Act.9-a:Heartless murder.





仕事なんて、大した内容ではないのだ。いっそ笑えてくるほど。いつもそうだった、本題は大抵“××を殺せ”であり、オプションで“こっそり”だの“大々的に”だのとちょっとした条件が付加される。
問題は潜入と帰還。ナツメの記憶から消えたスパイは、大抵そのどちらかでミスをしたのだ。
パチパチと、暖炉の火が音を立てている。炎は嫌いだが、それがなければここでだって凍える。ナツメはじっとそれを眺めている。

「やめてくれ……、お、お前が来たことは誰にも言わないから、お願い……」

殺さないで。大の男が、必死にそう懇願する姿はいつ見たって滑稽だ。ナツメはその顎を蹴りぬいた。今回の形容詞は“こっそり”の方だったので、騒がれると厄介なのだ。

「うぐ、殺さな……殺さないでくれ……何でもやるから、何でも、」

「うるさいわ」

バレたらどうしてくれる。ナツメはかたわらのソファからクッションを手に取り、床でじたばたと痛みに耐えている男の頭に押し当てた。その上から、銃口は脳天を狙う。

と、同時。風が窓を打ち、轟音が床を揺らした。一体何だと驚いて、ナツメは男を置いて慌てて窓辺に寄る。窓の近く、壁に隠れながらブラインドを指で押し開け外を睨む。と、ほとんど同じ高さに、珍しいものが見えた。
それは龍をモチーフにした蒼龍の飛空艇だった。ナツメでもわかるくらいに、明らかに女王やそれに次ぐ高位の人間専用の飛空艇。

そしてそこから、声が響く。

『……蒼龍女王アンドリアの名において、ファブラ協定の発動と停戦を宣言致します……』

「……はっ?」

なんだそりゃ。ナツメは困惑し、体を硬直させる。
停戦。どうして。いまさら。蒼龍?

蒼龍とは、開戦からこっちずっと同盟関係にあったはずだ。それがどうして。
確かに蒼龍は朱雀と違って被害が少ないため、停戦にしてしまったほうが損失が少ないのは確かだ。なし崩しのパワーゲームに巻き込まれたのだから。ここにきて、バランサーとして立ち回ろうということか?

「ぐ、ぐぅ、ぐぉぉぉおぉおおお!!」

壁際で外を窺っていたナツメの隙をついたつもりか、いきり立って男は起死回生の一手に出た。ナツメよりはるかに体格では勝っているから、それで勝てると思ったのだろう。
誤算は、ナツメがただの娼婦ではなかったことだった。反射的に引いた引き金は男の足を撃ち抜き、男は短い悲鳴とともに崩折れ床で蹲る。

「何よもう、うざいなぁ……」

さっさと殺しておくことにして、銃口を向ける。今の銃弾のは仕方ないとしても、できるだけ銃声は殺したほうがいいので、もう一度クッションを手にとって押し付けそのまま足で蹴り倒す。
そうして引き金を弾く直前だった。ふいに気づいたのだ。

「……停戦」

ということは、あの宣言がなされた後にとった行動はファブラ協定に反するという扱いを受けるわけだ。つまり、四課としても避けたい行動である。協定に違反すれば、蒼龍をも敵に回すかもしれない。
でもここで殺さねば命令違反だし、そもそも姿を見られているんだから皇国軍から手配書が出されてしまうだろう。それは、スパイとしての価値が低下することを意味する。さてどうするか。こんなことならもっと早く殺しておけばよかった。停戦の宣言の前なら、こんな面倒は起こらなかった。
殺すべきか、殺さぬべきか。ナツメは考えている。考えた。考え、考えて、最善を探り、けれども最後。

「めんどくっさい……」

思考を投げ出し、ナツメは引き金を弾いた。パシュ、という空気の破裂する音と、腕全体に痙攣させるみたいなしびれが走った。クッションが床に無音で落ち、後に残されたのは頭に穴の開いた男。見開かれた目は充血し、こちらを強く睨んでいる。
知ったことではない。ズドンと一発、それで解決。この世の何より話が早い。

血と脳漿を吸ったクッションを蹴り飛ばす。この程度の内容で仕事が終わりなのだから、なんとも燃費が悪いというか。潜入と帰還が最も難しいのだから、一度潜入したならできるだけ多くの仕事を消化してしまいたいものなのだが、人の命を何だと思っているのだろうか。

「……いや、うん、今のは皮肉が過ぎるな」

たった今人を殺した己にも、塵芥並みの命と何度も自嘲したことにも。
なんてどうしようもない。ナツメは窓の外を見た。

ここは、ホテル・アルマダ。白虎の首都イングラムで最も大きな建物だ。最上階ではないにしても、景色が美しい。
とはいえ何ら感慨は感じない。白くなければ心は動いたのかもしれないけれど、あいにくと真っ白なものには苛立ちや怒りしか浮かばないもので。

「帰ろ……」

やることはないし、今回の脱出プランを練らなくては。上から与えられた方法には従う価値もない。
部屋に入ってすぐの場所に転がしておいたヒールに足を滑りこませ、銃をクラッチバッグに放り込んだところで気づいてしまう。

ドレスのスカート部分から足にかけて、べっとりと血がついていたのだ。そうならないようにクッションを使っていたのに、突然襲い掛かられた時にはそこまでの対処ができなかった。
舌打ちしてシャワールームに向かい、靴を脱いでシャワーから水を出す。どうせ血が付いたドレスなんてもう使えないのだからと、ナツメは水をスカートからストッキングに浴びせ手で擦った。どうしても血は完全には落ちず、特にストッキングに包まれた足には大きな痣でもできたように見えた。

「まぁ……血にさえ見えなきゃ……」

別にいいか。ナツメは諦めてもう一度ヒールを履いて、部屋の外へ向かうドアノブを握る。
さてどこから表に出ようかね、そう考え始めてようやく、しかし停戦という言葉が孕む意味に脳がたどり着いた。

「……待って、停戦ってことは……」

国境を越えることは、確実に困難になる。停戦、休戦、終戦。どれも同じく、直後に民族の移動が起こる。白虎がそれを許すはずがない。
それに、このタイミングだからこそ互いにスパイを送り合う好機だ。それがわかっていて、白虎が鼠一匹通すはずもない。

穴を見つけることもきっと不可能ではないだろうが、危険な賭けだ。国境付近に一度近付いたらもう戻れない。確率の低い賭けなのだから、繰り返せば繰り返すほど危険だ。選択のやり直しがきかない。
が、失敗したとして、力押しでそれを乗り越えるなんてナツメには到底無理だ。もう出る手段がない。
しかし。

「どうせ停戦なんて、長くは続かないわ」

朱雀がどれほどの思いをしたか、まだ白虎は思い知っていない。それなのに停戦なんて、うまくいくはずがないのだ。誰も認めない。
蒼龍がそれをどこまで理解しているかは知らないし、興味もない。向こうも興味ないんだろうなぁとナツメはため息をひとつついて、部屋を出る。停戦ならむしろこそこそする必要もないので表を歩ける。この機会に情報をいくらか抜いていくのもいいだろう。任務外の仕事は評価にはつながらないが、命をつなぐのに役立つことがあるし、何より金になる。
数日もあれば、国境を越える機会も訪れるだろう。それまでどこを探ろうか思案しつつ、ナツメはコートを羽織った。足はともかく、これでドレスの血は隠せる。もう季節柄、夏が近いが、それでも雪が降らないといいなと願いながら外へ向かった。この季節に降る雪といったら水っぽくて嫌だ。

さて、どこに行こうか。大通りに入ってから考える。いまさらイングラムに調べたい場所なんてないのだが。殺したい相手もそういない。かといって、殺すか騙す以外に白虎でやりたいこともなかった。この国では、それ以外何も。

ホテルを出る際すれ違ったホテルマンがあからさまに見下すような目で、コートから伸びる足を舐めまわすように見てきた。そして痣に一瞬目を細めた。
その目がうざったかったので、路地にでも連れ込んで殺してやろうかと思ったが、停戦中なのでやめた。いや、別に殺してもいいのだけれど、同じホテルで二つも死体が上がるのは避けたい。

それにこんな格好をしている方も悪い。しなくていいならしないのだが、それが仕事だ。必要ならどんな格好でもして、どんな相手でも殺す。難しいことではない。


大通りから路地に抜けてしばらくあてもなく歩いていると、不意に子供がぶつかってきた。ナツメは間一髪、その子供の首根っこを掴んだ。
すばらしい腕だが、ナツメには通用しない。なんせ、元同業者だ。

「ひっ……」

「……私は寛容なほうじゃないわ。それでも、いますぐ返せば許してあげる」

捕まった子供のスリなんて、最悪殺される。それがわかっているからナツメの見下ろす先で、少年の顔はどんどん青ざめていく。子供の目にも娼婦に見えているのだろうから、娼館の用心棒にでも突き出されるのを恐れているのだろう。慌ててナツメの財布を差し出してくる。
ナツメはそれを受け取ると、軽くつま先で少年の腹を蹴り飛ばした。大した力も入っていないのに、体はあっさり浮いて汚い地面に転がった。
あまりに軽い。骨の感触。ろくに食べていない。栄養失調が更に悪化し、頬がコケている。壁にあたって止まった体を震わせ、子供は呻いていた。

「すいませんすいません……っ!殴らないで、殺さないで……」

「ふぅん……?ただのスリじゃないわね。そう、親玉がいて、ノルマがあるのね。……じゃなきゃ私を狙ったはずないか」

普通なら、同じアングラの存在である娼婦や盗賊団のたぐいは標的にしない。あとは兵士。いずれも、危険すぎるから。
そして、ナツメでも取り逃しかねない速度でスリを行うなんて、腕は確実に一流だ。そんなやつがろくに食事も取れずここまでやせ細っているなんてありえない。
単独犯じゃないだろう。誰かに命じられて動いている。どんな場所でも搾取する体制を作るやつはいて、この子供は搾取される側なのだ。

なんとなく。
……過去の自分と、その浮いた鎖骨が重なった。自分もあのとき、これくらいひどい顔をしていたのだろうか。だから救われたのだろうか、なんて。

だからナツメは、別段中身が多いわけでもない財布を開いた。自分にされたことは、違和感なしで平気でできてしまう。良いことも悪いことも。
500ギル取り出して、少年に突きつけた。

「ボスには渡すな。食事にも使うな。停戦中の今なら、普段より楽に国境を越えられる」

「へ……?」

「金は、今じゃなく明日のために使いなさい。そうしなきゃ、あんたみたいなのに未来はないんだから」

泥で汚れた手が、震えながら500ギルを受け取るのを見送って、ナツメは踵を返す。500ギルぽっちで本当はどこまで行けるのか、ナツメは知らない。戦争後に国家を移動した者が受け入れられるのかどうかも知らない。知らないが、どうせ尽きかけの命なら博打したほうがマシだ。賭けたから、ナツメだって生きている。ぽかんと呆ける子供をもう振り返らず、ナツメは歩いた。

忍び込むならやはり深夜がいい。それまでどこで時間を潰そうか。
思案しながらふらふら歩いていると、結局たどり着いたのは貧民街だった。イングラムの隅、知らなければ見つけられない場所。
結局こうなるのだと、自分はこのはきだめが似合うのだと苦笑した。ちらちらとこちらを横目に見る連中を無視して、比較的綺麗そうな炉端に座り込む。

と、そぐわない身奇麗さからか、煤けた黒い顔をした浮浪者がふらふらと寄ってきた。物乞いしかできないようなこいつも、かつての“ボス”の成れの果てなんだろう。じゃなきゃ、何もできない人間がこの歳まで生きられるはずがない。

伸ばされた汚い手を振り払い、流れるような動作でナツメはクラッチから銃を取り出し、男が口を開く前にその眼前に突きつけた。

「寄ってくんな」

でなければ撃つ。慌てた男が足を絡ませて転げるように走り去るのを横目に見ながら、銃をもう一度クラッチバッグに滑り込ませた。
地べたに座り込む多くの子どもたちは遠巻きにそれを見ていたが、土壁にもたれるナツメへの敵意は感じなかった。それはつまり、同類だと認められたということだ。なんて嬉しくない。

ナツメはバッグを抱き、ゆっくり目を閉じた。夜になるまでの数時間を休憩にあてることにしたのだ。しかし、直後に奇妙な気配を感じて意識は研ぎ澄まされた。
四課の訓練の一端には、睡眠に関するものが存在する。眠りは深くてはいけない。かつ、短くなくてはならない。ナツメにとっては楽な訓練だった。そもそも、深く眠れることなんてほとんどないのだから。
目は開かない。開かず、バッグからまた銃を繰り出し今度は警告しなかった。

「ぎゃぅッ!!?」

猫のような悲鳴が聞こえた。手をしびれさせる振動のあとにゆっくり目を開く。さっきの浮浪者がバッグでもあさりにきたのかと思っていたが、果たしてそれは先ほど蹴り飛ばした子供だった。うまく肘に当たってしまったらしく、噴き出す血に沈み穴の空いた右腕をだらんと垂れ下がらせている。全身を痙攣させ、地面に膝をついて耐えていた。失血と激痛で意識が吹き飛びそうになるのを堪えながら、それでも左手がナツメのバッグを目指している。
何故か、とても笑えた。

「ぷっ……っは、あはははは!そうよね、私でもそうしたわ!!」

500ギルを捨てることのできる女の財布には、もっと詰まっているに違いない。その程度、この街では言葉を知らない赤ん坊でも思いつく。
自分だって、昔ならそうしていた。拾われる前、優しさを知る前なら。少しでも多くのギルを手にしたかった、なんせそれだけがここで生きる術をくれる。ここで生き延び続けるために、いつか逃げると胸に誓い、それでも久々の食事に食らいつくだろう。

子供は必死に生きようとしているだけだ。それがどうしようもなく憎くて、くだらなくて、吐き気がして、なぜか愛おしいと思った。その無意味な感動ごと、ナツメはもう一度蹴り飛ばす。少年の軽い体は、血の線をいくつも描きながらいとも簡単に転がっていった。それを静かに見送って、ナツメはもう一度銃を握る。

先ほどはこの程度のことにすら思い至らなかった。結局ナツメも、もうこの少年や浮浪者とは違う。

弾丸だって、買うには金がかかる。微々たる額ではあるが。それがわかっているから、ナツメは普段暗殺対象以外に銃弾を無駄遣いしない。特にこの国では、人間の命は大抵銃弾一発より安い。
だからこれは、完全にナツメの優しさだ。この世で一番綺麗で簡単な終わり方を、ナツメは知っていた。

撃ちぬかれた少年の体が傾ぎ、彼の世界が終わっていくのをナツメは見ていた。少年への感情が、おそらく抱いた最悪な過去への幻想ごと霞んで消え去っていく。
こうやって、同じように終わるはずだったかつての記憶を、ゆっくりとなぞるように追う。ナツメはもう一度、静かに腰を下ろしバッグを抱えなおす。休息はナツメの意思を刈り取り、うっすらと白んだ世界の中で一人になる。
そんな中にぼんやりと浮かぶ少年の血の赤が、どうしようもなく綺麗だった。








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