Act.42-d:Maybe,it's our life.








これは、少し昔の話だ。
俺はその女の名を知っていた。



訓練生ナツメと呼ばれるその少女は、どこで生まれたのかも年齢もその名さえも実際のところ定かではない。ナツメというのも、誰がつけたかわからぬ名らしい。

「(なんじゃそら)」

容貌はまだ少女ながら、やたらと儚いような危ういような印象を与え、親代わりの四天王たちやその周囲の何名か以外に対しては決して友好的と言えない態度を取る。四天王に拾われたという身の上をよくよくわかっているらしく、彼らの命令をまず遵守するも、生まれについて卑屈というわけでもないらしい。
成績は悪くない。むしろ、座学も魔法理論実践もかなりのレベルに達しているようだ。一方で魔力が少なく、そこさえクリアできたなら、もうとっくに候補生になっていてもおかしくないという。

「(気味の悪い経歴だな)」

ナギは、ぼーっと彼女についての資料を捲りながら、内心舌打ち混じりに悪態をついた。
完成しすぎたプロフィールだ。有り体に言えば、キャラ立ちしすぎている。よくある、キャラ設定だけが無駄に濃い小説の主人公かなにかのようだ。そういう小説は、たいてい実がない。
つまりは誰かがそう仕組んだとも取れるわけで、やはり気味が悪い。

「……ま、いっか別に」

ちょっかいをかけるのなら、そのほうが面白いのだから。ナギは静かに資料ファイルを棚に戻し、資料室を出た。後ろ手にロックして四課からも出ようと階段に向かう。
そこで、×××に出くわす。
×××が、まさしく今さっきまでナギが見ていたはずの、そして見終えて棚に戻したはずの、ナツメの名でファイルされた資料を見ていた。そしてナギに気づくと顔を上げ、「やぁ」とでも言いたげに片手をあげる。

「えっ何、何でそれ持って」

「お仕置きファイアー」

「ちょおおおおおっ!!?何してんの!?ねえ何してんの!?」

×××の手の中で、ファイルが赤々と燃え上がり塵となって舞い上がる。風のない地下で、さらさらと灰として床に降り積もっていく。
それは四課が手を回して集めたもので、いち諜報員が勝手に処分していいものではない。そんなことをすれば、いくら×××だって始末書じゃ済まないのだ。

だから慌てたが、彼はナギが伸ばした手をものともせずに肩を竦めて壁にもたれかかった。

「なーんでナツメに関して調べちゅーの?お前に嫁にはやらんよ?」

「いらんわそんな地雷女ってうおおおいやめろ殴んな!?」

「殴るのはやなの?じゃあ刺す?撃つ?」

「気遣うような顔しながら殺しに来るんじゃねぇぇぇ!!ああもうッ、あんたがナツメナツメうるさいから調べたんだろがっ!?」

「ナギ……」

×××はハッとしたような顔をして、そっとナギの両肩に手を置く。

「そうか……気づかなくってごめんな、ナツメにばっかり構ってて……はぁ、オレモテモテ……」

「はぁ?……いや違ぇよ!あんたはどうだっていいわ!ひっついてくるんじゃねえ!!抱きつくなむさくるしいぶっ刺すぞ!?」

「オレのことが気になるんじゃなきゃ何で調べるんだよ?……嫁にはやらねぇぞ……!」

「マジに殺気を放つんじゃねぇよもう……」

勝手なことばかり言う×××を振り払って、ナギはため息混じりに床の灰を靴底で潰し伸ばした。証拠隠滅である。

「……ああいう女は、よくないと思うだけだ。一度でも飢えたことがある人間は、誰のことだって裏切るだろ」

「裏切られた人間ってそういうとこ脆くて強いよねーお前みたいだ」

「やかましわ。俺は、別に、自分の人生は自分で決めたいだけ。……こんな、嘘ばっかの場所にいるのはそのためだ」

「と思い込もうとしてんだろ?まぁそれはお前の人生だからね、好きにするといいよね。……お前にもいつかわかる日が来るでしょーよ。ああいう“子供”の可愛さってのがさ」

その言葉の真意が掴めず、すれ違った先の×××を振り返る。彼はほんの少し顔を傾け、肩をすくめる。

「だって――」

――オレらがいないと死んじゃうんだぜ、あいつ。

×××はそう言って、大変清々しく微笑んだ。

それは大層下卑た笑みに見え、ナギは薄ら寒いものを背筋に感じる。×××の手の上の命、いつでも握りつぶせる手のひら大の人間であることを、彼はナツメに無為に強いているのだと思い知らされる。
ぞっとした。

なぜならそれは、四課の人間が強いられていることと同じ。ではあの愛情は悪意がなせるもの?×××が故意に歪めたものだろうか。ナギは戸惑う。混乱している。
白虎のスラムで生まれ育ったという×××は、とても酷薄で、いつも残虐で、愛情とも呼べぬ愛情で他人を守っている。それがナギには恐ろしくて、仕方がない。

そんなナギを置いて、×××はしれっと踵を返す。

「……とまぁそういうわけで、オレはナツメ可愛がりに行ってくる!」

「はっ!?ちょ、待て仕事しろ!」

「オレは仕事しなくても許される唯一のイケメンだーからー!」

「イケメンじゃねぇしイケメン関係ねぇから!!おい、ちょっとおおお……!」

というわけで、ナギは×××をいつもどおりあっさり取り逃がした。
毎度毎度押し付けられている通り、書類仕事ばかりを大量に残して。






あの野郎。
やっと仕事を終え、ナギは椅子を立った。
今日だけで何度ついたかわからない悪態を、内心でもう一度だけおまけに吐いて、ナギは四課を出る。訓練生のグレーのマントでありながら四課にいるのはナギくらいなもので、目立たないために朱雀兵のコートを使うのも慣れてしまった。
途中、9組担任の教員用小部屋に預け、訓練生の寮へ戻る道すがら、ホールでナギは一人の男子生徒を見つけた。
グレーのマントを纏った訓練生は、確か知り合いだったはず。体術のクラスが一緒だったと記憶している。彼は、物陰に身体を隠してこそこそと誰かを見ているようだった。

「……?」

その視線の先が気になったので、更に後ろから覗いてみる。と、そこにいたのは。

「ナツメ……?」

「うわぁっ!」

四天王の一人と楽しそうに話しているナツメだった。普段の彼女からは想像もできないほど楽しそうに笑っている。
それを見ていた訓練生、便宜上訓練生Aとするが、彼は突然現れたナギに驚いて飛び上がった。まぁそうだろうと思う。ナギなら驚くと同時にナイフを繰り出しかねないから、極めて良心的な反応といえよう。

「なっ、ななななん、何で、何で!?」

「ん?何でが何で?」

「あ、え?えええ?」

大混乱を始めた訓練生Aと、遠くのナツメを交互に見やる。
へぇほおふーん。なるほどぉそぉいうことねーとしきりに頷いてみせると、訓練生Aは露骨に狼狽した。

「いっ、いや違!ぼくは別に、そういうんじゃないから!そういうんじゃなくて!」

「ああうんわかったよ違うのな、童貞こじらせて目に焼け付けてあとで映像記憶を使おうとしているわけではないと」

「本当に違うよ!!?いや、あの、そういうんじゃないんだよ本当に……ぼくはただ、ナツメちゃんを見てただけで……」

「ただのストーカー、と。なるほどなるほど」

「その納得の仕方やめてぇ!?だ、だってナツメちゃん近くにいくと笑ってくれなくなるから……!」

まるで場末の安いアイドルの取り巻きのようだなとナギは目の前の訓練生Aを心の中だけで嘲弄した。顔で笑って、心で嘲る。

「……まぁ確かに、四天王がいないと一気に仏頂面の無表情能面になるもんなーあいつ。それで?いつ告んの?」

「待って何でそうなるの……!」

「えええーだってそれはほら、俺たち訓練生だけど、もうすぐ候補生昇格試験じゃんか。候補生になったら授業だってかぶらなくなるかもだぜ?それなら今のうちに、せめてもアピールくらいはしとくべきじゃねぇ?」

適当にひねり出した口からでまかせは、後に思ってもかなりまともな言い分になっていた。それは言われた訓練生Aも同じだったらしく、何度か目を瞬かせた後視線を彷徨わせていた。
おそらく、自分でも考えていたことなのだろう。まさか良い返事はもらえないにしても、今告白しておかないと彼女は自分の存在さえ早々に忘れてしまうに違いないと。

それはあながち間違っていなかった。ナギが思うに、今既にナツメはこの訓練生Aのことをろくに覚えていないだろうから。

「あれだよな、やっぱ記憶に残らないと。あいつラブレター読まねぇし、放課後の呼び出しはブッチするから……」

「……ナギ詳しいね?」

「あーあーあれだよ、ほら、朱雀四天王に9組の人いるじゃん?俺あの人知り合いで、たまーに聞くんだよな、それでだよ」

「なるほど……でも確かに、ナツメちゃんあんまり人と話さないし……」

「ちなみにどこが好きなの?顔?顔ならあれだぜ、ちょっと年上だけどピカイチがいるぜ?エミナさんっつってな、そりゃあもう美人で……」

「か、顔じゃないよ……いや顔も好きだけど、そういうことじゃなくて……」

そのときの訓練生Aの横顔を、ナギは生涯忘れないだろう。
実際のところ、目が二つあって鼻が真ん中についていたことぐらいしか、この男の顔は覚えていないのだが、それでも。

憧憬に眩む、恋う男の表情だった。それだけは真摯に、真剣に、ナギは覚えている。
それを思い切り利用して笑い飛ばしたのも、ナギだけれど。

「ナツメちゃんは……四天王の人たちと話してるとき、本当に楽しそうに笑うんだ。それが幸せそうで……もしできることなら、ぼくにもそうやって笑いかけてほしくて……でも無理で……」

「……」

「だけどいつか、わかってほしいんだ。世界にはもっと色んな人がいて、色んな人たちと生きる道を選んだ方が、幸せになれることもあるんだって」

「……ふぅん……」

なんとなく。

ああ、うん、コイツじゃ無理だなーと、ナギは思った。

とても普遍的で、どこにでもいる、おそらくは優しくて大抵の女をある程度幸せにできてしまう、ごくごくまともな男だった。この訓練生Aは。
それが、ナツメの世界を変えようなんて、大仰なことを平気で考えている。

ナツメがどんな女か、ナギは結局のところよく知らない。あのファイルにあったのは経歴に過ぎなかった。だから、確証を持って言えることじゃないけれど。

×××が、あれだけ溺愛する女だ。
“まとも”なはずがない。

「……じゃああれだな、ナツメとふたりきりはダメだ。それだとあいつがなかったことにしたら終わりだろ?周りの人間が記憶するような告白じゃないと」

「う、でも公衆の面前だなんて恥ずかしいし……」

「いやぁ恥ずかしいなんて言ってるようじゃナツメは射止めらんねぇよ?あいつ確かG班のヒサの告白もバッサリ断ってんだぜ。っていうか、やっぱり呼び出しブッチしてた」

「そんな……ぼくなんか、口も利いてもらえないんじゃ……」

「ああ、一対一だったら無理だろーな。でもそうだな、四天王が近くにいるときとかならなんとか聞いてはくれるだろ」

全く見当外れな考えでもなかった。実際、四天王が近くにいるときといないときではナツメは他人に対しての対応も僅かに違う。まず無視されることはない。
訓練生Aはまたしてもナギの言うとおりだと理解したらしく不承不承頷く。それくらいの覚悟がなければ、実際ナツメは呼ぶ声に振り向きさえしないだろう。

「……よーし行って来い、今だ今行って来い!」

「はぁ!?ホールだよ!?」

「だからいいんだろうが、ここにいる数十名が証人だ!……いいか、お前は確実に振られる。振られるが、何度でもあたって砕けていればきっといつか微笑んでくれる!今日はその最初の一歩だ!」

いや、我ながらうまく言ったものだな、そのときのナギは思った。
たかが訓練生一人、転がすのなんてわけはない。全力の嘘八百で。


だからその日のうちに、訓練生Aをナツメにけしかけるのに成功した。


――好きです、付き合ってください!


ありきたりにもありきたり。ひねりなんて一欠片もないが、ひねりがあったとしてまともな返答があったかどうかあやしい。


ナツメはゆっくり振り返り、憐れな少年を見つめた。それまで微笑みを湛え、いっそだらしないほど嬉しそうに四天王に向けられていた表情は、一瞬で無表情に切り替わっていた。
そして、ナツメは音も立てずに僅かに頭を傾けて首を傾げ、唇を開いた。


「やりたいの?」


その言葉の意味は、一瞬まるでわからなかった。近くでこっそり見ていたナギにも、よくわからなかった。言われた当事者はもっとわからなかったろう。
数秒、場を凍らせる数多の逡巡。たっぷりと沈黙した後、ナギはナツメの奥でぽかんと呆けていた―少しでも彼を知る者ならそれがどんなに珍しいことかも知っているだろう―クラサメ・スサヤという四天王の一人が、慌ててナツメの腕を掴んだのを見た。
おそらくは最初に、ナツメの言葉の意味を理解したのだろう。そして、この場を離れるべきだと認識した。全てを有耶無耶にするために。

「ちょ、何?クラサメ?」

「いいから来いすぐに来い」

ばたばたと過ぎ去っていく二人の後ろ姿を見つめて、ナギはしばし立ち止まった。
そして、今覚えたばかりの戸惑いの正体を考える。


ああ、えーと、だから。
なるほど、つまり。


ナツメという女のプロフィールを、ナギは脳内で書き換える。

おそらくは生まれからだが、世の中の多くを斜に構えて見ている。
しかしながら稀にいる、愛だの友情だのをまるっきり否定するタイプの人間ではない。

けれどもこの違和感は、きっと、ナギにしかわからない。


ナツメは、ナツメに対して好意を抱く他人を“知覚しない”。
信用しないのではない。疎うのですらない。ただ、その存在を受け入れない。そこにはマイナスのストロークすら存在しない。
有り体に言ってしまえば、ナツメは周囲数名の人間以外全てにまるっきり何の興味もないのだろうが、無興味と形容するのでは生ぬるいような徹底さ。


そう結論づけて、ナギは、背筋がぞくぞく震えるのを感じていた。
放心してしまったままの訓練生Aなど気にも止めず、ナギは踵を返し四課に向かって歩き始める。
俯いた彼の口角は、切り込みでもいれたみたいに釣り上がっていた。


こんなのは、初めてだった。
ナギにはわかる。言葉で言うなら簡単だ、“興味がない”。けれどナツメは、それをおそらく本能レベルで実行している。
それがどれほど、あり得ないことか!


×××の言葉を理解した。
確かにそうだ。あの調子なら、四天王がいなくなったら死んでしまうに違いない。

「ああ、うん、それで、ええと」

ナツメは。
彼女は、四課に来るべきだ。ナギはそう確信した。
ナツメは四課でこそ輝ける、来るべきだ落ちるべきだそうに違いない!!


ナギは、確信していた。



そう、この頃は。





「……そう考えていた時期が俺にもあったんだよなぁ……」

「何がよ。仕事しなさいよ」

「決済飽きた」

「飽きたが通じるなら私は地下飽きたわ、ったく」


ナツメが四課に落ちて、もう何年が経ったのか。
今、彼女は、ナギの傍にいる。訓練生Aでもクラサメでもなく、ナギの傍に。

そして仕事の関係上、少なくとも決済が終わるまでは隣にいることが確定している。上半期決済は大変だ。


あれからナギも学び、ナツメを理解した。そして、ひとつ気付いたことがある。

ナツメは与えられた母性に忠実で、それをなぞって人を愛する。
だから、母親が子供を庇って火から遠ざけるような愛情しか他人に与えることができない。己が焼かれるのは二の次で。
そういうこと以外を、ナツメは愛と認識しないのだろう。
ああ本当に、まともじゃない。


「何ピリピリしてんだよ生理?」

「セクハラ死ね」

「イケメンが言えばセクハラにはならないって噂を聞いたからセクハラじゃねぇし」

「そんなアホな論理が罷り通ってもセクハラだからね今のは」

「俺がイケメンじゃないと申すか!」

「申すわ、死ね」


ナギが落とした、可愛い女。
頭はあまりよくなくて、いつも選択肢をひとつしか持たない、哀れな女。


後悔しているなんて、誰にも一生言えやしない。
償いたいわけではない。守りたいなんてとても思わない。
ただ、この女が、己より早く死ぬことのありませんように。
ナギがナツメに思うのは、もうそれだけ。


「×××に、顔向けできねぇしな……」

「なんか言った?妖怪イケメンもどき」

「その呼び名はいくらなんでも悪意ありすぎじゃねぇかな!?」



俺は、この女の名前を知っている。
この女の原罪の根の傍らに立つのは、いつまでだってこの俺だ。









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