Act.22





ゆっくり近づいてきていた靴音はドアの前で止まり、ためらっているように思えた。ので、ナツメはドアを内側から開いてやった。

「あらナギ、おはよう。いえ、きっともう午後よね。そこを、どいてもらうわね?」

「は?お、おいっ、お前、」

ぐひゅっ、と息の潰れる音が耳元で聞こえた。ナツメがナギの鳩尾に肘鉄を叩き込んだからである。
ナギの体が一瞬浮くのがわかって、ナツメは奥歯のほうで笑った。この男は四課で一番強いくせに、不意打ちに一等弱い。いつもそうだ。

すぐそこだった壁にぶち当たって止まるナギは捨て置いて、ナツメはさっさと踵を返し地上へ向かう廊下を歩き始め、近くのホールへと抜けた。と、呼吸を整えながら追いかけてきたナギが後ろから叫んだ。

「おいっ……お前、どこ行くつもりだっ……!?」

「わかってて黙ってたんでしょう?知らない間に済ませてしまえばいいと思っていたんではなくて?」

ナツメはそのまま無視して進むこともできたけれど、しなかった。相手がナギだからだ。どんなときでも背中を任せるにふさわしいはずの、仲間だったからだ。
ナツメはここにきて、ようやく自分が冷静であるわけを理解した。これが、ナギのしわざだと直感的に理解していたからだ。事態の深刻さに比べて軽すぎる懲罰に戸惑ったあの違和感の意味も。
そして、解決する方法にだって、きっと。

「0組と……それに。私を守ろうとしたのよね。わかってるよ。私を大切にしてくれてるの、知ってるわ。……でも勘違いしてる。私はね、自分の望みは必ず叶える人間なの。それしか考えていないの。こんなやり方で閉じ込められたって止まれないの。私、諦められないのよ」

振り返ると同時、ナギの放ったサンダー・ライフルが鋭く空気を裂く。ナツメはそれを即座に空中に生み出したウォール魔法によって弾いた。詠唱の短い単発の魔法などでは、ナツメの片手間のウォールさえ切り崩すことはできない。
ついでとばかりに突き立てられたアラウド魔法に膝をついて苦しむナギを見下ろして、ナツメはわずかに首を傾げた。

「ねぇ、私が何をするかわからないからこんなやり方をとったの?でもそんなの、ひどいじゃない。……私は、そんな最低な方法をとってでも、あの人に生きていてほしいのに。懲罰意図での出撃を黙ってるなんて」

「それも、ひでぇ話だろうが……!」

「……なにが?」

意味を測りかねたナツメが問うと、ナギは射殺すような鋭さの視線でナツメを睨みつけた。ナツメでも見たことのないようなめずらしい表情だったので、彼女はついたじろぐ。

「お前は知らねぇだろうけどな。クラサメさんは、一度四課を半壊させてる」

「……え」

「お前が四課に入って、初任務で白虎に飛ばされた直後だった。お前は当時魔導院では行方不明扱いで、ずっとどこにいるのか明らかになってなかった。それが、お前が任務に出たのを見た人間がいて四課に所属したことが流出、それを聞いたクラサメさんが単身乗り込んできたんだ」

言われている、意味が。ナギの言葉が。
わからない。ナツメには。どうしても。意味が。
まるで。

「なんでそれを見逃したと思う。……お前の働きへの期待があったこと、それ以上にクラサメさんがまだ当時戦場にも出てたからだ。それも魔導院随一の強さだったから、殺すわけにいかなかったんだ。……それでも四課内でも殺すべきだと考える人間は多かった、お前があの人のために四課堕ちを選んだって経緯を危惧する奴がな。殺しておいたほうがのちのち楽なんじゃないかって意見だ。意味がわかるか。はっきり言って、俺が猛反対しなきゃクラサメさんはあの時点で殺されてたんだぞ」

四課。戦場。クラサメ。危惧。
言葉がぐるぐる回ってつながらない。文にならない。単語が、いくつも、でもどうやってつなげば。理解が。できないのに。できないけれど。でも。

「それほどぎりぎりだったって意味がわかるか?そして、そんなことクラサメさんが思いつかないと思うか?あの人が自分の命を賭けてでもお前を見つけようとした、その意味がわかるか!?」

「なによそれ……聞いてない……」

「言ってねぇんだよ!クソみてぇな話だろうが!……お前が今、どんな顔してるか教えてやろうか。血の気の失せた、死人に似合いの面してるぜ。クラサメさんも、あの時同じような顔で四課を探しまわってたよ。治りきらない火傷を隠して、お前を探しにきたんだよ!!」

聞いてない。聞いてない。聞いてない。
そんな大事なこと、ナツメは、一言も聞いてない。
どうして。どうして?

「だからお前を閉じ込めたんだ!またお前とあの人のくっだらねぇ事情に巻き込まれるのはうんざりだからだ!次は、お前のこともあの人のことも、どうしたって救えないと思ったからだ!お前らには二人揃って“次”がねぇ!一歩後ろは断崖絶壁なんだ!それなのに、なんでお前はっ、“そこ”で身勝手になれるんだ!!」

……。
…………。

ナツメはただ、言葉を失っていた。
喉がからからに乾いて、背筋が凍っていて、足元が抜け落ちそうだった。
冷たい地下の空気が、かさかさの唇を割った。知らない間に、唇を噛んでいたらしかった。

だってわかっていたことだ。あんなことになって、クラサメという人が己を放っておくはずがないなんて、そんなこと。
それなら、ナツメのしたことは、クラサメに命の危険を強いたということである。思い知って、心臓が一瞬高く跳ねた。そのまま裂いて、想いを投げ捨て腐り果ててしまいたくなった。……そんな自分に吐き気すら覚える。

「……なんで、そんなこと、私に黙っていたのよ」

「言ってどうなんだ?お前が先に四課をぶっ壊すのかよ?お前はそういう女だって俺はわかってるのに?お前を四課で生かしてるのは俺だぞ!?」

「言ってくれるじゃないのよ!!」

ナツメが放ったブリザド・ショットガンはナギがとっさに張ったウォール魔法に防がれた。が、ナツメはその時にはすでにもう一度ショットガンの詠唱を始めていた。
七発目の氷撃にウォールが粉々に砕け散った隙間を裂いて、氷は破裂するようにナギを目指す。そして、慌てて前にかざされた、ナギの左腕を貫く。押し殺したような悲鳴が耳についた。
ナツメはそれで終わりにはしなかった。一歩深く踏み込んで、とどめをさそうとしたのだ。
が、それが彼女の失敗であった。

「アラウド!!」

「ぐっ!!?」

攻撃を受けるとわかっていながらナギは、ウォール魔法が砕ける前から特殊魔法の詠唱を始めていたのだ。前方に向けて放射状に放たれる光の矢は、避けるため仰け反ったにもかかわらずナツメを貫いた。左肩が弾け、腕の感覚が一瞬で消え去るのを知覚して、ナツメはサンダー・ボムを繋ぐために放った。今この一瞬、相手の意識を逸らせれば良い。範囲の広すぎる雷撃にナギの体が後方へと押しやられたのを視認しつつ、ナツメはケアルを使ってだらりと垂れた左腕を修復する。

「私を……生かしてるのは、ナギ?……笑わせ、ないでよぉ……」

しかし、傷はふさがっても、焼けた傷から滴った血は黒い武官服を更に黒く染めた。染めながら、確かな熱として腕を伝っていく。それほどの痛みを痛みとして認識できなくなりつつある自分を、ナツメはもうなんとも思わない。
思うに、痛覚の麻痺を少しでも“便利だ”と感じた瞬間に、ナツメの未来は決したのだ。それまで大切に守ってきた挟持を軽んじ、代わりに生きることを選んだのだから。
だから。ナツメを生かしているのは。

「私を生かしたのはクラサメで、私だ!あんただって私を助けたわけじゃないっ、あんたは!私を殺せなかっただけでしょうが!!」

「思い上がるなよくそ売女が!!」

ついに一切の躊躇いを放棄したナギが唯一動く右腕で振り上げたナイフが、ナツメの耳元で風を切った。相手が片腕だとしても体術に持ち込まれては不利だと、ナツメは後退しつつ詠唱を開始する。唱えるのは、最も得意なファイア魔法だった。
なりふり構っていられない。ナギはナツメを、瀕死に追い込んででも止めるだろうからだ。殺気がびりびりと頬に伝わっていた。
そしてそのことが、不意に天啓として降った。
次の手を、思いついた。
誰を殺せばいいか。誰を殺せば、この状況を打開できるか。
その答えに気づいているからこそ、ナギはこうまで必死にナツメを止めるのだ。
ナツメが殺すのは、ナギだ。ナギで、ナツメで、四課だ。

「そうよ……それで、いいんだ……だって私、もともと、四課を恨んでここにいるんだもん……。四課がどんな理由であの事件のことを隠蔽したのか知りたいからここにいただけで、知ることができないのなら……ただ、報復するだけで……」

「待て、おい、くそ、ふざけんな!許さねぇぞ!!?」

「私を生かしているのは私なのよ。いつだって死ねるんだから。だから、あんたの許しは要らないの。生きるのにも、死ぬのにも、殺すのにも当然要らないの。そうか……そうだわ……」

クラサメが懲罰を受けるというのなら、それは蒼龍女王暗殺のせいである。休戦状態の停止のせいである。
0組がそしりを受けるとしたら、それもやはり、同じ理由で。ならば。
その理由をそのままシフトできたらどうだろう。彼ら以外のどこか、誰かに。
そしてその理由をかぶるのに、一番ふさわしいのは誰。

ナツメは後ずさる足を止め、立ち止まった。そして意味を知った。

己が生きている意味をずっと探していたように思う。拾われた意味を。救われた意味を。
意味がなければ、彼らに報いることができないのなら、ナツメは生きていていい自信がないから。
ああ、ナギの言葉は見事に的を射ているのだ。

ナツメは、身勝手だ。

「ふ、ふざけんなよ……四課に今何かあったら、朱雀がどうなると思ってる……?軍令部やら四席のアホどもが、一体どうして戦争に勝てる!?」

「そうね。ナギの言うとおりよ。全部、正しいわ。……でもね、それはやっぱり理由にならないよ。クラサメが死んでいい理由なんて、ひとつもないよ」

これはナツメのエゴである。

ナツメは一度として、クラサメを守るための行動をとったことはない。救おうだなんてしていない。今更、正確に理解した。

「あの人が生きている世界でしか、私は生きていられないんだから。私が死ぬ瞬間まであの人には生きていてもらうし、叶うならその先の保証がほしい。そのために、私は今も生きてる。私は、私を生かしている」

だから。
それで。
けれど。
それなら。
もう。

おしまいだ。
ナツメは笑った。

「それなら!四課が消えていい理由だって、無いだろうが!!」

「……無いよ」

命がたとえ等価値に無価値だって、死んでいい理由にはならない。ナツメが殺していい命なんて、一度もなかった。
それでもナツメは多くを殺したし、これからまた殺す。それは、ナツメにも殺される理由があるからにほかならない。ナツメだって、一瞬の釦の掛け違いで死ぬから。お互いすれすれを生きていて、どこにも安全圏などないのだから。
思えば戦争だからって、ナツメには特段意識の変化は訪れなかった。ナツメにとってはいつも戦争だった。すべては結果論だ。

いつだって、すべて終わってから、殺した意味を問うている。
けれど、そんな意味は……。

「意味なんて無いから、私たち」

ナギがナイフを再度振りかぶる。ナツメはプロテス魔法の詠唱を始める。
ナイフの切っ先がナツメに迫る。ナツメは詠唱を途中で止める。身を守る必要はない。それよりは、攻撃を。

殺意が同じなら、求めるものが同じなら、最後はこうして決めるしかない。
いつだって、生き残った人間が一番正しい。

「殺し合ってる、んでしょう?今」

止まれないナイフは柔らかい腹を抉り、ナツメは新たに詠唱していたファイガ・ライフルを解き放つ。
彼女の放てる最大出力がナギを浮かせる。ナツメは一歩後ずさった。
ナギは吹き飛び、数メートルも先の壁に頭をしたたかに打ち付けた。

ナツメがプロテスを使おうとしたことに気づいて、ナギは殺すことはないと安心してすべての体重をナイフに乗せていた。その速度が加算され、ファイガの与えたベクトルはさらなる加速度でもってナギを嬲ったのだ。
ナギのナイフは、柄までもが半ばまでナツメの腹に呑まれている。それを見下ろしてナツメは安堵した。じわじわと、熱い液体が刺さった場所から広がっている。息は苦しいが、苦痛というほどではなかった。

「四課の命令で……私が、暗殺したことにする。私は血祭りね。でも、四課も解体と処刑だわ。四課で一番信用のあるはずの候補生のナイフがここに突き刺さってる、それが何よりの証明になると思わない?」

「ま……て……」

「0組とクラサメは守られる。ナギは、0組と私のためにクラサメを切り捨てようとした。今度は私の手番。0組とクラサメのために、四課をまるごと切り捨てるわ」

軍令部が戦争に際した諜報部の専横を腹立たしく思っているのは知っている。今思えば、ナギが院長とともに白虎入りしていたのもそう。あんなこと軍令部が認めるとは思えないので。
であれば、餌を見せればきっと喰らいつく。そして、ナツメの期待する軍令部長なら、きっとクラサメを守る方を採る。今だけはその愚かさに感謝をしよう。

ナツメは血液が足を伝ってブーツにまで染みこみだしたのを感じながら、ナギを置いて踵を返す。そして、傷口を押さえながらも歩き始める。
四課の階段は、死して後向かう暗き底に似ていると思ったことがある。まさしく、それは正しい。

血まみれで、息も絶え絶えに、ナツメは死の底を這い上がっていく。どこかで語られた神話のように、恋人が迎えに来る必要は、彼女には無い。

「っふ……院長の、ところに……」

早く。痛みが無いから、いつ限界かわからない。ナイフさえ抜かなければ失血はしないだろうが、それでも時間はない。
傷が広がらないよう治療することだってできない。魔力が、先ほどのファイガ・ライフルで尽きた。ケアルはもう、使えない。ナイフを抜かないのは、そういう都合もあった。

階段を一つ登るたび、全身を冷たい空気が舐めた。けれど大丈夫だった。
この程度、まだ全然怖くない。痛くない。もっと辛かったことは、いくらでもあった。たとえばあの、五年前の夜も。

それを思えば、まだいくらでも前へ進める。
ナツメは、諦められないから。







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