Act.8-a








彼は治癒魔法が得意ではないはずなのに、傷は丁寧に治療されていた。それが嬉しくて、少し照れくさくて、彼のことばかり考えてしまう。良くないとわかっているのに、頭からはなれないのだ。

「うーむ……良くないわねぇ」

「何がだよ」

「いろいろ。集中力ないなぁって」

ナツメは後ろのラックに凭れてひとりごちる。目の前にいるナギは完全に不機嫌で、書類を捲ってはゴミ箱に叩き込んでいた。

「ゴミが!この!ゴミがぁぁ!」

「なんでそんな怒ってるわけ?なんかあった?」

「クラサメさんの命令違反俺のせいにしたじゃんお前!おかげで説教されたんだよこの野郎!」

「せいもなにも、そりゃ事実だろうに」

「知らねぇよそんなことは!お前のために新しい武官服まで手配してやったのに何この仕打ち!?」

そんなわけでナギが罰則代わりに押し付けられた書類倉庫の掃除を手伝っているというのに、なんでこんな怒られなくてはならないのだろうか。ナツメはそらっとぼけた顔をしてみせた。命令違反でクラサメに処罰が向かわないようにするにはデコイが必要だったので仕方なかろう。というか、ナギのせいでクラサメはナツメの窮地に気づいたわけで、元を正せばナギの締りのない顔が悪いのである。

「そこまで俺のせいにするのはさすがにかわいそうだと思わねぇの!?」

「思わねぇね。事実だし」

「……ふんだ、もういいし、クラサメさんに何もかも告げ口してやるし。一昨年の四課新年会でお前が未成年にもかかわらずタイガー瓶一気飲みしたことまで話してやるし」

「あれはナギが飲ませたんだろうが!」

「……あ、そういえば」

ナギがそれまでのいじけ顔から一転、にやついた笑みを浮かべてナツメを窺い見た。

「布団ちゃんと返したか?ぷくく」

「うっ、うるさいわよ!もういいわ、ナギなんか知らん」

やかましいし付き合ってられないので、ナツメは彼を置いて倉庫を出ることにした。第一こいつ一人の罰則なのだから付き合う義理なんて本当はなくて、所詮は罪悪感の命じた行動の結果だったわけで、つまりは善意なのだから好きなときにやめていいはずである。ということで、ナギは放置だ。
そもそも自分だって、次の任務や0組の世話や0組の追及を躱すので忙しい。一体どうして罪悪感なんて感じる暇があったのやら、とナツメは苦笑し階段を登り始めた。

「……あれ?なんであいつ、布団のこと知ってるんだ?」

忙しいというのにもうひとつ、盗聴器捜索の予定が加わった。








そんなわけで部屋を探しまわり、当然盗聴器なんぞ見つからず、脱力したナツメは諦めて風呂に入ることにした。
そこから、がつん、という音が頭蓋に響くまでの間の記憶はない。

「ッ……あだだだだ……」

久しぶりの湯船の中、バスタブの縁に頭を思い切りぶつけてようやくナツメは眼を覚ました。
あまりにも心地よかったから、つい寝入ってしまったのだろう。気がつけば湯は既に冷め始めており、ぶるりと体が震えた。寒さには強いはずだと思ったけど、茹で蛙理論?いやそれは違うか。なんせ逆である。

「やだもう……頭は痛いし鳥肌は立つし」

どちらも怪我でも病気でもないため、治し様がない。治療魔法はそう単純なものではない。まず怪我の状態を把握しないと行使は不可能だし、魔力を癒すためのものに変質させる段階で怪我にあわせてカラーを調整する必要がある。つまり状態もわかんない上に欠損でない体調不良はどうしようもない、と。魔法は技術であり、奇跡ではない。
とりあえず水風呂状態の湯船から這い出てもう一度シャワーを浴び、浴室の外に出る。足元のマットの存在意義が失われているのはいつものことで、タオルを巻いただけの格好で煉瓦の地面を濡らしながらキッチンに向かった。
茶葉くらいはどこかにあったはず。ナギやら数少ない友人やらが見かねて色々持ち込んでくれていたりする。そう思って探すと、棚にそれらしき缶を見つける。が、開けると錆びたガラガラ蛇のおもちゃがぎゅうぎゅうに詰められていた。なんだこれ。

「フ……わかってた、わかってたわ。ナギがただ私を助けてくれるわけがない……多少の悪意が練りこまれているのくらいわかっていたわよ……」

なんて強がりながら、食料保管のため密閉された木製のキャビネットを開く。が、目覚まし時計がひとつ、無造作に突っ込まれていた。ガラガラ蛇といいあいつは……!ナツメはさすがに苛立ってきたが、ふいに「いやナギがこんなわかりやすくて面倒くさいだけの嫌がらせをするだろうか」と思い至る。

「……どっちかっていうとこれは、9組の誰かだな」

ナギの真似をして平気でピッキングしてやがるのだ。全くもって、倫理観のかけらもない連中である。決めた、今度9組の寮に行くことがあったら全部お返ししてやろう。寮の談話室に仕掛けてやる。先ほどまでのナギへの冤罪を詫びることもなく、ナツメは密かに決定した。
そして目覚まし時計を発見したことで、自分がおよそ二時間湯船で眠っていたことが明らかになった。体も冷えるはずである。だというのに。

「これはもしかして、白湯しかないみたいな……」

ああもうそれでいいや。諦めたナツメは薬缶を探し出し水を火にかける。あまりに寒いので、揺らめく炎につい手を突っ込みたくなりながら、せめて湯が沸く前に服を着ようと寝室に向かった。下着を取り出し、上には適当なシャツとパンツだけ身に着けて、ブーツを履く。それだけで大分しっかりとした意識に近づく気がする。
タオルを頭上のラックから抜き取って髪に被せる。ぐしゃぐしゃとかき乱しつつ、やや小さい仮称ダイニングテーブルの前にぽつんと置かれた椅子に腰掛ける。ぐう、と空腹を知らせる腹の音が鳴った。そういえば、昨日の昼から何も口にしていない。トゴレス戦の後、数日の療養の結果、体内時計が大いに狂い体が食事を受け入れなかったりしたためだ。
時間帯ゆえリフレやらには近寄れないし、これはナギの部屋でも急襲して奪ってくるしかないかなぁ。そんな最低な思いつきが首をもたげるのを感じながら、髪を更にぐしゃぐしゃと拭く。髪を拭くのは苦手だ。ずっと苦手なままだ。昔はろくに風呂に入れる生活をしていなかったし、そんな生活になったらなったで、拭いてくれる温かい手がセットでついてきたから。恵まれていた。今はもう、無い。

湯が沸いた音がして、あわててキッチンに向かい火を止める。
そして同時に、部屋のドアベルが鳴った。

「……誰だろ」

なんかもう当たり前のこととして受け止めているが、友達は多いほうじゃないのだ。もう夜分と言って差し支えない時間帯だし、こんな時間にわざわざ尋ねてくる人間なんてすぐには思い当たらない。
一番有力なのはナギだが、ナギならドアベルなんて鳴らさない。最初にがちゃがちゃとドアノブを動かす音がしてからドアノブが鳴り、反応しないでいるとピッキングを始める。そういう奴である。
誰だかわからず怪訝に思いつつも部屋を開けると、そこには候補には挙がらなかったもののとても懐かしい親しい彼女の顔がひとつ。

「やっほー、ナツメ。酷いじゃない、ワタシには会いにきてくれないんだもんネ」

「エミナ……」

「お土産持ってきた。入っていい?」

女から見ても困惑してしまうほどの色気を纏うわりに子供っぽい仕草がここまで似合う女性もそうはいない。こてんと首をかしげ室内を覗き込む彼女を拒否する理由なんてあるはずがなく、ナツメは頷いて彼女を室内に迎え入れた。

「あのね、ケーキとお茶葉持ってきたのよ。おいしいお茶だって、おすすめされて」

「ま、またもらったの!?エミナ、絶対向こうは下心全開なんだから気をつけてね?盗聴器とか発見器とか、仕掛けられてたらどうするの!」

「ありゃりゃ、一応検分してるんだけどなあ。だけどケーキは今深夜営業リフレに寄って買ってきたのよ?それに、この茶葉くれた人は良い人だからだいじょうぶ」

「うーん……本当気をつけてね?」

天然っぽくて、それでいてかなりの切れ者の彼女だから大丈夫だとは思うけれど。それでも、警戒はしてしすぎることはない。
エミナがテーブルの上にケーキを置いて気がついた。……椅子が一つしかない。仕方がないので、寝室のベッドサイドからランプテーブル代わりの丸椅子を持ってくることにする。
そしてちょうど湧いたばかりだった湯を茶葉を入れたポットに注ぎ、もともと二つしかないカップに淹れてテーブルに並べる。エミナはこちらを見もせずに、きょろきょろと部屋を見回していた。

「珍しいものなんてないでしょう」

「ううん。っていうか何も無い」

「うっ……それはほら、引っ越したばっかりだし」

「だから、すっごく寂しく見えるの。これならクラサメくんの部屋にでももぐりこめばいいのに」

「ぶッ」

紅茶を噴出してしまう。テーブルに熱湯が零れ、ナツメは慌ててタオルでぬぐった。そんな彼女を、エミナは正面から微動だにせずに窺っている。

「怪我は平気そうだネ。よかった」

「その節は大変ご迷惑おかけしました……」

「本当、心配したんだから!……帰ってきてから会いにきてもくれないし。クラサメくんの副隊長になったのに、仲直りの兆しもないし。一体全体どうしちゃったのかしらネ?ナツメとクラサメくんの関係」

「か……関係、って……。何も無いわよ。何でそんなことをエミナが気にするの」

「気にするよ、可愛い後輩と大事な友達の間で何か悪いことが起こってるのだけはわかるんだもの。そしてそのために何かできるかもしれないって、馬鹿なうぬぼれもある」

エミナはそう言って微笑み、ケーキの箱を開けた。言われる言葉に落ち込めばいいのか、それとも目の前のケーキに喜べばいいのか量りかねて、ナツメは微かにうなだれた。







ナツメの微妙な表情に、エミナは微笑みを苦笑へと変えた。微妙な心境なのだろうが、わかりやすいものである。
ナツメが何も食べていないことくらい知っている。リフレの人間ほど、そういった意味で頼れる相手はいない。サロンの食事も結局リフレが提供しているので、彼らに聞けば誰が食事に来ていないか一発だ。本当はケーキでなくて食事にしようかと思ったのだが、そこまでするとナツメが気にするだろうと思ってやめたのだ。
さて彼女には、ナツメに問いたださなくてはいけない事情があった。

「実際のところ、どうなのよ?何かあった?」

「何か、って?」

「トゴレスよ。クラサメくんが命令違反してまで単身トゴレスに向かったってカヅサから聞いたけど。見たかったなぁナツメが救出されるトコ」

「んぐっ……もう、本当やめて、0組だけじゃなくエミナまでそういうこと言う……」

「0組?」

ああ、やっぱり。エミナは内心で溜息を吐いた。
最近知り合ったばかりの0組は、どこからかエミナとクラサメと、ついでにカヅサの三人が同期の友人だということを突き止めてきたのだ。
つい数時間前に、少しばかり口を滑らせた自覚のあるエミナは、ナツメに事の次第を確かめようとやってきたわけなのである。

「だって、ねえ……」

「ん?どうかしたの?」

「ううん。何にもないよ」

付き合っていた、という言い方が正しいのかはわからない。
けれど、百戦とまではいかなくても。五十戦錬磨くらいの自信はあるエミナとしては、関係性など見ていればわかる。
あの事件の前、二人には少し甘ったるい空気が漂っているように見えたのだ。4組としてだいぶ経験を積んだナツメと、既に1組のエースだったクラサメは、本当に仲が良くて。
それが、事件の翌日にはすさまじく変質していた。歪んでいた。たとえば執着とか、嫉妬とか怒りとか、そういったものが入り混じった色に。

「(何があったの?って、聞くのも野暮。でも聞かないとわからない)」

想像はつくけれど、それでも可能性が分岐してしまう事柄。そしてその更に翌日には、ナツメは魔導院から消えていたし……。
エミナは猫目の少女を思い出す。いつも溌剌とした彼女は、似合わないくらい真面目な顔をしていた。

ねえねえ、ナツメのことも知ってるんでしょ?教えて、アタシたち知りたいの。あの二人の間にあるものが何なのか。

「(うーん、五十戦練磨っていうのも、ガセになっちゃうかしら)」

あんな、あなたよりいくつも年下の女の子にも見えちゃってるみたいヨ、あなたたちの秘密。

あの事件のあと、ナツメは消えて。クラサメくんは少し荒れて、でもすぐ元通りだった。当然、表面上は。内側はどうなっているのか、あのマスクのうちを知るのはたぶん、ただ一人。
エミナはやっとケーキを口に運びつつ、目の前のナツメを見つめた。本当に、綺麗な顔をしている。白虎には顔の整った人間が多いというのは通説だった。
自分も散々もてはやされたけれど、もしこの子に白虎という烙印さえなかったら。もしかしたら誰も、苦しむことはなかったのかもしれないな、なんて思ってみる。

「美しさってやっぱり罪なのかしらネー」

「……何考えてるのか知らないけど、それエミナが言って良いセリフじゃないと思う……」

すさまじい嫌味になってるぞ、とナツメは呆れた顔でつぶやく。残念ながらワタシのことじゃないのよ、とエミナもまた内心で呆れかえる。

――困るのよ。ナツメにしてもクラサメにしても、今回みたいに暴走してアタシたちを置き去りにされちゃあ。

――だから、二度とそうならないように、アタシたちが必死になるの。

彼女はそう言って不敵に笑った。それが良い結果に繋がるかどうかはともかくとして、殻に引きこもる癖のあるこの二人を引き摺り出してくれるんなら。

「悪くない、かもしれないわねー」

「へ?何が?」









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