Act.19






一睡もできないまま翌朝はやってきた。ナツメは日が昇るにつれ、なんとなく空気に異常なものを感じていた。

玄武は確かに枯れた暑い土地だが、ここまでのものであっただろうか。ここまで息苦しい熱気を帯びた、生き物を寄せ付けない地だったのか?そう思いながらも、戻ってきたマキナを加え十五人の隊列は動き出した。玄武を東へ、そして南へ。北の回廊を抜ければミィコウ、キザイア方面に出られる。もう少しで、道は朱雀へと至る。

けれども、ナツメには出発前から本当に、耐えられないとわかっていた。ケイトに伝えた言葉はひとかけらも冗談ではない。森の中でさえあれだけ辛いのなら、森を出たらどうなってしまうのかなんて、考えるまでもないことだったのだ。
廃屋から森の出口に向かう途中で、すでに頭痛の激しさは頂点に達していた。脳が弾けそうなぐらいに、血管が血を送る音がかしがましい。おかげで、0組の会話さえ耳に入ってこない。

「……あの、……あの、副隊長?聞こえてますか?」

「……」

「副隊長?顔色が、真っ青で……副隊長!」

森を出た瞬間だった。膝から下が抜け落ちるみたいに感覚が薄れ、ナツメは地面が近づいてくるのを知った。違う、近づいているのは、己の方だ。
デュースが何かを叫んでいるのはわかるのだが、声となっては届かない。音を消した映像のようだった。

「置いていき……なさい、」

お荷物だよ、まったくもう。まぶたを閉じるたび、そのまま開けずにいたくなる衝動に抗いつつようやく吐いた言葉はしかし、慌てふためく0組の面々によって掻き消されてしまった。意識そのものは霞がかかりながらも消えず、くらくらと世界が水面の如く揺れ続ける。

「……仕方がありませんね。ナイン!出番ですよ!」

「おう!……ってまた俺かよ!」

「あら、いいじゃないですか。マキナと違って女性ですよ、背負うのも少しは楽しいかもしれません」

「うっわぁー、ナインさいてー。シンクちゃん失望した」

「オイ俺何も言ってねぇだろうがコラァ!クイーンてめ何言ってんだ!」

「とにかく早く背負ってあげてください。彼女を置いていくわけにはまいりません」

そんな言い方したら、きっとマキナが誤解するのに。ナツメはうつろな目で気を揉んだが、マキナが隊列のどこにいるのかすらわからない。ナインが屈み、キングが抱えあげてくれナツメをその背に乗せた。驚くほど広い背中だった。

「そっか……」

身長が違えば、体格だって違うから。

「ん?なんか言ったかよ、コラァ」

「ぅ……」

ふいに呟いた声は簡単に滑り落ちたのに、問いかけに答えることはできなかった。何かが喉に詰まるような心地があった。

置いていけと言ったはずの相手であるケイトは、そんな言葉覚えていないとでも言いたげにふとナツメの額に何かを当てた。ハンカチだった。滴り落ちる前に汗がぬぐい去られ、一瞬の安堵を得る。背負ってもらっている上に、汗で汚すのは心苦しいので。
と、前方で声が上がったのがわかった。モンスターが出たらしい。ものの数秒で、前衛だけであっさり片付けたが、こんな僻地でいつ面倒な敵に出くわすかわからない。こんなことなら、こんな荷物になるくらいなら置いていけばいいのに。ナツメなどどうなったって、困る人間は限られているのに。0組の役に立つわけでもないのに。どうして。

「いざという時は……お願いだから……」

「うるさいよアンタ」

「ケイト……」

だらりと垂れた手を、ナインが掴んで捕まらせた。ケイトは魔装銃を構え、くるくる回してチャージしながら前を睨んでいた。ケイトやキング、トレイを始めとして、後衛についている彼らは、前衛のフォローと同時に前後左右すべてに目を配らなければならず少し殺気立っている。

「アンタ一人助けられなくて帰ったら0組の名折れでしょ。それに、ここらでクラサメに貸し作るのも悪くないじゃん」

「あぁん?ナツメ助けっとマジで貸しになんのかよ?」

それならむしろマジで置いてけとナツメはつい唸った。けれどもケイトはにやりと笑ったのみだった。

「ほら、そうと決まったらがんばろー!」

「おう!それならどこまででもおぶってやるぜ!」

そう言って、ナインが意気揚々とナツメを背負い直した時だった。前衛の足が止まる。

「どうかしたのか」

キングが問うと、前方でエースが振り返る。そしてナツメはこの異常気象のわけを知った。
彼らが見つめていたのは、暗い大穴だった。

「アルテマ弾が投下されたところ……だよな。ここ」

「あそこに近づくだけで燃えそうに暑いな……さすがアルテマ弾、といったところか」

「おいナイン、絶対近づくんじゃないぞ。ナツメが本気で死にかねない」

セブンとエイトが少し足を進めて確認すると、戻ってきて進路を変更するように言う。それにしたがってクイーンが太陽や風向きから方向を探るのを諦め、山の麓をなぞるように東進し始める。今のところ兵士は見当たらないとはいえ、いつ出てくるかわからないのでできるだけ平野を歩くべきなのに、結局ナツメがお荷物だ。
置いていくべきだ。ナツメがいなくても戦況は変わらないが、彼らの一人がここで削れるようなことでもあればそれだけで多大な損失になる。それなら、今のうちにリスクヘッジしておくべきなのであって。この場合のリスクは、ナツメだから。
なのに彼らは、そんな道を選ばない。

「救える命は救わないとね〜?」

「……ジャック」

「僕らって前向きなだけじゃないんだからね〜、できることはちゃんとやるんだよ〜。後ろを振り向かないなんて、できるわけないじゃん?」

ジャックは昨夜、マキナが揉めた時ほとんど発言しなかった。他の多くの子たちも、ただ沈黙していた。
けれどもそれは、“何も思っていない”という意味ではないのだろう。……ナツメとは違う。この子たちと自分は、まるで違うのだと思い知らされる。そしてその違いは強さなんて単純なものでもないのだと。

ナツメは、振り向かないから。自分が置いて行かれてもいい代わりとばかりに、絶対に振り向かないから。
そこを見ぬかれて、サイスにあんなことを言わせたのだ。自分は。

見るべきだと。自分を大事にすべきだと。その言葉の意味がわからない。自分のする選択のどこが己を蔑ろにしているのか、わからない。
だって、理由にならないから。
そんなことは、何の理由にもならないのだから。
ナツメが己をどうしようと、そんなことは、クラサメには関係のないことだから。

『……ぃ、応答しろ!』

「クラサメ?」

彼の名前だけはやたらと明瞭に、聞き返す唇から零れ落ちた。それに呼応するように微かに聞こえた呼気が明らかに安堵から出たものだと、一体どれだけの人間が気づくのだろうか。自分だけであればいいと、願う。

「えっCOMMが動いてる!?」

「一体どうして……いえ、今はそんなことはどうでもいいですね。クラサメ隊長、指示を仰いでもよろしいですか」

トレイが問うと、クラサメはよどみなくその後の進路を示した。アルテマ弾直下跡から東に現在飛空艇が迎えに来ているのだと。

「助かったなオイ。これでナツメも助かるぜコラァ」

『……何かあったのか?』

「だいじょ……ぶ……」

「アンタは黙ってぐったりしてりゃいいんだってば!……この暑さにやられて倒れたの。急いで戻るから治療してやってよね」

『それは私の仕事ではない』

「はぁ!?アンタねっ、聞いてれば……!」

ぶつん、と通信が耳の奥で断ち切られる。ナツメは苦笑した。
そうだ。自分の治療なんて、彼の仕事ではない。怒って切られてしまうのは当たり前だ。それはむしろ、ナツメの範疇なのだから。

山間を抜けると飛空艇が遠くに見えて、0組は安堵からわっと声を上げた。COMMを通じて、モーグリの幼い声が急かす。

『クポッ、みんなー!こっちクポぉー!』

「飛空艇だ……」

開かない時間が少しずつ伸びる、重いまぶたが開いた隙間にちらと飛空艇が見えた。ユハンラ火山の放つ熱気と蜃気楼に揺られて、それは空からナツメたちを見下ろしていた。近づくたびどんどん大きくなる飛空艇の真下にたどり着くと、そこに移送用魔法陣が開かれる。安堵とともに全員が足を踏み入れ、ナインの背に載せられたナツメもまた飛空艇の中に体が移されたのを感じ目を開ける。
倉庫を思わせる無骨な艇内は、以外にも熱気がこもっていた。外に比べれば格段にマシで、一瞬呼吸が落ち着いたものの、それでも元通りには程遠くて辛い。ナインが膝をつき、ナツメを床に下ろしてくれた。冷たい床の上にあってさえ、頭が揺れている。エンジンの振動が全身に波及し、それが意識を縫い止めていた。

と、奥の操舵室にいたらしいクラサメが姿を現し、0組の面々の顔を順繰りに見た。全員揃っていることを確認して、かすかに頷いた。それがナツメには彼の安心に映る。よほど心配していたのだろうなと思って、後悔も覚えた。あの時、大使館に駆けつけたときに、ナツメは彼と0組のことも話すべきだった。ナギから追加任務を受けるくらいならば、クラサメから0組の状態を聞いて救出に向かうべきだった。それを彼が許してくれたかどうかは別として。

「全員無事のようだな。飛空艇はこのまま旧ロリカ同盟を南下し、トゴレス地方を経由して魔導院へ向かう。それまで数十分ある、休んでいていい」

「言われなくとも、もうクタクタだよ〜」

「こら、ジャック!寝っ転がるんじゃない、行儀が悪いぞ」

「セブンママー、わたしも限界だよー……」

「シンクはもっとダメですってば!こら!」

「誰がママだ、誰が」

安全地帯に戻ったとたんにじゃれあいだす彼らの声が少し遠い。それでもナツメは安堵した。長い間、こういった空気から距離をおかれていたような気がしていた。被害妄想で、勘違いなのだろうけれど。
と、不意にクラサメと目があった。ぐったりと壁に凭れ床に膝をつくナツメに目を細めると、「報告しろ」と言った。

「0組に随伴していた武官はお前だけだ。報告しろ」

「……はい」

「ちょっと!ナツメは体調が悪いんだよ、見ればわかるでしょ!?」

「大丈夫、ケイト。大丈夫だから」

壁を伝って立ち上がり、視線で示された隣の小部屋へ向かう。後ろから不安げな視線が背中に刺さるのを感じながら、先んじて部屋へと姿を消したクラサメを追う。両足が微かに震え、吐き気がひどく、脳が膨張するかのようだ。
中に入り、後ろ手に扉を閉めると、ナツメは膝から崩れ落ちた。そして同時、クラサメの手が伸ばされ頬に触れる。クラサメがわざわざ隔離するように部屋を移した意図くらいわかっているつもりだった。

「熱中症だろう。なぜ早く対処しない」

彼は優しいから。そして、同時にとても強いから。
生徒の前でぐったりと倒れこむナツメは見ていられないはずだった。かといって目の前でナツメを助け起こすわけにもいかず、こういう手段になったのだ。

「無駄だから……。私が魔法を使いながら冷やしたって、ジリ貧でしょ?」

「0組だって魔法くらいは使えるぞ。お前は知らなかったようだがな」

「本当?知らなかった」

ふざけた会話の割に、クラサメの視線は真剣だった。怒っているのだ。
でも、この手は、忘れたくなかったので。他の誰かに頼むなんて、できるはずがなくて。

ナツメの額に押し当てられた大きな手は、微弱な冷気を纏いナツメを癒やす。白虎育ちのナツメは暑さに弱かったので、昔から夏はよくこうしてくれていた。冷たいのに、温かで、いつもどおりナツメは泣きそうなくらいに胸がいっぱいになった。
頭痛はゆっくりと収まりだしていたが、ナツメは伝えなかった。ずっと触れていてほしかったからだ。なぜか、許されているような勘違いをした。今だけはなにものにも責められないような、そんな錯覚を。

「0組に何があったんだ」

「あの子たちは……何もしてないし、何も知らない。あとで諜報部に報告は上げるけど、白虎と蒼龍が共謀して女王を殺したみたい」

「そうか……報告は、軍令部には……」

「わからない。諜報部がこの話をどう扱うかは、報告してみないと……」

言いながら、ナツメはその意味を考え、思い至る。その結果如何では、今回の一件がどう響くかわからない。0組は魔法局と諜報部の寵児だから、白虎の描いたシナリオは否定されるはずだが、そこから先はまったく読めない。戻ったら、身の振り方をまた考えなければならなくなるかもしれない……。

ナツメは悩みに睫毛を伏せたが、しかし、今考えても意味はないと思い直した。
クラサメが目の前にいる。己に触れている。こんなことはきっと、二度とあることではないと思っていたのだ。四課への階段を下ったあの日、決別したはずだった。けれど今こそ知る。ナツメは、決別などできていなかったのだと。終わりにして飛び出してもう戻らないつもりで、そんなの結局近くに立ってしまえば意味を為さない戯言だったのだと。所詮、決意と呼べるものではなかったのだ。

トゴレスから戻ったときも思った。この温度の中で、彼が傍にいる。そのことが、どれだけ大きいか。捨てたはずの感情が疼く胸の奥がいま、どれほど喜びに痛んでいるか。
懐かしくて、どうにも消えたくなるではないかとナツメはうつむき苦笑した。本当はもうずっと前に、そうしておくべきだったのに。

その寄る辺なき身勝手さが、ナツメを彼の傍に縫い止めている気がした。







長編分岐
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -