Act.4







そして翌日には授業が始まった。始業時間前に起きるのが思ったよりずっと辛くて難儀した。学生の頃は簡単だったのになぁとナツメは眉根を下げ、教壇へ視線を注ぐ。
昨日の引っ越しがやたら長引いたのも、もちろん理由としてはある。途中でナギが酒を持ち込んだためだ。飲酒と作業の同時並行がはかどらないなんて、子供でも知っていること。

副隊長には特にやることがあるでもないので、たまに授業に顔を出し採点等の雑用を片付け、中庭で花の手入れをする院生局局長を手伝ったりして午前を過ごす。授業そのものは午前のみ、午後には鍛錬だという。治癒魔法だけなら教えられるので、ナツメも手伝うことになるだろうか。

正直、教えるもへったくれもないのだが。治癒魔法というものは個人の特質が最も強く発揮されてしまう。苦手な人間はどんなに鍛錬しようが苦手なままだ。献身的な人柄だとか、そういったものが意外なほど作用する。それがどうして、ナツメが回復魔法に特化してしまうのかは誰にもわからない。
ともかく、だから4組7組には女子が多くて、また空気が気持ち悪いほど和やかだ。ナツメはあの場が苦手だった。なんだか、自分が黒く浮きあがる気がするから。

「(まぁでも、楽しかったんだよなぁ……)」

それが不思議なほどに。懐かしくて、今では吐き気がする。それなのに悪感情がないから、自分で自分がわからない。

教室の一番後ろ、椅子に浅く座って頬杖をつきながらナツメは目を細めた。視線の先には、教壇に立つクラサメがいる。
どうしよう、なんか胸がいっぱいである。嬉しい。ナツメは網膜の裏に映しこんだその像を、ゆっくり内側に取り込むみたいに深く息を吸った。

クラサメが区切りをつけて、言葉を切った直後であった。遠くで鐘の音が鳴る。授業の終わり、昼休憩だ。

一気に騒がしくなって席を立つ生徒たち。それを見送る途中、突然一人の女生徒に声を掛けられた。デュースであった。肩より少し下で切りそろえられた髪が揺れている。隣にはケイトもいた。

「あの、副隊長。この後ってお時間ありますか?」

「ん?ええ、大丈夫よ」

授業のことだろうと思った。クラサメには聞きづらいとか、そういうことだろうかと。
が、違った。

「よかった。これからみんなでご飯を食べるんですけど、副隊長もいかがですか?サロンに行くんです」

「あ、ああ……なるほど……」

戸惑った。嫌というわけではない。ただ単純に戸惑った。なぜ自分が誘われているかわからなかったのだ。
第一、諜報員だということは昨日の問答で明らかになってしまっているのに、その上で興味を持つなんて。スパイに自分から近づいてどうする。

「アタシたちのことちゃんとわかれば、スパイする必要なんてないじゃん」

まるで思考を読んだみたいに、デュースの隣にいたケイトが笑いかける。まったくもって甘い展望で、微塵もそういう問題ではないのだが、わざわざ説明して更に不信感を煽る気にはなれない。

「なるほど、そういう意味なのね」

「ま、ね。それで、どうするー?せっかくのチャンスだよん」

更に後ろから現れたシンクがそう笑う。ここまで言われると、断りづらい。たまにはいいか……またナギの顔眺めるのも正直飽きたし、とナツメは内心で考えている酷い物言いなど一切を悟らせることなく微笑んで頷き立ち上がった。



サロンとは、基本的に全生徒が使える談話室のようなものだ。そこまで広くない小部屋がいくつもあり、リフレほどメニューは充実していないが軽食もとれる。
人が多く集まる場所は職業柄苦手なもので、普段はあまり近寄らない。それでもリフレよりマシではあるのだが。

久しぶりに来たなぁ、とナツメは数人の0組女子と共に訪れたサロンにてどことなく変わった雰囲気に視線を彷徨わせた。しばらく来ていない場所というのは、どこか知らない世界のようで苦手だ。そうやっていろいろな場所を避けて、結果どこにも行けなくなる。

0組もサロンに訪れたのは初めての子が多く、デュースとクイーンは物珍しそうにきょろきょろしていた。ケイトとシンクは我が物顔でソファに腰掛けメニューを手にとった。聞けば、昨日の段階でサロンは隅まで観察し終えたらしい。

「まぁアタシは魔導院なんて立入禁止の場所までオールクリアーだから!」

「えっ」

「……すみません副隊長、あとで言って聞かせますので」

クイーンが少しうんざりした様子でため息をついた。0組はいいなぁ、個性が強そうで。足りないものがなさそうだ。と、足りないものだらけのナツメは内心で苦笑する。
不意に、部屋の隅にいた男がナツメに気付いてつかつか歩み寄ってきた。やはりというべきかなんというべきか、ナギであった。

「おいおいおいおいどういうことだおい!」

「エンカウント率高いなぁもう……」

「お前!俺がどんだけ誘っても無視したくせに!0組とだとサロンまで来ちゃうわけ!?どういうこと!?」

「落ち着きなさいよ」

ナギはナツメの肩を掴んで揺さぶった。0組はといえば、呆気にとられている。

「……と、わりぃわりぃ。俺はみんなのアイドルのナギだ」

「そのマント……9組の」

クイーンがナギのマントとナツメを見比べるようにして見た。9組が四課の隠れ蓑だということまで知っているのか、彼女は。本当にどこまで知っているのだか……。

「そう。俺がお前らに真紅の言葉を伝える係」

「……あれ?ナギだったの、その役目。……私かと思ったのに」

「そのいち、お前を信用してるのは俺と武官の一部と9組の候補生だけ。そのに、軍令部長に睨まれ過ぎてて行動が筒抜け。そのさん、かといってお前が情報を本気で秘匿すると四課と二課で縄張り争いが」

「ああもういいわ聞きたくない……」

ナツメはうなだれナギの肩を叩いた。聞かなくてもわかることを改めて聞かされると破壊力が大きい。だからもうナギの方は見ないようにして、0組の面々に向き直った。

「これは0組の共通認識にしてほしいんだけれど、ナギが伝える真紅の……ああもう何が真紅よ、とにかくミッションカラー・クリムゾンについては、質問とかは全部私かナギにまわして。それ以外の人間にはアクセス権限がないから」

「いやお前も若干厳しいんじゃ……関与してない工作の詳細について朝食のついでに教えたりするほどアットホームな職場じゃねぇぞ」

「そこはナギがいつも通り特殊ギアを行使して……」

「なんでいつも最後の最後俺頼み?ねぇなんで?」

ナギがぎゃあぎゃあと何か言っているが、そんなことはどうでもいい。のでとりあえず0組の女子たちに「クラサメ隊長にも任務のことは話しません」と約束させた。これで良い、彼は無関係だ。

ナツメは0組を着席させ、食事をとるように計らう。彼女たちがオーダーを始めるのを横目に見ながら、ナギの腕を引き窓際に連れていった。
ところで。

「私ね、今朝、部屋を出て鍵を閉めるときに、その赤褐色のマントが椅子に掛かってるのを見たのよ」

「何でその時持ってきてくんねえかなぁ……」

「で、まぁ知ったことじゃないし、ナギのことだから別に困らないだろうと思って鍵を閉めたわ。それが何がどうしてどうなって、今ナギの首にそのマントがあるのかしらね?」

「……。てへっ」

「ピッキングするなって言っただろうがぁ……!」

せっかくなのでナギの腕を掴み思い切り頭突きしておく。「うぐぉッ」と上がった悲鳴ついでに、足も踏みつけておいた。四課にプライバシーなんてものはなく、常に互いに監視されているのは事実だけれど、それは不法侵入歓迎という意味ではないのだ。

「いってぇ……はいはい悪かったです俺が悪かったです!……でも今ちょっとそれはおいといて、ちょっと話さなきゃいけないことがあるんだよ!」

「あん?」

「何その古風なメンチの切り方。えーと、0組の初任務が決まったっぽくてだなぁ。それで、付随して俺たちにも任務ができた」

「……何でよ」

「お前の仕事ナニ?0組の補佐。俺の仕事ナニ?0組の補佐。これ以上の説明が必要なら表出ろ」

つまりはこういうことだ。
ナツメとナギは0組のために働かないとならなくて、そのためにここにいる。0組が任務で外に出るのに際し、彼らにはできない仕事をこなす。例えば裏切り者の炙り出し、例えば必死に隠された誰かの秘密の獲得だとか。

「今回の内容は?」

「捕虜の獲得。多ければ多いほど、そんで偉ければ偉いほどいい。反撃の狼煙だ」

白い虎に、上から飛び降りて喰らいつく時が来たぜ。ナギはそう言って笑った。

「ちなみに、捕らえたとして拷問は誰がやるの」

「俺とお前」

「……拷問の後の治療は誰がやるの」

「オンリーお前マジロンリー」

「やっぱり……あと韻踏むのやめて」

任務を終えたその先には、いつもより更に一段ひどい仕事が待っている。そう思うとやる気をなくす。
拷問するのは簡単だ。が、その後の捕虜交換に備えて生かしておかなければならない。しかもできるだけ無傷で。まるで、一度も拷問なんてされてませんよという姿で白虎にいずれ返さなければならない。

「まずはマクタイを取り戻すところから。そうよね?」

「だろうなぁ」

「じゃあ、早いところはじめましょうか。マクタイにいる兵の情報……どこの隊なのかわかれば、規模も探れる。ある程度布陣もわかる」

「よし。それじゃあお前は0組にいていいから、マクタイの街の造りについては頭に入れておけ」

「了解」

ナツメの言葉で会話を終えて、ナギはニヤリと笑い踵を返す。それを見送りながら、カーテンの間に背を凭れた。
やることが目の前にあるのだと知って、肩にいつもの重みを感じた。いつもそうだ。四課という場所では、目的を持って歩くだけで必ず誰かを殺すことになる。

もうそれは、構わない。考えても無駄だからだ。苦に思うこともない。殺さないという選択肢が無いのだから、四課がそう決定した時点でその相手は死んでいる。自分がやらなくたって、他の誰かがやる。
こういう仕事をしていると、自分は何か強い力を行使する側だと勘違いする輩がいる。例えば軍令部長や学術局局長。公にできない仕事で物事を裏から一瞬でも支配すると、前が見えなくなる。それ以外全方位見えるから、前が見えなくても歩けてしまうので、前が見えていないということを忘れてしまうのだ。

「(そして仕事の重みが、ちょっとずつ軽くなっていく)」

その感覚はナツメも知っている。味わったからだ。
そしてナギも知っているだろう。今も味わっているからだ。

人の命は、重みがそれぞれ異なっている。命の価値は、違う。

「さて。副隊長はちょっと仕事ができてしまったわ」

「え、ええー!結局何も食べてないじゃん!」

「四課なんて自分の身体虐めてなんぼっていうかねぇ……ま、そんなわけで、また午後の授業で会いましょう」

任務がいつ発令されるにせよ、ナギがすでに知っているのだから任務の内容はすでに決まっているはず。それなら猶予はあまりない。
マクタイの地図なら、おそらく最新版が四課にある。最新でなくてはならない。つまりは、すでに白虎に掌握された後のマクタイについての地図でなくては。

四課は地下にある。冷たい石の、奥底に潜る必要がある。
ナツメは溜息をひとつ落としサロンを出た。任務の前はいつも、頭が痛い。








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