Act.18





※捏造四天王注意!





頭が痛かった。
崩れた天井の隙間から覗く月は、ぽっかりと開いた穴のように白かった。黒のビロードに、目張りで穴を開けたみたいだった。
ナツメは、その月を覚えている。見上げるしかない白を覚えている。直後に、青いマントが視界を遮ったことも。

「……あの子達は、あなたより強くなってくれるかもしれないね。クラサメ」

そうしたら、あの子達もいずれ、誰かに世界を恵むだろうか。ナツメがそうされたように、閉じた未来を切り開く手を誰かに差し伸べるのだろうか?
あの頃は、未来のことなんて考えられなかった。毎年冬を越せずに、下の子供から死んでいったのをまだ覚えている。教えられなかった愛情を示すことなど誰にもできず、死んだそばから面倒ながらも粗雑に埋めた。死体は獣を呼ぶ餌にしかならなかったからだ。
ナツメは目を閉じ、あの日のことを思い出す。暗闇の中を転びながら走って、一瞬後には嬲られているかもしれない恐怖から逃れたあの日を。

とはいえナツメはその日のことをはっきりとは覚えていない。というのも、彼女を救った人間のうち三人がすでに死んでいるからだ。もうクラサメしか生きていない、よってクラサメがどうナツメを救ったかしか覚えていない。それでさえ、かなりおぼろげだ。
……それでいい。それでも宝物だから。

ナツメがどこで死んだとしても、この記憶だけはずっと離さず持っていくと誓っている。あの瞬間にすべては救われた。
あの一瞬があっただけで、ナツメは生まれてきた意味はあったと思っている。あの日のために、生まれてきた。己の生がどんなに無価値でも、それはどうだっていいことだ。だって価値が付与される前に、すべての決着はついているのだから。

「ナツメ?……起きてる?」

不意に、ケイトがドアを押し開けて顔を覗かせた。彼女らしくないほど気遣わしげな表情に首を傾げ、起きていると答えると、彼女は一人で小屋の中に入ってきた。そして話したいことでもあるのか、ほんの一メートル程度の距離に腰掛ける。さっきから、0組女子はなにやら言いたいことがあるらしい。
と思ったら。

「あのさ、聞きたいことがあってさ」

「ん?何?」

「いろいろ……なんだけどさ。まずね、クラサメとナツメって元から知り合いだったんだよね?」

「……誰かに何か言われたの?」

心臓が嫌な音を立てて跳ね、ナツメはあくまで表情には出さないよう努めつつ尋ね返す。と、ケイトは「何も言われてない」と慌てて否定した。

「なんとなく、様子を見てたらそんな気がして。それで、アタシが聞いたの。いろんな人に。そしたら、昔からの知り合いだってみんな言うから」

言われてんじゃん。ナツメは数秒前の否定に内心反論しつつ、浅く頷いた。“みんな”が誰であれ、多くが知る真実は隠しても無意味だ。その上、本来隠す程のことではない。本来は、だが。実態は伴わない。そんな程度のことを、“隠すべきもの”にしたのは他でもないナツメだった。

「ええ。まだ私が訓練生やってた頃からの知り合いよ。それがどうかした?」

「……いや、っていうかクラサメがナツメを魔導院に連れてったんでしょ?」

「誰がそんなことまで、……カヅサだな」

ナツメがとうとう表情を歪めて言うと、ケイトは視線を逸らした。そこまで詳しく知っているのなんて、カヅサかエミナかナギかあとはクラサメ本人程度だ。この中で口が軽いのは二人、そしてナツメが容易に半殺しにできないのはその二人の内では一人である。

「……で?聞きたいことってのは」

「五年前のこと」

「……」

「どんだけ聞いてもわからなかったの。最初はクラサメのマスクの理由とか、そういうのを調べてたはずだった。弱味を握ってやろうっていう悪戯心だった。でもやってくうちに、そういう問題じゃないとも思った」

「……ケイト」

「このままじゃいけないと思う。噂は聞いた、疑惑があったことも聞いたけど、アンタもクラサメもそんなことする奴じゃないじゃん!ってことはまだ真相が明らかになってないんでしょ!?そんな大事なこと、放っておいたら……!」

「ケイト」

ナツメは彼女を睨みつけた。頭は必死に回転し、この場を切り抜ける方法を探す。
クラサメが守る以上、ナツメは彼らを傷つけられない。だから、切り抜けなければならない。

「そんなこと、暇つぶしに調べるものじゃないわ。諜報員を諜報するなんて、どれだけ危ないことをしてるかわかってるの?」

「暇つぶしなんかじゃない!それに、諜報員っていうより、ナツメはアタシらの副隊長でしょ!?」

「……私の所属はそれでも四課だよ」

「それ以前に副隊長だよ!……諜報員が何人いるか知らないけど、隊長も副隊長も一人ずつしかいないんだからそっちのが大事でしょ?アタシらが大事にされるのだって、アタシらぐらい強いやつが十二人しかいないからなんだから」

この子は、なんて甘いことを。そして優しいことを、言うのか。
一瞬意図がわかりかねて、ナツメの思考は止まる。

「知りたいんだ。今はもう純粋に、アンタらのことが知りたい。おせっかいだって自分でも思うけど」

「……本当よ」

「けどこのままじゃ可哀想だ。アンタも、クラサメも、周りの人間も可哀想だよ。そんなの個人の勝手だって言われたらそれまでだけど、ただ放っておくのはどうしてか、怖い」

ケイトはそれから自己弁護のように、デジャヴがどうのと話した。放っておいたらよくないことが起こるとひたすら何度も挟みながら。
クラサメ、あなたの生徒が蒼龍の胡散臭い霊能者みたいなこと言ってるんだけど。とりあえず反応に困った時は苦笑しておいた。

「ねぇ。五年前、本当は何があったのさ。……話してよ」

「……嫌だなぁもう、本当……」

他人に聞いてほしい話ではない。でも、ナツメの思考は一瞬、物悲しさに絡め取られる。
ナツメは幸福だったとは思えない子供時代を思い出していた。あの頃、死はいつも隣にあった。餓死することも、殺されることも、とても近い場所にある苦痛でしかなかった。

そして今、かつて同様死は身近にある。これだけの大騒ぎになってしまって、でも0組に責任を負わせることなんてできるはずがないのだから、帯同しているナツメにそれらが求められるのは必至だ。処分。決して有り得ない事態ではないそれが、今はとても近い。
なら、今話さなかったら。誰にも話さなかったら。
ナツメがどんな理由で今生きているのか、誰も知らないままになる。……死ねばどうせ覚えていてもらえないけれども。

「……私は……」

話したくはなかった。
けれども一方で、彼女に知られることは怖くもなんともなかった。怖いのは。

「じゃあ、二つ約束してくれる?まず、これ以上嗅ぎ回らないこと。調べるのは今日限りでやめにして」

そして、一番大切なこと。

「これから話すことは、一言もクラサメに漏らさないで。約束できる?」

隊長、とは呼ばなかった。クラサメはクラサメだ。ナツメの、クラサメだ。
子供染みた独占欲が、未だに消えない。それぐらい無二だから。

「約束破ったら、どうなるの?」

「……そんなこと、四課の人間に聞くもんじゃないわね?」

ケイトが微かに驚き慄くように猫目を見開きつつも、頷いたのを確認する。それからどう話すべきか考えた。
誰にも、自分から話したことはない。今までに一度だって。だから語り口が見つからない。

「もう十年近く昔のことだけど、私はここから西に行って……山脈の反対側の麓のあたりで、クラサメに救われたのね。その日はとても飢えていたけど、でも空腹が満ちても数時間だけなのはわかってた。だから、娼館の見張りからスりとった500ギルぽっちで、どこまで行けるか考えてた。誰にも見つからないうちに……って」

「孤児だったの?親は?」

「……母親がいたことはおぼえてるんだけど、殴られた記憶しかない。ただ痛みは思い出せないし顔もわからないから、きっともう死んでる。で、まぁ、その人に娼館に売り飛ばされて、でも逃げて。結局、そういう子どもたちが作るストリートチルドレンのグループに入ったのね。だからまぁ、たしかに孤児ね。一般的に言う孤児からはちょっと遠い気がするけど」

あの頃は、今なんかよりずっと必死だった。死というものがいつも数秒以内に息を潜めていて、いつ何時死ぬかわからなかったからだ。
そして逃げた時も確か、ゴミのように扱われる少年の死体を目にしたばかりの頃だったと記憶している。ナツメは、“あれ”になりたくなかった。
今思えばエスナ一つで治癒できるような流行病にやられた少年は、すぐに服を奪われ埋められた。常に栄養失調気味で発育不全だったナツメは身体が弱かったから、次は自分だと思った。だから死なないために、できることをした。

娼館の見張りから財布をスリ取って、ナツメは南へ東へ走った。国境の警備兵は、500ギル程度でも十分に動かせると知っていたからだ。国境さえ抜ければ温かい土地だと、食事もあると聞いたから。必死で。
けれど、直前に死に絡め取られた。一歩、自分の力だけでは足りなかったのだ。

「それで、クラサメに救われたっていうのは?逃げるのに手を貸してもらったの?」

「それも、そうだけど。娼館の見張りが、スられたのに気づいて追いかけてきたの。で、森の奥でとうとう捕まって殺されかかってたのを、偶然近くにいたクラサメが助けてくれた。当時はあのあたりが国境でね、知らない間に国境の真上にいたのよね私。それで、クラサメは国境付近の小競り合いに偶然軍の要請で駆り出されていたものだから」

「へぇぇぇ……クラサメもいいことすんのね……」

「あの人は悪いことしないの。いつもそうよ」

伝わりにくいだけだ。ナツメも昔は、彼の優しさに気づくのはいつもすべて終わってからだった。
一旦気がついたら、止まらなくなったけれど。

「救われて、魔導院で生活して……訓練生から4組に入った。適性は回復魔法じゃなかったけれど、何でか4組に入りたかった。理由は確か四天王の一人に憧れてたんだと思ったけど、今じゃその気持ちは思い出せないわね……」

「あ、そっか……クラサメ以外、亡くなったって」

「ええ。それが、五年前のこと」

あの事件について語るのも、初めてのことだった。それは境遇なんかよりずっと話しにくいことで、だからつい口を噤む。
間に沈黙が落ち、そして暫時の空白の後、重い口は開いてしまえば思ったよりずっと滑らかだった。

「私たちは国境を超えてくる白虎の兵を退けるために戦線に出た。軍が候補生に要請を出すのは、当時まだ珍しいことだったな。私は4組で、クラサメは1組だった。今みたいに一つのクラスから出撃するんじゃなくて、色んなクラスから選抜された隊での出撃で、クラサメは他の四天王と一緒に前線を引き受けてた。私は他の医療班と、治療のために走り回ってた。その時は白虎兵、機械まで投入していやにしつこくて……治しても治しても、きりがなかった。治療が間に合わなかった人もたくさんいた」

「……今みたいな感じ?」

「今ほどじゃないわ、さすがに。でも当時は、白虎の兵士なんて恐るるに足らないものだったから……驚いたわね。いつもはちょっと魔法で応戦してやるだけで逃げていくのにそうならないものだから、こっちはろくに戦術も展開してなかった。向こうは森の中から銃撃してきていたしね。四天王がいなかったら、押し負けていたかもしれない……。でもやっぱり、あれだけ強い人がいたから。すぐに敵を押し戻した。戦況は良い方に傾いて、そして……あと、もう一押しだった」

「裏切られた……んだよね。裏切り者って……」

「……残念なことに、それが思い出せない。どうしても思い出せない。あの時飛び交ってた言葉は覚えてる、裏切り者らしき人に言われた言葉を覚えてるのに、それを言ったのが誰なのかどうしても思い出せないの……」

思い出そうとすれば、いくつも響く声が頭の中を占拠する。

俺みてぇになるんじゃねぇぞ。

お前でよかったよ。
あの子を、あの子を助けてよね……。

逃げろ!お前の敵う相手じゃない!
間に合わない。

――生きてくれ。


聴覚と視覚が一致しない。覚えている場面が時系列順に並んでいない。
だから何があったのか、ナツメにはほとんどわからない。
裏切られた、という強烈な感覚は拭えないのに、誰が裏切ったのか定かではなかった。結局、報告書には皇国軍の急襲により隊はほぼ全壊、クラサメとナツメのみ生き残り帰投とした。

「……じゃあ、何が起きたの?怪我とかは……」

「私は、怪我は大したことなかった。でも魔力が尽きていたものだから治療できなくて……」

その先は、もうナツメにも断片的な記憶でしかない。だから、正確に語ることはできない。
覚えているのは赤だ。血ではない。あれは、炎の赤。

「全部……燃えてた。人も、機械も……何もかも燃えてた。クラサメの身体が一度吹き飛ばされて……それを誰かが治して……私も、炎に巻かれるはずだった。でもクラサメが……氷で守ってくれた。熱くて熱くて、右も左もわからなかったところに、クラサメが氷で包んでくれた」

「……ねえ、クラサメってマスクしてるよね?あれ火傷だって聞いたんだけど、本当なら……その時の怪我?」

「ええ。よく知ってるわね。……あの人、私を優先したものだから、自分は完全に守れなかったの。顔にだけ火傷が及んだ。……あれを見て騒ぐ連中が消えないから、マスクで隠して……それが習慣化した。まぁ、今は、怪我のことを嗅ぎ回られるのが面倒とか、きっとそういう理由なんでしょうけど」

「その後で、ナツメは四課に入ったの?どうして?」

「理由はいろいろあるよ。あんな事件があって、表向き処罰がないんじゃ締まらないでしょ?それに、なにより……あの事件を調査したのは、なぜか四課なの」

ナツメはじっとりと、虚空を睨む。考えても考えてもわからなかった。あれが、なぜ四課の領分か。
当時まだナギは内務調査の所属ではなかったので、ナギを問い詰めても真実は出てこない。四課は資料をほとんど残さないから、四課内を漁るのにだって限度がある。

「あの事件は絶対何か隠されてる。ただ裏切り者がいましたなんて話じゃないのはわかってる。四課は排他的な場所だから、調べるなら四課にいないといけない。そういう事情があった」

「それで四課に……、クラサメに言うなってことは、そういうことクラサメは知らないの?」

「伝えたら黙っててくれないからねぇ……。四課が隠し事してるなんて知ったら武器持って突っ込んでいきかねないし、私が四課にいることも納得してくれないだろうし、魔導院傾いちゃうから本当」

「えええ、いやいくらクラサメだってそんなことはさすがに……」

「え?するよそれくらい。そして勝つよあの人は」

「勝つんかいっ……ああー、でもまぁあいつが本気で暴れたら、アタシらが動員されるのは間違いないねー……」

「そしてあなたたちにも勝つわね」

「勝たんわっ!!勝たせないっつのいくらなんでも!!」

「無理よ、無理」

せせら笑って肩を竦めると、ケイトは悔しそうに歯ぎしりした。実力的に、まだまだ一人ではとても敵わない相手だということはわかっていて、鍛錬で投げ飛ばされた経験もあっては簡単に否定はできないだろう。

「……でも、ふむ、なるほどね……じゃあ五年前の事件の真相がわかれば、ナツメは四課辞めれるってコトかー」

「いやいくらなんでもそこまでお手軽な職場ではないけれども……」

「でもナギが言ってたよ、理由があればクラス移籍も可能だって」

「それ特例だからね本当。相当な特例だから。第一、クラスの移籍には軍令部の許可がいるんだってば」

まさかケイトが本気でそんなことを言うはずもないのだが、ナツメは苦笑した。冗談では済まない。ナギに聞きつけられれば四課への叛意と捉えられかねない。そんなことになったらとても困る。

「ね、もうすぐ夜明けがくるね」

「ええ。そしたらまず東に向かってから、南下するわ。北の回廊、……ここから見たら南なんだけど、とりあえずその回廊を抜けたらミィコウが近い。そこまで戻れば、魔導院もすぐだから」

「こんな短い距離を必死に逃げてきたのに、ミィコウから魔導院までがすぐだなんて変なの」

「本当にね?」

「……それまでに、マキナ戻るかなぁ」

ケイトの声は、聞いたこともないくらいに不安そうだった。ナツメは驚き、戸惑い、困った。同年代の女性の友人と呼べる人間が今のところカルラくらいしかいないためにどうしていいかわからない。カルラが落ち込んでいたら金を見せれば元気になるが、さすがにケイトにそんな真似をしたら正気を疑われるだろう。
どうしていいかわからず硬直していたが、少し考えればわかることで、ケイトが求めているのはおそらく慰めや励ましではないのだろうと思う。彼女は0組だ。クラサメが言うように、言葉なんて何の意味もない。大事なのは、現実だ。

「戻らなかったら、置いていくことも考えないといけないわね」

「うん。任務って、そういうものだから」

「そう。よくわかってるわね」

0組って場所は一体どうなってんだ、とナツメは内心苦笑した。候補生として、というより……任務で仕事をするために一番大切で、そして一番難しいところだ。ナツメにだって、易易とはできないことである。
仲間だと思っている人間を見捨ててでも、任務の遂行を優先しなくてはならないということ。それでも救えるものは救わなくてはならないということ。ナツメにはどちらもできない。守りたいと思った相手を見捨てることなどできはしないし、救えるものでも救いたいとは思えない。
けれど彼ら彼女らはそれを哀しみながらも、乗り越えてみせる。年齢に似合わない、物分かりの良さで。

「……そろそろ行きましょうか。みんなにも出発の用意をするように言わなくちゃ」

「そうだね。……そういえば体調は大丈夫?レムの看病したとたんにぶっ倒れるから心配したんだかんね!」

「貧血だから問題ないとは思うけど……でも南下したら体力もたないかも。最悪私も置いていく覚悟でね」

「目の前にいるのに誰が置いていくかっての。へーきだよ、レムとマキナは置いておいても十二人いるんだから」

ケイトはそう言って立ち上がり、猫目を細めて笑った。そういうときばかり、歳相応の顔をしていた。



ナツメは、正確な真実を語らなかった。
本当に大切なことを。何よりも深いところにある恐怖の正体を。

あの炎は、誰が放ったものなのか。魔法は術者を襲わない。けれど、クラサメを襲わなかったかはわからない。
ナツメがあの時クラサメを守ろうとしたのかどうか、もう誰にも証明できない。
そして、四課が調査した、その本当の意味もまた……。

「(……わからない)」

わからない。どうして候補生の起こした事件を、四課が調べるのか。何を隠蔽したのか。四課が誰を人身御供に、何をしたのか。
わからないから、ナツメは四課にいる。その真実は、未だ誰にも語られない。







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