Act.32






最初に我に返ったのはケイトだった。

「やばい、やばいよ……!」

「おい、誰に連絡しようとして……」

「クラサメに決まってんでしょお!?こんなのおかしい、ほっとけないよ……!」

ケイトの青ざめた顔が少し痛々しくて、エイトが一瞬そちらに気を取られている間に、ケイトはCOMMを起動しクラサメに向けて発信した。全員が見守る中クラサメと連絡をとろうとするケイトだったが、すぐに焦燥を増した表情になる。

「なにこれっ、繋がんない……!」

「先ほどジャマーが停止しましたから……そのせいでしょうね」

「ああ。副隊長が止めたおかげで、今は全軍一致で出撃中だ。おかげで、優先順位の高い命令がCOMMをうめつくしてるんだろうな……私信ができないほどに」

「じゃあ、じゃあ何?戦争が終わるか、COMMを必要とする人間が物理的に減るまでは、このままってこと!?」

「……仕方ない。ケイト、落ち着け。もう仕方ないんだ」

「何が仕方ないんだよ!ほっといたら、ナツメが、ナツメが……!」

「何度言わせんだ阿呆ども」

混乱し始めた彼らをよそに、サイスが舌打ちでもしそうな声音でそう吐き捨てた。全員がサイスに視線を向けると、彼女は未だ真っ直ぐナツメの去った後を見つめていた。

「あいつの世界と、あたしらの世界はもうすれ違った後なんだ。あいつは自分のためだけに戦うから、もう……あたしらは、追いつけないよ」

風が一瞬止んだ。血の臭いが、立ち昇るように場を埋め尽くす。
炎が舞い上がるようにまた空を焼き、命を燃やすのが遠目でも見えた。ナツメは見えない。彼女がどこにいるのかは、もうわからなかった。

サイスの言葉の本当の意味を、その瞬間まで誰も理解していなかった。
選ばない人間が、それを選ぶこと。それまで戦いを挑まなかった人間が、戦いを選ぶということ。正攻法を避け、戦場には決して現れなかった人間が、武器をとったということ。
今このとき、彼女は全てを懸けているのだ。命だけじゃなく、彼女が捧げられる世界の全てを。

人は決死の戦いを挑むとき、大抵死を覚悟する。己の心臓が止まり、血がゆっくり流れでて、瞳孔が開き、もう何もわからなくなる終わりの瞬間を想像し、受容する。
しかし世界の死は覚悟しない。己の愛するものさえ自分が死んだら死ぬ、自分の世界は自分が死んだ後必ず歪んでもしかしたら崩壊するかもしれないと、そういう覚悟は誰もしない。だから、どんなに死を覚悟したって拷問や尋問で叩き壊せてしまったりする。

けれど。
今の彼女は。

「なんて奴だ……あいつは……」

「……だから言ったろ。あいつは、選ばなかっただけなんだ。人間はセーブして生きてるもんだって言うだろ?感情も筋力も、あたしらに至っては魔力も。……でもあいつは何かに遠慮しない、そういう人間だ。どっかこっかおかしい。だからセーブしたこともないんだろうな。今までは、全力を出す必要がなかっただけなんだ」

キングの呟きにサイスが静かな声を返した。否定も肯定もない、淡々とした声だった。

「あいつは魔晶石を使ってるんだろうな。事前準備もちゃんとやったわけだ。今まで出たとこ勝負、生きるか死ぬかにさえ誠実じゃなかった女が、あれだけ本気で戦ってる。それがどれだけ……」

まだ、COMMの向こうは混乱に包まれている。しかし一方で、どうやら朱雀に味方するトラブルだということに気づき始めたらしく、士気は急激に上昇し前線はゆっくりとだが白虎方面へ侵攻しだしていた。
0組が出撃した頃、まだナツメがおそらく本陣にいた頃には、戦況はよくなかった。軍神を出して尚押される状況に候補生も兵も戸惑いを隠せないでいた。
それが、どうだ。

ナツメなんて女が一人、決死の特攻を掛けただけ。
必死で正攻法を避けてきた女が、その最低な才能を、正攻法へと向けた。ただそれだけのことが。

「それだけのことが、どれだけ世界を動かすかなんて、誰も知らなかった」

魔導院で見るよりずっと近い空が真っ赤に燃え上がり、朱雀の旗の色のようだった。0組を追うように、候補生たちは各部隊を前へと進める。
0組は振り返らない。朱は孤高にして最強で、彼らには世界が変わる必要がなかったからだ。彼らだけは唯一、ナツメがいなくても働きが変わらなかっただろう存在であり、だからこそナツメの行動に勇気なんて湧かなかった。けれど、彼女を見届けた。

彼女がこれからどうなるとしても、彼らはもう関われない。この戦場では、絶対に。

「戻るぞ。あたしらの戦いはまだ残ってる。あいつが生き残るかどうかは、あいつが決めることだ。あたしらじゃない」

彼女の言葉はいつもどおり全てを切り捨てるようでいて、けれどなんだか優しくも聞こえるものだから。
どんなに戸惑っていたって、確かに彼らはナツメ一人を追いかけることはできない。いつも全員を救えるわけではないから。
彼らが強いからみんなが勘違いしてしまうだけで、全ての人を救いだしてきたわけではなかった。それはこれからもきっと変わらず、彼らは悔いたり嘆いたりしながらそれでもゆっくり前を向いていた。
誰も知らないだけで、彼らは世界を救えない。

「……昔、マザーに尋ねたことがあります。みんなが幸せになる方法。わたくしたちがどうすれば、この世界の人々を全て幸せにできるのかと」

クイーンの声はいつもどおり無感動だった。優しく、穏やかに怜悧で、弛まない声だった。

「マザーは笑って、そんな方法はないと答えました。世界の反対側で人が無残に殺されたって、あなたたちの責任になるはずがないのだから、と。そういう責任を背負えない以上、全ての善なる面にだけ顔を出そうというのは、思い上がりもいいところなのでしょう」

「……そうやって、諦めていくしかないの?」

「諦めるのではありません。確かにこれは、彼女の物語なんでしょう。だったら、わたくしたちが描かれないのもまた、道理なのでしょう」

だから、戻りましょう。クイーンの静かな声音に、結局誰も異を唱えなかった。
救えないことを、物語の一つとして受け入れることが正しいのか、おそらく誰も……サイスやクイーンでさえもたぶん、確信が持てないまま。









ナツメの足は悲鳴を上げていた。そんなことは、走っている当人には当然わかっているはずだった。
がくがくと崩れ落ちそうで、でも体重を載せて走りだした身体は簡単には止まらなくて、ナツメは風のように駆けていく。

「サンダガ!」

まさか一人一人ちまちま殺すわけにもいかないが、かといって全く相手にしなかったら戦争が終わらない。ナツメは走りながら拾った銃を連射し続け、兵士を殺し続けた。それだけでは対応しきれないので、時折コロッサスなどの兵器も利用した。白虎のクリスタルが与えたのは、非常に繊細な電気の扱い方であると聞く。電気の量を変えたり、どこまで流れるかの調節で、白虎の機械は動くのだと。
はっきり言って、細かい理論なんて聞いてもナツメには意味がわからなかった。根本的に、何を言っているんだかわからなかったのだ。
けれど一つわかっていることがあった。

「(電気を操るだけなら、私に機械は要らない……!)」

ナツメという女は、魔力の扱いに長けた女だった。魔法に適性を示した瞬間からずっと。ナツメの魔力は糸の様に細くなることも、柱のように太くなることも変幻自在であった。魔法にここまで適性を強く示す人間も珍しく、ナツメはよくは知らないが教員の間でも話題になった程だった。
惜しむらくは、その魔力の総量が非常に少ないということ。今でこそファイガを一発放つほどに魔力を保持しているが、昔はそれこそファイア一つ灯すのにさえ苦心していた。

「(努力をしても、ここまでが限界だった。だからもう、研ぎ澄ますしかない)」

糸になって、先は針になって。ナツメの魔力はナツメのなかで細く細くなっていって、そしてそっとサンダーの色が載って、放たれる。

『ぐぉっ……何だ!?操縦がきかな、うわああああああ!!』

「な、何で、突然コロッサスが……」

「逃げろおおお!殺され、ぎゃあッ」

ナツメの指先に点った雷を流し込まれ、コロッサスが狂う。
暴れて、自軍の兵士を轢き殺していく。

「……これ、正式に戦術として導入すればいいのに」

とナツメは勝手に思っているけれど、こんなことができる人間なんて魔導院に五人もいるか怪しいような戦法だった。だから白虎もまるで警戒しておらず、ナツメはいとも簡単に戦場の奥深くへ入り込んでいく。

「おい、朱雀の兵が紛れ込んでいるらしいぞ!この辺りも危険だって……」

「嘘だろ、俺たち補給部隊だぜ?」

「前線はまだ数百メートル先だってのに、何で入り込んでるなんて話、がっ?」

お前の攻撃は趣味が悪いと、ナツメは昔言われたことがある。言ったのは確かナギ。
お前の殺し方は、まるで風呂場で虫を見つけて潰すようなものだと、たしかそう言っていた。とても趣味が悪いと。覚悟も怒りも悲しみも焦燥も願いも悼みも望みも決別も、そこにはないのだと。
生きて自分の目の前をうろついていたから殺す……無感動で無意識的で感情の壊死した、そういう殺し方だと。

「……その何が悪いっての?」

ナツメが銃剣で刺し貫いた心臓はゆっくり止まった。必要なのは、この結果だけだろうに。ナツメは透明に微笑んだ。

「く、来るな来るな来るな!!」

「何がいるんだ!?」

「ぐ、くそぉ、補給部隊なんだぞぉ……!!?何で俺たちが死ななきゃならないんだあああッ……!」

「何言ってるかわからないわねぇ揃いも揃って……」

ナツメはコロッサスに流した電気を、ぱっと引き抜いた。高出力で暴れさせられたコロッサスはその瞬間に回路が断ち切れ、ショートしてゆっくり倒れていく。
それを見送り、コンテナを駆け上って、去り際に炎。

燃え盛る火と、その中で踊るように最期の瞬間を過ごしている兵士は振り返らず、ナツメは口角を上げた。

「戦争なんて、所詮暗殺の繰り返しか。……なぁんだ、何も難しくないじゃない」

ナツメはその世界を生き残ってきた。
極限状態、殺す瞬間、相手の記憶が己から剥離して乖離して解けて崩れて消えていく世界。
だからナツメは引き金を躊躇わないし、一つ一つの戦いが命がけだ。

生きようとしては、駄目。
ナツメは走りがけに、落ちていた散弾銃を拾い上げた。インビジが解けかかっているのを肌で感じ、コンテナの影に滑りこむと魔晶石を取り出した。
と、インビジ魔晶石が残り少なくなっているのを指先で感じ取る。0組と離れてからこっち、ずっとインビジを張り続けているため消費が激しい。いざとなれば自力でかけることもできるが、魔晶石で済むなら魔晶石で済ませたい。インビジは、馬鹿らしいくらいに魔力を喰う。

「ああもう、」

苛立つ脳が揺れるけれども、足の裏が温かく感じるようになってきた。つまり、空気が冷たい地帯になってきたという証拠。
近づいている。少しずつ、近づいていく。戦いの終わり、白虎との国境へと。

「殺せば……!」

誰かを殺せばいい。ナツメの仕事は決まりきっていて、いつだって変わらずそれだけ。場所が戦場でもホテルでも。ホテルと違うのは、殺さなければならない指揮官が守られていること。
指揮官は一番奥にいるものだ。だから、ナツメは敵陣深くに切り込んでいく。今日だけで何人殺したかなんてもう覚えていなかった。

冬の風が吹いて、ナツメの髪を揺らした。姿を消して無音で走る彼女は、まるで鎌鼬のようだった。銃剣の先を引っ掛けるように首を裂いて、爆薬が詰まったコンテナは容赦なく爆破する。それだけで分隊を一つか二つ壊滅させられることに気付いたときには、戦場とはなんて簡単な場所なのかと笑いさえ溢した。

ナツメが普段人を殺す時、それは単純であることが多い。××を殺せ、ただそれだけ。それでも大抵はオプションがついて、自殺に見せかけたり失踪に見せかけたり殺人者を仕立てあげたりと、面倒は少なくなかった。
けれど戦場においては、命が軽い。一切の面倒なく、人が死んでいく。これが暗殺だったら、どんなに簡単でも現地で爆破してドカン、とはいかない。

「安い高価いの問題じゃあないわね」

笑い飛ばせるくらい、命は軽い。無価値だなんて程度じゃない、価値を論じる価値もない。
人間の身体は、吹き飛ばされると硬いゴムボールのように僅かに跳ねた。

爆風の最中をナツメは一人駆けていく。
その姿が捕捉され始めていることに、気づかないまま。







長編分岐
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -