Act.17-a:Bad-sweets.




『では、1503号室で待っている』

「……ハァイダーリン。待ってて、すぐ行くわ」

それだけ言って電話を切り、彼女は手に持っていたグラスを傾け、中の透明な液体を揺らした。僅かに濁るそれは果実酒で、湖面が揺れるたび爽やかな匂いがアルコールの涼やかさと共に鼻孔を擽っていた。
彼女はそれをたっぷり十分かけて嚥下し、空の胃に滑り落ちる感覚を楽しんだ。ホテルのラウンジから見下ろす風景はとにかく白く、まるで塩でも積もっているみたいだった。雪と呼ぶには、あまりにも綺麗すぎると彼女は思った。知る限り、雪は綺麗なものではない。綺麗だと思ったことなんてなかった。今までに、一度として。そしてそれは今この時も例外ではない。
白い建物ばかりが延々と続いている。その街の切れ目は、ここからでは見えない。白く濁って、逃げ場がないみたいだ。
グラスを置いて、会計を済ませる。チップは多くても少なくてもいけない、ただでさえ彼女は目立つから、誰かの印象に残る行動は一切とってはならない。

エレベーターでラウンジから数階分空に近づいて、彼女は言われた通りの部屋の前に立った。バッグに手を滑りこませ冷たい鉄の感覚を確認してから、ドアノブに手をかける。鍵はかかっていない。娼婦を呼んで鍵をかけるバカはいない。

「来たわよ」

声をかけながら、中へ。短い廊下を抜けダイニングスペースに入ると、奥に人の気配を感じた。
同時、耳元に冷たいものが押し当てられる。黒光りする、銃口だった。

「……これは聞いてないわねぇ。そういうことは事前に言ってくれなくちゃ」

白い戦闘服を纏った白虎兵が、隠れた場所から飛び出してくる。気がついたら、十人余りに囲まれていた。

「複数のお相手なんて聞いてなくってよ。それから、……一体、誰の番号を使って連絡してきたの?」

兵士に囲まれるなんて、そうあることではなくて。しかも、奥のダイニングスペースの、ローテーブルの向こうのソファに腰掛けているのが大物すぎるので、彼女は不愉快げに顔を歪めながらもそう言い放った。
カトル・バシュタール。誰もが知っている人物だ。バシュタール家という、白虎最大の名家に生まれ、先の皇帝崩御に際しては皇位継承権八位にその名をおいていた。本人は何を考えているのかその権利を行使することはなく、軍にて今は大佐の地位に就いていたはずだ。これだけならば一見家嫌いの跳ねっ返りだが、この男は彼女の知る限り飛空艇乗りの天才で相当な実力者でもある。白雷だの、完全帰還者だのと御大層な二つ名を冠詞のごとく頂いていたと記憶しているぐらいには。
そんな奴が、兵士を引き連れ彼女に会いに来る理由はなにか。そんなこと、考えずともわかっている。これだけの大物を引っ張り出せたということは、彼女の仕事は相当にうまく運んだということであろう。

「この一週間で、我が皇国軍の重鎮が三人、政府高官が六人、民間企業の重役が二名殺されている。最初はただの不審死であったし、娼婦を呼んだ直後ではね。なかなか事件にもしづらかったのだが……いくらなんでも、殺しすぎだ」

「……あなたから連絡がなければ、もう終わりにするつもりだったんだけれどね」

「おや、目標は殺し終えたのか?」

「いいえ?ただちょっと飽きたし。遊ぶのにも」

ほとんど覚えていないくせに、彼女はそう言ってにっこりと微笑んだ。内心では、どう隙をついて全滅させるかを考えている。魔法ならば簡単だが、数が多い。
カトル・バシュタールは表情を変えなかった。

「それで――……聞かせてもらおうか。お前は何でこんなことを?白虎の高官に恨みでも?」

「……ああ、そう……そういうこと」

彼女は真っ赤な唇の口端を釣り上げた。彼女は内心、ほっと安堵の息をついた。そして高慢な仕草でそっと銃口を払いのける。自分に向いている銃口の数は変わらないとしても、押し付けられているという間抜けな状態だけは回避だ。
どうやら自分は個人的な恨みから連続殺人を行ったと思われているらしい。それなら、まだ逃げる余地がある。だからそれを主軸において、話を進めることにする。

「そうね。……あいつらに恨みが無い人間なんて、この街にいると思う?」

「……」

「スラムに生きてる人間なんて塵芥ほどにしか考えてないでしょう。……別にいいのよ、今じゃ私もおんなじだわ。汚い手で物乞いに来た子供は蹴り飛ばすもの。だってそうするしかないじゃない、物乞いなんてしていても未来はないんだもの。どこかでそれに気づいてこんな場所からは逃げないと、あの子供たちはずっとずっと“ああ”だわ。そして誰の記憶にも残らないの」

「……お前は、白虎北部の出身か?」

「容姿がそれっぽい?ならそうなんじゃないの。……どのみちどうだっていいことよ。北も南も、治安は変わらないんだから。どこで生まれたって同じ、私は地面を這いまわるしか能のないゴミクズだったわよ」

嘘ではない。相手が勘違いしていることが多々あるにせよ、何一つ嘘ではない。そこがポイントだ。嘘では襤褸が出る。でも本当なら、演技なんてする必要もない。

「私達は一体ナニ?暇な時に蹴るボール?やりたい時に突っ込む道具?馬鹿にしないでよね本当。ねぇ、私が銃弾を突っ込んだら問題なわけ?昔されたことをやり返してるだけなのに?おかしいわね、帝政放棄の際にすべての市民には市民権が与えられるんじゃなかったっけ?」

「そうだ。アレ以降、少しは改善されたはずだ」

「少しは?……面白いこと言うのね。ええ、ずいぶん死んだみたいだわ。今回の冬を超えられなかった子どもたちが一体どれほどいたでしょうね?どうでもいいけど。今頃最下層の市場じゃ肉が売られてる頃よ?」

「最低の冗談だ」

「冗談じゃないから最低なのよ」

なんとも驚くべきことに、会話が成立してしまっている。自分のような女と、皇国軍の高官の間に。
さてこれはどうしたものか、彼女は努めて冷静であろうとした。今打つ手を間違えると、絶対に帰れない。

彼女はするりと兵士の脇をすり抜けると、カトル・バシュタールの反対側に音も立てず腰を下ろした。そして白い足を組んで、馬鹿にしたような目で己同様色素の薄い男を見つめる。

「何で私と会話しているの?あなた。私を撃ち殺してお仕舞いではないの」

「それでは何も解決しない。第二のお前が生まれては」

「そんなのすでにいくらでもいるじゃない。空から消毒液でも撒けば解決じゃないの?」

「お前も知っての通り、すべての市民には市民権がある。……これから白虎は強い国にならねばならん、市民一人だって無為に死なせるわけにはいかんな」

「……へぇ」

そんなこと私に言えちゃうんだ。彼女はにっこりと笑んで、そう言った。カトルの表情は変わらなかった。

「お前は何が不満だった?改善のために力を貸してくれないか」

「うん?それって恩赦の条件だったりする?」

「馬鹿を言うな、これだけ殺しておいて恩赦などありえん。だが、お前も理由あって彼らを殺したのなら、死ぬ前にもっと多くの利を後に続く者に遺したいだろう」

「……なるほどねえ、私への慈悲のつもりなわけか。結構結構、理解したわ。……不満。不満かぁ」

一瞬彼女は考えこむような顔をした。そんなのいくらでもあるのだ。でも、少しずつ思い出してみるとして。

「まず下層での女の地位の低さなんとかしてほしいわね。結局腕力がすべてだから、娼館に所属のない女の子は悲惨だわ。娼館にいてもそこそこ悲惨だけれど」

「改善しよう」

「あと兵士の巡回とか無駄だからやめてほしいわ。兵士ったって清廉潔白じゃないんだから、子供蹴り飛ばして終わりよ。事件増やすくらいなら私に全員頂戴よ、殺すから」

「……改善しよう」

「そうね、それから、……。そうやってどうしようもない環境で生まれた子供がどうなるかって、考えたことある?」

言葉を知るよりずっと早く、蹂躙という言葉の意味を知る子供がどうなるか。
犯されながら成長する子供が。誰かの吐いた唾を栄養に育つ小さな苗が。生きるためなら誰かの生を奪うことも余興だと笑い飛ばせるようになるまで。

「全員、きっといつか誰かを殺すからね。それは友人かもしれないし、恋人かもしれないし、すれ違った誰かかもしれないし、自分の子供かもしれない。でも絶対に殺す。乗り越えるのは、本当に難しいことだから」

「……その言葉は、胸に留めておく」

「でもまぁ……私の言葉なんて聞く必要ないわよ」

彼女はため息をついた。もう無駄な時間も終わりにしよう。どうせ会話自体に意味はなかったのだ。
兵士が少しずつ距離を詰めていることに気づいていた。だからこっそり、魔法の詠唱を始めていた。気付かれないよう、本当に少しずつ。
だって彼女は、ただの殺人鬼ではないのだから。

「私の不満はね、とても単純で……」

詠唱が始まる。ボム魔法に気づいて慌てて銃を構え直したってそんなのもう遅い。

「誰も助けてくれなかった。それだけだから」

展開される、雷鳴。つんざいて兵士たちを肉塊に変えていく。一瞬の紫電の後に、残るいきものは二つだけ。

「お前……まさか、朱雀の……、」

「私のことを思うなら、十年前の私を助けてよ。それができないなら黙っていてよ。抗ってくれて構わないから、私に殺させて。これしかもう、救いがないの」

「……お前は、哀れだ」

「不用意なこと言うもんじゃないわ。男一人殺すことなんて簡単なのよ、白雷」

そんなことを言いながらも、殺す気がなぜか起きない。己の心変わりに内心首を傾げつつ、部屋を去ることとする。

「ひとつ。最後にもう一つ、聞かせてくれないか」

立ち上がって背を向ける彼女に、カトルはまだ声をかけた。無表情に、淡白で、互いに感情は滲まない。

「お前の、名前は」

「……聞いてどうする?そんなこと」

彼女は振り返って、微笑んだ。どこか奇妙に穏やかで、殺意の無い笑みだった。実際、殺意はなかった。
なんだか子供扱いされているみたいで、悪い気がしなかった。あの頃には、得られなかったもの。

「次また会うことがあったらそのときに。じゃあね、カトル・バシュタール」

そう言って、姿を消すために彼女は部屋を出て行った。逃げるためにすぐさま走りだし、ホテルそのものを飛び出して白虎を出る道を探る。
最後の最後、銃は結局使わなかった。




どうしてカトル・バシュタールを殺さなかったのかわからないまま彼女は白虎をも脱出し、魔導院へと帰還する帰途についた。

「……うーん。なんだか少し似てたからかしらね?」

どことなく、面差しが……あの人に。
馬鹿なことを考えながら、彼女はナツメに戻った。
戦争が始まる、丁度一年前のことだった。









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