Act.36







すぐ近くの窓から温い風が吹き込んで、前髪を揺らしている。視界が僅かに遮られては、喉の奥が痛んだ。

「……ああ……」

そうか。ここは、魔導院か。
目だけ動かして周囲を窺うと、見覚えのある白い壁に白いカーテンが妙に狭く見せる部屋だった。4組だった頃よく当番で放課後を過ごしたから、慣れた場所ではある。
ただしそれは、4組だった頃のナツメの話。潔癖すぎるその白に、拒絶されているのをはっきりと感じたものだった。被害妄想だとわかってはいても、居心地のいい場所ではなかったと記憶している。

けれど今は、全てが赤い。
赤い薄布が目に貼られているみたいに、何もかもが赤く見えていた。

「ったく……なんで無傷な上に、命令違反して大混乱巻き起こした人間のためにベッド使わなきゃなんないの?どのみち大罪人よね?」

「仕方ないわよ、ベッドは余ってるしそういう命令だもん。まさか怪我人がほとんど出ない戦闘があるなんてね……」

「まぁもう覚えてないけどぉ」

「でも不思議よねー、秘匿大軍神のために魔力を捧げた召喚連隊は死傷者ゼロなんでしょう?何があったんだろうね」

聞こえてくる声も覚えのあるものだった。4組だった頃のクラスメイトだろうと、ナツメは適当にあたりをつけた。仲が良くて何をするにも一緒の二人組。×××にくっついて回っていたナツメのことは、元々快く思っていなかったらしく、いつも睨むような視線を向けられていた覚えがある。

×××は、4組のボスだったからなぁ。
くく、とナツメの喉から笑い声が漏れた。

「……呼んでる」

行かなきゃ。
ナツメは起き上がる。

服はかなり傷付いているが、身体に傷はない。痛みなど感じない。それに呼ばれている間は、たとえ死すとも。
ブーツに足を突っ込んでカーテンを無造作に開けると、その二人の片割れが驚いて仰け反った。

「うわぁっ、あんた起き……、な、何よその目……!」

「行かなきゃ……」

「ちょっと!まだ検査も何も済んでなくてっ」

「離して」

掴む手を振り払って、ナツメは立ち上がり医務室の外へ向かう。
耳の奥を刺すみたいに鋭い音がしていた。誰にも教えてもらわなくても、この音が己を呼んでいるのだということはわかる。

血の気だった赤い世界は、気が狂いそうになる。感情全て失ったほうが楽だ、そう脅されているような気分になる。

強い赤の意思に縛られ、行動に自由はなかった。いつ足を前に出すのかさえ、もうナツメの意図ではなくなっていた。

「(ああ……赤い……)」

抗おうとすると、吐き気がした。
腐臭が胃から漂ってくるようで、もう逆らう権利はないと思い知らされているようだ。

「(あたま、くらくら、する)」

ふらつきながらも歩かされて、未だ戦闘後の混乱冷めやらぬ魔導院を抜けてゆく。従卒や生徒、訓練生が走り回り、誰もナツメを見つけない。
四課へ続く廊下に足を踏み入れ、しかしナツメは四課への長い階段に差し掛かる前に途中で道を折れた。普段、誰も足を踏み入れない、閉鎖された階段がある。地下霊廟へと降りるための階段である。

四課への階段のほうが明らかに使用頻度が高いのに、こちらのほうが明らかに広い。

「……はは。差別上等だよ、くそ……」

言葉は、禁じられなかった。それが虚空に溶けるだけなら。

長く歩いて、辿り着く先に、赤い光がある。うっすら発光するクリスタル。光るだけ光って、何者の干渉も拒絶する冷たい石。
これまで一度だって、ナツメには祝福をくれなかった。けれど、今は違う。

「返して」

この石に、盗られたものがある。大事に抱きしめていたはずだったのに、盗られてしまって、どれだけ大事だったかさえわからなくなってしまったもの。
手を伸ばすと、手を握られた気がした。

「……ありがとう」

それはずっとずっと求めていたもの。そして何よりも、血塗られた記憶だった。
断片的なもの。ナツメの感情は抑圧されていて、よくわからない。
ナツメは、冬の森に立っていた。十年前と五年前。全く同じ場所に、重なるように。

「……十年前、私はそこでクラサメに救われたのよね……」

そして五年前、そこでクラサメ以外の全てを失った。

あの日。
あの日、冬の朝。白虎の小競り合いの鎮圧に出されたはずの戦場で、四天王と共にナツメは戦い、そして一人の裏切り者が出た。

四天王唯一の四課所属。炎魔法に長けた男。名前は×××。
ナツメを最初に殺そうとした男だった。それでもナツメは彼を、庇護者として愛していた。クラサメを愛するのと同じように。

――「こんなメスガキ、生き残ってもろくなことないから殺しちまえよ」と。
そう言ったのは、×××だった。それでも生き延びたのはクラサメのおかげで、生き残った後のナツメのことは×××は愛してくれていた。

「×××、××、……××××」

口から名前は正確に出たはずなのに、ナツメの耳には届かなかった。
感情の琴線を、その名前は揺らさない。愛していたはずなのに。

五年前のあの日をナツメはゆっくりと思い出す。
内部の裏切りによって、四天王を含む中隊は内側から瓦解した。四天王の一人が死に、守ろうとしてくれた4組の彼女が死に、そしてナツメとクラサメだけが残った。
ナツメは炎を放ち、裏切り者を焼こうとした。けれど炎の四天王に炎で太刀打ちできるわけもなく、あっさりいなされて、クラサメを庇おうとして背中に火傷を負った。

最後には。
最後には、ナツメはほとんど意識がなくなっていて、詳しいことはわからない。
けれども、わかったことはある。

「私が……私とクラサメが、殺したんだ。あの人を……」

生き延びるために。唇がかさついて、切れそうだった。ナツメの視線が、ゆっくりと上がっていく。怒りと恨みと呪いを伴って。
感情が少しずつ乾いていく。しかし、この悼みは忘れられそうになかった。

「そしてそれを、四課が隠蔽しやがった……」

四課所属の二重スパイなんて、忠誠を第一とする四課にとっては恥さらしどころの騒ぎではない。
だからきっとナツメも消されようとした。×××が面倒を見ていた白虎の孤児など、怪しいことこの上ないではないか。

「今にして思えば」

何故気が付かなかったのか。
ナギがナツメを殺そうとしたのは上の命令。ナギはそれを、“軍令部が探りを入れてきているから、目障りなので消せ”と降りてきた命令、そう言っていた。四課ならば有り得なくもない、ふざけた命令だったが、それにしたって現実的ではない。あの四課が、軍令部との軋轢を更に深めるなんて真似を無意味に繰り返すはずがない。
それに、ナツメは軍令部の諜報員というわけではなかった。軍令部が体裁を保つため、責任を負っただけのこと。四課が殺す価値のある存在ではなかった。

「なんて……馬鹿だったんだろう……!」

ちょっと考えればわかるはずだったのに。

己は四課に落ちる悲劇のヒロインごっこをしていただけで、その程度なんでもなかったのだ。本当なら十年前に、五年前に、何度も死んでいたはずだった。
×××にクラサメにナギに四課にこんなに守られていたくせに、大人になったような気でいた。犠牲を払ったような気でいた。
あの程度の闇をさまよっただけで、傷付いたような顔をして。

膝から力が抜けて、ナツメの身体は崩れ落ちる。
愛していた全てを、こうやって失っていくのだろうか。これまで失ってきたものと同じように。
守るつもりで戦って、結局誰も守れていなくて。傷付いて傷付けて、知らない間に失っていって、本当に必要なときにそのための力がいつも無い。

「……クラサメ」

名前を呼ぶから、私を呼んで。私を助けて。
今更、そんなことを願っても、無意味なのに。
ああ、なんだか、とても疲れた。

ナツメはぐったりとその身を横たえた。眠るのとは違った。
クリスタルが、意識を奪おうとしているかのようだった。










五年前のあの日まで、ナツメは妹のようなものだった。
訓練生としてクラサメたちの後ろをついてまわる彼女を、クラサメはきちんとかわいがっていたと思うし、彼女もよく懐いていたように思う。
育ちが育ちだからか、時折びっくりするほど大人びていたり、とんでもないことを言って他の訓練生に恐怖と驚愕を与えたりもしていたが、所詮子供に過ぎなかったクラサメより更に子供だったと認識している。
どこか寂しがりな、愛を乞う子供。褒められることに固執した子供だったと思う。

十年前に見つけた、あの小さな女の子のまま、ナツメはクラサメの記憶の中に在り続けた。庇護すべき存在として、変わらず彼女はそこにいた。


けれど、五年前。
あの事件の直後。
魔導院に戻り、意識を取り戻して、あの事件のさなかに置き去りにされて二人ぼっちだと気づいた時。
クラサメの部屋で、彼女は、女の子ではなかった。
女の顔をしていた。
クラサメを支えるためにならなんだって差し出す、そう言って笑う彼女は女の顔をしていた。
だから。
それで。

クラサメの中の彼女はその日から、女性になった。もう女の子ではなかった。
彼女を守るために手を伸ばして、彼女はそれに甘えるように泣き、まんまとクラサメは支えられて。

ナツメは女の子ではなかった。
純真でも無邪気でもなかった。
彼女は、女だった。

しかしそれでも、クラサメにとっては、彼女は守るべき存在で在り続けた。
そこに、愛おしさが加わったとしても、何も変わらず。
それが。
それなのに。

ナツメは、消えるから。










なぜ己が生きているのかクラサメ本人にも分からなかった。死んだはずだと、自分でも思ったのに。

それがどうしたことか、目を醒ましたらこんなところにいるはずもないナツメが口から血を零しながら自分に覆いかぶさるようにして気を失っているわ、セツナ卿はクリスタル化しているわ……そして最もわからないことに、召喚連隊が全員無事であったのだ。クラサメに言わせれば、到底意味のわからない事態であった。

ルシとはいえ、まさかセツナひとりの魔力だけで秘匿大軍神を召喚できた訳もない。気を失う前にひと目見た軍神アレキサンダーはあれだけの人数を犠牲にしたとしてもまだ足りないほどの威圧感を纏っていた。それならばなぜ自分たちは生きているのか。セツナか、クリスタルの加護か?どちらにしても、現実的とは言いがたい。

そして目下、最大の問題は。

「一体どこに行ったんだ……」

魔導院に戻り、結局意識が戻らなかったため医務室に運び込んだナツメが、知らない間に姿を消してしまったことだった。

秘匿大軍神の聖なる光がビッグブリッジの皇国軍を殲滅し、朱雀は歴史的大勝利を収めた。とはいえ白兵戦に臨んでいた候補生も朱雀軍も敵と共に露と消えてしまい、極度の人手不足で魔導院はこれまでにないほどの大混乱の最中であった。そんな中でもようやく彼女を医務室に寝かせ、そして呼び出されるがまま召喚連隊指揮官として報告を済ませて、それからナツメの居るはずの医務室に向かうと、そこでは4組の女生徒が二人そわそわと所在無さげに立ち尽くしているのみで。広い医務室に所狭しと並ぶベッドは半数以上が埋まっていたのだけれど、それにしても怪我人が少ないなと思ったとき、クラサメは気がついた。
ナツメが、居ない。

ナツメがどこへ行ったのか、慌てて問うたクラサメに対し、4組の女生徒は、「しっ、知らないわよ!!自分で歩いて……どっか行ったもの……!」と裏返った声で答えた。明らかな狼狽にクラサメまでもが戸惑う。しかし瞠目するクラサメをよそに、彼女たちは連れ立って医務室から逃げるように出て行ってしまった。クラサメが重ねて問うことなど許さない足早さであった。

彼女たちを追っても無駄だと判断し、ナツメを探してクラサメは医務室を出る。そしてホールに戻りながら、彼女の柔らかい髪と着崩された武官の軍服を目で探した。
ナツメの行方が知れないと、どうしても嫌なことばかり思い出す。彼女のいなくなった場所で立ち尽くすのは、もうたくさんだった。五年前も、四課でも、彼女が消えた後にようやくその存在を知るのはもう嫌だった。

何度思うままに詰って、叱って、いっそ可能ならば魔導院から出したくないと思ったかわからない。己の庇護下で生きていてほしかった。それが親心なのか愛情なのかクラサメには判別はつかなかったし、そもそも彼女を責めることは一度としてかなわなかったのだけれど、それでも。

なんにせよ、ナツメを見つけなければならない。なんだか、嫌な予感がしていた。それはあの日の朝、空になった寝床で感じた違和感にどこか似て、背筋を嫌な汗が流れていく。
クラサメは僅かに歩を早めた。と、そのときであった。

「あーっクラサメだー!!」

クラサメは舌打ちしたい衝動を必死に堪えねばならなかった。人が山程うろつくホールにて、間抜けな大声で名前を叫ばれたとしても。クラサメは苛立ちとともにゆっくり振り返り、赤いマントを揺らしてやってくるにやついた顔を軽く睨んだ。

「クラサメ“隊長”だ、ケイト。次に面と向かって呼び捨てにしてみろ、罰則だ」

「うっ……!あんなに誉めてくれたのに辛辣!ひどーい!」

「やかましい。それはそれ、これはこれだ」

ケイトが言っているのは、秘匿大軍神の召喚直前にCOMMで話した内容のことであろう。遺言のつもりで話した内容をこうして揶揄されるとは思わなかった。クラサメが視線をやると、ケイトの後ろから0組の面々がこちらへやってくるところであった。目が合うと、キングが右手を軽く上げた。
彼らはほぼ勢揃いしていたが、クラサメがざっと見た限りではマキナとレムだけ姿がなかった。マキナの作戦違反については報告を受けているが、マキナに関しては上から指令があり、特殊な命令があるということで多少の問題行動は握りつぶせと言われている。特殊な命令とやらの見当はつくが、現状クラサメにできることはない。それでも、気になってはいた。ナツメにそれとなく聞いたらはぐらかされたので、四課も一枚噛んでいるのかもしれない。

「お前たち、ナツメを見なかったか?」

「え?医務室に運んだはずじゃ……いないの?」

「見当たらない。医務室にいた候補生によると、自分で出て行ったそうだ」

だから知らない、とうろたえて言った候補生。むしろ怪しくも思える有様だったけれども、嘘をつくメリットもない。
であれば、ナツメが自発的に出て行ったというのは、おそらく本当のことなのだろう。どこへ行ったのか、四課にでも降りていったのか。ふと思い立ってCOMMを鳴らしてもみたが、向こうの電源が入っていないのか反応がなかった。

「自分で、って……どこに用事があるっていうんだ」

「わからん。だから探している。……お前たちも知らないのなら、あとは四課か。私は立ち入れないのだがな……」

「え、なんで?」

クラサメが苛立ち混じりにひとりごちると、シンクが首を傾げて問うた。一度四課を半壊させたから、などと馬鹿正直に教えるわけにもいかないので答えを濁した。次に入ったらアラームが鳴るようになっているだなんて、さすがに言えはしない。

「ともかく、……重大な命令違反について、ナツメは申し開きせねばならない。放っておけば、査問に引っ立てられることになる。一切の対策なしにな」

どうしても焦燥が先に立つのは事実だが、クラサメが彼女を探しているのはただ姿が見えなくて不安だからではない。このまま放っておけば、まずいことになるのは必至だからであった。

彼女が先のビッグブリッジ戦だけで多大なる命令違反を侵しており、審問にかけられるのは半ば確定している。本来なら審問不要で極刑もいいところ、結果的に戦争を勝利に導いた可能性があるため特赦が認められた。
だからできるだけ早く彼女を見つけて説明せねばならないし、ナギなどと話し合ってもしかしたら彼女を逃がす算段だって立てなければならなくなる。だから、ここが魔導院であっても、クラサメは彼女から目を離すわけにはいかなかった。

彼女に味方はいない。
同じ側に立つ人間が何人いたとしても。

クラサメ以外、味方は。

「じゃあ早く見つけねぇとな……先に“向こう”に見っけられたら事だ」

サイスが舌打ち混じりに、軍令部の方をうっすら睨んだ。それはまるで当然の帰結のように、ナツメを引っ立てろと大騒ぎしているのは軍令部長であった。そもそもナツメが戦場に立った理由は、軍令部長が手汗を滲ませながら握りしめていたくしゃくしゃの報告書にあった。

対白虎専門諜報員ナツメ。数度に渡る長期潜入の結果、敵と通じた可能性あり。

ちなみに最後に書されたサインはナギ・ミナツチのもので、あとで会ったら息の根を止めようかとクラサメは迷っている最中である。迷っている理由は、それがナツメ自身の工作の可能性をクラサメが疑っているからだ。クラサメの目は、妙に薄い筆圧と文字の最後を少し伸ばすナツメの癖を見逃さなかった。
それでも、止めなかった責任を追及せずにはいられないのがクラサメだ。それが親心なのか愛情なのか、もう問うのも面倒くさい。

「オレたちで見つけて、匿うのが第一だな。軍令部がやかましいなら、魔法局を巻き込んでしまえばいい。あの凄まじい魔法の実用化とか、なんかいろいろ文句つけて」

「……凄まじい魔法?」

「あっ、やべ」

あからさまに、口を滑らせた、という顔をしたエイトをクラサメがぎろりと睨む。普段クラサメ並に表情を崩さないエイトが懸命に目を逸らすのに呆れた様子で、ケイトが「見えなかったの?」とクラサメに問うた。

「軍神の召喚前に、火柱が何度も上がってたでしょ?あれナツメ。魔晶石を大量に持ち込んで、ファイガ魔法撃ちまくってた。だから、アタシらよりもっと先の、超・最前線にいたことになるわ」

「……ッあいつ」

クラサメはとうとう舌打ちし、ナツメを探して再度視線を走らせる。その血走った目に慌てたケイトがデュースと一緒にとりなし始めた。

「とっ、とりあえず見つけようよ!」

「そうですよ、結果的に副隊長は無事だったし、わたしたちが協力すれば今回のことは乗り切れるはずですし!ですよね?」

「オレたちが見つければ隠すことができる。もし審問を乗りきれなくても……ナツメは四課だし、うまいことやれば朱雀軍くらい撒けるだろう」

エイトがそう言って、同意を求めるようにさっとクラスメイトたちに視線をやる。彼らはそれぞれに頷いた。

クラサメはそれを、承服できない。命令に背いてナツメを庇って守って逃がしてやるなんて、認めるわけにはいかない。
だって、それでは。それでは、まるで。

ナツメが、0組の仲間のようではないか?

「……隊長?」

押し黙ったままのクラサメを不思議に思ってか、セブンが首を傾げてクラサメを呼んだ。クラサメははっと我にかえり、首を軽く横に振った。

「……まだ何も決まっていないんだ。今はとりあえず、ナツメを見つけなければ」

「ああ、そうだな。それなら手分けして探そう。僕は教室と墓地、クイーンはナインと武装研、サイスとケイトは四課を……」

「あっ……」

クラサメの言葉に応えて、エースが0組を指揮しようとした瞬間であった。クラサメは気配を感じて振り返り、目を見開いた。
当のデュースは口元を押さえ、クラサメの背後を指差して硬直する。デュースの隣に立つトレイもぽかんと口を開けて立ち尽くしたので、只事ではないと0組たちは次々に視線をやり、一様に身を強張らせた。

クラサメ困惑しながら、そちらへ手を伸ばす。呆然とした目で。

ナツメを横抱きに抱えた、ルシ・シュユの方に。

「シュユ……卿……?」

シュユは、裏のルシなどと呼ばれたセツナとは違い、表立って動くことが多い。したがってその姿は魔導院内でもよく目撃されている。
だから、こちらへ向かっている彼の姿に驚いているのではなかった。

ただ、ルシが誰かを抱えているなんて。
クリスタルにのみ従う、意思のない使徒が誰かを抱えて歩くなんてことが、どれほど珍事か。

見つけた者から静まり返る。人の波を裂いて歩く、シュユを見つめて。

「……」

シュユはクラサメたちの前まで歩いてくると、突然のことに狼狽する0組を尻目にクラサメを見つめた。そしてクラサメの姿をまるでガラス玉のように無感動な目に映したまま、ナツメを無造作に差し出す。それはひどくぞんざいなしぐさで、伸ばした手を上向きにして受け止めようとするクラサメの腕の上にシュユはナツメを落とした。クラサメはとっさに腰を落とし、ナツメはまるで死体のように投げ出されつつもクラサメの腕の中に収まる。いつも白い顔は普段以上に血の気がなく、呼吸音が微かに漏れ聞こえなければ死んでいると見紛うかもしれない程だった。

それでもクラサメは、安堵する。
ナツメが見つかった。腕の中にいる。生きて、そこにいる。
それだけでもう、五年前のあの朝のような閉塞感は訪れないと知っているから。

けれど。

「そこにいたか……!!」

怒号が響き、クラサメたちが顔を上げると、軍令部の扉を開け放ち、軍令部帳が立っていた。軍令部の位置が中二階に当たるため、自然と見上げる形になる。

「クラサメ!!今すぐその女を審問に掛ける、軍令部に引っ立てろ!!数々の命令違反、厳罰に処して……!!」

あまりの怒号に、それまでは周囲の人々だけだったのが、ホール全体の気配が0組と彼らが囲むクラサメとナツメに集中していくのを感じる。
しかし、

「霊廟に落ちていた」

軍令部長ががなりたてる声など耳に入っていないのか、シュユがそう言った。
視線が真っ直ぐナツメに注がれているので、その言葉が彼女の状態を説明するために紡がれたものだということはわかる。

が、その意味を考える前に、これはまずいとクラサメは判断する。

「無断で霊廟に入っただと……!?」

そこに、軍令部長がいるからである。

「諜報員ごときが、霊廟で一体何を……ックラサメ!!そいつをさっさとここに連れて来いッ!!」

「……、軍令部長。彼女はまだ目を醒ましてもいません。そんな状態で軍法会議など……」

「構うものか!どの道、その女に意見を述べる権利などない!どちらでも同じことだろう!!」

審問のルールをまるきり無視したような内容を叫ぶ軍令部長に手をこまねいたクラサメに気付いてか、最も近くに居たキングの手元で拳銃がガチャリと金属音を立てた。その隣のクイーンもまた、レイピアを軍令部長から隠すようにして柄を握りこんでいる。同じく片手剣を獲物とするクラサメにはわかる、それは最速で敵を下から攻撃するための最適姿勢だった。
そして、キングが微かに首を傾げるようにしながらぼそりと囁いた。

「俺たちでここは凌ぐ。ナツメを連れてさっさと逃げろ」

「あの体型ではわたくしたちの誰の一撃をも避けられないでしょうね。……トレイ、狙撃の用意は出来ていますか」

「用意も要りませんが、ええ済んでいますとも。そもそもこの距離で狙撃と呼んでいいものかわかりませんが狙撃というものは」

「黙って狙ってなトレイ。さぁて、元死神さんにあたしらの選ぶ未来とやらを見せてやろうじゃねーの」

クラサメは言葉を失った。心臓の底のほうが、どくりと音を立てる。
そんなことは認められないと思う心がある。彼らの担当教官として、指揮隊長として。まさか軍令部に0組を罰することなどそうそうできはしないが、戦争が終わったらどうなるかわからないのだから。
有り難いという気持ちもある。彼らが動けば、クラサメがナツメを守ることには一切障害がない。逃げるのだって簡単だ。

そして。
面白くない、という想いが。
その理由がわからない。クラサメには、どうしてもそれがわからない。先ほどから何かがずっと引っかかっている、その正体がわからない。

「……え?」

ぱち、と。睫毛が擦れ合う瞬きの音が聞こえた。見下ろせば怪訝な顔でナツメは周囲に視線をやっている。何が起きているのかわからない、という顔だ。
そして最後にクラサメと目があって、ぱっと頬を赤く染めた後、さーっと青ざめていく。

「あ、わた、私、クラサメ、あの、っ」

何かを必死に伝えようとした、彼女の様子が突然に変わる。さっと表情が消え、「×××」と何事かを呟いた。
人名のようだった。クラサメはその名前に聞き覚えがあるような気がしたが、今はそれどころではなかった。

ナツメは強く目を閉じる。

「おい聞いているのか!?そこの反逆者をここに連れて来いと、そう言っているんだッ!!」

そして目蓋が開かれて、クラサメは息を呑んだ。クラサメだけではない、後ろにいた0組も同じだった。
本来緑のはずだったナツメの目が、真っ赤な色に染まっていたから。

「……シュユ卿。この……視界が赤く染まるのは、どうにかならないんですか」

ぞっとするほど無感動に、彼女は言った。視線は宙に固定され、シュユを呼びながら見てもいない。
しかしシュユもまた、彼女を見もせずにそれに応える。

「どうにもならん、慣れろ。……それから、卿などと呼ぶ必要はない。我らはもう、」

同じ存在だ。
言葉少なに語られたその重みに、一瞬時が止まる。きっと誰もが息を忘れた。シュユの言葉が指す意味はつまり。

「ルシ……!?」

そう小さな悲鳴をあげたのは一体誰だったのか。
クラサメが事態を咀嚼するより早く、ナツメの眼の中の真っ赤な光が淀み、彼女は芯を失った人形のようにがくりと崩れた。一瞬だったので反応できなかったが、首を痛める可能性を考えクラサメはとっさにその頭を抱え直す。
と、ナツメの目蓋は先程まで同様固く閉じられており、意識がないのが窺えた。

クラサメは、手が震える感覚を久しぶりに味わった。怖気がして、底冷えし、眩暈がする、そういう感覚を。

視界の端で、軍令部長がバランスをそこなって腰を抜かしへたり込んだ。ただ一人、シュユだけがすぐさま踵を返す。
どうしたものか一瞬迷って、しかし一瞬でカヅサのところへ連れて行くところまで判断を進め、ナツメを抱えたまま立ち上がる。
と、すっと進み出たキングが耳打ちした。

「とりあえず0組の寮に連れて行こう。ルシなら治療はいらないだろうが、事情が飲み込めるまで確実に隔離する必要がある」

ちり、と、クラサメは首の後ろを焼くような感覚を覚えた。
ナツメの味方は自分だけ。
だったはず。なのに。

冷静に考えれば、今ナツメを守るために、0組はうってつけの場所だった。役職が0組に関係しているクラサメとナツメを除けば、魔法局の数名しか立ち入りができず、それ以外の部外者が入るのには魔法局の七面倒臭い許可を求めなくてはならない。
ナツメを守るために最適な場所だ。

「必要ない。審問にはならないだろうからな」

けれど、クラサメはそれを突っぱねる。
ナツメを守るための最適な場所が、0組の寮だなんて受け入れがたかった。気に食わなかったのだ。


それがどんな感情なのか、クラサメにも量りかねていた。
ただ、手のなかにずっと求めていた重みがあることに、安堵だけを覚えていたかった。







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