Act.4-b






「なんでだ、ナツメ」

手が伸びて、私を掴む。
この手だ。こういう手が私を赦さない。だから、総てが私を赦さないのではないかと何度も何度も考える。そしてそれはあながち遠からずと落ち着く。

「どうしてだよ、なんでお前、なんでまだ、」

ああ、その先は、もう聞きたくないな。思うけれど時は止まらない。いつだって今に留まりたいのに、歯車は私をより暗い未来へ運んでいってしまう。
ある日全ては塞き止められて、私は意思を伝える手段を失った。それを決して後悔しないし、釈明の機会も必要ない。それが彼と引き換えになるからだ。だからこれでいい。

「なんで白虎の雌犬がまだ朱雀にいるんだよ!?」

これでいい。手放したのはなんだったのか、自分でももうわからないから。






授業で使う資料を探す必要があった。彼は忙しい。頼まれたわけではないし頼んでもくれないが、本来私の仕事だろう。
本棚の間を摺り抜け、目当ての棚の前を縫うように歩いて欲しい資料を抜き取っていく。それなりに通いつめた場所であるから、大抵は調べるまでもなくどこにあるか分かっている。
最後の本棚の前に立ち、指を背表紙の群れに滑らせる。……あった。
それを抜き取って、クリスタリウムの端にある貸出機に乗せる。授業用、と呟いて、上に浮くクリスタルに手を寄せ、貸し出しは完了だ。

「あーっ、ナツメだー!!」

「!」

後ろから素っ頓狂な声が上がり、振り返るとそれはシンクで。エイトとケイトも一緒だった。

「ねえねえ何してんの何してんのーっ?」

「こらぁーシンク!ここで騒ぐとあのうるっさいおばさん来ちゃうでしょー!」

「ケイトもうるさいわよ……。ここでは静かにね。それから仮にも局長をおばさん呼ばわりしないで本当後で怒られるの誰だと思ってんの?……授業のね、資料を探してたのよ。次に使うから」

そう答えてやると、二人は本を覗き込み揃って顔を思いっきり歪めた。えええ、難しそー!二人の大声に私の肩がつい跳ねた。
院生局長も生徒のために尽力しているのにこの言われ様か、と思いつつ、彼女らのその後の声の大きさを再度注意しようと口を開く。がその前に、彼女らの後ろからエイトの手が伸びて二人の肩を掴んだ。

「静かにしろと言われただろ」

「うぐぐ……シンクちゃん反省したからー、やめてよ痛いよー」

「あっだっだだだだこんの馬鹿力!骨が!くっだっけっる!」

それを見つめている私は苦笑いしかできない。
それにしても、本当に仲の良いクラスだ。ここまで親密なクラスは見たことがない。9組も関係は密というか、年がら年中ひっついているようなところがあるが、あれはまるで違う。触れ合う傍から爛れている気がして、正直閉口してしまう。
だから、純粋に仲がいいだけの彼らが眩しい。ナギが妙に親近感を覚えているわけだ。おそらく自分より先に、0組のこういう部分に触れた。たぶん彼らはナギの理想なのだ。探りあいでもなく、互いを利用するでもなく、ただ近いだけの仲間。そんなもの、ナギには得るべくもない存在だから。
それならナギにとっても楽しい友人となるだろうか。……なるといいな。私じゃ不足だ。

「……それじゃ、授業でね」

じゃれる三人にそう言って笑って、クリスタリウムを出ることにする。もうここに用はない。彼らの楽しい時間に自分が混ざる必要はないので。
そして扉を開き、外に足を踏み出す瞬間、腕を強く掴まれたことに気づく。ぎりりと力を込めて引き上げられる腕に本能的に恐怖を感じ、振り払うのを一瞬躊躇ってしまう。
視界に橙色の、4組のマントが揺らめいた。

「なんで、お前が朱雀に居るんだよ!?」

そうやって、話は冒頭に戻るのである。

「待って落ち着いてよ、」

「落ち着け?落ち着けって言ったか?俺がお前に命令されると思うのか!」

掴んでいる彼――ユイクは、4組の人間だ。かつての友人であり、後輩でもあった男だった。少しは慕われていた、思っていたそれは勘違いに過ぎなかったようだ。私の腕を縛る力の強さがそれを証明している。
彼の声はクリスタリウム中に響き、視線が集まるのを感じる。なんとか諌めようと言葉を吐くも、完全に逆撫でしているようだ。ふいに、私を掴む方とは反対の腕が、私に高く振り上げられる。
叩きつけられるだろうそれを避けていいものかわからなくて、一瞬では判断がつきそうもなく、私はあきらめてぎゅっと目を瞑った。が、衝撃が思ったタイミングで訪れず、そろそろと目蓋を開けると、ユイクの腕をシンクが掴んで止めていた。呆然と、男性の腕を掴んで止めるなんてすごい力だな、と思った。

「ぼおーりょくはんたい!なんなの、あんたー!」

「し、シンク……」

「……0組か。0組まで誑し込んだのか、お前」

「ちょっと、やめて」

「っは、お前の命令なんか聞かねえっつってんだろうが!」

「いい加減にしろ」

エイトがじろりと彼を睨みつける。それに一瞬気圧されて、ユイクは身じろいだ。が、それでも私を掴んでいるかぎり、私を非難する理由がある限り自分に利があると思い直したのか、高圧的な態度を崩さず続ける。

「へえ、こいつら……何も知らないのか。何も言ってないんだな、やっぱり」

「……やめてよ」

「お前は汚いよ。そうやって平然と騙す。仲間面だけ馬鹿みたいに巧い。後で知ったときどうなるかなんて考えないんだろ?」

それは違う、とは言わなかった。考えないわけじゃない。考えないわけじゃないけど……。
私はぎゅっと目を瞑る。彼が何を言いたいのかわかっていた。

「知らないんだろ?教えてやるよ。こいつはなあ、白虎の生まれなんだ」

ぎりりと腕を掴む手に力がこめられた。その痛みが、私をここに縛り付ける。縛り付けて、離さない。
だから私は、動けないんだ。そして、逃げることもできないから……ユイクは言葉を続けてしまう。

「朱雀の人間じゃない、敵国の人間なんだよ!!」

クリスタリウムに響き渡ったその事実は、やはり一つの楔なんだろうか。シンクが、ケイトが、そしてエイトが目を見開いて私を見つめる姿に、そんなことを思った。
目を伏したまま反応しない私に、ケイトがおそるおそるといった様子で、彼の言を確かめようとする。

「えっと、……本当?」

「……そうね。特に訂正すべきことは、ないわね……」

ゆっくりと目線を上げる。ケイトは驚いたような顔をしていた。
だけどどうだっていい。……どうだってよかった。しかしここにナギや9組の人間がいなかったのは痛かったな、と思う。腕を掴む彼を糾弾させることなくこの騒ぎを収めるにはそれくらいしか方法がないのに。誰かがいれば、上手いこと躱して私を連れだしてくれたかもしれない。

そこまで考えて、他力本願だなぁと内心だけで苦笑した。やろうと思えば、本当は一人でだって同じことができる。したくないだけで。今以上に傷つけるのが、……嫌われるのが怖いだけだ。ほんの一瞬のような短い期間でも、仲間と呼んだ相手では。

諦めた私がぐっと目を閉じて拳を握り締めたときだった。突然……本当に突然、私を捕えるユイクの腕が緩められた。
驚いて自分の腕を見遣ると、ユイクの腕を掴む、彼が、彼が、彼がそこに、

「何を、している?」

「あ、アンタ……!ッ、こりゃいい、五年前の陰謀の話でもしようか、あぁッ!?……ぐっ!!」

クラサメの姿を認めると同時に彼はクラサメにも怒りをぶつけ始めるが、クラサメはそれを視線で黙殺する。そしてそのまま手に更に力を込めたようで、おそらく筋を圧迫したのだろうが、ユイクの手は思ったよりあっさりと外された。
一瞬で手に血が流れ込み、私は激しい痺れを覚える。

「ここはクリスタリウムだ、騒ぎは無用。注意されなければわからないか?」

「く、クラサメ……」

「隊長をつけろ。お前たちもだ、こんなところで騒ぎを起こすな。それに、」

彼の名を呼ぶケイトに落ち着いた、でも厳しい声音でそう言い放ち、彼はちらと私に視線を向ける。……久しぶりに目が合って、どくりと心臓が脈打つ。私は続く言葉を察し、頭を下げた。

「はい、私の責任です。すいません、以後無い様気を付けますので」

「……なら、良い。それは授業の資料か?」

彼はそれ以上問責するつもりはないらしく、私が抱える資料に視線を落とした。

「あ、はい。隊長のところに持っていこうと思っていたところで、」

「受け取ろう。あと、次の作戦のことで話がある。来い」

「え?あ……、わかりました」

作戦?……私の意見が必要な作戦なんてないはずだ。白虎に潜入するなんて話にでもならない限りは。そしてそんな事態にはまだ至っていない。
彼の意図は理解できないままに、彼に着いて行く。後ろで固まったままの彼らはそのままに、歩幅の広い彼を追って小走りで。そうしてクリスタリウムを出て廊下を進み、教務室の方へと抜ける。誰も居ない廊下。遠くで喧騒の気配。そこまで至ってようやく気づく。
彼は私をあの場から連れだしてくれたのだと。他力本願に、誰かにこっそり願っていた無言の願いを、彼が叶えてくれたのだと。

気づいたから、先ほどの形だけのものとは違う、本当の謝罪をすることにした。

「あ、の。……ごめん」

「何がだ」

「何が、って……」

何がって……、先程のこと?……違う。全部だ。彼を好きになったこと、何も思い出せないこと、一緒に生きる日々に埋没してしまったこと、そして全てを失ったあの夜のことも。
そんなことは口に出せず、無人の廊下、視線を落とす。それでも彼が私を見つめているのはわかっていた。彼が口を開く気配がした。

「……お前にはわからないんだろう。自分から檻に入って、自分から傷付いて……その方が楽だからそうする。たぶん、誰もがそうだろう。でもお前ぐらいになると、それはもうただの自己満足で済まされない。見ている人間が、そんなやり方で守られた人間がどういう思いをするかなんてお前にはわからないんだろうよ」

「く、クラサメ……」

「そして、それを止めたいと思うこれも……所詮私の勝手な自己満足なんだろうな」

お前のそれと同じくらいに、最悪な。彼は最後にそう付け加えた。……え?
私は彼の言葉に驚いて、顔を上げる。が、彼はすでに歩き出していて。

「く、クラサメ……、クラサメ……」

声が掠れて、震えた。こんなんじゃ届かない。届かない。ずっとずっと、届かない。
彼はどうしたって私を助けてくれる。彼が生きているだけで救われているのに、それなのにこういう風に。
喉の奥が詰まって、体が熱い。苦しかった。そしてこの苦しみはたぶんずっと、私がこの戯れを続ける限りずっと。

「終わらないのね……」

冷たい風の匂いがする。私を攫ってどこか遠くで捨てて。そんなことを考える。
数秒、そのままでいた。

「……何考えてるんだか」

それならどの地点であれ、一人でさっさと死んでおけばよかったのだ。無様にしがみついているのは自分の意思だっていうのに、いまさら被害者面なんて許されるものか。……否、誰かに許されたとしても、自分が許さない。
壁に凭れて、自分を抱きしめる。まだ歩ける、大丈夫。まだ私は大丈夫だ。彼の姿はもう見えない。もういない。そして、それでいい。
私は細く息を吐く。何かが右目から滑り落ちた。生温いそれを拭い去って、私はやはり、逃げ続けるために歩き始めた。







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