Act.42-c:All for you:That's all.
ナツメが四天王事件に関する多大な勘違いに、ようやっと気がついてしばらく。
思えばああいう事実誤認が、結局のところ、回顧の邪魔をしていたのだろうと思う。だから、ナツメはもう、彼らを思い出すのにも自由だ。
×××は、四課に言われるがまま××と××××を殺した。けれど一方で、四課への怒りから、そのファントマを何らかの方法で隠匿したのだろう。×××は「叛逆」と言っていた。きっとそういうこと。
そして×××のファントマが、ちょうどあの革袋の底に隠されていたことから、その想像はあながち間違っていないような気がする。
思っていたほど、単純な裏切りではない。それだけは確か。
ファントマから光がこぼれて、いろいろなことを教えてくれた。光が消えた後、そこにファントマは残っていなかった。×××が完全に消え去ったのを感じている。いままで平然とどこかにあったはずの何かがすっかり消えて、その何かが戻らないことだけ明らかで。
胸の奥が空っぽになったような、この喪失感をどうしよう?
「×××を、憎んでいいの?」
「ああ。それしかないから」
「私のことも、そうやって憎んだ?」
聞きづらいことを聞いた。クラサメは目を伏せた。それだけで十分だった。
自分が、こういう虚無感を、この人に味わわせていたのだと思い知るのには。
「私も、最低」
「そういう人間にしてしまったのは私だよ……」
「それってフォローのつもりかな?……うん、本当、私は×××に似てる。……それに」
それから。
ナツメは振り返る。
さっき、そこに、金髪の少年の影を見た。
「ナギも。×××に、似てるね」
「あれは、一体どういうことだ?なぜ彼があそこに……」
「たぶん……ファントマの回収係だと思う」
それしか説明のしようがない。
×××が四天王を殺して死んだとして、ファントマを回収する人間がいない。けれどそこにナギが隠れていれば、万事解決だ。
実際のところ、ファントマがどうなったのかはわからないが、少なくとも×××のファントマは隠されていた。ナギのことだから、おそらくは残り二つのファントマも隠されている可能性が高い。
「……」
ナギからもらった灰の中に、隠すようにファントマが入っていたのは、きっと偶然じゃない。
ナツメはそっと地面に触れた。あの事件の際の炎が、未だにこの世界に爪痕を残すなんて信じがたい。炎魔法に精通しているからこそナツメにはわかる。信じがたいというより、あり得ないのだ。普通なら。
強すぎる想いの残滓が、彼らをこの地に縛っているのがわかる。
それはナツメを束縛し、クラサメをも捕まえている。
もしかしたら。
ナツメは、馬鹿げていると知りながらも思う。
もしかしたら、六億回の試行の中で、自分たちは何度も何度も同じことを繰り返したのではないだろうか?
今回ようやく、クラサメが生き残った。初めてだとドクターは言っていた。荒唐無稽、けれど圧倒的な説得力で強制的にナツメをそう納得させた彼女。
六億。その中に、自分はいない。繰り返された惨劇が初めて意味を為し、ナツメはここに初めて存在しているという。
その意味がなんとなく少しわかったような気がして……けれど、クラサメが肩を叩いて、思考は遮断される。
「ナツメ、モンスターの気配がする。そろそろここを出よう」
「あ……うん。そうだね。帰ろうか」
そう言ってから。
だめだ、と思った。
クラサメも多分同じことを思った。
こんなことを知って尚、知らない顔で、平然と、自分たちは魔導院に帰れるのだろうか。
おそらく、武器を片手に魔導院に襲いかかるほうが、性に合っている。
けれど……。
「ああ。帰ろう。魔導院に」
「……そうだね」
クラサメは深く頷いて言った。ナツメも頷きを返す。
本当は、魔導院に戦いを挑むほうが正しいと思う。それが一番正しい。勝てるはずなどないし、ルシとしての制約を受けるナツメはシ骸にだってなりうる。それでも、戦うべきだと思った。それが一番正しい。
けれど。
今はだめだとも思っている。
いつ死んでもいいと思っていた。だからどんな危険にもためらいなく足を踏み入れたし、命を道具にしていた。
それでも、クラサメと共に生きる道がここにあるから、どうかその道を際限なく歩み続けたいと願ってしまう。
「一緒に、帰ろう。クラサメ」
きっと今、自分は優しい顔で笑えている。魔法も銃も知らない、普通の女のように。
久しぶりに、そう思った。
幾ばくの時間が過ぎた。朱雀についたのは夜が明けてからだった。まだ魔導院が本格的に目覚めだす直前のこと。
とはいえ、移送用魔晶石を使って近くまで戻り、マクタイの宿で数時間休むという経緯だったので、疲労はあったが騒ぐほどでもない。ルシになってからというもの、異様なほどに健康だと自分でも感じる。
「……クラサメは、今日は0組の?」
「ああ、授業があるな」
「ときどき、あの子たちが羨ましい時があるよ」
「……年齢的に?」
「そういうジョークは私が若いから許されるんだからね……!」
クラサメを睨んで、一瞬だけ指先を掴んで、ナツメはさっと彼を追い抜いた。
朝日が魔導院に掛かっている。目が眩んで、顔を逸らして、歩みを進めて、視線を戻すと。
そこにはナギが、朱雀像の噴水に腰掛けて待っていた。
「おかえり」
「ん、ただいま」
ナギがそう言って笑うので、ナツメもつられてそう返した。クラサメはナツメと一瞬だけ視線を絡めた後、ナギとナツメを置いて魔導院へ向けて歩いて行く。
それを驚いたようにナギが見つめ、「は?え?」とかなんとか言いながら、慌てた様子で突然ナツメの腕を引いた。
「ちょ、クラサメさん、俺とこいつ二人にしていいんですか!手ぇ出すかもしれませんよ!?」
「は!?」
何言ってんのこいつ。
ナツメはわけが分からなくて目を細める。クラサメはといえば、一瞬足を止めたものの、結局振り返りもせずひらりと片手を振っただけで歩いて行ってしまう。
「く、く、クラサメさんんんん……!」
「なんなのあんた……」
「だってあれ、なにあれおかしくないぃ……?昨日まではあんなに全力で敵意向けられてたのに……?」
「敵意?仲良く結託して私をあんなに追い詰めといて」
「それは牽制って言うんだよ?俺はね牽制されてたんだよ?わかるかな?牽制ってわかるかな?」
「なんか異様にうざいわね今日、こっち来ないで」
すりよってくる顔を思い切り押しのけると、ナツメは深くため息をついた。ナギの行動が今日はいつにもましてよくわからない。
「いや、だって、殺される覚悟もして待ってたから……」
その言葉が、胸に落ちた。
ナツメはじっと、己を見下ろすナギを見上げる。殺される覚悟。……覚悟か。
ナギはあの事件に関わっていた。ナツメと×××、クラサメと×××にそれぞれ因縁があるように、ナギと×××にも因縁がある。
「何で、あんたを殺すのよ。無意味だってわかってるのに」
「意味なんてどうだっていいだろ。相手が仇なら」
「あんたが仇?違うでしょ?」
「俺は四課だよ」
俺は、四課だよ。
ナギはそう言った。
まるでナツメは四課の人間ではないような言い方だった。
「でも……あんたが、直接手を下したわけでもないし……!」
「何甘っちょろいこと言ってんだお前?俺が何もしてないだとか、そんな問題じゃねぇだろ。そんな次元で生きてねぇだろ?俺がお前に殺される理由なんざ、お前らを不幸にした組織の一員だって、もうそれだけで十分じゃねぇの?」
「……」
笑えてくるくらい、それは当然のことだった。四課だからこそ、そうだ。戦闘員だとか非戦闘員だとか、そんなありきたりな線引きはしない。そもそもナツメたちにとって、殺人に理由など要らないのだ。理由がなくても殺すし、理由があるなら必ず殺す。ただそれだけの差でしかない。
ナギの目は焦っていた。ナツメはそれを静かに見つめ、暫し沈黙した。彼の真意を量りかねて。
けれど、わかったこともある。
「憎むし、恨むよ。一生忘れないよ。誰もが忘れた頃に、ふいに首を掻き切るかもしれないって自分でも思う」
「じゃあ、なぜ今しない」
「殺さない理由が、あるから」
クラサメと生きていくことが望み、それももちろん事実だけど、それ以外にもナツメはしがらみを手に入れたはずだった。
怒り、恨み言、愛情。言葉にできない感情もたくさんあって、整理の下手なナツメにはどうしても片付けられない。
「私はクラサメがいないと生きていけないけど、あんたのいない世界もきっとそれなりにつまらないのよ」
「……あー。クラサメさんさえいなければ口説かれたいところだなー」
「何言ってんのバカ」
朝日の白んだ光の中、ナツメとナギは笑った。いつか殺しあうとしても、笑っていられた。そのことにこそ、意味があると信じた。
「……ねぇ。残り二つのファントマはどうしたの?」
「ああ、それをお前に渡さなきゃいけないんだったな」
ナギは懐から、あの灰が入っていた袋によく似た革袋を取り出した。それを受け取って、ナツメは中を見る。確かに強烈な魔力を放つファントマが二つ。
「こんなことして、あんた危なくないの?」
「あはは、危ねーに決まってんだろ?それでもやらなきゃならないんだよ。俺だって、×××が連れて行かなかった一人なんだから。できることがあるんだ。つまりは、やんなきゃなんねー役割が」
どこか嬉しそうにナギは言った。そんな笑い方をするのは珍しいので、ナツメは瞠目し、不意に抱いた疑問をぶつけてみることにした。
「ねえ、私を四課に入れたのって、×××のこともあって?」
「そうだよ。ていうか昔から、あの事件の前からお前に目をつけてたりもして。×××が妙に入れ込んでたの、よく覚えてるから」
「そういう裏事情が……」
「んー、いやむしろ、ここまで含めて×××の策略通りかもしれねぇなぁ。あいつも大概屈折しきってたし、お前を引き込みたかったのを感じてたから」
「……ねえ、……そのときから、私に殺される覚悟をしていた?」
知りたくてした質問ではなかった。どんな答えが返ってきても、納得はできないと思った。
けれど、ナギは微笑みを絶やさず、静かに言う。
「お前を好きになったから、殺されても仕方ないかなって思ったんだ。お前のこともクラサメさんのことも、気に入ったから」
「……そりゃ、光栄ですこと」
納得はしまい。そう思うのは変わらない。
それでもその答えは、気に入った。ナツメは確かにそう思った。
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