Act.5







反撃が始まる朝、ナツメは静かにホールの壁際で佇んでいた。
何の事はない、出撃の直前に至ってしまえばやることがないのである。0組のサポートについては命令されておらず、そもそも自分も出撃する身なのだ。サポートはされる側である。睡眠時間を削って駆けずり回っていた数日が嘘のようだった。

「……ふむ」

しかし騒がしい。
ホールではばたばたと、11組候補生が物資を抱えて走り回り、赤と黒で彩られた軍服も見飽きるほどごった返す。何が何でも最初の反撃を成功させなくてはならない魔導院では空気がピリピリと肌を刺すかのようだ。どことなく、殺気立っている。
マクタイ奪回。魔導院からもっとも近い、大きな街だ。現在は、白虎の対朱雀戦線最前線。
そこを押し戻す。少しずつでも白虎の領域を削る。そうやって、戦争は新たな局面を迎えるのである。

「一方私たちは今日も裏方、と」

「表に立ちてぇんなら止めねぇけど」

「向いてないからいい」

「だろ?」

表に立てるものなら立ちたいだろう友人が、隣でインビジ魔晶石を差し出した。それを受け取り、ナツメは微かな目眩を振り払ってすぐ後ろの壁に頭を打ち付けた。痛みが思考を一瞬だけクリアにする。
いかに視界が揺れていようと、休めるわけがないのが四課、ひいては9組なのだ。だから自分は重宝される。4組出身であるという一点だけでも。

「このマゾ子ー」

「お黙りサド野郎。こちとら二日酔いなの。……誰のせいだと思ってんのよ」

この男が全て悪い。9組という連中は常に箍が外れていて、ただでさえ重要任務の前日に夜遊びしてみたり男遊びしてみたり女遊びしてみたり、ひどい時には言葉に出せないような狂乱に耽るバカばかりだ。ただでさえそんな有り様だというのにこの男は、昨日9組寮談話室にタイガー酒を投げ込んだ。
結果、それはそれは惨憺たる有り様になった。一度は押さえつけられて酒を飲まされたので、まだ頭が痛い。本当なら9組を見捨ててさっさと自室にでも戻っていればよかったのだろうが、ああいう酒宴はこと9組では稀に死者が出る。それを防ぐため、ナツメは帰るわけにいかなかった。

「っていうか、何で任務前日にタイガー酒なんてアホみたいな酒を持ち込んでしまうのよ……」

「んー……まぁ、まず第一に酒が飲みたかったからだ。で、一番簡単に手に入るのがタイガー酒だった」

「度数わかってやってる?あれ極寒に耐えるためのアルコールよ?消毒用とどっこいよ?」

「ハッハッハ。……第二に、あいつらはこれから不慣れな戦争任務に就かなきゃなんねぇ。そりゃもちろん魔導院の人間ほとんど慣れちゃいねぇしこれから大変な目に遭うけども……9組はやっぱり事情が違う。それはなんとなくわかるだろ?」

乾いた笑いだけをかまして、ナギは言葉を続ける。やけに神妙な口ぶりなので、少しだけ考えてしまった。……9組と他のクラスの違いなんて、いくらでもあるけれど。

「そうねぇ……いろいろ思いつきはするけど、例えば開戦のこの空気の中で完全に浮いているところとか?」

そう、この空気だ。
殺気立って、命がけで、国家を取り戻すことに陶酔する感覚。戦うために、兵士も候補生も訓練生も酔っている。アルコール臭にも似た臭いが、空気中を漂っているのはたぶん誰でも感じ取れる。
それが、肌を刺すようにうざったいのだ。おそらくナギも同じように思っている。ずっと生活してきた場所のはずなのに、どうしてか排他的な扱いを受けている気がした。きっと9組では誰もが同じ。

「いわゆる酩酊状態だろ?」

「ああ……そうね。9組は、同じように酔えない」

「そゆこと」

9組とは基本的に懲罰部隊だ。
まだ生きることを許される代わりに、犯した罪を贖わなければならない。そういう場所だ。だから、9組の人間は国土を取り戻すために必死になどならない。国土がどんなに広かったって、日の当たる場所が割り当てられることはどうせ無い。

「でも9組にいる以上、戦わないって道は無い。俺らに次はないからな。……空気にも酔えねぇあいつらがそれでも戦えるように、お優しい俺は酒を提供してやったのよ」

「……で、無理やり飲まされた私が二日酔いになったことに関して釈明は?」

「回復魔法でも使えよ」

「せめて形だけでも謝りなさいよこんにゃろう!……ぁー、こんなことまでケアルはカバーしてくんないっつのに……。……ああ、もう無理、しんどい」

とすん、と首の後ろをナツメは自分で叩いた。電気系魔法の操作と並行してアボイド魔法を流用、吐き気を感じる神経を鈍らせる。本当ならやるべきではないとわかっていて、しかしナツメはそれを振り払った。一気に吐き気から解放された。

「ああー楽……私今日突然ぶっ倒れるかもしんないからね、覚悟しとけ」

「えええ、それは困るんだけど」

「困ってんのは私よ」

「軟弱だなオイ」

「自分が枠だとそういうこと平気で言う……」

痛覚を鈍らせるということは、4組でも禁じ手だ。痛みを感じない人間はどんな無茶でもできてしまう。そのうえ、いつ痛覚が復活するかまでは操れない。ので、こういった手段は緊急用であり、特に自分に掛けるのは禁止になっている。
が、今はもう4組ではないので知ったことでは。

それに、すでに今さらなのだ。禁じ手なんて言いながら、やりすぎて癖になってしまっている。痛覚はもう、一般人に比べればかなり弱くなってしまっている。

「で?私たちはいつ行くの」

「二分後」

「もうちょっと早めに予告してよね……。じゃあその二分で任務の詳細を教えて」

任務の内容が事細やかに教えられないというのはままあることなので、別に知らなくてもいいのだが。
ナギは頷き、任務についての説明を始める。

「移送用魔晶石の魔法陣を、今数名で記入しに行ってる。奴らが戻るのが二分後の予定だ。入れ違いに出発して、捕虜の獲得に動く。0組や2組の前衛部隊との接触は禁止、俺らに与えられた時間は30分てところだ。インビジの量から言ってもな。それだけの時間でできるだけ偉い捕虜を獲得すること。可能なら指揮官クラスがほしい」

「で、拷問まで私たちでやるわけ?」

「拷問だけやらせてくれとかふざけたこと言うやつもいるんだけどな、今忙しいから。暇なのお前だけだし。俺だって忙しいけど、お前拷問とか尋問とか苦手だろ?だから監督してやるんだよ」

「苦手、っていうか……まぁ、下手ね」

それは否定できない。やる気が出ないというのも理由としてあるのだろうが。

そして二分と十数秒が経過した後、ナギとナツメのCOMMが同時に鳴った。先遣隊が戻ったとのことだった。

「んじゃ行きますか?」

「ちなみにどこに転移するの?」

「知らね」

適当な口ぶりでナギが魔法陣の中にナツメを引っ張りこんだ。不意に気配を感じて振り返ると、遠く、軍令部へ続くドアの入り口あたりにおそらく指示待ちであろうクラサメがいた。目があった気がして、心臓が一瞬高く跳ねた。







北風と呼ぶにはぬるい風が頬に吹き付けて、自分が屋根の上に立っていることに気付いた。ナギと目を合わせ身を隠し、二人でインビジ魔晶石を使う。
そして窓から室内に入り込む。なんとなく大きな建物だなと思ってはいたが、内装が思った以上に丁寧な作りだったので、もしかしたら町長だとかの邸宅だったのかもしれない。
先遣隊は良い仕事をしたらしい。街を制圧した指揮官は、こういう場所を本部にするものだ。守りが堅固で、ほどほどに華美で、居心地が良いから。

ナツメは無言でドアに寄り、押し開こうとする。冷たい木の感覚がひんやりと手に伝わる中、そっと開いた隙間の先に二名の兵士を見つけた。ひそひそと二人、話し込んでいる。

「……マッセナ少佐は何を考えているんだ?魔導院の動向がおかしいっていうのに。反撃に出られたら面倒なことになるんだし、今のうちに救援を要請しておけば……」

「バカだなお前、そんなことしたら少佐より階級の高い指揮官が派遣される可能性が高いだろ。マッセナ少佐が王様として振る舞えるのは今だけなんだ、それを心ゆくまで楽しみたいんだろうさ」

「んなことに振り回されるこっちの身にもなってくれよなぁ……?」

マッセナ少佐、か。
指揮官の名前を手に入れた。ナギが後ろからドアを更に開く。お互いの姿も見えはしないが、なんとなく感じ取れる。今ナギがナツメを見て頷いたことも。その意図の示す先が、邪魔な兵士をさっさと殺そうという誘いであることも。

ナツメは靴音を立てずに歩き、一人の背中に拳銃を突きつけ銃弾で心臓を貫く。乾いた音と共に微かな血しぶきがその目の前にいた男にも届く。至近距離で撃ったため貫通した銃弾は二人目の肺も軽く抉り、悲鳴をあげようとした二人目はカヒューカヒューと掠れた息を漏らしゆっくり倒れていく。ナギがそれを受け止めた。もちろん、愛用のジャックナイフで。

「……こいつらは別にいいわよね。マッセナって方が狙い目だわ」

「ああ。その辺に捨てとこうぜ」

侵入経路でもあった部屋に二つの死体を引きずって戻り、長いカーテンの裏に押し込む。これでよしと思うや否やカーテンを赤黒い血が染め始めたので閉口する。

「まぁいいわよね」

「めんどくせぇしな……さっさとマッセナとやらを捕まえようぜ」

「ん」

二人の兵士があんなところに立っていたのは、あの部屋を警護するためだったはずだ。そして声を潜めて話していたのは、明らかにあのドアの向こうに陰口の対象がいたからだ。
ナギと二人、ドアの前に立って、ノブを握ってみる。鍵が掛かっていた。

「うら」

けれどそんなものに、何の意味が。ナギが見もせず針金を突っ込み、ものの数秒でこじ開けた。
ひとりでに開いたドアに驚いてか、中にいた数名が目を見開きこちらを見た。勲章の数で、階級はわかる。窓際に立っている大柄な中年男性がマッセナだろう。
他はいらない。ので、さっさと片付ける。

「ぐひゅっ」

喉を刺突され、声とも呼べない声が部屋に転がった。ナギは一瞬も立ち止まらず、次を狙う。空気が動くので、意外とそれくらいはわかるものだ。
ナツメもまた、混乱し逃げる方向さえ掴めない連中を拳銃で次々打ち抜いていく。すぐに、軍服が白のまま保たれているのはマッセナ一人だけになる。
さてどうしようか。足でも吹き飛ばすのが一番簡単だが、治すのが面倒になる。捕虜交換のことも念頭におかねばならない。ので、とりあえず昏倒だけ狙う。

近づいて、横から思い切りこめかみを叩く。揺れる脳、視界も一瞬白く染まったはずだ。ほぼ同時に鳩尾に膝蹴り。くの字に折れて咳き込む首の裏に肘鉄をいれた。

「ぐ、ぐぉぉ……!」

「容赦ねぇのなー、っていうかインビジ状態でぼこぼこにされるの見てると面白ぇな何これ。拭えないエンターテイメント感」

「面白がらないの。っていうか容赦してるわよ、足でも吹っ飛ばすか迷ってたんだもの。私やさしい」

「お前はね、本当の優しさってものを一回知るべきだと思うわけ。暖かい家庭とかで」

「そして四課の仕事が辛くなってナギに殺されるわけ?勘弁してよマッチポンプ」

ギリギリアウトなブラックジョークを飛ばし合いながら、透明な二人は倒れ伏すマッセナを見下ろした。ナギが隣に膝をつき、腕を下に差し入れたのだろう。マッセナの身体がゆっくり持ち上がる。
さて戻ろうか、そう思った瞬間にドアが外側から勢い良く開けられた。

「大将はここかコルァ!!」

「ッ!?」

突如ぶちまけられる炎の濁流。
ナツメは慌ててウォール魔法を展開し、それを防ぐ。炎がゆっくり収まった先でぽかんと大口を開けてこちらを見ていたのはナインとエース、クイーンであった。シャットアウトしてしまったので痛みは感じないものの、己の身体を検分するように視線をやれば、ナツメもナギもインビジ魔法が解けている。こんなに早く解けるなんて、と思ったが、ウォール魔法でナインのものらしき魔法を防ぎきれなかったらしい。インビジ魔法は攻撃を受けると解除されてしまうのだ。今回に関して言えば、ウォール魔法ごときでは0組の魔法を防ぎきれなかった。手のひらがひりひりと痛む。ナギもどこかしか怪我を負っているはずである。ナツメは一応彼にケアルをかけておいた。

「副隊長、どうして……!」

「……ナギ、確認するけど0組との接触って……」

「そりゃもう禁止だぜ」

「よねぇ。……どうしようかしらこれ」

とりあえず自分にもケアルを掛ける。なにやら慌てているエースとクイーンについては、どうしようもないのでナギに丸投げした。視線だけで意思を受け取り、ナギは溜息をついて言い訳を始める。ナギが誤魔化してくれればそれでいい。と思ったのだが。

「四課の仕事でな、捕虜取りに来たの。こいつ指揮官なんで、もらってくわ」

「っておい!いくらなんでも完全に説明しちゃ駄目でしょうよ!?」

「別にいいんじゃね?クリムゾンクリムゾン」

信じられないほど気安い表情でナギが笑った。その表情はナツメでさえほとんど見たことのない、明るく楽しげな色をしていた。ので、驚く。
この男はこんなにまともな、作り笑いでない笑顔を作れる人間だったのか?相手が0組だからだろうか。

「秘匿指定コードをなんだと思って……ああもういいやナギの責任にしちゃえ……。そうよ、私たちも仕事だったの。これも一応秘密の任務だから、人に言わないようにね」

「はぁ……なんとなく理解できるけど。でも、僕たちも同じ場所で似た任務をしてるんだから、事前に一言教えてくれても良かったんじゃないか?」

「たったそれだけの理由で開示される任務に秘匿指定コードはつかないものよ。……まぁそんなわけで、私たちは帰るわ。そろそろ時間だし」

ナギが腰のポーチから移送用魔晶石を取り出した。ぐったり四肢を投げ出したマッセナを掴んで、それが発動される。
見送る三人を振り返った瞬間、景色は完全に切り替わった。そして、次に目を開けた時には魔導院のホールにいた。

「……ちょっと、直で四課じゃないわけ?目立つじゃないの」

「場所指定ミスった。許せ」

「許す余地がないわ。今日仕事いい加減すぎない?どうしたの?」

「朝からしんどくて。五月病かねぇ?」

「今二月だけども」

仕方ないのでナギの上着を剥ぎ取りマッセナにかぶせた。白い軍服はここでは目立つのだ。
そうして二人、急いで地下へと向かい、四課の入り口に差し掛かったときだった。

すぐに気付いて立ち止まる。凄まじいまでの吐き気。痛覚が、戻ってきた。

「う……ぐ……っ」

「ナツメ?……おい、ナツメ!!」

視界がぐるぐると周り、足の裏が地面だという感覚がない。気持ちが悪い。
糸の切れた操り人形の如く崩れていく寸前、妙に温かい体温が己を抱きとめた気がしていた。







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