Act.8










「……あれ?」

呆然としたまま、目が覚めた。……ここはどこだろうか。横になっているというのに目眩がしていた。明らかに血が足りていない。
それでも状況把握のためナツメが無理に体を起こそうとすると、ぼやける視界の中で一人、見知った女が駆け寄ってきた。かけられている布団でさえ重くて起きられないのを、彼女は慌てて手を貸してくれる。

「無理しないの、熱がまだ40℃もあるんだから!」

「……カルラ?」

背筋が震えている割に、声は思ったよりまともに出た。足にも腕にもだるさ以外の感覚がないから、もう治療されたのだろう。己を治療してくれるような人間が魔導院にいたのか……意外に思いながら顔を上げる。よく見れば、そこは自室だった。殺風景でがらんどうとした、まだ慣れていない自室。どうして自分の部屋にいるのかわからず戸惑ってカルラを見つめると、それを察したように苦笑した。

「あなた医務室搬入お断りだからね。それで困ってたらしいところに、たまたま私が通りかかったのよ。で、運悪くあなたの友人だってことを知られてたみたいで、看病任されちゃった。……まったくもう、普段なら二十万ギルはとるところよ……」

「待って、よくわかんないわ」

もっとちゃんと教えてよ、と頼むと、カルラは「物分かり悪いなぁ」とわざとらしいため息とともに椅子を引っ張ってきて腰掛けた。
話を聞くと、どうやらこういうことらしい。

ルシの迫るトゴレスから救出されたナツメはクラサメによる応急処置を受けた状態で魔導院に帰還した。まだ治療を必要としていたが、ナツメの作戦行動は記録に残せないため、堂々と正面玄関から戻ったクラサメに困り果てた軍令部と四課はナツメを任務による傷病人として扱うことに難色を示したらしい。ちなみにナツメが巻き込まれた爆発は6組の作戦行動だったそうである。

それでもクラサメが持ち前の強引さで医務室に運び込んだところ、今度はかつてのナツメの同胞である4組がいい顔をしなかった。その上、医務室は死屍累々といった有り様で、すでに多少の処置が済んでいるナツメのためにベッドを強奪するのはさすがのクラサメであっても不可能であった。

「まぁ、当たり前よね。4組があなたを受け入れるはずもなく、クラサメ隊長が立ち往生してるところにナギが出くわして、更にそこに間の悪い私が出くわした」

医務室に入れないナツメの現状を理解しているナギは、四課で引き取ることを提案。しかしクラサメはなぜかそれを断り、こうして部屋に運び込んだ。
まぁクラサメ隊長のことよく知らないからぁ、理由はわっかんないけどぉ、というのがかつてクラサメの写真を隠し撮りして女生徒に売り渡していた炎の商売人の談である。

「もうやってないやってない!クラサメさんは標的にしてないからぁ!!」

「どうだか。……言っとくけどエミナも許さんぞ」

「えええー稼ぎ頭がぁ……、あ、エミナさんと言えばさっき来たわよ。なんかスープとかいろいろ作って帰ってった」

「おい待て今稼ぎ頭っつった?ねえちょっと?」

指差す先には、確かにこの部屋では使用されたこともない調理器具が調理台の上に載っていた。エミナらしい優しさに感謝しつつ、魔導院に戻ってから挨拶にも行けていないことに気づいて頭を抱えた。も、申し訳無さすぎる。
ともあれ、クラサメは四課の提案を拒否してわざわざ運んでまでくれたというわけか。おそらく彼も一般論同様四課を信用していないのだろう。まぁ実際怪我人の救護など経験のない、二言目には「痛そうだし楽にしてあげようよぅ」とか言い出す連中の集まりなので間違った対応では決してないのだが。

「部屋はナツメの荷物漁ってクラサメさんが開けたんだけど、それ以降あの人は一度も来てないわー。さっきまではあのへんたい、じゃなかった……カヅサさんがいたわよ。その前にナギ、そのさらに前にエミナさん。エミナさんが一番血相変えてたわよ」

「カヅサまで?わー、各所に迷惑かけてるぅ……」

「ナギもかなり心配はしてたけど、カヅサさんに至っては「あれ?生きてる?生きてるの?よくわからないなあちょっと弄っちゃおうかなあこれ弄っちゃおうかなあ」とかなんとか呟いてたからね。私がいなかったらナニされてたか」

「き、聞きたくなかった」

そう思うと、おそらく誰もが忙しいだろう魔導院で一番の暇人のはずのカヅサに看病が頼まれなかったのはそういう理由なのだろう。本当にカヅサは信用がないなと苦笑する。マクタイ戦の後、カヅサが看てくれていた時も、カヅサは部屋の隅で丸くなってナツメが目覚めるのを待っていたし。
クラサメは今頃、0組の任務の報告書でも作っているのだろうか。0組が無事だったかどうかが少し気になる。今回はミッションコード・クリムゾンが発令されると聞いていたから尚更。なんて、むしろナギに事の顛末を洗いざらい白状させた0組に自分こそ心配されていることを知らないナツメは表情を曇らせた。そんな彼女を見て、「クラサメさんがいればこいつ一発で元気になるのになァ」と内心で小馬鹿にしつつ、実は気遣いやなカルラは性質をいかんなく発揮させ立ち上がった。困っている人を見ると放っておけないというのは真実だ。ただ、それがイコール稼ぐチャンスに見えてしまうだけである。

「エミナさんが持ってきたりんごとかもあるわよ。それともスープ食べる?美味しかったわ」

「あ、ありがとう」

味見済みらしいカルラはナツメの礼を背中で受け、キッチンへ向かう。ふと見れば、カルラが椅子を引っ張ってきたテーブルにはノートや文献が何冊か積まれていた。優等生の彼女らしく、勉強して暇を潰していたらしい。
というか、おそらく出撃がなかったので勉強する予定だったところに無理やりナツメの看病という用事を捩じ込まれたのだろう。これは高くつくかなぁとナツメは苦笑した。

「今回の一件はおいくらで?商売人さん」

「そうねぇー……実はナツメの写真も欲しがりそうなやつに売り飛ばしたことがあるんだけどそれ許してくれたらチャラにしたげるわ!」

「待てや今なんつった」

「若気の至りで、二ヶ月ほど前にちょっとね!」

「ちょっとね!じゃないだろ何やってんの?っていうか誰?欲しがりそうなやつなんていないよ?」

「まっ、そこはプライバシー的な問題で内緒かな。ナツメにバレたらあの先輩憤死しそうだし」

「私のプライバシー売り飛ばした奴が何言ってんだ?」

口ぶりからしてどうやらナツメの知り合いらしいが、そうなると本当に心当たりがない。カルラの先輩だっていうならナギとリィドくらいしか思いつかないが、どちらもナツメの写真なんて買ってまで欲しがる人間ではない。
あと誰かいたっけ。わからないので、考えるのをやめた。

「ああ、もういいやなんでも……しかし守銭奴が金欲しがらないなんて珍しいじゃないの」

今のだって、言わなければナツメは知ることもなかったのだから、ぶんどる権利はカルラ的には成立していたはずだったのだ。それなのに、なぜ。そう問うと、カルラは困ったように眉根を寄せた。

「っていうか、そもそも何もしてないのよ私。ここに居ただけ。滞在料なんて風俗じゃあるまいしそれに、貧乏人から搾り取るほど、私強欲じゃないの」

貧乏人って。ナツメは苦笑して、小さく礼を言う。そーよそーよ感謝しなさいとカルラは言いながら、改めてナツメの膝の上にスープの膳を置いた。彼女のよく晴れた空みたいな色の髪が揺れる。

カルラとは、そう長い付き合いではない。まだ二年程度だろうか。9組の人間を彼女が引っ掛けて、数万ギルを吹っかけられた血の気の多い彼らがキレて彼女を囲んでいたところに偶然出くわしたのが最初。
それをナツメが収めてから、カルラはこちらの事情を察し、こっそり移動用魔晶石を横流ししてくれたりするようになって。まあもちろん結構搾り取られるんだけど、ある程度の距離を置いて、それでもある程度の近さで付き合っている数少ないクラス外の友人だった。
もちろんクラサメの写真を売り飛ばしていた時は締めあげて写真を全部没収し買った人間のリストまで作らせた。それとこれとは話が別である。

「それにしても、今回の任務は大変だったんだね。ナギがさっき、ナツメが戻ってきてよかったって言ってた。戻ったの、ナツメだけみたい」

「……そっか」

他にも一緒に潜入した仲間が数名いたが、確かに名前さえもう思い出せない。ルシが正面衝突したというから、任務が遂行できたかなんて関係なく、そこで死んでしまったのだろう。クラサメがいなければ、自分も……。
ほらね、生存率百パーセントは伊達じゃないわ。そう苦笑して、少し怖くなる。だってナギの言った通り、数時間前まではすべての人間が生存率百パーセントだったのに。

血が足りなくて痙攣する手で、スープを口に運ぶ。エミナらしい、とても優しい味がした。

「ま、なんにせよほとんど怪我は治ってるんだし、意識も戻ったし……とりあえず寝れば?そしたら、私は帰るから。医務室に入れなくたって、ナツメは回復に関してはプロなんだから、下手に戦線にも出ないよーな4組の残留組に治療してもらうよりは自分でやったほうが早いし上手いでしょ」

「ちょっと、それ4組の耳に入れないでよ?」

そんな言葉が4組に知れたら、カルラも医務室搬入拒否されてしまう。ナツメは笑い、空になった椀を取り上げキッチンへ戻るカルラの背中をもう一度見つめた。体を倒すと、意思とは関係なく意識が刈り取られていくのを感じる。そして、どことなく懐かしい匂いと暖かい感覚に溺れていった。

「あ、布団はクラサメさんが自分の部屋から持ってきてたわよ」

「ぶふっ!?」









かたん、という小さな物音が、深い眠りからナツメを一瞬で解き放った。
誰かいるのだろうか。自分が眠りに着く前、カルラは帰ると言っていなかったか。またナギに不法侵入されてたら次は三角絞めじゃ済まさん、と内心で息巻いて、ナツメはそろそろと身を起こす。

「誰?……ナギ?」

「……期待に添えなくて悪かったな」

びくり、と起こした体は反射的に固まる。頭の中が雑多な声に占拠された。何で、から始まって、いや何でってのもおかしいか、と思うまでにさえ数秒かかった。
そうしてなんて言い返したものかわからずに居ると、枕元の小さなランプだけが点される。その灯りで、クラサメが離れていくのがわかった。彼は窓辺に立ち、表情までは窺えない。換気のためか、彼の手によって窓が開けられる。夜半の冷たい空気がするりと入り込んできて、シャツ一枚のナツメは僅かに肩を震わせた。

「寒いか」

「ううん、驚いて……別に平気。……あの、ありがとう。助けてくれて……」

「礼を言われることではない。私もお前に礼を言うつもりはない」

一瞬、何の話をしているのかわからず、ナツメは瞠目した。それでも、なんとなく察し、すっと目線を下げ俯く。
礼なんて言われたら己が死にたくなること。そこまでわかって話しているのがわかるから全く、始末に悪い。

間が持たなくて気まずいので、仕方なく会話を続ける。本当は、そばにいてほしくないのに。……まるで昔みたいで、懐かしくて死にたくなるから。

「ねえ、何で……あそこに居たの?」

何で助けたの、という言葉に勝手に繋ごうとする口を制し、続く言葉を切り替える。と、彼は表情のうかがえない角度のまま静かな声を唇に載せた。

「0組の支援のためだ。ルシが迫っているという情報がある中で、カトル准将に足止めを喰らっていたからな。早急に離脱させる必要があった」

「そうだったんだ……そういえば、みんな無事?怪我とかは……」

「怪我くらいはしていたが、各自で回復はできる」

もう全快して、走り回っている頃だろう。
クラサメが仏頂面でそう言い放ったのが、顔が見えずとも想像できて、ナツメは噴出してしまう。

「……なんだ」

「だって、そんな犬みたいに……っ」

笑うと少し、体の節々が痛かった。クラサメが目を細める気配がする。なんだかさっきから、そしてその仕草まで全部、五年前みたいじゃないか。何もかもが、あのころに戻ったみたいじゃないか。そんな幻想を抱く資格なんてないくせに、とナツメは自分を嘲笑しつつも、多幸感までは否定できない。
クラサメが静かに歩み寄り、横に立つ。そこにいてくれるなら、もう顔を上げれば彼の表情はわかる。でも、それでも顔を上げる気にはなれなかった。あの日に己の手で、全て終わらせてしまったのに。それなのにこんな、なんて今更な……。

「勝手だな、お前は」

「……っ」

今でも、同じように笑うんだから。

彼の声が囁かれる。手袋越しでも体温は伝わる。頬を包む大きな手が、彼女の顔を上げさせた。マスクをしていない顔のケロイドが、炎に照らされて模様に見えた。噛み合うような音を聞いた気がして、お互いの目の中に懺悔と欲情とがじりじりと燃えるのが見える。クラサメの眼に映る己の顔が浅ましくて、笑える。
思い出すのはあの夜のこと。そしてあの事件のこと。永遠にも思うフラッシュバック。重たい空気が鎖になって体を縛るこの感覚が、ナツメはそれでも嫌いではない。クラサメを感じられる一番大きな感覚だからだ。

クラサメはきっと辟易としているはずだったけれど。この温度の中ではあなたは傍にいるから。

全ての音は遠くで響くように届き、ふたりの体温は伝達された。ナツメも彼に手を伸ばし、指先が熱を持って傷跡に触れる。そこに触れたのは初めてだった。今までのふたりの中で、初めて。
どれくらいの間そうしていたのかはわからない。が、とにかくしばらくしたあと、クラサメがそっと手を引き、「熱は引いたな」と、流石に手袋越しではわからなかったはずのことを呟いて踵を返した。

「……何で助けたの」

聞くつもりはなかった。だから声が漏れるまで、自分がついに声を上げてしまったことにも気がつかなかった。
はっと気付いて、ナツメは口に手を当てる。無意識のうちに、どうして自分はこんなこと。答えなんてわかっているのに。0組のついでのはずじゃないか。たまたま見かけただけのはずじゃないか。
そう自分を戒める、のに。彼は。

「……ルシがトゴレスに向かう可能性があると、作戦基地で明らかになった時。四課の、ナギ・ミナツチの顔色があからさまに変わった」

「え……」

「次に会ったら言っておけ。諜報員の癖に、解り易過ぎるとな」

それはつまり。つまり、ナギの顔色から、ナツメがトゴレスに居ることがわかったということか?それが答えだと?何で助けたかの答えが、ナツメが危険だったから、それだけだというのか?
まさか、まさかまさか。そんなの嫌。絶対に嫌。自分はいまだにあなたを危険に巻き込んでいると?そんなの、そんなの、そんなの……最低だ。
何よりいま一瞬、心臓が喜びに跳ねた。それが死ぬほど、不快だ。

思考がそこに至るまでの間に、クラサメはもうドアノブに手を掛けていた。そして、弱りきった彼女に狙ってかそれとも図らずもか、彼はとどめの一撃を。

「――無事で、良かった」

……その一言は、流石にもう卑怯じゃないか。動けないナツメはどうすることもできず、どくどくと生きている音を鳴らす心臓を必死に押さえていた。







ナツメはそれでも、元の日々に戻ろうとした。クラサメとはただの隊長と副隊長、自分は仕事の少ない諜報員、何度も何度も言い聞かせて。
しかしその覚悟に横槍を入れる者たちがいた。

「ねぇねぇねぇねぇナツメを助けるためにクラサメたいちょーが十二個も命令違反したってホントなのー?」

「ちょっと待ちなよ今話せば悪いようにはしないからさぁ!ほらほらほらほらァ!!」

言わずもがな、0組である。








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