Act.1







人間やればなんだってできるものだ。ナツメはそう、内心で繰り返す。
例えば、足が片方動かない状態で貨物用コンテナに隠れ地上数十メートルを運ばれつつ戦争直前の国境を抜け、回復しだした魔力に頼ってなんとか傷を癒やし野生のチョコボを蹴り飛ばして捕らえ無理やり言うことを聞かせ魔導院まで乗り付けることだとか。
制服を着ていないどころか白虎式の衣服着用のうえ血まみれで明らかに異質な存在であることを理解しつつホールを突っ切り、機密漏洩に抵触すらする状況で軍令部のドアを開け放った朗らかな朝のことだとか。
やればなんとでもなるのだ。

ナツメはぼんやりと天井を眺めていた。埃が見える。微かな頭痛がしていた。

「……お、起きれない」

四課に合流し、武官服の上着だけ身に纏って戦闘に参加した結果、久々の戦闘行為がいけなかったらしく全身があちこち痛い。魔法が使えなかったというのももちろん大きな理由だが、潜入中は平素から魔法が使えないことを考えるとこの歳で早くも身体にガタがきているのか。そこそこ酷使しているので、驚かないが。ナツメは苦笑した。

昨夜、シャワー……というかもう面倒くさくて頭から水を被り、抽斗の奥底に眠っていた一度も使われた形跡のない水を吸わないタオルでむりやり拭い、そしてそのまま泥のように眠ったので髪がごわごわしている。これはもう仕方ない。自分が悪いのではない。突然戦争を始めた故国が悪い。
枕元に放置されたCOMMを見やり、連絡して指示を仰ぐべきか一瞬ためらって……指示されてしまえば従うほかないのでやめた。ちゃんとシャワーを浴びたかった。

「ねむ……」

彼女が魔導院に戻ったのは、おそらく半年ぶりだった。ほとんど魔導院で生活していないため、自室だというのにどこかよそよそしい気がする。マットレスだけの、掛ける毛布も敷くシーツもないベッドからなんとかこうにか起き上がって、ナツメは欠伸をした。

昨夜、劣勢の中で突然白虎兵があっさり駆逐され魔法が使えるようになった。おかげで、魔導院を放棄して無様に逃げる羽目にはならずに済んだ。とか言うと、「割りと率先して逃げようとしてたくせに!?」と怒る金髪が身近に居るので内心だけでそう思っておく。別に逃げようとしていたんじゃない、ただがむしゃらに戦うことに意味を感じなかっただけだ。目的はいつだって、救国ではないのである。

むき出しのレンガで囲まれた狭いシャワールームで、彼女は頭から熱い湯を被る。全身を覆っていた眠気や気だるさが少しずつ薄れていくような、むしろ重くなっていくような感覚に溺れそうになりながら、思考はゆっくりとこれからのことへ向けられる。
戦争になってしまった。その上で、身の振り方を考えなければならない。……まぁ、方向が選べない以上、どう賽を振ろうとも結果は目に見えているわけだが、それでも陥
る最悪を想定しておくべきだ。パニックになると自分はろくなことをしない。大抵、後から振り返って後悔することになる。

現状、敵対国家となった白虎にスパイとして入り込むことはもうほとんどできまい。混乱に乗じて入ることは可能だろうが、帰ってくるのが難しくなる。情報を持ち帰れないならスパイを送り込むことになんら意味などない。むしろ、寝返られる危険さえある。……なら、己の仕事はどうなる?
とりあえず所属は動かないだろう。四課より下はない。ここから更に堕ちる先なんてない。とはいえ、自分は長期専門諜報員である。魔導院で仕事をしたことがない。つまり、何もすることがない。

「……うーん」

まぁ、そこは自分が考えるところではないか。私の望みは単純なので、きっと上司や同僚がうまいことやってくれるだろうと、彼女には珍しく楽観的な結論に達した。潜入以外に特技があまりない自分なので、申し訳ないと思わないでもないけれども。
一番最悪なのは、他の課や組に回されることだ。一旦四課に入った以上、純粋な異動なんて有り得ないので、ついでに諜報させられるし疑われるし捨て駒にされるしで良いことナシなのは目に見えている。どこにも戻れないのに。

全身をタオルで拭ったところで、ふと戸惑いを覚えて立ち止まる。自分は武官だが、正式な任命はされていない。四課ではよくあることだが。
だから候補生の制服を着るべきか、四課の真っ黒な武官服を着るべきか迷ってしまう。

「迷う、けど」

昨夜、一度武官服に腕を通している。ならばそちらでいいだろう。
今更候補生の制服になんてしがみついてみても滑稽だ。だから、どこにも戻れないってわかってる。

髪を拭い、途中で面倒になってファイアで無理やり乾かしていると、ベッドサイドのCOMMから微かな機械音を聞いた。拾い上げ耳に差し込むと、やはりというべきかビービーやかましく着信を告げていた。

「はい」

『あ、やっと出た!何してんだコラ!』

「寝てシャワー浴びてたんだけど……え、何?」

『昨日言っただろ、明日は朝十時に教室集合だって!何でお前が寝惚けてんだよ!』

「ええー……そんなこと言ってたっけ……ごめん、今から行く」

部屋に時計がないので、時間がわからない。が、怒られたのだからきっともう十時は過ぎているのだろう。私は慌てて身支度を済ませ武官服の前を留めるとブーツに足を突っ込み外に出た。
寝ていた部屋は9組の寮なので、教室はすぐそこだ。あちこちから漂う血の臭いに微かに顔を顰めつつ、血を吸っても色の変わらない武官服で教室に足を踏み入れる。
正直、9組全員が勢揃いしているだろうと彼女は予想していた。入った瞬間、ほとんど会うことさえない他の諜報員たちに出くわすのだろうと。
が、入った瞬間冷たい空気が頬を打つ。そこには同僚でもある男が一人、なにやら口をもぐもぐさせながら机に腰掛けているだけだった。
ナギ・ミナツチである。

「……」

「……おーやっと起きたな、おはようさん」

「……他のみんなは」

「呼んでないけど?」

喉を動かしてサンドイッチを嚥下し、ナギはしたり顔で笑った。むかつく。とてもむかついた。ので、胃の辺りに一発叩き込んでおく。

「うぐぉお……!」

「呼ぶんならっ普通にっ呼びなさいよバカ!」

「だって普通に呼んだら来ないじゃんお前!ちょっと懐かしいから話したかっただけだとか言ったら!」

「そりゃ来ないけど……でもこんなやり方してると本当の集合にも来なくなるわよ」

「あ、それはもっとまずいわ」

考えこむようにして頭を抱えたナギに呆れ返る。そこまで考えていなかったのか。
まぁいい、別段話しておくべきこともないが私だってナギに会いたくなかったわけではない。むしろ、ナギくらいしか今は気安い友人が居ない現状である。だから、もう少し後の時間ならば呼ばれれば来たのに。
そこまで考えて、ふと思う。会いたければ、部屋に来ればよかったのに……なぜわざわざ呼び出しを?ナギはまた、ニヤリと笑う。

「どんまい、軍令部長からお呼び出し」

「はっ……はぁぁぁぁ……?うわぁ何よそれ、早く言ってよ……」

「まぁ大丈夫だって、お前今回お手柄じゃん。別に何もされないだろうさ」

「わかんないじゃない……もしかしたらってことがあるじゃない……」

ともあれ、今回も任務の報告書はいらないらしい。一度文書にすると、どうしたって証拠が残るから、その性質上四課では基本的にあまり報告書を提出しない。万が一他国にそんな文書が持ち去られたら大変なことになるからだ。
のでナツメは重い足を引き摺り歩き出した。軍令部長がまさか気の長い人間のはずもなく、急がないと更に謂れ無き叱責を浴びる羽目になる。

後で夕食には顔を出せよという声を背中で聞きながら、ナツメはナギと別れホールへ出た。そしてまばらな人影を横目に見つつ軍令部へ向かう。
表情が暗い、その上顔色の悪い連中ばかりだ。昨日の疲労が抜け切らないのだろう。なんとか最悪の窮地は脱したが、いわゆるお先真っ暗というヤツであるし。

まぁ、私はそんなことで眠れなくなったりしないけど。ナツメは表情をなんら変えることなく階段に足を載せた。登り切って軍令部に続くドアを押し開く、と、中はそれなりにひどい空気だった。窓がないので、空気が淀んでいる。
ふと、武官の一人がナツメに気付いて片眉を上げた。確か同期だったはずだ。訓練生時代は、たまに会話する程度の存在だった。今は互いを厭うだけである。名前ももう覚えていない。どうでもいいことだ。
人は自分を憎む人間を愛せない。そういう風にできている。犠牲にされる経験が苛まなくても、それがただの偏見であってもだ。
どうせ違う生き物だから、理解などできない。それはもうそれとして諦める。理解されないことと理解できないことは同義だ。

軍令部長がナツメに気付き、不機嫌そうな顔を更に歪めた。そして軽く右手を振って、人払いをする。

「報告に来るのが遅いわ!」

「申し訳ございません。いつ頃参ればいいかわからなかったもので」

ナツメは頭を下げ、そのまま話す。この男と話す時は、こうしているのが一番だ。9組に入ってから知ったことだが。
目は口ほどに物を言う。面倒な相手とは目も合わせない方がいい。目が反抗的だとか、そういう理由で罰則をつけられることもある。まして嫌われているからなおさら。
いくら人払いをしているとはいえ迂闊にも、彼は普段通りの声量で話し始めた。白虎はスパイを送り込むのがよほど下手とみえ、なぜかこの男はまだ生きている。無能だから放置されているという可能性は……思ったより高そうなので、考えないでおこう。

「昨日、白虎急襲の報を最初にここに届けたのはお前だった。他にも白虎に潜入していた者は居たのに、だ。その点は、お前の功績を認めよう」

「……ありがとう存じます」

「が、だからこそ責任もある。情報をいち早く手に入れていたという責任がな。……お前が遅かったがゆえ、死んだ兵が何人いたことか」

そう言われることはわかっていた。わかった上で、ナツメも歯痒かった。

通常潜入任務には、帰還用の移送用魔晶石の携帯が義務付けられている。今回も、彼女が携行していれば、すぐに戻れてすぐに報告ができた筈だったのだ。そうすれば確かに兵の戦死はもっと少なかったことだろう。もしかしたら、首都を奪われるような事態にはならなかったかもしれない。
しかし、ナツメは移送用魔晶石を携行していない。許可されていないのだ。許可しないのは、目の前にいるこの男。軍令部長はナツメを欠片も信用していない。
弱みを握っていいように操っているつもりのくせに、同時にどこか恐れられている気がしている。なぜだろう。ともすれば今この瞬間にも軍令部長の頭に弾丸を放ちそうだから?まぁ否定はしないけれどね、とナツメは顔を下げたまま口角を上げた。
それにも気付かず軍令部長は鼻を鳴らした。

「……まぁ良かろう、今回は功績に免じ不問としよう。潜入についての報告はいらん。代わりに新しい命令を下す」

「お取り計らいに感謝します。次も、また潜入でしょうか」

「ああ。お前には、0組に入り込んで奇妙な点を見つけ次第報告してほしい」

不問だなんて、気持ちが悪い。口ぶりから懲罰房くらいは覚悟していたのだが。軍令部長の八つ当たりには慣れている。
しかし0組……昨夜の勝利の立役者、か。そこに潜入……どうやって?
方法はどうあれ、一体どんな汚れ仕事だろう。誰を殺すことになるだろう。……誰でもいいか、べつに。0組はどれほど強いだろうか。殺せと言われたら、殺せるだろうか?

不意に、背中の先でドアが開く音がして、つい反射的に振り返る。
そこにいたのは“彼”で、目があった瞬間、ああまだ顔を隠しているのかと……一瞬だけ、思った。

「クラサメ……っ」

「お前、どうして……!」

その声に懐かしさがこみ上げる中で彼が誰だか理解した彼女は、一瞬動けなくなり、それでも軍令部長に視線を戻す。彼は、仏頂面から笑おうとして失敗したような顔で止まっていた。
ああ。……ああ。なんとなく、全て察した。
なるほど、だから己を呼んだのだ……この男は。クラサメとナツメを同時に利用する方法をとるつもりなのだ。最低。こんなの、約束違反もいいところだ。彼女の顔は引き攣り、手が震えていた。

「……どうした?何か言いたいことでもあるか?」

軍令部長が表情を一転無機質なものに変え、表情を強ばらせた彼女にそう聞く。いつになく硬質な声に危険なものを感じ取った彼女は、仕方がないと諦め「いえまさか」と答えた。すると彼は嘲るような笑みで彼女を見下ろし、最大限の皮肉を放つ。

「ああ、そうだな。お前が命令に逆らったことなどない。この国の国民以上に、朱雀に従順だ。これからも、そうであれ」

やかましい。誰が、朱雀に従順なものか。
逆らえなくして、命令を下して、どんどん雁字搦めにしたくせに。従順に尻尾を振る以外、許さなかったくせに。
そのくせ彼はナツメを恐れているから、こういうやり方を取る。失態を犯せば四課より下はない、本当だ。次は、クラサメと一緒にただ消されるだけになる。

俯いて動かないナツメに、傍らまで歩を進めたマスクの男……クラサメは眉根を寄せて一瞬だけ顔を歪ませた後、助け舟を出す。

「それで、私の任務というのは……」

「おお、そうだったな。昨日は0組の指揮ご苦労だった、緊急の仕事であったにも関わらずよくこなしてくれた。クラサメ、お前を0組の指揮隊長に任命する」

彼は少し驚いたようだったが、それ以外には何ら反応を示さずに「了解致しました」と答える。彼が任務に逆らう筈はなかった。

ナツメはゆっくりと咀嚼するように現実を理解した。クラサメは昨日、0組の指揮を担当していたのか。……だからどこ探しても見つからなかったのね、と内心ため息をつく。ずっと探していた。半ば朱雀を見捨てながら、彼を探していた。そのとき見つからなかったから、まだここにいる。
とはいえ見つけていようと、彼を朱雀から逃すことは至難を極めたはずだが。きっと彼が嫌がったはずだ。

「それからナツメ、お前は補佐官だ。副隊長として、0組のトータルバックアップに当たってもらう」

「……はぁ」

何言ってるのこの人。
ナツメは呆れ返りつつ、「私、四課ですけど」と一応言った。四課の人間が、何がどうして補佐官だ。あまつさえ副隊長って。軍令部と四課が0組諜報中ですという看板を背負って歩くようなものである。
が、軍令部長は顔を顰めた。

「お前は元4組だろう。治癒魔法の授業でもしてやれ。それに、0組には危険な任務を主に任せることになる。9組の経験があるお前は一番そういうのに慣れている」

「はぁ……はぁ?……ええ、まぁ確かに、慣れてはいますけど」

あんなところに突っ込まれればそりゃ慣れる。生きるか死ぬかしかない場所だ。
でも、本命は諜報のはず。それなら己より、ナギや他の9組候補生のほうが絶対に適任だとも思う。

……おそらく、先程理解した事が深く関わっている……のだろう。ナツメとクラサメを同時に操るという構造。
ナツメは反吐が出る思いだった。しかしこの男、いつか殺されるかもとは思わないのだろうか。クラサメのことはまだ兵士として教え子として見ているようだが、ナツメのことは完全に手駒扱いだ。こんな男一人、いつでも殺すことはできるというのに。

「……わかりました」

四課の存在を明け透けにするこの状態はあまりに危険だと思いながらも、どうせ逆らうことはできない。逆らうときは殺すときか死ぬときだ。
それでも何か問題が起きたら責められるのは自分なんだろうな……っていうか四課の上司に怒られるんだろうな……と顔には出さずとも辟易する。

「0組には教室に集合するように連絡をしておく。2組と7組から、候補生として移籍予定の二人も教室前に呼んでおくから、伴って挨拶でもしておけ。ではな」

もうナツメとクラサメの返事など聞く気もないのだろう。背を向けた軍令部長に私はもう一度頭を下げる。
……下官としての、務めだ。クラサメも、目礼程度はするはずだ。

軍令部長が服を翻して出て行ったのを確認したところで、ナツメはようやく頭を上げた。髪を後ろに払って振り返り、彼に向き直る。懐かしい顔だ。

……久しぶりだった。もう、何年になるかわからないほど……この人の顔をまともに見ていなかった。こっそり覗き見た回数は多いけれど明言しない。
己が彼を避けていたのか、彼の方が避けていたのか、定かではなく。おそらくは、その両方だろうと思われた。

「……戻っていたのか」

「ええ。……昨日ね」

「そうか」

会話とも呼べぬ会話だった。互いにとても声が硬い。名を呼びもせず、軍令部長が出ていった扉を二人して出る。0組の教室へと向かう背中についていく。

……せめて、彼が任務を断ってくれたらよかったのに。ありえない想像だったが、そんなことをふと考えた。
彼は任務を断らないから。いや、断れないのか。それだけは自分も彼も同じか。立場が弱い。彼のほうがマシな境遇であれとせめて願うばかりだ。

「ドクターの許可は軍令部長がもらってきている?」

「そうだな。命令書にはドクターの印もある。教官兼指揮隊長、か」

「じゃあ、このまま向かって、生徒に顔合わせ……ね」

「ああ。行くぞ」

彼の後ろを歩くのだって久しぶりだった。ああ、息が苦しい。決して嫌な息苦しさではないところが、どうしても辟易してしまうところだ。
一歩、また一歩と足を進めるのにつられて揺れる意識の水底へ、その感覚を押しやる。

この状況を誰か壊してくれ。どうしようもないから。
過程で彼以外の誰かが死んでも構わないから。それが己でも、構わないから……。
消えてしまいたいと、思っていた。もう長いことずっと。それでも生きていたいから、どうしようもない。

不意に、かっと強い光が窓を貫き視界を白く染めた。後に知るが、玄武にアルテマ弾が投下された光だった。
戦争が、始まる。





[*前] | [next#]


長編分岐
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -