Act.28-a:What's a worst work!








昼休み、午後。
午後の授業に向けてナツメは0組の教室に戻ってきていた。少し早く戻ったのは、クラサメと一緒に教室に入るなんてごめんだったからである。なんだか、妙な気恥ずかしさが勝つから。
そうして教室に入ったナツメの目に飛び込んできたのは、教室の中心より少し外れた場所で輪になってなにやら話し込む0組の生徒たちであった。他クラスに比べても段違いに仲の良い彼らだが、ここまで大人数で固まっていることは珍しいな、とふと思う。

「あ、ナツメ!来て来てー!」

ナツメが扉を開いた音に振り返ったらしいシンクは、飛び跳ねて手を振り大仰にナツメを呼んだ。その傍らにはトレイ、エース、クイーン、ケイト、エイトと数名が机の一箇所を囲むようにして何やら話し込んでおり、シンクの声につられて振り返った彼らも手でナツメを呼ぶ。
何かあったのかと訝しんで近寄ると、彼らはナツメにも見られるように場所を開けてくれた。果たして彼らが囲み見ていたものは。

「……写真?何枚も……ていうかこれ、白虎の軍関係者ばっかりじゃない」

「さっきナギが持ってきたんです。わたくしたちの次の任務の暗殺対象だそうですよ」

「次は要塞をいくつか潰していくみたいだから、そこの指揮官だな。大抵のやつは役職も一緒に書いてある。ナツメ四課だろう、意見をくれ」

「ああ、下に簡易プロフィールまで書いてあるのね。……あれ?」

エイトに言われまじまじと覗き込んだナツメが、0組に対してのみ発揮されるナギの丁寧な仕事にほぉと息をついた時であった。
机に並べられた数枚の中で、一枚の写真が彼女の目に留まる。その写真だけは名前も、プロフィールもついていなかった。だからこそ目を引いたけれど、顔に気付いてしまえばナツメにはそちらのほうがずっと重要だった。そこにあってはならない顔、だったからである。

精悍な顔つきで前を睨む横顔は、とてもよく知っているはずの男だった。こっくりとした深い赤に、白い葉模様が無尽に走るローブを纏っているその姿は、どう見たって軍人ではない。隠し撮りしたのであろうその写真を、ナツメは指先でそっとつまみ上げた。
目の前にぶらりとぶらさげて、しかと確認してみる。間違いない、“あの男”である。しかし、ナツメの記憶の中のそいつといえば、怯えきった青い顔で蹲った血まみれの矮小な醜男だったはずだ。雰囲気と表情でここまで印象が変わるとは驚いた。どうやら出世したらしいな、と無感動に思った。

「副隊長?その写真に何かあるのか?見せてくれ」

「駄目。これは駄目よ、絶対駄目」

手を伸ばしたエースから一歩引き、ナツメはくっと口角を吊り上げて、その写真をさっと胸元にしまいこむ。これは駄目なのだ。これは、“この男だけは”、誰にも渡さない。渡せない。

「これは私のだからね、誰にもあげないよ」

ナギを絞り上げる理由ができてしまったナツメは、午後の授業を放棄することに決めた。“本業”に戻らなければならない。
どうしてこんな写真があるのか。あの男はずっと消息が不明だったはずなのに……。

「いや、まずは私への連絡を怠った馬鹿をぶっ飛ばすところからよねー?」

そう呟いてCOMMを起動したナツメの顔は、誰も見たことのないほどの満面の笑みであった。こんなに楽しいことはないと、その表情はありありと示していた。残った0組が、その写真に写された男とナツメの関係性について沸いていることなど当然知りもせず。しかも、暗殺のことをすっかり忘れて。当然、多大なる勘違いのもとで。






ナツメが四課への階段を降り終えて、内務調査部室の扉を開いた時、ナギは慌てた様子でテーブルの上の書類を片っ端からひっくり返していた。どうやら何かを探しているらしい。

「何探してるの?」

「ナツメ!丁度いいところに!これくらいのサイズの写真見てねぇ!?男が写ってて、盗撮なんだけど、こう赤地に白の模様のローブを……」

「これ?」

「うおお!?お前これどこで」

「0組が持ってた」

「あああよかったぁぁぁ愛してるぞナツメ!」

「やめて」

「にこやかに人の告白を切って捨てんなよぉ……」

「じゃあ死ね」

「なに!?俺に何か恨みがあるの!?覚えがナイヨ!」

「そりゃあまあ色々と……っていうか話し方変わってるわよ、誰よあんた」

「みんなのアイドルナギくんですぅ!」

「その“みんな”とやらに私を含めないでよねぇ……」

ナツメはぐったりと脱力しつつ椅子にゆっくりと腰掛けた。書類で散らかった机の中心に投げるように写真を置くと、目を細めてナギに不敵に微笑みかける。
それというのも。

「この写真の話は見つけただけじゃ終わらないんだけど。こいつ行方不明になってたはずだよねぇ?で、見つけ次第私に教えてねってお願いしておいたはずなんだけどな?」

「うーん……だからぁ、その写真をお前に見せようと思ってたらぁ、0組行きの写真に混ざっちまったっていうかぁ?」

「あんたがそういうふざけきった口調のときは大抵七割ウソ」

「三割も信じてくれるなんてお前良い奴だなぁ」

「バカ言え、二割はグレーゾーンよ。信じてるのは、一割ね」

「それでも良心的だなぁと思うぜ。俺に関しちゃ……いや、四課に関しちゃ、誰もが“まるきり信じてる”か“全てを疑ってるか”のどっちかしかいねぇんだ。0組でさえ……」

「あれは、あんたが良心的な顔して近づき過ぎたんじゃないの」

「悪いのか」

「いや?ナギはそうしたかったんでしょう。じゃあそれでいいよ、私はね。戸惑ってるのはナギのほうでしょう」

じっと見つめる視線の先で、ナギは居心地悪そうに身動ぎした。

「……信じたいように、俺の情報を取捨選択して、生きるすべに変えるのはお前だけだから」

「それについてはよく怒ってるじゃないの?」

「死に方に悪用されりゃあよ……」

「別に悪用なんて……」

していない。思うように利用した結果を指して、ナギやらがやいのやいの騒ぐだけである。
不服そうに歪んだナツメの口元をじっと睨みながらも、しかしナギはため息とともに閑話休題を申し出た。

「ま、そんなことは今はいいやな。どこまで話したか……ああ、そうだ。この写真が出てきたのにゃな、理由があるっつうか。そもそも別件なんだよ、こいつが出てきたのは」

「……別件?」

ナギはゆっくり首肯する。どことなく口が重そうな様子で彼は口を開いた。こういうときは大抵、ナツメよりナギよりずっとカワイソウな奴が見つかった合図である。
事のあらましはこうだ。


メロエより南、海からもまだ遠い辺り。白虎と朱雀の国境地帯に、イリーダという街がある。
地図にギリギリ載る程度の小ささで、古くからある石畳と時計塔以外に特筆すべきもののない、つまらない街だ。規模はメロエの半分以下で、これまでにもよく白虎と朱雀の間で住民の知らぬ間に国境があっちへいったりこっちへきたりしていたという。

イリーダは、それがゆえかはわからないが、魔法の才能を示す人間が少ない街でもあった。つまりは、朱雀にとってもあまり重要ではない場所であるということ。もちろん四課にとっても同じだ。
それが今回、仇となった。
何が原因なのかはよくわからない。気がついた時には、イリーダとは連絡がとれなくなっていた。

「町長とかにゃ、軍への連絡義務もあったりすんだよ。でもな、まったく連絡こないしこっちからはできないし、メロエの町長に頼んでみても芳しくないしで、とうとう四課が動く事態になった」

「ふぅん……?それで、四課の調査では?そこまで大事になってるなら調べはついてるんでしょ?」

「叛逆の疑いあり、そういう結果になったよ。街全体が」

「……街全体でなんて、聞いたことないわね」

「ま、何事にも初めてはある。街一つ地図から消す仕事だって、今後増えるかもわかんねぇよな?」

嘲るように言うナギの手が、写真の下で裏返っていた地図を抜き取り、テーブルの一番上へと広げた。ナツメの視線はさっとメロエの下へ走り、イリーダの街を見つける。ナツメでさえほとんど耳にしたことのない地名は、森と海のちょうど中間に確かに存在していた。

「で、この話がその男に繋がる理由は」

ナツメが問うと、ナギの視線がじっと落ち、地図の下にあるはずの写真を睨むように目は細められた。

「その男が、この街の渦中にいるらしいことがわかった」

「渦中?」

「ああ。どうやら、新興宗教作っちまったみてぇだ」

「し、シンコウシュウキョー……」

「こいつを“先生”と呼んで崇めてんだよな。あ、宗教として成立してるわけじゃねえぞ?教義も神も存在しない。ただ、こいつが“不戦への導き”とかいう反戦デモを率いてるわけ。で、独立国家……とまでは言わないが、独立した一つの自治体として中立を宣言した」

「はぁ!?そんなの、そんなの聞いてない……けど……。え?待って、つまり」

「ああ。イリーダという街は、この男が、イリーダに向けて中立を宣言しただけだ。そして外との連絡を遮断し、自分たちは独立国家のつもりなんだろうなぁ」

「そ……んなの、国境付近で成立するわけがっ……!あ、ああ……そっか。それでこの男が出てくるわけだ……」

ナツメの指先が、地図の下の写真を浮き彫りにするかのように動いた。そう、この男は。

「元皇国貴族、ねぇ。前から思っちゃいたが、義務を忘れた貴族ほど手に負えないもんねぇよなぁ?」

「貴族に限らないけどねえ……。この男が白虎との間を取り持ったのね?身内には軍人が多かったから、それぐらい簡単だったでしょうね」

「ご明察」

「バカにしてんの?」

「んなピリピリすんなって。ま、そういうこったな。中立を保ち、戦争の後には白虎に組み込まれることを承知の上で無条件降伏した、そういうこと。よくもやってくれたよなぁ……」

ナギの口の端が吊り上がり、次の瞬間、イリーダと書かれた文字のすぐ近くをナギのナイフが貫いていた。ナツメはその街をよく知らないけれど、きっと嫌になるほど正確にイリーダの街をくり抜いているのだろうなと思う。その下にあるはずの写真も、一緒に。

「俺たちがどんな思いで戦ってるか。どんな思いで……あいつらが……どれだけ」

「……ま、それは私達の勝手だから。誰もがその場の最善を選べるわけじゃない」

「このタイミングでがたがた抜かすことが結果的にどうなるか、ちっと考えりゃわかるだろ。ああ、でも確かに。誰もが頭蓋骨にきっちり脳みそ詰まってるわけじゃねぇし、誰もが肩の上に頭載せてるわけでもねぇやな」

「落ち着きなさいよ、どうせもう長くない命なんだから、この街」

地図から消すとナギが言ったのは、喩え話ではない。文字通り、次に刷られる地図からイリーダの名は消えるだろう。
ナツメは地図の下に手を滑りこませ、写真を掴んで引きぬいた。裂ける音と共に、真ん中から切り裂かれた写真が顔を出す。

「……覚えているんだから生きてるのは分かっていたけど、こんなことをしてるなんてねぇ……。白虎を出るなって言ってあったはずなのに」

「しかしお前もしつこいねぇ、過去の任務失敗をここまで引きずるなんて」

「失敗……そうね、そういう認識で構わないわ」

静まり返る地下、ナツメの白い指の先が、とんとんと写真の男の顔を叩く。

「失敗したのよね。殺せなかった、この男だけは」

「そいつは珍しいことだな」

たぶんこの仕事をしたのは、ナツメが四課に入ってそう時間の経っていない頃だったと思う。それまで華々しい成功―あくまで四課基準でだが―を収めてきたナツメの、突然の失敗。ナツメを生かすために、その失敗は四課上層部とナギの手によって四課の最奥へ仕舞い込まれた。
ナツメは、この男を殺さなかった。最後まで追い詰めて、顔中自分の血で血まみれにさせて、あとはトリガーを引くだけだった。しかしナツメは、この男を殺さなかったのだ。
だって。

「殺すには惜しかったのよ」

ナツメが戸惑うくらい。そしてつい、笑ってしまうくらいに。

「……だってこの男、見たこともないくらいの……屑だったから」

でもま、もう惜しむほどの価値もなさそうね。
そう言って微笑んだナツメの手の中で炎が写真を一瞬で消し去った。後には、何も残らない。






夜半のことだった。朱雀兵が一人、初夏の生温い風が支配する魔導院のホールを歩いていた。寝付けなかった男は、散歩でもしようと外に出たのである。ところが、魔導院の周りを一周歩いても結局眠気がやってこなくて、諦めて魔導院の魔法陣から戦争時限定でつながっている詰め所へ帰るところであった。暗闇に月の薄明かりがぼうっと浮かび上がる世界は静寂に満ちていて、どこか幻想的ですらあった。

その最中を、突然に声が裂いた。

「……だからさぁ、あそこの飲み屋は不衛生に尽きるわけで」

「そりゃそうだろバックルームで客と店員がヤッてんだ」

「ナツメ顔色悪くない?寝てるー?」

「寝てはいるんだけどねぇ……」

「こいつには健康的で文化的な最低限の生活が肌に合わねんだよ」

黒服の一団だった。十人には満たないだろうか。一介の兵に過ぎない男はよく知らないが、四課とかいうところに所属する武官だけが着る武官服を着ていた。とはいえ、彼らはあまりその服で過ごしていないらしく、男も実物を見るのは初めてで確証はなかったのであるが。
候補生もちらほらと見える。皆一様に、赤茶色のマントをしていた。確か9組だったと思う。候補生にあるまじき落ちこぼれの集団だと。
そんな彼らが、ごちゃごちゃと喋りながらホールの真ん中を突っ切って歩いてくる。男はそこに妙な違和感を覚えて、ついホールの入り口辺りで立ち止まった。

違和感の正体がわからない。わからない、気持ち悪い。男はつい、彼らに気取られる前にと柱の影に身体を滑りこませた。

「蒼龍やっぱがったがったしてきたみたいねぇ」

「トップなんて飾りに見えて案外重要だからなー」

「ナギきゅんナギきゅうんナーギーぃぃぃきゅううーん」

「あれ?結局女王殺したん誰だっけ」

「ナツメだっけ?」

「なんでよアホ」

何かが。
何かがおかしかった。

「……あ、」

男はその正体に気付いて、吐息を漏らした。そうだ。この連中、なぜだか知らないが、足音が完全に揃っているのだ……。
そこには僅かなブレもない。これだけの人数が好き勝手に喋り好き勝手な速度で歩きながら、足音だけがとにかく綺麗に一致している。

そして、男が漏らした声とも呼べないその声に。
連中は一ミリのずれもない揃った挙動で、首をこちらに向けた。

「ひっ」

いくら柱の影にいても、存在が気取られれば見えないわけではない。完全に隠れているわけではないのだから。
恐る恐る振り返ると、全員が無表情だった。一切の感情が滲まない、ぞっとするような顔。
その中から白金の髪の女がゆっくりと進み出た。

彼女は武器も持っていなかった。しかし彼女の目がゆっくり細められ、朱雀兵を射抜くように睨むと、殺されるのではと一瞬そんな恐怖に包まれる。
妄想にすぎないとはわかっていた。それでもぞわりと背筋が粟立つ。戦場で敵と対峙するときと同じで、相手の心音までもが聞こえそうな集中を強いられる。ああ、嘘だろう、なんでこんな。

「おい」

「……なによ」

「ほっとけ。ほら、行くぞ」

しかし、結局その妄想は現実にはならなかった。ヘアバンドをした金髪の候補生が彼女の腕を掴み、首を横に振ったのである。
彼女は一度その候補生を振り返り、男をもう一度見やってため息を吐くと、結局男の方へは近づいて来なかった。彼らはもう男に構うことなく、全員一致でホールの真ん中の魔法陣に足を踏み入れる。
赤い光が、劈くようにホールを埋め尽くした。

そうして魔法陣が発動し、次の瞬間には彼らはそこにいなかった。ホールの魔法陣をあれだけの人数で使うというのは、間違いなく長距離の移動であろうと思われたが、しかし今現在戦闘はどこでも起きていないはずだった。新たな作戦が発令されてもいない。そもそも魔法陣を使って移動するには、地点登録が必要なはずだ。男は詳しくないが、ひどく手間のかかる作業だと聞いた。ドクター・アレシアの協力も必要だとか。
それなのにどうして今、それが使用されるのか……。

「……なんだったんだ?」

戸惑う朱雀兵はたっぷり五分以上、そこを動けなかった。今体験したことは、なんでもないことのように見えて、その実己の命運を分けた出来事のような気がしてならなかったのだ。



だが実際、その男以上に命運を握られた人々がいた。
四課史上最悪の仕事は、こうして幕を開ける。






長編分岐
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -