Act.41






マキナがどこにいるか、ナツメにはわからなかった。だから、知りたいと思った。
思うだけで、なんとなく、マキナの足取りが見えてくる。

ナツメにももう、朧気な感覚でありながらも、ルシという存在の意義が理解できてきていた。

人々が謳う英雄ではない。
ルシは何かを成したりしない。

ルシは、舞台装置だ。だから本来“敵対関係”など存在せず、殺しあうのも必要なときだけ。
そしていつも、結果は決まっている。決まった結果に向かって全力で戦わせられる、全く同じ四対八体の装置。ルシとはそういう存在だった。

だから存在を知覚できても不思議はない。

「……四つ子の魂」

だれの子であっても、関係ない。
四つ子より生まれた八つ。今は四つから一つ欠け、三つ子の世界に子は七つ。

ナツメは目を真っ赤に染めて、ホールを突っ切り墓地を目指した。その目を見る度、ぎょっとしてのけぞる候補生や訓練生はナツメの目に留まらない。ナツメにはこの上なくどうだっていいことだった。

「マキナ」

夜半、戦時特例で完全就寝時間が撤廃されたとはいえ、魔導院内はまだしも墓地には誰もいない時間帯だった。
暗闇に浮き上がる赤いマント。振り返る彼の白い顔がぼうっと光って見えた。
おそらくは己も同じように見えるだろうなと思いながら、ナツメはゆっくり彼に近づいていく。

「探した」

「嘘をつくな」

「うん、嘘。探さなくても、なんとなく解ってた」

ナツメが数メートルのところにまで近づいたところで、マキナの手の中にあった小さな花が燃えた。仏花はすぐに散って煤となったが、一瞬の炎がマキナの立つすぐとなりにある墓石を照らしだした。
ナツメの目にも辛うじて、マキナと同じ、クナギリの姓が読み取れる。

「……お兄さん?」

「ああ。兄の名前は、イザナだ。……よく喧嘩もしたけど、良い兄貴だったよ」

マキナの視線が、墓石に落とされる。
誰も眠らない、ただの石に。死体も遺品も、その下には何もない。ただ名がそこに宿るだけだ。

「オレが訓練生になることが決まった日は、オレが驚くぐらい大喜びだった。クラスが上がる度、自慢の弟だって褒められた。オレは浮かれてたよ。兄貴だってそうなりたかったはずなのに、そんなこと考えもしなかった。……戦争が始まるちょっと前に、それで大喧嘩したんだ」

「それを、後悔してる?」

「当たり前だろ。思い出したって、オレはもう兄貴に会えないんだ。戦争に勝ったって、もう兄貴には会えないんだ」

戦争に勝ったって。

その言葉が、ナツメの喉奥を刺した気がした。ぬるい空気の満ちる墓地を、僅かに冷たい風が吹き抜けていった。

「……ルシになって記憶をもらっても……何も変わらない」

マキナがそう吐き捨てる横顔を、ナツメは呆然と見ていた。

ああ。誰か。
この衝動に、誰か名前をくれ。
ナツメには処理できそうにない。この胸の痛みをなんと呼ぶのか、ナツメは知らない。

マキナの視線は動かない。背中はやけに小さく見えた。
無関係なナツメの胸が張り裂けそうなのは、何でだ。

この衝動に、感情に、戸惑いに、温度に。
誰か名前をつけてくれ。そうすればどうにか、消化できそうな気がした。

マキナは、似ていると笑うにも似すぎていた。あの日、四課へ入ることを決めたナツメに。

ナツメは力が欲しかった。本当のことが知りたかった。そのためにできる最善の選択は、身を落とすことでしかなかった。
マキナも同じなのだ。力が欲しくて、本当のことが知りたくて。そのために彼ができたのは、白虎のルシに成り下がることでしかなかった。

「……可哀想、だね」

その言葉は、思考の外から湧いて出た。知らない内に、マキナに向かって投げていた。
そしておそらく、ナツメが思った以上に、マキナの心を突き刺した。

マキナはじっと、殺気のこもった目で見つめ返してきた。その暗い色されも、いつか覗いた鏡のようだった。ナツメは己の眼の奥がつんと痛むのを感じた。涙でも零そうというのか。己をあざ笑って、ナツメは首を横に振る。

「マキナは、とても可哀想だ。……あの頃の私も、そんなに可哀想だったんだね。きっと」

カヅサが渋い顔をするわけだ。エミナが怒るわけだ。ナギがナツメを、大事にするわけだ。
クラサメがナツメに触れられなくなるはずだ。

「私は、可哀想だったんだ」

わからなかった。わかるはずもなかった。
だって後悔はしていない。後悔しない道を必死に選んできたのだから。
それなのに己を憐れんで、後悔してしまったら、間違っていたことになる。
それを認めてしまったら。

「(……誰を殺すにも心の動かない私は……)」

本当に最後の一線を超えてしまう気がする。化物に成り果てて、もう戻れない気がしていた。
だから、ナツメは、絶対に後悔しないけれど。

けれど。

「“後悔しない”のと“後悔がない”のは全く違うんだよマキナ……!!」

今だから、わかることがある。
クラサメを一人置いて四課へ入り、世界の全てを憎んでいたあの時期があったから、ナツメにはわかる。

力を求めたって、本当にそんなものは何の意味もないのだ。
ナツメは未だに五年前の真実を探し当てていないし、何かを守れたことだって一度もない。勝利にはいつだって意味がない。

クラサメを傷つけた。己も傷つけた。
それでも何も得られなくて、ただ生きることさえ難しい事態に陥りもした。己がルシにならなければ、クラサメも己ももう生きてはいない。
そのことが、ナツメは未だに怖くて仕方なかった。

今、ナツメがクラサメにある多くの負い目を思えば、マキナのことがどうしても可哀想で、“止めてあげたくて仕方がない”。
きっと後悔したくなる。それでも後悔するわけにはいかなくて、彼もナツメと同じになってしまう。
だから。

「レムが、今のマキナを見てどう思うか、考えつかないの」

“クラサメが、あの時のナツメを見てどう思ったか、やっと考えが及んだ”。

「……黙れ」

「辛かったんでしょ苦しかったんでしょわかるよ、無力感で息ができなくなる感じよくわかるよ、でも一番苦しいのはレムのはずじゃない!」

“辛かったし苦しかった、無力感で息ができなくなっていった。でも一番苦しいのはクラサメだったはずだった”。

「そうやって力を得ることだけが救いになると思ってる、でもそんなのはまだ甘いんだよ!命を引き換えにしたって大した結果は得られない、私達は所詮舞台上の駒でしかない!」

“力さえ得れば全てが変わると思っていた、救われると信じていた。甘ったれるにも程がある。ナツメの命一つに、どうして現状を打破するほどの価値があろうか?”

考えれば全て、想像のついたこと。

結果を見れば、ナツメのしたかったことはただひとつだけ。

「自分の無力感を拒絶するためだけに、レムを置いてどこにいくつもりなの!!」

彼女は、己が無力な塵芥であることを否定したかった。それを誰より諾々と受け入れておきながら、逆らいたかっただけ。

ナツメは、クラサメを置いて。どこに行こうとしていたのか。
それだけはまだ、彼女にもわからなかった。

わからなかったから、きっとマキナも己の行方などわかっていないのだろうと思う。

「黙れ!!あんたにオレの何がわかるんだ!!」

わからない。
マキナもナツメも、まだ何もわかっていない。第一いまさら糾弾して何になるのか、それさえわからないのだ。
それでも少しずつ足掻いて、前に進むしかなかった。本当に前を向いているのかもわからないくせに、地べたを這いずりまわるしかなかった。

「マキナにだって、“私が何をわかって”こんなことを言ってるか、わからないくせに……」

冷たい風が、胸をついた。北から吹く、マキナとナツメに届く呪いだと思った。

「……でもね、一つだけわかることがある」

少し長く生きた分だけ。自分を呪った日が、ほんの少しナツメのほうが長いから。

「その力を、レムを守るために使うのは、きっととてもむずかしいよ」

マキナは間違った。力ならなんでもいいわけじゃない。ルシという舞台装置にできることはない。
ナツメは正しかったか、そう聞かれると断言できない己がいることもどこかで感じながら、ナツメは俯いた。

「……どうにもならないけど。私がいることを、忘れないで」

こんなことをいう日が来るなんて思っていなかった。
けれど、ナツメはそう懇願した。ナツメは彼を助けたかった。彼の間違いをどう防いでも、ナツメの間違いがなかったことにはならないのに。

彼にどう伝わったかはわからなかった、けれどナツメには、己はもう“この舞台”を降りなくてはならないのだとわかっていた。
それなら踵を返して、墓地を去るしかない。

ここから先は、彼の物語だ。

そしてナツメにとっては、ナツメの物語がある。


――川に……飲まれるようなものだ。流れの疾きに飲み込まれ、流されていく。離れないように懸命に掴み、抱きしめても、とうとう最後にはその手が離れてしまう。

――これは、そういうものがたりだ。

セツナは、そう言っていた。

ナツメは強く、地面を蹴る。
存在を踏み鳴らすように。

「でも、まだ……!」

まだ終わってない。
今度は最後まで、手を離さないから。







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