Act.18-a:A day.





炎の赤が目に焼き付いていて、ひどい悪夢を見た。目を覚ましたら、自分がうなされていたことに気がついた。

「ん……?」

開いた目には、薄ぼんやりとしたオレンジの光が飛び込んできて、目は反射的にもう一度閉じる。ずっと赤い世界を見ていた気がしていたので、そんなことにも驚いた。

「あ、目覚ました!大丈夫かい」

「カヅサ?……あれ……?魔導院?」

「うん、医療課。君の仲間がさっきまでいっぱい居たよ」

「4組の?そっか……迷惑かけちゃったな」

医務室のひとつである、個室のベッドから起き上がり、周囲に視線をやる。窓の外はすでに暗く、カヅサに聞けば既に完全就寝時間を過ぎているらしい。そこで、クラサメに先んじ教官に昇格していたカヅサが付き添っていたのだという。

「君たちが帰投したのは夕方だったんだけどねぇ。クラサメくんはすぐ目を覚まして軍令部に報告しにいったよ。顔の怪我も治療せずにね」

「そうだクラサメはっ……、クラサメの身体は大丈夫なの!?報告って……!!」

「大丈夫、ほとんど治療はした。ただ、顔の火傷はなんでか治療を嫌がって、そのまま。ガーゼで覆うのだけは許してくれたけどさ」

「それで、クラサメはもう寮で休んでるのね」

「嫌がってたけど、戻らないと罰則だからね……特例はないし。大変だったんだからねぇ、クラサメくん言うこと聞かないから。ナツメちゃんが起きるまで待とうとしてたんだけど」

完全就寝時間を過ぎた後に自室にいないことが確認されると、最悪独房に入れられる。カヅサならば、治療も済んでいない有り様のクラサメにそんな無茶はさせないだろう。
ナツメはふと、胸の奥にぽっかりと空いた感覚に気付いて戸惑った。何かが欠けている。欠けているのは……記憶だった。

「……みんな、死んだ?」

昨日の夕食の内容は思い出せるのに、食べた記憶がない。一緒に食べた人間をもう憶えていないからだ。
候補生になった朝の空を思い出せるのに、喜んだ記憶がない。一緒に喜んでくれた人間をもう憶えていないからだ。
拾われた夜半の白い月は知っているのに、朱雀にやってきた記憶がない。手を繋いでくれたのは、のは、誰で、誰で、誰だ。

「……クラサメくんと君以外、誰も生きて戻らなかった。今調査が出てるらしいよ」

「調査……?」

「何があったのか調べるんだってさ。……大丈夫。君たちが何もしてないってことは、僕もみんなも知っている。……ただ、今回は同行した軍所属の武官が死んでる。軍令部は少し、うるさいかもしれないね」

カヅサは表情に彼らしくない陰りを見せ、ため息をついた。それが嫌な予感を喚起させ、ナツメは俯く。軍令部といえば、確か今軍事教官として一人派遣されてきており、そいつは魔導院内でも軍部として幅を利かせることに躊躇いがないやつだと聞いたことがあった。そして、今回の計画を立てたのは軍部と魔導院の橋渡しを自称して憚らないあの男だった。間違いなく、ナツメとクラサメは面倒な相手に絡まれるのだと思われた。
唇を噛んだナツメを慰めるようにナツメの頭を撫でると、カヅサは早く休むことを言い含め医療課を出て行った。それを見送って横になると、意識は絡め取られるかのように混濁し落ちていった。

ひたすらに嫌な夢を見た。鮮やかな赤は視界を埋め尽くし、人を何度も焼いていた。吐き気がしていた。
けれども一番呪わしかったのは、その炎がナツメの手から放たれていたからである。

「(なに……これ……)」

戸惑って、手は震えるのに、炎の濁流は止まらない。
殺しては殺し、また殺す。そして最後に炎が捕らえたのは、誰より愛しい……。

「逃げて……」

「……一体、なにから」

呟いた声に返答があって驚き、目を覚ます。これは、一体。心地よい冷たさに気が付き目を開けると、視界は真っ暗だった。何かに目を覆われている。放たれる微かな冷気に、それが誰なのかはしかし一目瞭然であった。これは、ナツメがクラサメによくねだる行為だったからだ。ブリザド魔法を極度に弱く出力することで冷気を放つのである。
昔から暑いとこうしてもらっていた。ナツメは幼少の経験から冬を嫌い夏を好くのだが、体質が合わず暑さに耐えられないのだ。だから夏は、この手がいつも必要だった。でも今は。

「クラサメ……暑くないよ?」

「……起きていたのか」

どこまでが夢だったかわからず、むしろ背筋が震える。あれはなんだったのか。
手がどけられたことで、隠され見えなかったクラサメの顔がやっとわかる。顔の下半分をガーゼで覆われ、傷そのものは見えないのに痛々しさを感じさせる。ナツメが泣きそうになって唇を震わせると、クラサメは「泣くな」と言った。

「泣いてもどうにもならないだろう。今考えるべきなのは、これからどうするかだ」

「どうするかって……そういえばクラサメ、報告に行ったんだよね?それ、どうなったの?」

「報告も何も、ほとんど記憶にないからな。隊が壊滅したことだけしか報告できん」

会話しながら起き上がろうとすると押し留められてしまうので、頭を押さえつけられながらの会話となる。何でよと唸ったら、まだ安静にしていろと低い声が降ってきた。何やら怒っているように思う。
怒りたいのはこっちだというのに。

「……だから、だから着いてくるなと言ったんだ。お前が選抜されるなんて、おかしい」

「いつまで子供扱いするのよ。私、4組だよ。成績もほとんど二番だよ。一番にはなれなかったけどさ……でも選抜されるのおかしくなんて、ないんだよ」

「断ることもできただろう!」

「したくないんだよ!!」

怒りたいのは、こっちだ。
話すのも痛いだろうに。そんな場所に怪我を負うなんて普通あり得ないのだ。そんなこと、治癒魔法専攻クラスでなくともわかる。人の反射行動では、攻撃に対してまず顔を庇う。それなのにそんな場所に大きな火傷をするなんて。
ナツメの混線する記憶の中でも、しっかり残っていることはある。クラサメが己を庇ったということ。反射行動を超えてまで、ナツメを守ったということ。怒りたいのはこっちだ。

「そんな怪我までして、何で私を守ろうとするの。もう候補生なんだよ……?死んだって自己責任だよ!自分の身さえ守れないなら私がその程度だったってだけでしょう!?何で守ろうとするの!そんな怪我までして、何で!!」

苦しかった。歯痒かった。悲しかった。自分に呆れた。
守ってもらうだけなのが嫌だから、努力したのだ。四天王に拾われた白虎の捨て子だって、有望な候補生に大事にされているから4組に入れたんだって、叩かれる陰口に立ち向かう術を教えてくれたのはクラサメだから。
ナツメをそういった嘲笑の最中に晒さないために、クラサメが守ってくれていたことなんてもうとっくに気づいているのだ。そして、そんな足手まといはもう、卒業したくて。だから今回の任務だって、選抜されて誇らしかった。確実に帰投できる優秀な人間しか送らないなんて触れ込みで、選ばれた時は。
もう守ってもらうだけじゃないんだと、証明できると思ったのだ。
のに。
彼は。
やっぱり自分を守って、そして傷付いて。

「……お前だからだよ」

「……え」

「お前だから守るんだ。わからないか、そんなこと。お前だから、守らなければならないんだ」

クラサメはそれだけ言って手を離した。ナツメはすぐに起き上がったが、クラサメが間をおかず踵を返してしまったので、彼の表情はわからなかった。
でも、耳が赤かったのだけはわかった。なのでしばらく呆然とし、クラサメが去った個室の出口を見つめる。脱力し、ベッドに逆戻りする。どすんと落ちて、脳が揺れたが、ナツメの顔の赤さは治らない。

「……わーお」

クラサメって照れることあるんだ……照れ隠しでいつも何もかもごまかしてなかったことにしようとするくせに。そして何をやってるんだか私たちは。茫然自失、自分に呆れる。
やっている場合ではないとわかっている。クラサメの言うとおり、これからどうするかを考えなければならない。「……よし」ナツメはしばしベッドをごろんごろん転がって顔の赤さを取った後もう一度身体を起こし、ベッドから降りた。靴は他人のもののように、自分に合わない気がした。

「軍令部がうるさい……か……」

あの軍事教官は知っている。ナツメは授業を受けたことがないが、カヅサとクラサメは受講したことがあったはずだ。直後に会ったクラサメはなぜか疲れきっており、カヅサに問うと「世の中にはいろんな考え方の人がいるんだよ」と乾いた笑いが返ってきた。あの二人をあそこまで疲弊させるのだから、なんにせよとても面倒な相手なのは間違いないだろう。

クラサメは、ナツメを何も出来ない子供だと思っている。間違いではない、確かにそうだ。ナツメにできることなど、たかが知れているのだ。
でも、それでもできることはある。

個室を飛び出して、目指すのは軍令部だ。調査の内容と、実際自分たちがどういう状況に置かれているのかは、彼に聞かないとわからない。わかりようがない。
何も知らない子供のまま、彼に守られているのは嫌だった。もう子供ではないと思っていたかったから。

ナツメは気づいていなかった。できることがあると思う事自体、結局子供の戯言だと。
それでもこの時走っていてよかったと、ナツメは後にも思う。だって解放された証なのだ、ナツメは確かに未来のことを考えて行動していたのだから。
クラサメに拾われる前の、無力な己ではなかった。そのことだけは、確かにナツメを強くしてくれていた。







そして、数日が経った。クラサメの怪我は少しずつよくなり、ふさがっていった。一度だけケアルを掛けるのに成功したのだが途中で寸断され、結局まともな治療はさせてもらえなかった。理由さえ話してもらえない。
一方で一度はケアルを掛けようとしたこともあってか傷はふさがり始めており、ナツメとしてはこれが最後のチャンスだと思った。今ならまだなんとか完全に治せる。明日の朝にはおそらく傷は完全に塞がり、ナツメには何もできなくなってしまう。
だから夜、完全就寝時間の直前、ナツメは1組の寮を訪れた。さて問題はここからである。

クラサメは現在、自由な時間はナツメといるか自室に絶賛引きこもり中である。魔導院内では四天王壊滅についての疑惑―ほとんどデマ―がひそひそとまことしやかに囁かれているし、ナツメは事ある毎に治療の必要性について彼に語るからだろう。前者についてはクラサメはナツメを守ろうと思ってか、できるだけ行動を共にしようとしてくれていたのだが、疑惑の渦中にあるクラサメよりエミナやカヅサと行動した方が後ろ指の数が減ることに気付いてしまってからはそれもなくなった。勝手にも、そんなことに気付かなくてよかったのにとナツメは思った。どんなに陰口を叩かれても、クラサメが隣にいるほうがずっと心は強く在れる。
クラサメだって傷ついていることを思い出して、かろうじてそんな妄言は吐かなくて済んだが、本当に自分は身勝手だと思った。何を考えているんだか。
……いや、こんなことさえ考えている場合では。

「と、ともかく、会わなきゃいけないのよ」

自分に言い聞かせてみる。時間が無い。
教室に入るのは他クラスでも可能で、更にその奥の寮も入り口までは行ける。しかしそこから先は、中から開けてもらうしかない。開けてもらうためにさっきからCOMMを鳴らしてみているのだが、まるで返事が無い。無視である。

「いやこれは多分、COMMそのものを外してるんだろうけど……」

だから意思表示だ。クラサメの。今は誰にも会いたくないという意味の。
けれど今は彼の意思を尊重できない。時間が無いからだ。
幸いにも、なぜかナツメはクラサメの部屋の鍵を所持しているので、とりあえず寮にさえ入れればなんとかなるのだが、そこが一番難関だ。どうしていいかわからず肩を落とした瞬間だった。ブザーが鳴り、向こう側から寮のドアは開いた。その先に立っていたのは、たまに見かけていたクラサメと同期でありクラスメイトでもある青年だった。確かタチナミとか、そんな名であったと思う。

「ん?……ああ、君、クラサメの」

「ありがとうございます!」

しかし説明する暇は惜しいので、礼だけ言って傍らをすり抜ける。クラサメの部屋は少し奥にあった。訪れたことは一度や二度ではないので今更迷わない。
たどり着いてドアを叩いた。が、当然のように返事がない。ここにきていよいよクラサメの本格的な拒絶を感じたが、今躊躇うと後々絶対に後悔するのが目に見えているので耐える。鍵を取り出し、ドアを押し開いた。

「クラサメ……?」

中にいるのだろうか。これでいなかったらどうにもなくなる。と、部屋の奥から水音が聞こえた。そちらに顔を向けると、奥のドアからクラサメが姿を現す。
服装こそいつも通り候補生の制服ではあるが髪は濡れていて、入浴中だったのだと思いいたった。連絡が付かないはずである。

「またお前は勝手に鍵を開けて……」

「だって連絡付かないんだもの。っていうか、傷!ガーゼどこやったの?」

「もういらないだろう、おかげで膿んでいないし」

「そういう問題じゃないけど……もういいか。痛みは?」

「お前の鎮痛剤が効いているからな、痛みはほとんどない。……副作用もないようだがこの薬はどうやって用意した?」

ぎくりと肩が跳ねる。先日渡した鎮痛剤について、詳細をクラサメに知られたらいろいろと面倒くさい。
その薬の材料には数万ギルを超える材料がいくつか含まれていることだとか、それを手に入れるために一回調べさせてくれと拝み倒す変態にいろいろしたことだとか。相手が純粋な変態でナツメ個人には取り立てて興味を抱いていないから成立した話だが、さすがに知ればクラサメは友人に物理的な別れを告げることとなるだろう。ご愛用の氷剣で。それは誰もが困るし、結果的にクラサメの傷から痛みが消えているならなんだっていい。

「……まぁ、世の中には知らなくていいこともあるよ」

「おい。おい、こっちを見ろ」

「効いててよかったよ……これで効かなかったらもう、いっそ私が消してたよ……」

「何をだおい、おいナツメ、おい。っていうか本当どういう薬なんだこれは、火傷の痛みだけが一切無いんだがどういう仕組みだ。どこをどうしたらこうなるんだ」

まぁそこは4組の本領発揮というか。一応薬物調合の授業はきちんとこなしているし、ナツメはその成績も二番だった。
視線を逸らす先で、ふと棚を見たときだった。置かれていた小さな鏡が割れ、傍らに金属製のマスクが置かれているのに気づく。
クラサメの傷を覆ってあまりある大きさの。

「ねぇ、あれ……」

「……お前は無駄に目敏いな、本当に」

クラサメが自分で用意したものらしい。……クラサメは覚悟を決めているということだ。傷を治さず、生きていく覚悟を。

「……本気なの?」

「本気でなかったら、誰がこんなもの用意するか」

「何でよ……」

泣きそうだった。ナツメにとってその傷は、悔恨の象徴だ。自分が至らなかったばかりにクラサメに怪我を負わせた、その証明だ。
だから治させてほしい。でないと、ずっと苦しい。そしてそのチャンスは、もう今晩しかない。肩を震わせ俯いたナツメにクラサメは何もしなかった。ただ、言葉を語った。

「……思い出せないことであふれているのは、事実だが。それでも覚えていることがあるんだ」

「え……?」

「守ってくれと、頼まれた。誰の声だかはわからないが、悲痛で、必死だった。あの言葉は……あの言葉だけは、忘れてはならないと思う」

「それと傷が、何の関係が……っ」

「治さなくていい。お前は腕がいいから、跡形もなく治してしまうだろう。……もう何も憶えていないのに、このうえ傷までも治ってしまったら、きっとこの事件全ていつか忘れてしまうから」

「忘れないために……傷を残すってこと?そんなの馬鹿げてる……!」

「馬鹿げていてもいい。何かを託されたんだ……だから絶対、忘れない」

「何かって、何をよ!?」

「わからない!わからないがっ、……しかし、戦友だったはずなんだ。彼らのうちの誰かが言い残したとわかっていて、忘れることなどできるはずが……!」

「……忘れられないよ」

忘れられるはずがない。あんな鮮烈な赤。
未だにまぶたの裏を焼く。

「……何があったか、憶えていないか」

「うん。全然思い出せない……」

クラサメの言うような言葉を、僅かに思い返すだけ。なにやら言葉が巡るようにナツメに刺さって、それが繰り返されただけ。わからない。
ただ、大事なものをごっそり落としてきたような空白を感じる。何を失くしたのだろう。ナツメは困惑の中で顔を上げる。

そのとき味わった感覚を、ナツメは一生忘れない。
何かが噛み合うような、不思議な一致だった。

最初に手を伸ばしたのはナツメだった。互いの欠けた場所を正確に把握して、そして自分なら埋められるということに気づいてしまったから。彼なら埋めてくれるということにも。
縋りつくと、抱きとめられた。胸に顔を押し付けて泣けば、止まらない震えを癒やすように背を摩すられた。
クラサメの歯が、ナツメの目の前でガチりと鳴った。戒めのようだった。そして、クラサメは低く唸って顔を逸らした。

「……ダメだ」

「く、クラサメ……?」

「お前に手を出すわけにいくか……お前を魔導院に連れてきたのは、生きてもらうためで、こんなことをするためじゃない」

「そんなのわかってるよ……!でも、そういうことじゃないでしょ」

「どういうことでも、結論は同じだ。お前にはもっと……もっと、まともな……まともな幸せを……」

「どこにあるの、それ」

ナツメはほとんど泣きながら、吐き捨てるように言った。
クラサメの言葉を受け入れたくなかったからだった。

「クラサメに愛されること以上の幸せなんて、私が見つけられると思うの?そんなのどこにあるの」

「ナツメ……お前は自棄になっているだけだよ。冷静になればお前だって、こんな面倒な事態になった男とは……」

「面倒な事態になっちゃってるのは私もだから。……ねぇ、他にもっと決定的なこと言ってよ。私を黙らせるのなんて簡単でしょう、ねぇ」

そうやってずるく躱し続けるなんて許さない。はっきり言ってくれ。
嫌いだって、お前みたいな子供に興味無いって、要らないって言って。お前なんか要らないって言って。そしたら消えてあげるから。
そして、おそらくは二度と戻らない。

クラサメが言うはずのない言葉を盾に、ナツメは懇願した。彼がそれでもその言葉を選ぶなら、ナツメはそれを受け入れるしかないと思った。
受け入れて、明日の朝を迎えるしかないのだと。

「……思ってもないことを言える男に見えるか」

「見えないから言ってるのに。……優しいなぁ、クラサメは」

もう一度、肩に頭を凭れさせる。抱きかかえられて、ナツメは泣きながらもつい笑った。

「お願いだから、あなたのものにしてください」

「……お前、それどこで覚えてきた」

「あれ?そそられたりしない?あちゃー、私じゃダメだったか……」

「そういう問題じゃない!」

怒りだしたクラサメにとうとう本格的に笑いを零すと、クラサメも結局つられて笑った。

後に思えば、いくらこのタイミングであっても、否このタイミングだからこそ、“そう”なるべきではなかった。それでも、“そう”ならないといけない気がしていた。言い訳がましい、ことだけれど。
お互いどこかを深く抉り取られて、呼吸するのすら苦しいから。
愛する相手からすべて奪って、すべて与えてしまいたくなったのだ。そして、そうしなければならないと。






かの軍事教官が言うには、この一件は諜報部預かりになったという。諜報部が特例997を発令、軍令部から調査権を取り上げたのだそうだ。

――諜報部に入って調べれば、真実は明らかになるかもしれん。が、もちろん理由もなく誰かを諜報部へ追いやることなどできるはずも……ああそうか、罰則ならありえるか。

――では、クラサメに処罰がいかないように、取り計らってもらえますか。この一件は、私だけでなんとかしたいんです。

その日、ナツメは諜報部として生きることを決めた。軍令部の回し者として奇異の目なども浴びながら、暗殺者になるこを。
そしてクラサメの前から暫しの間姿を消した。
とある冬の出来事だった。








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