Act.23








ナギは、ナツメに初めて会ったときのことを思い出している。ナギはあの時、新規に9組堕ちした候補生の素性を調べ少しでも怪しければ殺せと言われていた。当時、軍令部と諜報部には軋轢があり、軍令部が諜報部を調べるために候補生を派遣した事案が相次いでいたのだ。だからつまり、“怪しければ殺せ”ではなくて、実際は“とりあえず殺しておけ”といった方が命令には合致していたように思う。

あの時は、魔導院への税を名目に勝手な増税を繰り返していた領主に不思議な急死を遂げていただくのを試験と呼んで、ナギはナツメを連れ辺境の都市へ向かった。街は確かに人気がなく、必要以上の圧政を空気からも感じ取ることができた。ので、深夜を待って二人、屋敷に侵入した。そのまま領主の部屋に忍び込み、ナギは愛用のナイフで寝穢く眠る領主の首を掻き切った。噴き出す血を避け、後退し、ナツメを振り返った。被害者が居るなら加害者が要る。隣に、反撃を受けて死んだように転がしておけば、四課としては隠蔽までセットで済んで大変手軽で簡単な話。
だからナギは、躊躇いもなく、彼女に致命傷を与えるための一撃を。

「ウォール!」

「んなっ!?」

けれど間一髪、彼女は後方のドアへ貼り付くようにして、しかも前方にウォール魔法を展開し身を守っていた。そのあまりの反応速度に驚いて、ナギは一瞬動きを止める。それが、ナギの隙となった。
間隙を縫って、ナツメは視界から姿を消した。戸惑うナギの足元に沈み、ナイフを握る腕を下から強打。取り落としかけたナイフの柄を叩いて刃を回転させ、そのままナギの胸に突き立てた。

「ぐ、ぅっ……?あ、が、なに、なん……で……」

こんな。こんな、バカなことが。
自分が、隙を突かれるなんて、そんなことが。

「私を殺せって、そういう命令があったんだよね?」

ナツメは苦笑し、崩折れたナギを領主の隣に寝かせた。そしてナイフの柄を掴み、引き抜いて、同時に緑色の光で傷口を塞ぎ始める。妙に鮮やかな手管だった。それを見てようやく、そういえばこの女は4組出身であったことを思い出す。
四課の策略に巻き込まれて、どこにもいけなくなった女だったはずだと。

傷の治療を終えると、ナツメは傍らでナギを見下ろし微笑んだ。「さて、まだ私を殺したい?」なんて問うてきた。
ナギは躊躇した。殺すべきだとも思う。彼女が軍令部のスパイだとかそんなことはさておいて、軍令部が回してきた人間を片っ端から殺しているのは、それがそのまま軍令部への圧力であるからだ。
けれどナギは、どうしてもナイフをもう一度振るう気にはなれなかった。だからナギは、新たな理由を探した。殺さなくていい理由を。四課が狂わせて引き込んだ女を、生かすための理由を。

「……お前。軍令部に、情報流すために来たのか」

「ううん。……私がとりあえずここに堕ちたなら、四天王壊滅のあの事件についてクラサメが責められることはもうないはず。だったらこれ以降従う理由はない。次はここで生き延びるのが、私の目的」

「隠すなよ。事件の詳細を調べるつもりなんだろ」

「そこまでわかってて、どうして私を四課に入れるのかね……まぁ、なんだっていいけど。諜報部に何かするつもりなんて、無いよ。今のところはね」

ナギは、理由を得た。理由を得たら、ナツメを殺す意味はなくなった。だから、口角を上げて笑う。

「あの事件について調べてぇんなら……四課で十年はがんばらねぇとな。それぐらいでやっと手が届く」

「あーらら……じゃあ気合入れていかないとねぇ。私は合格?」

「いちいち言わせんな、わかりきったことを」

ナギは喉を鳴らして笑い、ナギはベッドを起き上がってナツメの白い肌を見つめた。
容姿は悪くない。白虎系であることを除けばかなり上々。対白虎の諜報員となるならそれはむしろ活きる資質。体術は悪くないし、殺す術さえ身につければいい暗殺者になるだろう。
一瞬で算段を立て、ナギはナツメの価値を計算した。これなら、理由さえあれば生きていてもいい。

「……よろしくな、ナツメ。四課の、ひいては魔導院のために」

「ええ。私が戦うのは、四課のためではないでしょうけど」

にっこりと笑んで、つい数分前お互いを殺しかけた相手に互いに手を伸ばした。ナギはこのとき、彼女のことは理解できると思った。

理解できると、思っていたのだ。それが。失敗して。

今は。

今は、ナギは走っている。なんとかして、この失敗を取り戻すために。傷はなんとか治癒したものの、ダメージを受けすぎた。体が言うことを聞かない。こういうときはナツメが心底羨ましくなる。痛覚麻痺の感覚だ。ナツメはそれを、4組のタブーと呼んでいた。ナギには、その意味がわからない。そうやって何も感じなくなれば、きっともっと楽だから。

四課の階段を這い上がって、0組の教室を目指した。途中すれ違った候補生たちは焼け焦げた臭いと血まみれのナギに驚いて騒いだが、今はそんなことどうだっていい。
今は、早く、彼に。
0組の教室のドアを押し開ける。授業中だったらしく、全員が席についてクラサメが教壇に立っていた。飛び込んできたナギに驚いて振り返る面々と、目を細めるクラサメを見る。

「ナツメが……あんたの、出撃命令を知った。今、おそらく院長室に向かってる……!」

「……どういうことだ?なぜ、あいつが……」

「知らねぇよ。だが、誰かが知らせたんだ。それはもう、どうしようもない……」

息が荒くなる。彼女のファイガ・ライフルによって、おそらく喉が焼かれたのだと思う。ナギの腕では、完治できない。

「もうなんだっていいからっ、とにかくナツメを止めてくれ!!あいつを止められるのは、あんただけなんだ!!」

わかっていたことだった。
ナギにはどうしたって彼女を止められない。言葉ひとつで彼女を説得できるのは、この世でクラサメただ一人だ。
クラサメは順繰りに0組を見つめてから、口を開く。

「……全員、自習。教材はモーグリの指示を受けること。ナインだけは書き取りをしておけ」

「あぁ!?なんで俺だけてめぇが指示すんだよコラァ!」

「あとでお前は罰則だ」

騒いだナインにだけそう言い置いて、クラサメは教壇を降りた。そしてすれ違いざま、怪訝な顔でナギに「なぜそんなに血がついている」と聞いた。確かに一人ぶんにしては、明らかに多すぎた。

「あー……と、止めようと思って、つい……刺しちった……から?」

「……」

「うわぁぁぁ今キレてる場合かよ!?俺を殺すんなら後にしてくれ、さっさと行けっての!!」

ナギが叫ぶと、般若の面を背に背負っていたクラサメは鼻を鳴らして踵を返した。覚えておけよ貴様、とでも言いたげだ。クラサメはすぐさま外へ出ていき、ナギの後ろでドアが閉まる。
俺はどうあっても殺されるのかよとこの世の不条理に打ちひしがれる中で、レムとデュースが寄ってきてナギにケアルをかけてくれる。
元回復クラスだけあってレムは腕がよく、またデュースも途中から笛を使って自然治癒の魔力を持つ曲を奏でた。すぐに、ナギの残余の傷が治癒された。

「ああ……ありがとさん。やっと息がつけるぜ」

「副隊長がここまでしたんですか?ナギさん、何をしたんですか?」

「何したもクソもねぇよ。……ただ、クラサメさんの出撃が知られないように、地下に閉じ込めといただけだ。まぁそりゃあいつの意思を無視したモンかもしれねぇけど、それでもあいつを守りたかった」

そこまで言って、ナギは鼻で笑った。何を言っているんだかと思ったからだ。
こんなこと、0組には無関係もいいところだっていうのに。
と、ケイトが肩をすくめた。

「ごめん。教えたの、アタシらだわ」

「はぁ!?おまっ、お前らなのかよ!?……四課に忍び込んだのか」

「うん。ナツメに会うためにね。クラサメの出撃を教えようと思ったの」

ケイトがあっさり頷くので、ナギはあまりのことに脱力した。まさか、0組のしわざだなんて夢にも思わなかったのだ。てっきり9組の誰かが勝手に漏らしたものだと思っていた。

「おかげさまであいつは暴走してるぜ……ったくよ、まさかこんなことになるなんて」

「……そいつは違ぇんじゃねぇの」

と、興味なさげにしていたサイスが突然振り返り、口を開いた。冷たい目で、ナギを見つめている。

「ナギはナツメに伝えないことが最良だと思ったわけだ。あいつがそれをどう思うかは別だったんだろ?」

「……それが、どうしたってんだ」

「あいつにとっては、自分が生きることより大事なことがあるって、わかっててやったんなら。全く同じことをやり返されても仕方ねぇだろ。誰のせいでもない。少なくともあたしにはこんな展開読めてたよ」

「それは、……ああ、わかってたよ。あいつにとっては、クラサメさん以外すべてが等価で……だから、こんなことしたって、あいつは遅かれ早かれ暴走したって。でもなぁ、それでも……あいつに生きててほしかったんだよ」

ナギが、ナツメに生きていてほしい理由は、実は至極単純である。
ナツメはとても、とても強く、歪んでいるから。妙にまっすぐに、通ってはならない筋が通っているからだ。あまりの救いようのなさに、時々笑えてくるぐらい。それを、一番近くで見てきた。
だから。生きていてほしい。だって。

「あいつは、あれでも仲間なんだ」

0組の彼らが、互いを思いやるように。互いの背中を守るように。
ナツメとナギだってずっとそうしてやってきた。だからナギはできうる限り、彼女のことを守りたい。そんなことに本来、こんな面倒な理由付けはいらなかったはずなのに。

そう言ったっきり黙りこくったナギの肩を、キングが拳で軽く叩いた。

「クラサメが向かった。ナツメは戻ってくるだろう」

「そうだな。ナツメ一人くらい、なんとかしてみせるさ。隊長なら」

「問題は、クラサメ隊長の出撃についてですね。副隊長がそんな方法を採るということは、そうする以外にもう道がないということでしょうから」

キングの隣でセブンが頷き、トレイが考えこむように顎に手を当てた。それを見て、シンクが「ん〜」と首を傾げた。

「でもクラサメたいちょー、うらやましい気がするなーあ」

「はぁ?何がだよ」

「だってさぁ、エース。わたしたちもいつも出撃してるけどー、危険だからさせたくない〜なんて言ってくれる人いないじゃん。それってちょっとすてきかなぁ〜って思うよぉ」

「……そうだな。確かに」

ふっと、エイトは笑った。ナギはそれを見て、目を細める。そして、静かに俯いた。

「この手の問題に正解はねぇんだ。出撃させないことで守ろうとするのも、戦争だからと言って耐えるのも。どっちも間違ってない。考え方の相違でしかない」

「んー、まぁねぇ。これがクラサメたいちょーじゃなかったら、僕らだって“甘えんな”って思っちゃうよねぇ〜」

「ああ、そうだな。ナツメもきっと同じことを言うだろう」

「あら、なんですか?初日はあんなに突っかかっていたのに、ずいぶんみんなクラサメ隊長に優しくなりましたね」

クイーンが問うと、エースとナインとケイトが声を揃えて「違う!!」と悲鳴を上げた。そんなつもりではなかったらしい。
けれど、ナギから見れば。

「ほんっとーにクラサメさんってやつは……ガキを手懐ける天才だわ」

「手懐けられてなんかなーい!」

「ナギ!僕も訂正を求める!」

「手懐けるってなんだコラァ!!」

「あーもーはいはい、そういうことでいいですよー」

ナギは諦めて、がっくりとうなだれた。クラサメという男は、真剣でとても強いから。つい惹きつけられて、気がついたら隣で一緒に戦いたくて必死になっている。ナツメはさすがに特例だとしても、こうやって0組でさえ惹きつけてしまうのだ。
ただため息をついて、ナギはクラサメの去っていったドアを見つめた。そのずっと先、クラサメはもうナツメに追いついただろうかと。









「はぁ……は、はは……」

固定するようにナイフを握りしめながら、ナツメはひたすら階段を登り、四課の出口に出た。そしてそのまま院長室へ続く階段を登り始める。
元々諜報部は院長を守る下男下女から生まれたものらしい。そのため、こうして四課へ下る階段と院長室へ登る階段が近くにあるのだとか。その頃のことなんて至極どうでもいいし知ったことでもないのだが、今日ばかりは感謝した。階段の造りがこうでなかったら、さすがに見咎められてしまうだろうから。

院長室の前までやっと辿り着いた。全身を包む血の臭いに、ふらつく。ドアに凭れるように押し開けると、机で書き物をしていた院長がナツメのただならぬ様子に気づいてか立ち上がった。

「どうしたのですか。血の臭いが……」

「わ……私は、諜報部四課の、武官です。此度の……蒼龍女王暗殺の一件について、ご報告せねばならないことがあって、参りました……うっ!?」

突然、腹部に痛みが走った。それはもうずっと久しい感覚で、戸惑う。
どくどくと心臓のように脈打つ傷を見て、限界かもしれないとふと思った。傷をここまで長く放置したことはなかったはずだから。
けれど、あと少しもってくれれば。魔力はゆっくりとだが回復してきている。もうすぐ、治療可能なレベルにまで戻る。だから。

「よ、四課で……私は……」

もう少し。
もう少しだから。

「私は……女王の……暗殺、の、」

ナギの顔が、脳裏にちらついた。苦悶の表情で、必死にこちらに手を伸ばす顔が。
だから、もう少しだから、躊躇うな!
自分に言い聞かせるのに、唇から言葉が出てこない。喉が詰まる。

「わた……し、は……」

「……諜報部から、報告を受けていますよ。あくまで公にできないことですが、ある武官が蒼龍女王暗殺計画に気付き現地で女王のために戦ったと。それが空転してしまった後も、我々に危険を知らせるために走ってくれたとのだと」

「え……?」

足が震えていた。
ほら早く言え。言わなければ。
言わなければ。今にも、ナツメの息の根さえ止まってしまいそうなのに。

「そして彼女はそのまま、0組を救出に向かったと、金髪の候補生が言っていました。彼女がいれば、0組は大丈夫だと。彼女ならば、必ず0組を朱雀に戻してくれるはずだと。それは、貴女のことですね」

「そ……それは……」

「この戦乱の世にも、互いを信じ合える仲間がいるというのは……幸せなことですね」

院長はきっと、何かを察しているのだと思う。ナツメの鬼気迫った様子から、血の臭いをさせていることから、足元がおぼつかないことから、腹部にナイフが突き刺さっていることから。
ナツメがしようとしていることの意味を察して、そして、止めようとしているのだと。思う。
だからナツメは何も言えなくなった。言葉を封じられたかのようだった。
仲間が。仲間が、いたから。いるから?いたから。ナツメには、どちらを選びうるか完全に決まりきっていて。だけど今更ためらっている。
だって“仲間”を傷つけて、置いてここまで逃げてきてしまったのだ。ナツメには何より大切なものがあって、でも、それは他の何もかもを犠牲にしていいということと、本当に同義であったのか?
ナツメにはわからない。わからないから、唇が震える。

そのときであった。

「院長、こちらにナツメはっ……」

ナツメがそうしたようにドアを押し開いて、愛しい声が耳朶を打った。
振り返った先にいたのは、クラサメだった。









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