、聞くけど」

「……!」

僅かに覗く口元だけでも、彼女が驚いたことがわかった。
ティスは暫し沈黙した後、台本でも読み上げているかのようにすらすらと喋り始めた。

「あの人は、世界を紡ぎ、アギトを探している。詳しくは私も知らない。ともかくそのために、もう六億回以上世界を繰り返しているの。私も最初、0組にいた。けれど不要と判断されて、最初に切り捨てられた。そこからはさまよい続けて、そのうち、世界が繰り返されても記憶を保てるようになったの。そして、みんなの代替となりうるジョーカーと一緒に、みんなを見てきた」

「その中で、先生を見つけたんだ」

「えっと……」

意味がわからないし納得もできなかったが、とりあえず飲み込んだ。世界が繰り返している、そこで躓いていたらきっと話が進まない。
少なくともこの少女は、この二人は、世界の繰り返しとやらの中で記憶を保持している。話の通じるルシと思って差し支えなさそうだ。

「……じゃあ、その“先生”っていうの、何?」

「だって先生なんだろ?0組の。オレもこととしだいによっちゃ0組だし、先生って呼ぶのが正しいんじゃ?」

「こととしだいって……それも理解できないわ。それに私は副隊長だし、0組に教えるようなことなんにもないからなんとも」

「そうなのか?……でもオレ、あんたのこと知ってる気がするんだ。あんたに何度か、何かを、教えてもらったような気がするんだ。会ったことないはずなのに」

「不思議なの。私の記録にあなたの名前は一度も出てこないし、実際覚えてもいない。なのにどうしてか、あなたからは懐かしい匂いを感じる。だからずっと見ていたけど、やっぱりあなたを思い出せない」

「……よくわからないわ」

そう言いながら、ナツメはドクターの言葉を思い出していた。

――ナツメがルシになるのも、そもそも存在するのも初めて。これまで、ナツメは一度も存在しなかった。

――六億以上もの命を、ナツメは何に使ったか?

「私は存在しなかったって、ドクターは言ってた。六億の命を何に使ったんだって、そう言ってたわ」

「……それは変だな。この世界は繰り返しだから、性格や居場所が変わることはころころあるけど最初から存在しないなんてことは起こらないはずだ」

ドクターにも同じことを言われたのを思い出して、ナツメは深く俯いた。そんなことを言われても、ナツメは他の世界の記憶なんてないのだ。シュユとも、この二人とも違う。

「ドクターに聞けば、詳しいことわかるのかな……」

「無理だろ。あの人はそんな細かいところは気にしていない。神のことしか、考えてないんだ」

ジョーカーの口ぶりは、どうも怒りや恨みを孕んだもののように思った。ドクターには何か複雑な思いがありそうだ。

「母様が言うなら、間違いはないと思うけど……どうであれ、本当のことを探るのは難しい。過去の世界に戻るわけにもいかないのだから。だから、いま、あなたという人がここにいることを、ただ受け止めるしかない」

「……あなたがたにとってどうであれ、私は普通に受け止めてるよ。生きてるんだから」

「そりゃそうだ。あっはっは」

ジョーカーが楽しそうに笑い、肩をすくめる。こちらは楽しくもなんともないのだが。

「ともかく、母様がそう言っていたということがわかっただけでも、収穫でした。ありがとう、■■■■■■・■■■■■■さん」

「……は?い……今、なんて呼んだの」

「それが真名でしょう?」

ティスは、まるで当然のことのようにそう言った。そのことに硬直する、ナツメのことなどもうどうでもいいといった様子で二人、仲良く踵を返す。

「それじゃあ、さよなら先生」

「私たち、行かなくちゃ」

「ちょっ、待っ……!」

ナツメが慌てて手を伸ばす、その刹那。
風が吹いた。白虎から吹く、血生臭い冷たい突風。
それがナツメの視界を一瞬奪ったそののちに、人影は果たしてナツメひとつになっていた。

「ティス……ジョーカー……?」

心臓がいやな強さで、どくどくと高く鳴っている。迷子になったと気付いてしまった幼子のようだ。
もっと聞かなければならないことがあった気がした。けれどもうそこに二人はいなかったし、何より聞いたところで何にもならない話だとも思った。

「真名が……あるのか、私には……」

ナツメという名は親が刻んだものではなかったから、真名ではないといえばそうなのだろう。ドクターもそんなようなことを言っていた気がする。
そんなこと、考えたこともなかった。名前などどうでもよかった。自分が何者であるかなど、考えたこともなかったように思う。

――あなたは、“今回まで一度も存在しなかった”。

ドクターの言葉があって初めて、ナツメは己のことを考えた。
これまでなんら興味もなかったことを、初めて……。

「おーい!ナツメ、お前そこで何やってんだー?」

「……ナギ」

「クラサメさんとっくに戻ってきてんのにお前が来ねぇからどうかしたのかと思ったぜ。どうした?魔導院はじけまくってんぞ、飲めや歌えやだぞ」

「戻りたくなくなったわねぇ……うるさいの嫌いだわ」

「そうくると思ったぜ。ま、俺らは四課監督してねぇと、死人が出るだろ?いかねえと」

「もう誰か死んでたらどうする?」

「笑えねぇ笑えねぇ」

そんなこと言いながら笑って、ナギはナツメを連れ立って歩き始める。その背中を見ながら、ナツメはふと気になって、聞いた。

「ねえナギ、ナギは一人っ子?ミナツチ家ってまだあんの?」

問われたナギは足を止め、ずばっと空気を裂いて振り返る。

「……はっ!?」

「何その顔」

ナギは顎が外れそうなくらいに口を開き、溢れ落とさん限りに目を見開いてナツメをわなわな見下ろしていた。初めて見るナギのおそろしい変顔にナツメも戸惑い、びびる。

「だってお前、おま、おれ、五年だよ!?お前と知り合ってもう五年!たつのに!いやそろそろ六年になるのに!?初めてだからな!?お前が俺に個人的なこと聞いたの!!」

「ええ、そうだっけ?……いや、身長伸びた?って聞いたことあるよ」

「それは俺が177センチから178センチに伸びたときの話だよな。クラサメさんの身長を越してしまった時だけだよな。今思うとお前こわくない?なんで一センチの変化に気付いたんだよ……」

「そんな昔の話はもう忘れなさいよ」

「これ去年の話なんですけどね!?割りと最近だよ!」

ナギはヘアバンドを外し、自分の髪をぐしゃぐしゃと引っ掻き回しながら言った。

「……で、あんたの事情は話すの?話さないの?」

「別段秘密じゃねーから話すけども……ミナツチ家はまだあるよ、普通にある。俺は確かに一人っ子です、はい」

ナツメにも察せるぐらい、家庭のことを話すナギの顔は複雑そうに歪んでいたものの、意味を還元させナギはあくまで端的に述べた。

「そう。じゃ、家族はいるのね、なんとなくだけど、ナギは天涯孤独みたいなもんだと思ってたわ」

「そいつぁどういうことだ?シングル感が溢れてるって言いたいのかよ?」

「まあ……そんな感じ」

「悲劇的だな俺の人生……」

がっくりと落ちた肩を叩き、ナツメは笑って魔導院へ続く道を歩く。飛空艇発着所を出ればもう朱雀軍の兵士がそこらでうようよ大騒ぎをしているし、闇が深くなる夕暮れの空に光がいくつも伸びているのがわかる。いろんな街で、いろんな人達が戦争終結を祝っているのだろう。

「私たちはそう簡単にはいかないわね」

「ま、スパイってのは大概、戦後に一番ひどい目に遭うもんだからな」

「あれ、祝ってる場合かしらね四課……」

「考えることを拒否してんだよ。ま、今日だけ今日だけ」

ナギがそうして、変わらず笑うので。
ナツメも同じセリフを自分の心に言い聞かせ、9組寮へ向かうのだった。







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