Act.9







「だぁかぁらぁ、命令違反の件をさぁ……!」

「やかましい!それは、あの、隊長が優しかっただけよ、それ以外に理由なんぞないわよ」

「優しいわけがあるかー!優しさの対極にいる男だぞー、っていうか隊長って言葉と優しさって言葉が似合わなすぎて化学反応起きそう、気持ち悪い」

ケイトがさりげなくナツメに言ってはならないことを言うのを少しばかりはらはらと見つめつつ、ナギはサロンのソファで食事をとっている。
目の前にいるナツメはケイトを追い払うと、手元のサンドイッチに再度視線を落とす。どうやら嫌いなものが入っていたらしい。それをどうするか真剣に悩んでいる顔だった。さきほどからまったく食事が進んでいない。
二人がけのソファの隣に座っているクイーンに悟らせないくらいには平静を装った表情をしているが、付き合いの長いナギにはそんなのお見通しだ。ときどきこちらを窺い見るので、「もういらないからお前食ってくんね?」という意図が読み取れる。しかしそもそも彼女の不養生をなんとかするためにわざわざ0組女子を利用してまでサロンに連行してきているわけで、そんな甘えた行動は許さない。

「……ナギ」

「そういやクイーン、こないだクラサメさんが0組に稽古つけてたよな。あれどうだった?」

「ねぇ、ねぇナギってば……」

小声で話しかけてくるナツメなど無視してクイーンに話しかける。その後方ではケイトやシンク、デュースやレムがきゃっきゃと騒いでいるが、楽しげなクラスメイトには視線もやらぬ彼女は静かに口元を拭うと溜息をついた。

「ああ、あれ。大変でした、稽古といえば確かに稽古でしたけれども……その日はみんな痣だらけになりましたね。ケアル魔法が談話室を緑に染めまくっていましたよ……」

だんだんイライラしてきた様子で、クイーンは最後には舌打ちした。クイーンらしいとはとても思えない仕草があまりにも似合いすぎていて、ナギは一瞬背筋に嫌な汗を感じた。0組の連中が、クイーンだけは何があっても怒らせるなと口を酸っぱくして言う理由がなんとなく理解できそうな気がしたからだ。できれば、正確に理解しないで済めばいい。

「そんなにひどかったのかよ?……どうしよ、俺も殺されっかな」

「な、なぜです?何かしたんですか」

「俺じゃねぇけど俺のせいってことになってんじゃねえのかなってね……」

うなだれるナギにクイーンは反応に困ったのか口をぱくつかせたが、「は、はぁ……」と相槌にもならない声でもってそれはスルーすることにしたらしい。閑話休題である。

「……まぁともかく、ナインは投げられるしエイトは得意の近接格闘であっさり沈められるし、誰も最後まで立ってられませんでした」

「うわぁ……0組がそんなんになるなんて、あの人もういっそ前線戻ってもいいんじゃねぇの?……あだっ」

突然テーブルの下で脛を蹴られた。なにしやがんだこらと犯人を睨むと、彼女は素知らぬ顔で微笑み「どうかした?」と言った。いい根性である。
第一、この女といったらすぐ手が出るのである。しかもナギ限定で。暴言の応酬の結果三角絞めなんて、やっぱり子は保護者に似るのだろうか。今の話をどんな気分で聞いてたんだお前はと思いつつ、クイーンの愚痴に付き合うことにする。0組のガス抜きだって大切だ。今、魔導院において0組は何よりの財産なのだから。

「……でもまぁ、確かにケイトやデュースは魔法に頼りすぎているきらいがありましたし、キングやトレイは遠隔攻撃ばかりに重点を置いていましたし……いい薬にはなったんでしょうけどね。さんざん投げ飛ばされて、最後の最後ようやく気づいたこともありましたし」

「ん?」

「結局……あの人は、わたくしたちを鍛えようとしているようです。本気で。……でも言わないから。何も言わないので、意図がわからないのです。おかげでみんな誤解してしまって」

「あー……」

クラサメ隊長が、たとえ苛ついた結果の暴走だった可能性が多少なりとも含まれていたとしても、0組を急いで鍛えようとしているのは明白だ。ナギにははっきりとわかる。0組は強いけれど、しかしそれでも格闘を鍛えるに越したことはないのだから。しかしそれに、クイーンが気づいているのは意外だった。
そして。

「でもそう隊長に言うと、こう言われるんです。“言葉にいったい、”」

「“なんの意味がある”……」

クイーンの隣で、ナツメの赤い唇が囁くように言った。色素の薄い肌と髪に浮かぶみたいに、血のような赤が。
そして、クイーンの目は驚いたように見開かれる。はっとしてナツメを見る、彼女の視線の先で、ナツメの表情は固まっていた。口は微かに柔和な笑みの形をつくるのに、うっすら細められた目は遠くどこかを睨んでいる。

あ、まずい。ナギはそう気づいて、一瞬硬直した。そして慌てて立ち上がり、彼女の皿の上に残っていたサンドイッチを取り上げつつナツメの腕を取り立たせ、「俺ら仕事の時間だったわ!」と言い置いてサロンの出口へ向かう。クイーンのきょとんとした顔を見る暇もなく、外へ。そして地下へ。

「ちょっと、何よ突然?」

「いやぁお前と二人っきりになりたくなっちゃって?」

「鳥肌がたちました」

「ああはいすいませんね」

結局サンドイッチはナギが食う羽目になっている。そういう女なのだ。ナギの思いだとか、クラサメ隊長の願いだとか、そういうものすべて平気で無視できる女だ。無視しているという自覚なく。いや自覚はあるのか?ナギには、そこまではわからない。
ともかく、サンドイッチを咀嚼して飲み込みながら、彼女を連れて四課への階段を下っていく。
暗く冷たい場所に、彼女を連れていかなければならない。彼女がナギの手綱を握っているように、自分だって彼女を守らないといけない。こういうやり方でも。

「おら、入れっての」

「だから何なのよ本当!……もう!」

押し込めた四課の小会議室。小さな魔晶石の炎がゆらゆらと不安定にナツメの顔を照らしている。不規則に闇が彼女を覆うので、妙にナギは恐怖を覚えた。この女といったら、たまにどうしようもなく怖いのだ。何をやらかすかわからないという意味で。

「お前ね、クイーン睨むんじゃねぇよ。あいつが悪いんじゃねえだろ」

「……何が?」

「とぼけんなっつの。お前が、カルラの売った写真買った生徒の名前リストにさせて部屋漁って写真全部回収したのなんか知ってんだぞ」

「やぁねー、それは二年も前の話じゃないの」

いつもならなんで知ってんだと怒るはずなのに、らしくない苦笑でごまかされた。そんなもので済む問題じゃないのだが、ナギはそれでも友人としてごまかされてやることにした。名も知らぬ女生徒の手から写真が何枚消えようがどうだっていい、それより、今は。

「羨ましいんかよ?自分から降りたくせに、いまさら妬んでるわけ?」

「……うるさいわねぇ」

「クラサメさんは間違ってない。この国を守るために、自分ができることをしてる。そんで、その真剣さに気づけば誰だって懐くだろそりゃ。お前がずっとそうだったように」

「ナギ……黙りなさいよ、もう」

「それをいまさら腐って、羨んで……お前ほっといたらクイーンに襲い掛かりかねなかったろ。自分のかつていた場所に今立っている人間が嫌いなんだろ。お前はクラサメさんの一番でないと納得しないんだ、それがどんな形であれ。それを狂わせる可能性をお前は絶対許さな、」

「黙れっつってんのよ!!」

ナツメの声が会議室を一瞬埋めると同時、光が彼女の顔を照らした。そしてすぐにまた、その白い顔は闇に戻っていく。ほんのひととき、ナギを彼女の殺気が貫いた。

「何様のつもりだ温室育ちのクソガキが!何が四課だよその程度で何もかも知った気になってがたがた喚いて、私にとってクラサメがどれだけっ……魔導院に来てからの日々が、どれだけ救いだったか知らないくせに!!」

彼女がここまで声を荒らげることはめったにないので、内心戸惑った。けれどもナギは、ここで躊躇しない。してはならないと知っている。他でもなく、彼女のために。
ので、啖呵を切り返す。

「んなこと知るかよ畜生が!馬鹿なこと言ってんじゃねえ、そんなの俺にも0組にも関係ねぇんだよ!!あと誰がクソガキだ二つしか違わねぇぞ!」

「出生届出てないから私の年齢なんぞ正確にゃわかんないのよ!!」

「マジかよさすがだな白虎!!なんであそこは何もかもずさんなんだ!?」

「そういう国だからに決まってんだろうが!!」

ナツメのことはほとんど知っていると思っていたが、まさか年齢なんて基礎プロフィールに穴があったとは。
しかしそんなことはどうでもよくて、ナギは息を深く吐きながら数秒とはいえ怒鳴りあったことで早まった鼓動を落ち着けた。言わなければならないことは、まだ続く。彼女はナギから目をそらしてため息をつき、俯いた。まるで何かを振り払うような仕草だった。

「……ともかく。0組に妙なイライラ向けんのやめろ。よくねぇよ、クラサメさんにとっても。……お前だってわかってんだろ。クラサメさんはお前が思った以上に、お前の手のひらで踊らされてんよ。お前が意図してないことは、知ってるけど」

「……それが、救いになると思ってんの」

「ならないから、お前には本当に困るんだよ」

「なによ、もう……」

ゆっくり目を開いて、そう言って笑うナツメは、先ほどまでの不安定さを感じさせはしなかった。もう殺気を纏わない彼女は、ナギの横を通りすぎて出ていこうとする。ナギが反射的にそれを止めると、しかしぞっとするほど冷たい目がもう一度ナギの目を射抜いた。

「離して」

「仕事。命令、さっき降りてきてた」

また白虎に潜れとよ。
そう言われた瞬間の彼女はしかし、またあの顔をしていた。
何もかも憎むような、恨むような、そして羨むような、妬むような。

置き去りにされたことに気づいてしまった子供みたいだった。








風の冷たさに辟易しながら、ナツメは四課の仲間たちとともに白虎へ続く森を歩いている。0組の潜入をサポートしていたナギから連絡があったと同時、なぜか大規模作戦の命令が降りてきたのである。
内容といえば、ざっくばらんに言えば“数名で同時に潜入し工作ついでに情報を探ってこい”という内容で、何も今でなくても良いのではないかとナツメは内心で首を傾げていたが、隣にナギがいないのでは文句も言えやしない。ナツメの意見なんて聞いてくれる上司がいるはずないし、無理を通すにはナギが必要だ。つまるところ、ボスが。
所詮ポーンである。自分も、今隣にいる仲間も、そしてトゴレスで死んだ他の七人も。いくらでも替えがきく道具に過ぎない。そんな彼女の髪を、一瞬風が巻き上げた。顔を隠すためにかぶっている白いフードが揺れて、同時、誰かの声が聞こえた気がした。

「ん……?」

「どうした」

「ああ、いえ……ちょっと、誰かに見られてる気がしたの。でも……まさかね」

今歩いているのは、まさしく国境のはずれ。モンスターでさえ寒すぎて餌が無いのでほとんど寄り付かないような辺境だ。誰もいるはずがない。
ナツメが子供時代を過ごした街が、もう滅んでしまったのも同じ理由だった。それならもっと早く滅んでおけよと今更思っても遅い。

「大丈夫。きっと気のせいだわ」

そう言って、気配を振り払うように前を見た。すぐ先、森を抜けたあたりには、廃墟となった故郷が見えていた。
きっと最後は共食いでも始めたんじゃないのかね、とナツメは苦笑する。むしろそうであってほしい。あんな街の最後は、徹底的に最悪でないと受け入れられない。

「そろそろだな」

仲間の一人がつぶやいた。もうすぐ、解散する地点だった。クリスタルを奪われ名実ともに姿を消した玄武と、白虎と、朱雀すべての国境が交わる地点。山間の、南側の麓。
全員違う密命を帯び、帰るのもバラバラだ。来るのだけ一緒に来はしたが、それだけだった。ここで別れるから、その後は互いにわからない。ここから先は全員一人だ。知らない間に死んで消えるか、それともまた会えるのか。考えるだけ無駄だった。

「……生きて帰りましょうね」

密やかに、囁くようにナツメは言った。四課の人数はどんどん減っている。他クラスに比べれば緩やかな減少だけれども、それでも仄かな痛みは走った。
同じ立場の人間が死ぬというのは、どうしてか感慨深いものがある。良い意味でも、悪い意味でもだ。記憶が残らないから、誰の死も均等に悲しみを抱かせている。

不意に、はらりと白いものが空から落ちてきた。白虎ではほとんどの季節で降る雪が、きっとまたこの地の風景すべて、白く染めていく。
誰も望まなかったとしても、雪は降って彼らの熱を奪っていく。ナツメはどうしたって、その雪に濡れるしかなかった。









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