Act.5-a








なぜかわからないが、幸せな夢を見ていた。顔も思い出せない愛しい誰かが、唯一残された彼と共に自分を覗きこんで微笑む、そういう夢を。

「ん……」

目蓋が動いて、身体は目覚めようとする。それが嫌で、ナツメは必死に目を閉じた。まだ消えないでほしくて、もう少し目を凝らせば見えない顔が見える気がしたからだった。
しかし目覚めはじめた以上、微睡みの中に留まることなどできないのだ。ゆっくりと目蓋は開いていく。

「あー……、」

起きてしまった。光が目の中に飛び込んでくる。諦めてゆっくり身体を起こすと、そこは知っている場所だった。カヅサの研究室の診察台である。視線を巡らせば、部屋の隅の丸椅子に白衣の知人が座りこんでいた。

「おはよう。近寄ってもいいかい」

「……え、ええ、おはよう……え?何でそんな端にいるの?ここはあなたの部屋じゃないの」

「そういうこと考慮してくれないんだよ僕の友人は」

「友人?……友人……」

はて誰だろう。首をかしげると、白衣のポケットに手を突っ込んだカヅサはがくりと頭を垂れた。「クラサメくんだよ……」ああ、そうか友人ってクラサメか。ナツメは納得してようやく頷いた。

「僕には友達がいないと言いたいのかな?そういう君だって相当なものだよ?」

「声に棘があるわねぇ……。違うの、寝惚けてただけよ。……クラサメって……もしかして、私を運んだのって……」

「そりゃクラサメくんだけども」

「ぐふっ」

精神面にクリティカルヒットしたので、ナツメは胸を押さえ身体を縮こまらせる。息が一瞬だけ苦しくなった。

「っていうかね、さっきまで彼ここにいたんだよ。0組帰投の連絡があったから戻っていったけど、でもすぐ戻ってくるんじゃないのかな?」

「うぶぶ、ぉぅうう」

「どこから出てるのその声?」

心臓に悪いことを立て続けに畳み掛けるカヅサの言葉に、完全にむせ返り硬直する。やばい、まずい、今何時だ。ナツメは慌てて診察台から足を下ろした。と、それを見ていたカヅサがこれ見よがしに溜息をつく。

「大丈夫だって、まだ帰ってこないよいくらなんでも。隊長は仕事いっぱいあるからね」

「あ、そっか……よかったぁ」

「あからさまにほっとしないの。お酒の飲み過ぎも禁止」

「飲み過ぎたんじゃないもの、飲まされ過ぎたんだもの……。とにかく、それなら私今のうちに出るね。ありがとう、迷惑を掛けたわ」

「待って待って、これだけ飲んでって。薬だから」

そう言って差し出されたのは、なにやら緑色の液体である。どことなく粘ついている上に、臭いからして苦い。うえっと思ったのが顔に出たらしく、カヅサは苦笑する。

「色も臭いも酷いけどね、効くから。二日酔いにも、胃が荒れてるのにも」

「そう……ありがとう、飲むね……」

わざわざ煎じてくれたのだし、味くらい耐える。底の浅い器を受け取り、縁に口を当て傾け、息を止めて一気に呷る。どろりとした感覚が喉をゆっくり滑っていき、もう消えかけていたはずの吐き気が再びよみがえってきた。

「うぇぇ……」

「まずい?ねぇねぇまずい?」

「この顔見てわかるでしょ……うえぇ気持ち悪い、何なのこの味」

「うーん、やっぱりまずいか。ちょっとだけ改良したんだけどなぁ」

「これで改良版だったら元はどんな味だったのよ……」

くらくらするし、苦味が喉にとどまっている。カヅサがコップに入った水もくれたので、喉をすすぐように流し込んだ。少しだけ楽になった気がした。

「いやね、クラサメくんがこの狭い部屋で半径一メートル以内には近づくなって言うから。十年来の友人を何だと思ってるんだって話だよねぇ全く。そんなわけで暇だったからずっと薬作ってたんだ。それは第五試作品」

「え、ずっと?」

「ずっとだよもー。何もしないって何度言っても信用してくれないんだもんクラサメくん。僕そんな信用ないかな?ナツメちゃんに何かしたことなんて一回か二回くらいしかないよ?」

「待って私にその数回の記憶がないんだけど私なにされたの?……いややっぱいいわ知りたくない……」

この変態め、とひとりごちて、ナツメは凝り固まった首をゆっくり回した。

「あ、……確かにちょっと楽だわ。身体が暖かくなってる気がする」

「君は体調のトータルケアをケアル魔法一点張りで済ませてるからね、薬の効きがいいんだよ。ちょっと落ち着いてから戻りなさい」

「ありがとうカヅサ」

優しくカヅサが微笑んだ。クラサメつながりでの友人で、つまりは直接の知人ではないのだが、クラサメを飛び越えてカヅサたちは良くしてくれる。何があったかなんとなくでも知っていて尚、カヅサともう一人、クラサメの友人はナツメをいつも庇ってくれていた。
それが有難すぎて、たまに苦しくなる。申し訳なくて。

「ねぇ。……クラサメは、どう?何か大変だったり……しないかな」

「さぁねぇ。弱音を吐くタイプじゃないからねぇ……ごくたまーにぽろっと、零すことはあるけど。ナツメちゃんはクラサメくんを女性不信にでもしたいの?彼じゃなかったらそろそろトラウマになってるよ」

「うぐっ……いや、でも女性不信……ううむ……」

「何でそこだけ反応するの?ちょっとおいしいとか思ってないよね?」

「しっ、失礼な!そこまで下衆じゃないわよ!」

勘ぐられたくない部分を勘ぐられ、声が裏返った。カヅサはしばし目を細めてナツメを睥睨していたが、結局「まぁ……君らのことに口出すとやけどしそうだからいいや」と肩を竦めた。

「ま、彼のことが気になるんなら自分で聞けばいいよ。きっと答えてくれる」

「聞けないよ……」

「できなくても、いつかしないといけない。人は至上目的一つだけでは生きられないものなんだからね。目的が一つしかない人間は、死に向かって一直線だから」

カヅサはナツメの肩を叩いた。体温が伝わって、どうしてか守られている気がした。カヅサはたぶん、身近で一番自分に甘い。けれど、言うべきことは必ず言う人間だ。とても強い人間なのだと、折に触れて思う。だからこんな魔導院の片隅で、一番自由に生きている。
だけど。だけど、とナツメは内心で呟いた。

「でも、至上のものってひとつあるだけで……それ以外どうだって良くなってしまうから」

カヅサが研究にだけは頑なになるのに似ている。結局、何もかも欲求に終始するのだ。カヅサならば“知りたい”という欲求に。ナツメならば“失いたくない”という欲求に。
喉が震えて、ナツメはもう一度礼を告げて診察台から降りた。行かなければ、欲求ひとつ叶えるためにやはり地下へと潜らなければ。







冷たい壁に指を滑らせながら、一段一段下へと降っていく。霊廟よりずっと深い。COMMで連絡をとったところ、ナギは一足先に拷問用の牢屋にいるのだという。ついでに一人で全部済ませておいてくれないものかね、とナツメは身勝手なことを考える。拷問は苦手なのだ。不得意でもあるし。
しばらく歩いて、最奥の、かつてはただの独房だった部屋のドアを開ける。ここを拷問用にしたのは、意外にもつい最近だ。ので、まだ血の臭いも薄いし汚くもない。中にはナギがいて、その背後で後ろ手に縛られ足も括られたマッセナが縛られていた。ナギはナツメを見るやいなや、「体調は」と聞いた。

「平気よ。もう大丈夫」

「悪かったな。まさかガチで倒れるとは思わなくて」

「全くだわ。今度同じ目に遭わせてやる、タイガー酒を取り揃えてやる。……っていうか、クラサメに運ばせないでよ……」

最後は呟くように言うと、ナギは心外だと言わんばかりに片眉を上げた。

「俺が運ばせたんじゃねぇよ。たまたま近くにいたあの人がたまたまお前の体調悪化に気付いて駆け寄ってきてたまたまお前が倒れた瞬間受け止めてたまたま俺の制止を無視してどっかに運んでったんだ。俺何も悪くない」

「……んぐぐ」

言葉がいちいち突き刺さる。彼が何を思って自分を運んだのか、そもそもなぜ体調が悪いことに気付いたのかとか、考えれば考えるだけ己の精神を抉っていく。
ので、考えないようにしてナツメは部屋の隅の机にあった記録帳を手にとった。どうやらまだ何も聞き出してはいないらしい。

「これからなの?」

「ついさっきまでそいつ気絶してたし。俺記録すっからあと頼むわ」

「ん」

記録の方が面倒なので、そちらを引き受けてくれるというのなら願ったりかなったりだ。ナツメはマッセナに噛ませていた猿轡を解いて引きぬいた。途端、マッセナはがたがたと喚き出す。

「魔人どもがッ何も話さんぞ!!すぐにでも元帥閣下が魔導院なぞ屠るのだからなぁ!!首を洗って待っていろ、全員跡形も残さず吹き飛ばされる運命、がはっ」

「黙れ、うるさい」

ただでさえ部屋が狭いので、大声厳禁だ。ので、蹴り飛ばして黙らせた。さて、拷問を始めなくては。

「私はこれからあなたを拷問しなくちゃなの。話すも話さないもあなたの勝手。でも、話すまでは、私はあなたを傷つけては癒やしを繰り返すことになるわ。正直面倒くさいからさっさと殺しちゃえよと思うんだけど、とりあえず体裁だけ整える必要があってね……」

「ふん、拷問ごときで私が機密を漏らすものか……!」

「それならそれでいいわ。私はどっちでもいいの。でも早く話してくれたほうが、面倒がなくていいんだけどね」

ナツメは苦笑し、指先に十センチほどの氷の刃を生んだ。
とにかく面倒なので、楽な方法を取る。上向きに転がしたマッセナの腹部を、横に一閃、裂いた。

「ぅぐぎゃっ……!?」

そこからは血が勢い良く溢れ、地面にゆっくり広がっていく。マッセナは突然切り裂かれた己の身体を見下ろし、目を見開いて痙攣していた。

「大丈夫よ、数時間は死なないから。死ぬころになったら治してあげる」

死なない程度に伸びた裂傷を見つめ、氷の刃を消すとナツメは部屋の隅で敷き布の上にごろりと横になった。血の臭いが充満して頬に貼り付きうざったいが、ここを離れることはできないし拷問中にできることは限られている。せいぜい仮眠するとかその程度だ。いや仮眠も普通はしてはならないのだけれど、ちょうどいい孤独感を与えることもできるのでいい。と自分で決めた。

「ああ、そうそう……絶望して舌を噛むとかも無意味よ。私がすぐに治すから。何度も死の寸前まで苦しみたいんなら止めないけど」

それだけ言って、ナツメは目を閉じる。同じ高さ、反対側の壁際に鎖で繋がれたマッセナと最後一瞬だけ目が合う。
恐怖に揺れる緑の目を見つめてから、ナツメはふっと眠りに落ちた。マッセナが何か語れば、ナギが記録しておいてくれるだろう。それまではただ待つだけだ。
眠りについて、もし可能なら、あの夢の続きを見たかった。無理であろうとわかってはいても。

「クラサメ……」

つい冷たい石の壁に落とした言葉は、自分でも驚くほど甘い色を孕んでいた。







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