Act.45





カトル・バシュタールという男は、元々皇位継承権を持って生まれた。
皇帝が斃れ、シド・オールスタインという男が代わりに国を統治し始めるまで、彼は皇国でも有力な時期皇帝候補としてその名を知られていた。継承権は重要だが、結局のところは支持がなければ皇国という体制は維持できない。その点、すでに軍で立場を得ていたカトルは優位に立っていたと言っていい。

そしてその事実は、カトルに一つの啓示として、責任を与え続けた。
カトルを信じる者たちを、公民どちらに関わらず、カトルの持ちうる全ての力をもって守るということ。
言葉にすれば簡単だ。全ての軍人が、国民が思うべきことだ。それでも実行し続けるのは容易ではない。それがあまりにも難しいから、皇帝は斃れたし、国は揺らいだ。

カトルは、揺らがない。
いついかなるときも決定は全て、国のために。
正解がどれだかわからなくても。いつだってそうしてきた。
シドが国を掌握した時にも、彼は沈黙を守った。そのことが国のためになると思ったからだ。多くの貴族が粛清の煽りを受けても、その中に友人がいても、ただ静かに見ているだけだった。
国を守りたかったからだ。

今もそうだ。
小型飛空艇で飛び立ってから、己の機体に指示した覚えのないアルテマ弾が搭載されていることに気付いてしまったカトルは、即座に選択した。

爆発するなら、出来る限り遠い地点であるべきだと。燃料は残り少ない、遠くまで飛んで行くことなどできないし、何より朱雀軍に捕捉され、撃ち落とされる可能性が高い。説明なんてしている時間もない。
ルブルムがミリテスの街を戦火から守ってくれる可能性なんて、期待する気にもなれない。投降なんぞ意味をなすまい。それぐらい、泥沼になりすぎた。

カトルは気付いている。ミリテスは些か、やりすぎた。
最初から、ずっと知っていた。

「……ふ、」

ずっと知っていた。それなのにカトルは止めようとも思わなかったのだから、この結果も必然なのだ。
速度を最大まで上げて、風より速くなる。上向きに空へと向かっていく機体は、しかして重力を受け少しずつ重たくなっていく。速度がほんの少しずつ削り取られるように減っていくのを肌で感じた。

「ふ、くくく……」

カトルは死を迎えるまでの僅かな時間、初めて自由を感じた。
なんだか笑えてくる。全てを懸けて挑んだ戦争だった。皇国の全てを守るための、他の全てを食い破るための戦争だった。
その結果が、これだ。
何を得られた?何を守れた?何を奪おうとして、何を手に入れたのだ。あれだけ殺して、殺されて、何の意味があったんだ?

笑わずして、どうする。

「……?」

そう思ったときだった。カトルは不意に、それに気がついた。
視界の端、飛空艇とほぼ同じ……否、ほんの少し速い速度で、何かが向かってくる。
赤い光の正体に気付いたのは、数瞬の後。
朱雀のルシ、シュユが飛空艇と並走するように、凄まじい速度で上昇していた。

なぜ。
そう思うより早く、シュユはカトルを見た。そして、鋼鉄より強固な特殊加工アクリルの正面窓を片手一本で叩き割り、そのまま手を伸ばしてカトルの首根っこを掴んだ。

シートベルトが引きちぎれる音がして、直後、彼の世界は一瞬暗転することとなる。






ナツメとクラサメは、0組の子どもたちと合流し、ミリテス陥落の報を待っていた。
彼らは大きな怪我もなく、みな一様に全員でこの日を迎えたことを喜んでいた。ナツメもここにいられて嬉しかったけれど、それ以上に不安もあった。シュユは妙にあっさりとナツメの要望に答え、無言で飛び去っていった。ナツメの言葉を理解しているのかさえよくわからない。ルシ同士は言葉が少なくともなんとなく意思の疎通が図れるのだが、今回ばかりはあまりうまくいかなかった気がする。ちゃんと伝わった気がしない。

さてどうなるかな。
ナツメは空を見上げ、天啓を待った。その時。

空で、光が爆ぜた。

「!!?」

「ナツメ!」

クラサメがナツメを庇うように腕の中に引く。その光はただの爆弾が放つものとは比べ物にならないほど鋭く、遠くまで届いた。
轟音は思ったよりすぐ収まり、ナツメはクラサメの腕の中を出て、光の残滓を追うようにふらふらと歩いた。まさかシュユがしくじった?ナツメには記憶の消失がもう無いので、生存を確かめることができない。

と、爆発が生み出した黒煙の影を作る雲の中から、飛び出してくるものがあった。
人間の姿だと、すぐにわかった。

「……ちょっ、うそ」

「ナツメ?」

人影は毎秒大きさを増すように、こちらへぐんぐん迫ってくる。自由落下の加速度は一定で、正比例の角度で速度を向上させていく。
シュユが何をしたのか、わかった。
飛空艇に突っ込んだ腕で、掴んで引きずり出して、投げ落とした。そういう単調な作業を行ったのだ。
ナツメが望む結果を得る、それに関しちゃ間違ってないが、アフターサービスゼロである。

自由落下のベクトルの計算式を思い出している暇はなかった。
どれほどの重さであるとか、そんなもの止めようとしたらどうなるかとか、そんなこと。

「エアロガ!!」

とっさにナツメは風魔法を放つ。落ちてきたそれを渦の中央にするように竜巻が発生し、速度が緩む。だがそれも所詮、焼け石に水。空中で一旦止まろうが、それでも無防備な状態で上空から落ちてくることに変わりはないのだ。
なんとか着地点に近づくため、ナツメは走る。「おいナツメ!!」背後からクラサメが名を叫ぶ。

ビルの屋上が終わる最後の一歩、ナツメは縁の柵に捕まって必死に手を伸ばす。
落ちてきた、カトル・バシュタールと目があった。

――ああもう!!

ナツメは内心叫びながら、伸ばした手を更に前へ。
間に合え!!

祈る間もなく、ただただ指先がすんでのところでカトルの片腕を捕らえる。ナツメはまず、後悔した。

ナツメの体重はこのさい考慮しないとしても、きっちり鍛えている成人男性の肉体が空高くから降ってくる。上から下へ、重力にまかせた自由落下がカトルの重さを数倍に跳ね上げる。
そのさなかに、真横から伸びたナツメの腕。カトルの身体を捕まえるにはあまりにも頼りなさすぎ、最も弱い関節が反対方向に捩じ切れる可能性すらあった。
だからそれは不運だったのかそれとも幸運だったのか。ビルの屋上の柵は白虎の湿潤な気候に耐えかねたのだろう、かなり傷んでいた。カトルの体重までもを受け止める耐久力など既になく、ナツメの身体がカトルに引きずられるがまま歪み、ひしゃげ、果ては潰れた。

「ああッ……!」

身体が傾くにつれ、目線も落ちていく。地面が視界に入った瞬間、ナツメはとうとう死を覚悟した。ああちくしょう、今からでも手を離せば。もう離すべきだ!
そう思ったときにはもう、十二分に遅い。

私まで、落ちるっ……!!

一瞬でそう覚悟したナツメの身体を引き戻したのは、やはりというべきかクラサメだった。

「ぐっ……!!」

「ひゅ、ぅぎっ」

ナツメは、前後から与えられる衝撃に肺が潰れるかと思った。しかし運良く、死にはしなかった。
されどナツメに引っ張られたカトルは、振り子のようにビルの壁面に叩きつけられる。人の骨を折るときの、形容し難い鈍い音がして、カトルが低く唸る。

全身を襲った衝撃のためにしばらく動けなかったナツメだが、クラサメがナツメに手を貸し、カトルを引っ張り上げたことでようやっと屋上の床に転がった。同時にカトルもまた床に転げ、虫の息に獣じみた吐息を混じらせた。
ナツメはすぐさま、ケアルガを唱える。本来詠唱に時間のかかる最大魔法も、ルシの手の中では容易い。カトルだけでなくクラサメまでもを包み、緑の光が傷を治療した。
そしてそのことで、クラサメもまた負傷したことを知る。自分がカトルなんぞ助けようとしたために巻き込んだ、そうわかってしまってつい顔が歪む。

「クラサメ、クラサメ、大丈夫?」

「ああ、問題ない。それより……」

クラサメの怜悧な緑色の目がカトルを捉える。カトルはなんとか己の姿勢を立て直し、必死に息をしていた。数秒前まで死ぬ寸前という有り様だった彼は、仰臥した身体をなんとかひっくり返して、自力で起き上がろうと藻掻いていた。

「カトル・バシュタール……」

「隊長!ナツメ!大丈夫か!?」

クラサメが敵の名をつぶやくと同時に、セブンが慌てて駆け込んでくる。それに続いて、0組が到達し、カトルに対して警戒を露わにした。
しかしナツメは首を振り、彼らにやめるよう示す。飛空艇にも乗っていない、ただでさえズタボロのカトルなんざ今ここにいる誰の敵にもなりはしない。警戒する必要などなかった。

立ち上がり、カトルの傍に歩を進めたナツメは、彼に手を貸す。カトルは案外躊躇いなくその手を取って立ち上がる。

「……なぜ」

カトルは逡巡を目元に滲ませ、0組やクラサメもまた見据えて言う。

「なぜ、助けた」

腹の底から絞り出すような声はわずかに耳障りだった。ナツメはカトルの手を振りほどき、浅くため息を吐く。

「助かるかどうかはこの後決まることよ。あんたの態度如何によっちゃこれから殺しても同じことでしょ」

「長話をする余裕はないだろう。なぜ助けたのかだけ言え」

今まさに死にかけていたカトルは、疲弊しきっているように見えた。ナツメはクラサメを振り返り、暫時沈黙。訝しむ視線に一度首を横に振ってから、カトルの腕を乱雑に引き0組やクラサメから離れる。

「戦争が終わるわ」

「……ああ、そうであろうな。皇国はもう抗いようがない」

「そしてこれはルシにしかわからない話だけど……この戦争が終わった後、もしかしたら、“戦争とは比べ物にならないほどどうしようもない事態”になる可能性があるわ」

「なに?」

カトルは眉を顰め、聞き返す。だがカトルが言ったとおり、長話をする余裕はないので、ナツメは繰り返さなかった。代わりに話を進めることとする。

「その時、こちらに白虎の人間を守るような余裕はない。必然、皇国は完全に滅ぶことになる。だから、あんたが生きてた方がいい。そう思っただけよ」

「待て、説明になっていない。……それに、それじゃあお前、皇国の人間を守るために……?」

「んなわけないでしょ。ただ……そう、弾除けは厚い方がいいから」

言いながら、ナツメはなぜ自分がこの男を助けたのか明確な理由が示せないでいた。積極的に殺す気にはなれないとか、ただの国民に罪はないとか、そんな適当でくだらない理由ははいくらでも思いついたけれど。そもそも白虎なんぞ滅べと思っていたし、今も思っている。カトルに対して特別な思い入れがあるわけでもない。

でも、……ただ。
ドクターが見せたあの赤い世界を思い出しては、ひどい恐怖にかられるのは確かだったので。

そんなら弾除けってのもさほど間違いじゃないなと、思ったりした。この男だって、非常時の盾くらいにはなるかとか。
戦争が終わった後に向けて恩を売ったり、そういう理由でもいい。理由なんて、本当は何でもいいのかもしれない。

「ともかく、生き残ったんだから、皇国はあんたがなんとかしなさいよ。朱雀がどうするかまでは知らないけど、少なくとも私たちは面倒見る余裕ないからね」

「よくわからんが、……承知した」

納得したなら、それでいい。ナツメは肩を竦め、クラサメたちの方へ戻るべく振り返る。
と、そこで、0組の表情の変化に気がついた。

彼らは思い思いの表情をしていたが、大部分が僅かに青ざめ、特に女子がわなわなと震えていた。

「う、うわき……」

「副隊長が浮気した……」

「まさか敵軍の将と……」

浮気。ナツメはその言葉の意味を理解するのに、数秒を要した。
え、なにこれ、疑われてんの?

「けっ、やるじゃねぇか」

若干名楽しそうな者もいたが、概ねそんな感じだった。嘘だろと内心震えながらナツメはゆっくり視線を上げる。

見下ろすクラサメと目があった。
見開かれた緑の目が語る。

お前まさか、そいつと?

ちちちち、違います。違うんです全然違うんです。

必死に首を横に振るも、クラサメは微動だにせずナツメを見下ろしていた。
あ、これ疑ってるわ。

「なんだ私は浮気相手だったのか」

「うるせぇ殺すぞ」

後ろからカトルまでもが会話に参加する。さっき言った意味わかってんのか。まだ殺さないって決めたわけじゃないんだぞ。
そのうえ、

『ナツメが浮気たぁ楽しそうな話じゃねぇか俺も混ぜろよー』

「うるせぇ殺すぞ……」

なぜかナギまでもが話に入ってきた。見れば口許を引き下げたエースがCOMMをいじっており、会話が筒抜けだった模様。やりよるな貴様とナツメは歯噛みする。
エースあなた諜報員の素養がある……。

っていうかなぜ。なぜ私がこんな目に遭わなきゃならないんだ!
ナツメは怒り混じりに地団駄を踏む。たまに人助けなんてことをするとろくな目に遭わない。もう二度と誰も助けないと心に誓うナツメなのであった。……クラサメと0組とエミナとカヅサとあと情けでナギは別として。

『……まぁ冗談はいいとして』

「ナギ、あれほんとに冗談か?これから修羅場とかにならないのか?」

『エースお前わくわくしてんな?実は楽しんでんな?前々からお前とは気が合いそうだと思ってたんだ。ともかく、たった今!ほんとにたった今、皇国政府から正式に降伏宣言が発令された。もうじき正式に全軍に通達が出る』

それを聞いた瞬間、0組はわっと湧いた。キングやサイス、セブンやエイトといった比較的感情を表に出さない生徒も、表情を緩めて喜んでいるように見える。

『その後は軍事行動はご法度、まだ戦闘行動をとってる朱雀軍を見つけたら止めてくれ。ただし抵抗を続ける皇国軍に関しちゃ殺して構わない』

「ああ、わかった」

クラサメが通信を切る。それとほぼ同時、朱雀方面より飛来する飛空艇から音声が高らかに鳴り響く。
朱雀軍の完全なる勝利と、それに伴う戦争集結を告げる声だった。








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