Act.42







自室に戻ったナツメは、妙な疲労感のためベッドに身体を投げ出してしばし休息していた。ルシとして力を使うのにはまだ慣れない。もう少し時間がかかりそうだった。

「疲れる……」

ちなみにクラサメがナツメを今管理していないのは、クリスタルに呼ばれたと嘘をついたからだ。そうしてマキナに会いに行った。

クラサメに嘘をつくことが、ナツメは苦手だ。ナギ曰く、とたんに挙動不審になるらしい。
だからたぶんばれている。それでも放っておいてくれているのは、彼がナツメを信じてくれているからだろうか。

「……それはないか」

ナツメは、己が彼にとって信用に足る人間であるとは信じがたかった。どちらかというと、目の届く範囲にいるから、過保護になるのを控えているだけだろう。
だから。
ナツメが考え事をしていられるのは、今だけ。

「考えなくちゃ」

クラサメがいたら、ナツメはクラサメのことしか考えられなくなる。もう作用として、わかっていることなのだ。抗えない、一つの幸福な事実として。
けれど、否むしろだからこそ、ナツメは必死に思い出す。
“また利用される”。その違和感の、正体だとか。

何かが狂ってるのに、何が狂っているのかわからない。己は全てを理解したはずだ。思い出したはずだ。
あの時。クリスタルの前で気を失ったあの瞬間までに、己は何を見た。

「……ぐちゃぐちゃする」

初めてのことだった。莫大な情報がナツメの頭を支配し尽くして、一本の糸で繋がらない。
原因はわかっている。ナツメは、こんなに多くの情報を頭で処理したことがないのだ。死ぬ端から忘れているから。
脳だって何だって、使わなければ退化するに決まっている。どのルシだって一度はきっと、この閉塞感に悩むのだろう。

「っはー……」

“また利用される”。

ナツメはその感覚を思い返しながらベッドから立ち上がり、クロゼットを開いた。そして跪いて、下段奥に仕舞い込まれた木箱を引きずり出し、膝をついたまま震える手で箱を開ける。

ナツメ本人にとってさえ、四課での数年間は空白の期間だ。特別な事件などはひとつも起きていない。全ては単調に、誰かを殺してきただけの日々だった。
だから、ナツメの過去のことなら、五年前よりも昔のことに決まっている。そしてその過去は、この箱の中に詰まっているはず。

「……何か、“私の知らないこと”は」

ナツメにとって、この中にある世界は、一つの聖域だった。だから、遺品をクラサメに渡すこともできなかった。持ち歩くこともできないくせに、触りたい時に触ることができる場所においておきたかった。
そんな我儘を発揮しておきながらも、しかしナツメはこの中身をちゃんと調べたことがなかった。

怖かったのだ。何も覚えていない自分が見て、“何も覚えていない”ことを思い知らされるのが、とても。

その恐怖を克服する時間もなかったナツメにできることは、この箱を隠してしまいこんでおくことだけだった。

「何か、何か……!!」

奥底に手帳を見つけ、開いて、必死に捲る。血の跡でところどころ読み取れないが、それでもこれが朱雀四天王の一人、××××のものだということがわかった。彼の名前だけが出てこないからだ。
ナツメの名前も見つけられなかったが、代わりに『白虎のガキ』だの『子供』だのと記述があったので、おそらくそれが己を指していたと推察できた。××××は、ただ一度を除いてナツメの名を呼ばなかった。

手帳の大半は行われた作戦の記録と堅苦しい日記で埋め尽くされていたが、途中で少し空気が変わった気がしてナツメの手が止まる。そしてゆっくりと、全文に目を通し始めた。

「……四課」

その単語が、出てくるようになったからである。

最初の記述は、 鴎暦837年。五年前である。
その年の末に起きるあの事件から、三ヶ月ほど前の日付であった。そこには端的に、こうあった。

「“四課が嗅ぎまわってる”……?」

それはたったの一文で、詳細がわからない。戸惑いながら視線を滑らせ、隣のページを見ると、今度は“魔導院内が一番危険かもしれない”とあった。
意味がわからない。四課に狙われていたのか?しかし、何故?

一方で、四天王の一人×××は四課の人間だから、話は繋がるのだ。
四天王を裏切ったのは、×××だったから。

「……いや、おかしい。だってあれは、白虎との小競り合いの結果だったはず……」

なら×××が通じていたのは、白虎であるはず。四課の命令には背いていたはず。
話はむしろ、全く繋がらない。

四課と白虎が通じていたらそれでも筋は通るかもしれないが、四課はあれでも魔導院屈指の忠誠心を誇る部署なのだ。連綿と続いた血の歴史が、裏切りを許さない。どんな事態に陥っても、四課が四課として朱雀を裏切ることはないだろう。そもそもあの事件で、四課が白虎と通じる意味もない。

ページを捲る。日付はどんどん、あの事件に近づいていく。



鴎暦837年巌の月、6日。
×××に探りを入れてみたが、あいつの発言などどのみち一言も信じられないので聞くだけ無駄だった。
このままでは、全員が危険だ。例外はあの子供だけだろう。

巌の月、9日。
××とクラサメに変わったことはないかと聞いたが、二人とも訝しむだけだった。くそ、おれしか気付いていないのか。

巌の月、15日。
子供がなにやら、×××の様子がおかしいと言いに来た。どうやらクラサメに言って、すげなくかわされたようだ。
こんな子供しか気づいていないなんて。否、子供だからこそ鋭敏なのか。あの三人の心変わりひとつで、この子供は行き場を見失う。
部屋は監視されている、どうするべきだ。四課相手に真正面からできることなんて、何かあるのか?



「……四課は本当に関わってるのかな」

ここまで読んだ限りでは、××××の被害妄想かもしれない気がしてくる。それはそれでなんだか悲しいし嫌だが。己も何か気付いていたようだけど、それがなんだったかもう記憶にない。
それならやはり白虎側の策謀ということで決着だろうか……。
ナツメは唸りながらまたページを捲る。



巌の月、21日。
白虎国境地帯の紛争鎮圧を命じられた。
魔導院を離れられるのなら悪くない。ついでに、×××を問い詰める機会もあるはずだ。

巌の月、29日。
手帳を見られている可能性あり もう何も書かない

空の月、5日。
任務に向かう。
生きて帰ってこられなかったとしても、子供は生き延びるだろう。
全てはクリスタルの御心のままに。



「……」

いや証拠を何か示せよ!!

ナツメは手帳をベッドに放り上げた。××××は本当に被害妄想に犯されていたのかもしれないとナツメはため息を吐く。
ナツメは四課の人間だし、四課の人間なんて一人も信用していないし、なんなら自分も含めていないほうがいい類の人間であろうと思っているが、それにしたって全ての陰謀が四課から生まれるわけではない。それくらいには、ナツメは冷静だった。
けれどもその冷静な“思い込み”が結果危険を引き起こすことも、知らないわけではない。

数秒床で逡巡していたが、結局立ち上がり、もう一度手帳を取り上げる。そしてふと、違和感に気がついた。
手帳のカバーが、少し膨らんでいる。何度かひっくり返して、裏表紙の端に不自然な厚さを感じた。

もしかして……と、背筋が冷える思いがした。慌てて手帳のカバーを外すも、どうやらカバーは薄い革を二枚重ねにして縫われており、不自然な膨らみの正体はその内側に縫い込まれていることがわかった。ナツメは部屋の隅に備え付けられた机にかじりつき、引き出しをひっくり返して刃物を探す。結局見つかったのは、簡易キッチンに置いてあった果物ナイフだけであった。
逸る気持ちを抑え、縁止めの太い糸をナイフの先で切断していく。ナイフは切れ味が悪く、思ったより時間がかかったが、苦心の末なんとか開くことに成功した。

そしてカバーを分解した先に、茶色く変色した薄っぺらい一枚の紙を見つける。端が折れていて、おそらくはこれが先ほどの不自然な厚さだったのだろうと思う。

その紙を開く時は、柄にもなく、手が震えた。

「……は?」

そして内容は、全身をも震え上がらせることになる。

――強者から得られるファントマを用いた実験こそが魔法精査に有効であると判断。
――以降は一定以上の魔力を観測できた者を強者として登録。
――本計画は、強者の魔力が一定数値を下回った時点で、強者のファントマを回収するものである。

当代最強と目される四名の生徒のうち三名は魔力の数値が下降傾向にありこれを試用としてファントマを回収する人柱とすることを決定し作戦行動に移るこの計画は新規魔法開発に非常に有用であるとした魔法局の認可の元三名のファントマを獲得するものである主導は四課が行い今後のファントマ回収のモデルケースとして設定するものであり朱雀においても大きな戦力である彼らの死をコントロールすることで戦力増減のタイミングを操ることもできるという点も有用である上彼らの死をデータ化することも副次的ながら重大な目的であるそもそもかような戦力を個人が所有することには大きな問題があり国家の危機に直結する可能性すらあることを思えばその回収と再分配は非常に合理的と言わざるを得ず結果として魔導院の運営においても利点が多いことは明白である。

――この一連の計画を、大々月比売計画と呼称する。彼ら人柱の血肉が、新たなる豊穣の日を迎える糧となるであろう。

「……あ、?え?」

ファントマの回収。
四名のうち三名。
魔力の下降傾向。
大々月比売計画。

「……うそ」

嘘だ。
疑うより早く、そんな言葉が口をついて出た。

ナツメは、もうずっと前から四課は五年前の一件に関わっているとわかっていた。だって、だから四課に入ったのだ。
でもそれは、“あの事件の調査と事後処理を担当したのが”四課だったからだ。調査資料なり担当した人間なりが見つかると思っての行動に過ぎなかった。

まさか。
まさかまさかまさか。

黒幕がそもそも四課である可能性なんて、ナツメは。
一度だって考えたこともなく。
四課で信用されれば、いずれ調査権限を得ることもあるだろうと。
思っていた、だけで。

まさかこんな。

こんなことが。

「あ、ぁぅ、あ、■あ■■ああ■■■■■■■■あ■■■あああ!!!!」

喉の奥からひねり出された声は、言葉にならなかった。

白虎と朱雀の国境地帯の紛争を収拾するために向かった先で起きた事件だったから、ナツメは四天王の一人が白虎に寝返ったのが原因だと思い込んでいた。
それはもしかしたらナツメの白虎憎しで歪められた推察だったのかもしれない。だとしても、白虎が深く関わっていると思うのは決しておかしなことではなかった。はずだ。

実際は、×××はおそらく四課の命令で動いていて、彼自身を除く四天王のファントマを集める必要があった。

ナツメとクラサメを陥れ、未だ脅かすその正体が、ナツメにはわかってしまった。

ナギで、■■で、■■■■だ。何度も一緒に仕事をしてきた同僚たちだ。
仲間なんかじゃない。ナツメだってずっとそう思ってきたし、事実だと理解していたつもりだった。それでも一緒に死線をくぐり抜けてきた以上、名前のない絆がきっとあったはずだった。

けれど彼らは本当に、味方なんかじゃなかった。

ナツメの指先が空を切り、突如、凄まじい出力で雷撃が部屋を埋めた。シーツを焦がし、水場を燃やし、レンガの床に亀裂が走る。そして同時に、ブツブツブツと、機械がショートする音が響いた。電力を動力源とするそれらは白虎で作られたものだ。四課が特別に調整し複製した、小型の盗聴器。
それがあることは知らなかったけれども、なんとなく勘付いていた。けれどもその音が連続して響いたことにぞっとした。

「……一体、いくつ仕込んでいたのよ……」

笑えとでも言うのか。
ナツメは水場の炎にブリザドを放って消火しながら呟いた。

――信用されれば。
――いずれ調査権限を得ることも。

「あるわけがないじゃないのよ!!」

こんなにも。
五年。
長く生きて。
異例なほど。

それでもかけらも信用されず。
見張られ続けて。

「……何がだ」

ナツメの背中に、声がかかる。振り返ると、呆れ返った表情のクラサメがいた。
どうやら鍵をかけるのを忘れていたらしい。

「クラサメ……」

「どうしたんだ、一体。何が“あるわけがない”んだ?」

クラサメは近づいてきて、ぐいぐいと無造作にナツメの頬を拭った。手袋がごわごわしていて痛む。
なぜそんなことを、と思ったが、知らぬ間にナツメは落涙していたらしい。呆然とする暇もなく、そんなことはどうでもよかった。

ナツメは部屋に視線をやる。ベッドから音もなく飛び降りて、ドアに飛びつき鍵が閉まっているか今度こそ確認し、クラサメの手をとって部屋の奥へ連れて行った。

サンダー魔法を部屋で暴れさせたことで、盗聴器はきっと破壊されたはずだ。
ナツメはクラサメの耳元に口を寄せる。

「五年前の事件で何が起きたか、わかったかもしれないんだ」

そしてクラサメの緑の目が、大きく見開かれるのを見た。

「私も、向き合わなきゃいけないんだと思うの。置いてきたからって、逃げきれるわけじゃない。たとえそれで何も得ることがないとしても、もう何も失わないために」

おそらくはそれが生きてきた理由で、これから生きていく理由になるのだから。
ルシになったって、ナツメはそれだけは違えるわけにはいかなかった。









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