Act.44
あの、ビッグブリッジの戦いから早くも数か月が過ぎた。
その間に、対蒼龍の戦闘が何度かあって、魔導院はローシャナ州までを版図におさめ、破竹の勢いにて蒼龍全土確保のため駒を進めた。
快進撃の立役者、0組の存在は魔導院でも最重要な地位にまで高められた。女王暗殺の一件はあっさりと忘れ去られ、今では英雄視しない者など軍令部長ぐらいなものである。
ナツメは変わらず、クリスタルの命令には従ったりあらがったり、可能な範囲で好きに生きていた。クラサメと一緒にいられるぶん、期限付きだとは思えども今までで一番心穏やかな時期であるといえた。つまりは幸福であるということ。
「……もうじき、白虎中核にも進出できそうね。蒼龍は今回の出征で制圧し終わるでしょう」
四課、資料室の一角。広げた地図を見下ろして、ナツメはペン先を新たな国境に滑らせた。地図の色を塗り替えて、世界は朱雀のものになっていく。
「あんま嬉しそうじゃねえのな?祖国愛か」
「んなわけねーだろ」
「最近口悪いぞ反抗期か!?」
「うっせ」
これだからナギはもてないのだ。女は寡黙な男の方が好きなのである。デリカシーのない発言をしない男とナギの間には圧倒的な差があるのだ。つまりクラサメとお前の間にはな。
真顔で言われたナギはぎゃあぎゃあと喚いたが、知ったことではないのでナツメはテーブルの上に広げられた地図をくるくると丸めて畳んだ。
「ねえ、ナギ」
「あんだよこれ以上俺をいじめて何がしたいんだコラ」
「もしもの話だけど。戦争を終わらせたら、もっと酷いことになるって言ったら、どうする?」
「はあ?」
「……いや。なんでもない」
ナツメは首を横に振り、テーブルから離れた。ナツメにもよくわからないのに聞いてどうする。
頭の中には、ドクター・アレシアの手によって見せられた終末の世界の光景が渦巻いていた。
戦争はもうまもなく終わるだろう。蒼龍は死に体、白虎も満身創痍の有様。防戦に徹した白虎にあるのはアルテマ弾くらいだが、今アルテマ弾を搭載した飛空艇などが朱雀に向かってくれば、メロエ地方の砦まで全て確保している朱雀軍に撃ち落とされるのは必至。最悪なかたちでの自爆にほかならない。
「あっ!イングラム侵攻は出ろよお前」
「やだ」
「やだじゃねえだろ!?お前ルシじゃん働け」
「クリスタルが別に寝てていいよって言ってる。それに私が出るって言ったらクラサメもついてくるとか言ってる。だからやだ」
「ふざけんなよお前コラそんな勝手が許されるわけなかろうが」
「じゃあ殺してみればー」
適当な声を背後のナギに投げながら、ナツメは資料室を出る。
そう、クリスタルだ。あの石ころからの命令がない。それもまた、ナツメにはよくわからないことだ。
わからないことばかりだ。というか、ナツメには考えようのないことばかり。
「知らなかったわぁ、ルシ様ともなると仕事拒否できるのねぇ?」
そも、ナツメに関係があるのはクラサメのことだけだ。四課のことだって、0組のことだって、結局はクラサメがいなければ関わりのなかったこと。
それなのにルシにされるわ、変な世界見せられるわ、戦争出ろなんて言われるわ。
クラサメと二人で生き残れたことは幸運だったけれど、それ以外はナツメには関係ないのでどこかよそでやってほしいという気持ちでいっぱいだ。なんなんだ揃いも揃って。
朱雀がどうなるかはともかく、白虎だの、蒼龍だの、どうなったところで知ったことではない。
「ちょっと何よぉ歩くのはっや、ちょま、待ってちょっと」
それにクリスタルが命じてこないってことは不要ってことだろうに。ナツメは浅いため息を吐いた。
ナツメが出ないで済むことについてクラサメは安心してくれているらしいし、0組も生暖かい目をしている。ナツメが何もやらかさないので、安心なんだそうだ。悪いとは思っている。
「待てって言ってんでしょおおおがあああ!」
「何ようるっさいな誰あんた」
「誰!?誰って聞いたのぉ今!?何年同僚やってんのよぉ!?」
「ああ、後家か……」
「その呼び方やめなさいよぉ。エステルちゃんかエスティちゃんって呼びなさいよぉ……」
「誰それ?」
「アタシに決まっとろうが!?他の誰の可能性があるのよぉう!!?」
「寮の清掃してる人そんな名前だった気がした」
「なんでそんな人の名前覚えてるくせにあたしの名前知らないわけぇぇ!?もういや殺すっあんたなんか殺してやるんだからぁ!」
「近寄んな」
執拗に絡んでくる同僚をひっぱたき威嚇する。彼女は大仰に床に倒れ臥し、ひどいひどいと叫びわんわん泣きはじめた。
「そんなことしても後家に騙される人間は四課には一人もいないわよ」
「ううっ、乙女の柔肌になんてことをぉ……!」
「乙女って歳じゃないでしょ」
「歳のことを言うんじゃねぇ!!まだ二十二歳よまだ乙女で通るわよぉぉ!」
「お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな」
泣き出した同僚を一瞥しさっさと立ち去ろうと踵を返すと、タイミングの悪いことにナギが通りがかってしまった。彼は彼で死ぬほど面倒臭いという顔で立ち止まり、ナツメを呆れ顔で睨む。
「おっまえ何してんだよ。こいつ泣かすっていっそ才能だよ本当?超面倒くせぇ」
「泣かしてないわよどうせ泣き真似でしょ。うざいからひっぱたいただけ。まだ殺してないだけ私は我慢してる」
「そうかそれはありがとう。ところでこいつ男が慰めないと泣きやまないのわかってる?今ここに俺しかいないじゃん、なにこれ虐めなの?ちょっと外出て適当な男引っ掛けてきてくれねえ?」
「それを後家がやれば話は解決なんじゃないの?」
「お前のが引っ掛けるのうまいじゃん」
「嬉しくない」
「ちょっとぉ!いいから早くアタシを慰めなさいよぉ!?」
「もうお前でもいいからやれよ、こいついると話進まねえんだよ……」
「殺せばよくない?」
「さすがに理由もなく同僚殺したら俺だって怒るぞー」
ナギとナツメが顔を見合わせお互いに己を押し付けあっている空気を察したのか、彼女、エステルは勢い付けて立ち上がった。
アイラインを溶かす涙のせいでおどろおどろしい顔になっているが、慣れているのでナツメもナギも表情すら動かない。
「なによさっきからぁ!アタシはシルマニーの現当主なんだからね!?これ以上続けるんなら一族総出で呪い殺してやるんだからぁ!」
「ほー、怖い怖い。じゃあ私はもう行くからあとは頼むわナギ」
「あ、ちょっ、ふざけんなこら」
「きいいいいいいーーッ!!!」
シルマニーがぎゃあぎゃあ喚くのを背中で聞きながら、ナツメは急いで四課から逃げ出した。四課には面倒くさい人間が揃っているが、その中でもあれはピカイチだ。
エステル・なんたらかんたら・シルマニーというらしいが、それも今初めて聞いたと思う。前にも聞いたのかもしれないが、ナツメは今間違いなくフルネームを知らない。みんな彼女を後家と呼ぶし、ナツメもそう呼ぶ。
由来は後家蜘蛛という蜘蛛だ。毒があり、性行為の後にオスを捕食する蜘蛛。つまりそういう女なのだ。
あれは、青龍クリスタルが斃れ、蒼龍に新たなクリスタルが生まれるまでの数十年間、蒼龍の地に一瞬だけ栄えたとあるカルト宗教の始祖の末裔だ。教義はたったひとつ、全ての男と交われば世界征服に王手。
そんな生まれで、かつその教義を遵守するような奴が、何がどうしてナツメに親しげなのかわからない。記憶が確かなら、四課に入ってすぐナツメを怒らせたのはあの女だった気がするし、それでつい椅子で滅多打ちにしたのもあいつだったと思うのだが、記憶違いだろうか。
まぁいいか、と四課から出る階段を昇り終え、9組教室を抜けると同時、魔導院内にけたたましいアラート音が鳴り響いた。
『蒼龍王城陥落!繰り返す、蒼龍王城陥落!!』
とたんに、数か月前よりずっと人の減ったホールが歓声で湧いた。
すぐ近くにある11組の教室から生徒がまろび出て、喜色満面といった顔で拳を突き上げる。そして喜びの声をあげようとして、その瞬間表情をひきつらせた。
彼は迷い子がそうするように、ここがどこだかわからないことに気がついた瞬間の呆然とした表情で、ゆっくり視線を動かした。それを幾度も繰り返すうちに、顔色はゆっくり陰っていく。
ゆっくり。ゆっくり。
共に喜ぶ人間がもうそこにはいないことを、思い出して。
戦争なんてそんなものなのだろう。生きるために全てを懸けて戦うんだから、そこに是も否もありはせず、ただとにかく喪失だけがある。そういうものだ。戦わねば喰われるのみだから、必死に抗うだけだ。プライドの問題なのか、生殺与奪の苦しみなのか。
だから戦争に是非やら正義やら持ち出したって、平和に倦んだ豚の妄言に過ぎないわけで。どんな一日だって生き延びるのに必死なナツメにとってはなんら変わらない毎日。
「……さーてクラサメに会いに行こ」
後からそんな顔を晒すバカにならないために、ナツメはきちんと犠牲を払った。
その代償を支払う算段を立てながら、クラサメと一緒に生きていくのだ。
首都侵攻作戦。
蒼龍を落とすと同時進行で攻撃を続けていた対白虎戦線は、東ネシェル地区、西ネシェル地区、アズール地区を制圧し、今や首都のみとなった皇国軍を駆逐するべく候補生ならびに軍は最前線に集結していた。
ルシも含め。
「……」
「……」
「……」
「……」
皇国首都イングラムの、背の高いビルの上。少し先では0組が絨毯爆撃のごとき徹底した快進撃を繰り広げ、朱雀軍はまるで付き従うかのようにそれを追って進んでいた。
このまま長期間ルシでいたら自分もこんなに仏頂面の生き物になってしまうんだろうかと普段からそもそも表情の多くないナツメはシュユ卿という大先輩を見て考えているのであった。
ついでに傍にいてくれているクラサメも仏頂面だし、仏頂面トライアングルとなりつつある。
「……」
「……」
「……」
「……こうやって無言で時間潰すのもいいけどもう少し建設的なことをしましょう」
「例えばどんな」
「クラサメお願い、戦争ボイコットして脱走するから一緒にきて」
「……いくらなんでも私が許可するわけないだろう」
「やっぱだめかー」
「聞かなくてもわかっていただろう……」
呆れ果てた顔のクラサメを見て笑う日常を取り戻した気になるのは間違っているだろうかとふと思った。迫る終わりを懸命に無視しているような、現実逃避の罪悪感がつきまとうのは、もういいとしても。
「蒼龍を0組が下して、今回もたぶん0組の一人勝ちになるんでしょ?あの子達なら大丈夫だろうし、ルシなんていらないのに」
「だとしても、それが命令というものだ。そして煩雑な指揮系統こそ、国家の象徴だろう」
クラサメ自身死ぬほど煩わしいと言いたげに、そう言い放った。ルシの出撃をすべきと彼らが判断したなら、そうせねばならない。社会規範を尊重するというのはそういうことであり、かつ意味のあることだ。ナツメだって少しは大人だから、それくらいわかっている。ただクラサメに甘えているだけ。
突然、COMMに着信が入る。
『おーい……』
「……」
『おおおおーい……?』
「不気味だからやめてくんない」
『サボるのもやめてくんない!?仕事してくれ頼むから!』
なぜ私に連絡をしてくるのはいつもナギなのだろう。他の四課と付き合いが無いわけでもないのに。
内心首を傾げながらも、「仕事って言ったってさ、」くだらない会話はやめることとして、彼とまともな会話を始める。
「何すりゃいいのよ?0組がざくざく殺してるのここからでも見えるんだけど」
『そういう問題じゃないんだっつうの。なんでもいいから0組に追いついて協力しろ、仕事してる振りをしろ』
「今のナギみたいに?」
『そうだ、……ちげえ俺は仕事してる!!』
ナツメはクラサメを振り返り、どうする?と聞く。クラサメは呆れ顔を隠すでもなく、0組を追うぞと答えた。
「了解……。シュユ卿、来る?」
「ここにいてもやることはない」
「来るのね、じゃあ行きましょうか……」
はたと気付いたが、これは朱雀最強パーティではなかろうか。ナツメが乙型ルシなのが痛いが、それでもまぁ、そこそこ戦闘力はある。クラサメの次くらいには位置できるのではないかと思う。ルシになって以降ほとんど仕事も戦闘もしていないので、正確な力量のほどはわからないけれど。
並んだビルの屋上へと飛び移り、0組の姿を探す。字面にすると笑えることにシュユが空を飛べるので、どうしても越えられない地点については彼の力を借りた。
ちなみに、飛空戦車だろうが魔導アーマーだろうが、シュユ卿は片手ではたき落としていた。彼に関してはもう、ナツメもクラサメも比較にならない人外そのものである。クラサメも遠い目をしていた。
「あの子らの状況わかる?」
「……交戦中だな」
COMMにて状況確認を行っていたクラサメが短く言う。
「いま?もう結構深部まで行ってるよね?」
「ああ。カトル・バシュタール准将と交戦中との報告が入っている」
あいつか。
ナツメは内心舌打ちしつつ、クラサメの隣を走る。
0組はあれを、殺すだろうか?
ナツメは考えている。このまま戦争を終わらせていいのかどうか。だが終わらせない方法なんて思いつかないし、終わらせなければ人は死に続ける。どちらが正解か、選んだ後にしかわからない。
そもそも、再三言うように、ナツメはそんなこと、考える立場になかった。ずっとだ。世界の命運なんて一度も考えたことがない。そんなナツメが今更頭を絞って考えたところで、最適解など思いつけるものか。
だからこそ、思うのだ。
あの男を殺すべきだろうか。それとも救うべきか?
なぜこんなことに悩んでいる。どうだっていいはずだ。だが、だがもし……ドクターが見せたあの悪夢じみた世界が本当にやってくるとして……狂気を前にして、誰が必要な人間かそうでないかぐらいは、ナツメでもわかっているのだ。
あの男を、ナツメは殺すべきか。
それとも、救うべきなのか。
「……クラサメ」
「何だ」
「何が最善かわからないときは、どうしたらいいんだろう」
「何の話だ」
「うまく……説明できないわ。そうね……じゃあ、ええと。例えば殺すかどうか悩んでる相手がいる。そういうとき、どうする?」
クラサメは、殺すの殺さないのといった話をナツメがするのを嫌がる。今回も嫌な顔をした。まぁ当然なんだろう。ナツメはクラサメが誰を殺しても別に嫌じゃないんだが。
それでも悩んだ末、答えをくれた。
「殺すのなら、いつでもできるだろう」
「……じゃあ、とりあえず生かしておこうってことね?」
「というかお前には命を粗末にしない生き方や考え方をしてほしいんだが無理か」
「申し訳ないとは思ってる」
「嘘をつくな」
「すいません」
でもまぁ、クラサメの言うとおりだとは思ったので。
「シュユ卿、頼みがあるんだけど」
「……ふむ」
「クリスタルは怒らないと思うから、おねがい」
足を止め、ビルの縁に立つシュユの後ろ姿をじっと見つめ、ナツメは静かに言った。
「あの男を、……まぁ多少満身創痍でも構わないから、生きたままにしておいて」
「応」
シュユもまた、たった一言静かに答えた。
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