Act.17







ナツメが廃屋へ戻ると、レムが不安げにマキナの様子を尋ねたそうに大きな目で彼女を見つめた。ので、マキナは大丈夫だということだけ伝えておく。
マキナは大丈夫。大丈夫なはずだ。ナツメがここにいるし、レムも傍にいる。最悪の事態を避けるために、いつでも動ける。

「んねんねナツメ〜、体調はもう平気なのぉ?」

「ん?ああ、貧血のことね。だいぶ休ませてもらったし、もう大丈夫」

そう答えるも、セブンが顔色が悪いと言うので、結局切り株の上に座らされてしまった。ナツメは戦闘もしていないのだから、椅子くらい誰かに譲ろうと思ったけれども、0組を前にするとどうしてかとても年を取ったような気がしてくる。まだ一応候補生でもいいくらいの年齢なのだが、自分で年を取ったと思うなら他にどんな条件を並べても無駄な気がする。不条理である。

朱雀と連絡がつかないままに逃走し、この廃屋に身を潜めて数時間。夜明けまで待って連絡がつかなければ、北の回廊などを経由して無理やりにでも朱雀へ抜け、なんとかして帰るという計画だった。その計画のために、今は全員身体を休めている。

「ナツメの回復魔法ってそういえばすっごいよねぇー。僕回復魔法が苦手でさぁー」

「そうなの?苦手なのは計算問題と暗記だけかと思ってたわ」

「はは、それもまぁ嫌いだけど!」

「ジャックさんやシンクさんは回復も気にせずに一人で先走りすぎなんですよ。後ろから見てるととっても怖いんですからね」

「そうねー、エイトとかもだけど、アタシらが後ろで援護してるときにガンガン突っ込んでいかれちゃうと追いかけようとして無駄に焦っちゃうことがあるかも」

「そうなのか?……じゃあ、まぁ気をつける」

「あは、できもしないこと言わないでいいよ。エイトとかシンクはどんどん突っ込んじゃえばいいの。アンタらがそうしなかったら、誰もできないんだから」

「まさしく適材適所、ですね。逆に、私やキングは魔法なしでは敵に突進するなんて真似は絶対にできませんから」

彼らは思い思いに好き勝手、お互いの長所短所を話し合いだした。命がかかっているので、戦闘の話ともなれば誰もが真剣である。

「そういえばさ、副隊長は結局何の任務だったんだ?」

「エース、ねぇ君何度言わせるの?言えないつってんでしょ?っていうか本当、娼婦の振りして入り込んで誰を殺したかなんて話を何でそんなに聞きたがるかな?」

「四課の仕事に純粋に興味がある」

「やめてキラキラした顔でそんなこと言わないで……ナギにも言っちゃダメよあいつ絶対テンション上げる……っていうかそんなんなら聞いちゃうよ?ファントマの抜き方とか聞いちゃうからね?」

「あー、ファントマ抜くのはね〜、こう、ぎゅっとしてスパン!って感じだよぉ〜」

「シンク!!」

あっさり失言をかましてくれたシンクに、クイーンが牽制の声を飛ばす。なんて、ファントマに関わる権限はさすがに無いのでナツメの強がりだ。というか、シンクの説明じゃ何もわからない。
ため息をついて苦笑する。クイーンを始め、何人かが警戒の視線を投げて寄越していた。シンクは戸惑っていた。

「0組と関わってれば、ファントマと無縁じゃいられないよ。大丈夫、権限はなくても知らされてはいるから」

「……ですが」

「っていうか……あなたたちが現れるまでは、ファントマの回収も諜報四課に丸投げされていたからね。私は回収させられたことないけど……やっぱりファントマ回収業はハードすぎて、もう何人死んだか憶えてないや」

そこまで言って、ようやくクイーンの警戒は解ける。そういうこともあると、納得したようだった。
納得してはダメなのに。ナツメは内心、笑った。ファントマ回収は四課でもかなり下層の、もうどうにもならない人間のための最後の役職だ。そして、ナツメはそこにどうしても近づきたい。だから、ファントマについては引き下がれない。
が、珍しく空気を読んだエースが話題を変えるためにか任務の話を始めた。

「ちなみに僕たちは新型魔導アーマーの破壊をしてたんだけどな」

「それは知ってるってば。一応副隊長なんだから、任務の概要くらいは教えてもらえるよ」

その程度しか教えてもらえないし、今回は白虎に潜入、なんてナツメの専門分野の任務にも関わらず、事前相談を受けなかった時点で軽んじられているのはあからさまだが。
と、肩を竦めたナツメにケイトが「そういえば、あいつがまたいやがったの!」と苛立ち混じりに声を上げた。

「あいつ?」

「あいつよ、あいつ!誰だっけ、バシュタール?とかいうやつ!トゴレスでも戦ったんだけど、そいつが停戦を伝えにきて!あーむかついたー撃ちたかったー!」

「バシュタールって……カトル・バシュタールのこと?交戦したことがあるの?」

「ええ。トゴレス要塞でのことです。魔法障壁試験のために投入された機体だとかで、わたしたちもあのときは殺されるかと思っちゃいました」

「それは……ああ、殺しておけばよかったわね」

カトル・バシュタールとは、会ったことがある。いろいろあって、護衛の兵は皆殺しにしたものの、カトル・バシュタール本人は殺さずにそのときは朱雀に帰投したのだ。
が、0組をも脅かすか。あの頃は戦時中ではなかったし、いくらなんでもあそこまでの大物を殺せば面倒なことになっていたのは間違いないのだが、殺しておいてもよかったはずだ。ごまかそうと思えば、できないことではないのだから。

けれども、一方で、やってはならないとも思う。理由は単純明快で、未だにナツメが指名手配されていないからだ。今回蒼龍女王の暗殺に関してホテルに乗り込んでみたりさんざん暴れたのも、手配は“痣の女”としてだけだった。直接カトル・バシュタールに対峙したというのに、似顔絵もまだどこにも出回っていない。カトル・バシュタールが何を考えているのかはわからないが、見逃されたのだ。おそらくは哀れみ故に。それなのにナツメが任務でもなく殺してしまうのは、フェアではない気がしていた。もちろん、任務ならば殺すが。
ちなみにそれ以降、ところどころでたまに出くわすので困っている。いつ殺そうかという意味で。

「ナツメ、あいつ知ってるの?」

「まぁ、会ったことがあるから。あの時は本当、生きて帰れないかと思ったものだけど……なんだかんだ今も生きてるわ」

「た、戦ったんですか!?あの人と!?」

「いや、周りの護衛兵を殺しただけ」

「はぁぁぁ、なるほどぉー……。ナツメって以外とあぐれっしぶな仕事してるんだねぇー……。シンクちゃんもびっくりだよー」

感心したようにシンクが口を大きく開けたので、そんな大したことでもないと一応否定しておく。実際あれは騙し打ちにあっただけで、こちらから何かしたわけでもないのだし。
あのときの仕事はといえば、四課流に言えば“混乱の仕事”だった。不特定の、どこかで大物と呼ばれる人間を一気に消すことで、指揮系統の乱れを引き起こし社会全体に混乱を伝播させること。あの頃は、確か白虎兵が国境で小競り合いを起こすことが増えていて、だからその理由を突き止めるため諜報員が潜入していた。ナツメは陽動だった。
と、なんとなく視界が一瞬ぼやけた。おそらく焦点がずれたのだろうと思った直後、セブンが顔を覗きこんできた。

「副隊長、やっぱり顔色が悪い。小屋で休んだ方がいい」

「……そうね。もうしばらく、休ませてもらおうかな」

なんだかもう老人扱いのような気もするが、貧血そのものはもう仕方ない。血を流しすぎた。ケアルでは血までは作れないのだ。
促されるまま、廃屋へと再度足を踏み入れた。ところどころ床が抜けていたりはするが、外よりは涼しく、横にもなれる。奥に座り込んで壁に頭を凭れさせると同時、ドアが開いて銀の髪の少女が入ってきた。サイスであった。

サイスは何も言わず、ナツメから近くも遠くもないあたりに腰をおろし、同じように壁に頭を凭れさせた。どうやら休憩するようだ。

「見張りは交代?」

「ああ。セブンたちが休めってよ」

「……そう。セブンはよく気がつくわよね」

「それがあいつの特技だからな。体調悪い奴に最初に気づくのはいつもあいつだ」

そう言って彼女は薄く笑い、そしてそれっきり会話は途切れた。ナツメも彼女も、無意味な会話を延々繰り返すタイプではない。そして、沈黙に耐えられないタイプでもなかったからだ。
そのまま、少しの時間が経った。外から微かに談笑する声が聞こえてくる、ただそれだけの沈黙のさなかにあって、口火を切ったのはサイスであった。

「……怪我は治ってんの?」

「え?……ああ、怪我ね。大丈夫よ」

「治ってんのかって聞いたんだけど。あんたみたいなのの繰り返す“大丈夫”は聞きたくないよ」

言葉は、鋭利な刃物のようだった。サイスの言葉はいつも、刺さるように放たれる。

「治療はちゃんとしたわ。傷はふさがってるし、内蔵も元通り。ただ血が足りないだけ」

「あの血の量じゃ失血で死んでもおかしくねぇからな……よく生きてるよ」

「まぁ、確かにそうね。今はだいぶマシになったわ」

「嘘つくなよ。セブンは気づくのは早いけどな、無理しようとしてる奴に無理すんなって言える奴じゃないんだ。あんたを小屋に戻したってことは、あんたが気を遣ってられないくらいに辛そうだからだよ。死ぬほどしんどいんだろ。……いくら白虎で育っても、この程度の気温ならまだ暑いってへばるにゃ早い。そりゃ、森の外に出たらぶっ倒れるかもしれないけどな。っていうかあんた、その体調で森の外なんか出れんのか?死ぬぞ」

そして恐ろしいまでに、正しく鋭い。彼女の言うことはまるですべてが勘のようで、しかしすべて直球に正解だった。
血を流しすぎた。本当はさっきからずっと頭痛が止まないし、手足は冷たいし、心臓は送り出す血を搾り取るように嫌な音をたてて響いている。それでもナツメはそんな様子を彼らに見せるわけにはいかなかった。

副隊長だからだった。誰も認めてくれなくても、自分自身役職に腹が立っていても、“クラサメに準ずる指揮官のひとり”だからだ。クラサメの補佐だと言われたら、それがどんなに苦しくても彼がするようにしなければならないと思った。そして、それを望んだのだ。クラサメがそうするのだから、自分だってそうしなくてはならないと、そうしたいとナツメは。
浅い息を吐くナツメに、サイスはしかし舌打ちをした。

「……なぁ、あんたさ。すごくわかってないみたいだね?」

「ん……?」

「……あたしもさ、白虎の生まれなんだ。スラムの端で生まれて、多分あんたと似た生い立ちなんだろうと思うよ」

突然の身の上話に驚いてナツメは目を瞠る。サイスはどうにも、そんなことを理由もなく話してくれそうには思えなかったからだった。
けれど実際、サイスは理由もなく話しているのではなかった。

「それで、昔……言われたことがあんだよ。自分が傷付くことを恐れない人間は、誰かが傷付くことも理解できないんだって。自分が傷付けられてきたから、他人が傷付くってことが悲しいとか、そういう理解ができないんだって。有り体に言えば、“思いやりがない”ってことなんだろうな」

サイスの表情は窺えない。長い前髪に半分隠され、こちらからでは彼女が顔を向けてくれないかぎりわからない。

「そんなこと言われてもあたしにはどうしようもなかった。傷付いた過去は消せないし、一旦下がったハードルは元には戻らない。……でもなんとなく、そう言われてみれば、他人が苦しんでるとか傷付いてるのは見えるようになった。それまで、飢えて死んだガキを見ても死体だとしか思えなかったんだけどさ」

なんとなく言葉を挟むことができなくて、ナツメは黙って聞いていた。この言葉がなぜでてきたものなのか、なぜ今語られる言葉なのかわからなかったというのも理由だった。

「で、あたしはそれから、できるだけ見るようにはしてる。気を遣うのはあたしの仕事じゃねぇからいいとしても、見るようにはしてる。……あんたはどうなの。あんたには、言ってくれる人間がいなかったのか。それともいたけど、無視したのか。どっちならあんな真似ができる?自分のはらわた抉られんの眺めながら、あたしらが勝つのをただ待つなんて真似、どっちのせいなの」

それまでずっと床の一点を見つめていたサイスの双眸が、吸い寄せられるみたいにナツメに視線をぶつけた。無表情だった。怒るでも笑うでも嘲るでも憐れむでもない、ただの静かな視線だった。

「なぁ、どっち?」

サイスはその静かな目で、ただ聞いた。ナツメの唇は言葉を紡ごうとして、しかし肝心の音が見つからず、結局魚のように唇をぱくぱく動かしただけで終わった。
ナツメから視線をそらし、サイスの問いには答えることができなかった。けれども、むしろその反応が単純明快なその問いの答えにそのままつながっているような気もしていた。

言ってくれる人間なんて。
そんなの、いくらでも。

言葉だけでなく、愛してくれる人間が、いた。

「……でもそれは理由にならないのよ」

辛うじて、答えではない言葉を吐いた。理由にならなかった。
愛されているなんてそんなこと、ただ愛されていればいい理由にはならない。

愛されているだけじゃなかった。愛していた。だから愛する人を守るためにできるだけのことをしようと思った。
正しくないと言ってくれる人もいた。そんなのは守ることにならない、やり方が最低だと。当てつけがましいと。
その通りだ。これでは、当てつけと思われても仕方ない。でもこれでいいと、間違ってはいないと、ナツメは必死に信じている。

そうやって生きる今のナツメは四課である。そしてナツメが思うに、四課というものは概念として重要なのであって、そこに生きる人間は全員が平等に捨て駒だ。0組のような、表舞台で華々しく勝利する誰かの礎になるのが仕事で。
クラサメだって、それを望んだはずで。だから彼らを鍛えようとしていて。なら根幹は同じなはずだった。

だから、サイスの問いの答えがなんであろうと、一緒だ。どちらだったとしても同じ結末を迎えるし、ナツメは同じことをした。

サイスはなにかをナツメの声音から感じ取ったのか、舌打ちをした。

「……あたしらはこの戦争に勝つけど。そのためにあんたが犠牲になるのは少なくとも結果論であるべきで、過程じゃねぇだろ」

「……サイス」

「大事だからこそ大事にできねぇんだな、あんたは。……無視してるって自覚もねぇっていう、アホみたいな事態か」

言葉の。
言葉の、意味が。
理解できない。してはならない。しても意味ない。今更、だから。

「あんたは……自分を大事にすべきだと思うよ。月並みだけどさ。じゃなきゃ、誰のことも守れやしねぇよ」

サイスは結局、言うだけ言って立ち上がった。言いたかっただけのようだった。
そして彼女は最後、扉のところで足を止め、「クラサメも大変だなこりゃ。見捨てられるタイプでもなさそうだし」とだけ言い足して出て行った。
ナツメはぼうっとそれを見送りながらも、必死に言葉を嚥下しようとする。

咀嚼してはならない。噛み砕いて、理解なんてもってのほか。
ただ飲み込め。腹の中に刻め。忘れてはならないが思い出してもならない、そういう類の言葉だと思った。
とはいえ何より刺さるのは。

「……なっさけな……」

四つも五つも年下の子供に、自分は何を言わせているんだか。なんて情けなくて、くだらない。
ナツメはまだ痛む額を押さえて、項垂れた。

夜明けはまだまだ先のようだった。







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