Act.6






マッセナのもたらした情報は大したものではなかった。それどころではない、ナツメにとっては藪蛇もいいところだ。
小隊の配置、中隊の待機地点……それを知れば、朱雀戦線の前進に大きな影響があるのは事実だが、即ち仕事が増えるということでもあるのだ。

そして現在はレコンキスタ作戦の真っ最中である。失地回復を意味するその作戦名の示す通り、大規模奪還作戦だ。

『各部隊へ通達、各部隊へ通達!レコンキスタ成功!レコンキスタ成功!繰り返す、各部隊へ通達……』

感情を必死に抑えるCOMM音声の向こうで、わっ、と喜ぶ生徒たちの声が聞こえた気がした。ナツメは苦笑する。
結局、羨ましいのだ。健全に表に立って、成功をただ喜べることが。ナギを笑えない。表に立ちたいのはだれだって同じである。裏側にいて、ただ見ているだけなのは
寂しくて辛いから。

地下深く、四課の作戦室にて、ナツメは広げられた地図の上、駒を動かし回復できたところまで朱雀の領土を赤く示した。そして指を滑らせて、南東を指す。

「次はトゴレス。……第二の難関、ってところ?」

「だな。四課もそろそろ、本格的に動かなきゃだ」

壁際でナギが答える。四課の武官は勢揃いしていたが、皆一様に無言である。
そもそも、無感動なのだ。国家のためであれ何のためであれ、これまでと仕事の意義は変わらない。多分どこかで、表の人間をバカにしている。戦争になったからってようやく自分たちの立っている場所の危うさに気付いて大騒ぎしやがって、阿呆どもめ……といったところか。しかしそういう思いを抱くのは、そうしていないと耐えられないからだ。あの愚か者どもより自分たちの方がある側面では恵まれていると思い込んで精神の安定を図っている。精神的に不安定になると、命に関わるから。
知らないのが最も幸せだと、知っているからこそだ。

「俺らにとっては良くないことに、トゴレスは朱雀で一番堅牢な砦だ。取り戻すには綿密な計画が必要で、そしてその計画には準備が要る。俺たちはおそらく、その準備に充てられることになるだろうな」

「準備……爆薬仕掛けるとかか?」

武官の一人が問うて、ナギは頷く。実際に爆弾かどうかはおいておくとして、少なくとも起爆剤に利用されるのは間違いない。内側からどんな手段であれ壁を破れば、砦を落とすのは一気に容易になる。

「この砦は円形だからな。等分して、六人から八人程度で同時潜入を図ることになるだろう。つまり……」

「誰が死んでも、他の誰かがやり遂げる。そういうことっしょ」

また、部屋の隅で壁に凭れていた一人がナギの言葉を継いだ。そう、つまりはそういうこと。全員が生き残るとは到底思えない、“作戦さえ遂行できればそれでいい”作戦だ。

「……でも。捨て駒根性、見せてやろうぜ。いつだって、俺達みてぇなのがいなきゃこの国は回らねんだから」

「ナギのそういう無理やりなポジティブさ、嫌いじゃないわ」

ナツメがそう言って揶揄すると、武官たちはどっと笑った。
笑って、泣いて、自分たちはただの人間だ。捨て駒で、利用されるだけで、……人間である。駒である当人たち含めみんな、すぐに忘れてしまうけれども。







そして、レコンキスタ作戦から数日が経ったある日の朝であった。

「……まぁ、私が実行部隊なのはなんとなくわかってたからいいわ」

『なんか言ったかー?』

「ええ、自称四課のリーサルウェポンがこんな任務に限って裏方だなんておかしいなぁーって」

『そいつぁ、かけがえの有る無しみたいな問題だろ?価値の順位付け的な?』

「ああはいわかってますとも、ナギはルークで私たちはポーンですとも」

『そうその通りー』

そう言うナギもあくまでルーク程度であり、順位こそあれ誰しもかけがえ可能なのは変わらないところが虚しい。
COMMで軽口を叩きつつ、ナツメはインビジ状態で森の合間から砦を見上げていた。高い壁が聳える先に本丸はある。あれを登らなくてはならない。

『……でもよ、……い?おい、聞いてんのかナツメ?』

「ん?え、あ、ごめん聞いてなかったわ」

『ええーもう一回言うの恥ずいなぁ……ともかく、ナツメ。生きて帰れよ。上にとっちゃ替えのきく命でも、俺らにとってはそうじゃない』

「……そりゃ、わかってるわよ。だいじょーぶ、生存率百パーセントは事実だもの」

『この世のすべての生き物はすべからく生存率百パーセントだけどな』

「んぐぐ」

根拠のない自信でさえ、自信のままにしておいてくれないのだからもう。ナツメはそう不満を漏らしながら、腰のベルトに手をやる。ワイヤー、手のひらほどもある大きな鉤爪、そしてインビジ魔晶石の予備がいくつかぶら下がっていた。ナツメは鉤爪を手に取り眺める。こういうところが9組は杜撰だ。

「こんなもので、本当に忍び込めると思ってるんだものねぇ……。そういうところが甘いっていうか、もう」

『うん?装備に不満が?』

「だってこれじゃあ見えるじゃない。インビジがかかってても。白虎兵だって全員バカなわけじゃない。人間の姿が見えなくても、これじゃ気付かれる」

『……それに関しちゃ、申し訳ないとしか言えねぇな。……二課がそれしか寄越さねぇんだよ。今、四課だって物資不足なのに』

「良かったねナギ、戦争中の空気に酔う程度さえできないクズは私たち以外にもいるみたいで。稼ぐチャンスを探すにはタイミングが悪すぎるんだけど」

『そのタイミングが読めるやつは、大抵無理やり稼ごうとなんてしないもんだろ。人間ってのは相応にクズにできてんだよ。……と、そろそろだ。いいか、すぐに終わらせて帰投しろよ。後続の候補生もどんどんそっち向かうからな』

ナギが作戦開始のタイミングを告げる。ナツメは顔を上げ、壁をじっと見上げて、手の中のワイヤーと鉤爪を背後の草むらに放った。必要ない。
四課は常に生きるか死ぬかの選択を迫られる場だ。これでもそこで、もう五年近く生き残った身。最善策を見極めるのくらい慣れている。そして、それがいつも与えられるわけではないとも知っている。

手の中に魔力を練り上げる。最も物質として顕現する形式は、白魔法。ウォールやアボイドに変換されるタイプの魔法だ。魔力は使い手次第で、しなやかで強い繊維にもなる。できることには限度があるが、その境界さえきちんと掴めていればこんなに便利なものもない。
先端は鉤爪状に姿を変え、ナツメが放り投げた先で壁に引っかかる。ナツメは透明な姿のまま、うっすらと緑の光を帯びたその糸を手繰り壁を登り始めた。体力的に数メートルの壁はきついのだが、泣き言を言える立場でもない。
数十秒かけて登りきり、魔法を回収する。と、角から見回りの兵が現れ首を傾げた。

「今、何か変な音がしたような……?」

過敏な連中だ。いや、実際物音はしているわけだから、彼らからしたら過敏でもなんでもないか。察知されたなら、殺しておこうか?
とはいえ殺せば死体をきっちり処理せねばならない。それは面倒だ。ので、今は無視して砦内部への道を探すことにする。たぶん今頃は他の七人の諜報員も、同じように潜入を始めているはずだ。
この潜入には複数の意味がある。まず、後で本隊が突撃する際の障害を出来る限り取り除いておくこと。それは兵士ももちろん含まれるが、それよりはもっと、例えば鍵を壊しておくとか、罠を解除しておくとか、あるいはジャマーを発見し破壊しておくことなどが最重要となる。
そして、それに失敗したならば、どんなに無様に逃げまわってでも白虎の隊列を崩しておくこと。死ぬとわかって尚、朱雀のための駒となることだ。

さて、どう動くかな。
迷って一瞬立ち止まった瞬間だった。鼻を、嫌な臭いが突いた。

「……腐った……臭い」

人間の腐った臭いだ。酸化した血が黴びて肉が腐っているのだ。吐き気を喚起させるから、きっと獣ではない。特有なので、どうしてもわかる。
しかしどうして。どうしてこんな臭いが。しかもこのキツさ、明らかに一人や二人ではない。
もしかして、と脳裏を掠めた答えがあった。トゴレスには常駐の軍隊がいて、家族も含め居住していたはずだ。彼らがどうなったかは二課で問題になり、作戦の草案の妨げになったというが、……もしや。

廊下の奥、鍵も掛けられていない扉をゆっくり押し開く。そして中をざっと確認して、ナツメは扉を閉じた。
酷い臭いが鼻を刺し、吐き気がする。がたがたと震える背中を扉に押し当てて深く息を吐く。

こんな光景は四課にいてさえ、なかなか拝めない。最悪ではまだ形容するに生ぬるい。
恐れは無い。白虎はこういう国だ。知っている。いつも味わってきた。だから、恐怖はしない。

「残酷……」

故国を思う。一瞬たりとも愛しくなどなくて、ただ寒いだけの悪夢を思う。
雪に寒さにそして飢えに一年中虐げられるあの国家は残酷だ。逆境はひたすらに苦痛を強いて、残酷さを与えてくる。
白虎という国は、この扉の向こうの惨状を引き起こすことを躊躇わない。白虎のように、敗北を味わい続けてきた国は、悠々と明日へ生きる他民族に対して、もっとも残酷な仕打ちをする方法を知っている。
この吐き気の正体は、ただ酷い臭いがするからだけではない。
そんな故国を憎む己のうちに、同じ残酷さが内在することを知っているからだ。

数秒、目を閉じ、そのまま身を固くして耐えていた。そして次に目を開く時には、もう全てどうでもよくなっている。
マッセナは殺す。捕虜を殺す国と捕虜交換なぞできるはずがない。帰ったら即刻殺そう。ナツメはそれだけ決めて、違う道へと歩き出した。

「(まず、ジャマーを崩すこと。……順路を確保できたら最高だけど、それは当然難しい。だから、そこまでは望まない)」

ナツメはひたすら靴音を殺す。わざわざ悠長に歩くのは、走れば風がたち、気取られるのを防ぐためだ。そんな危険を冒す価値のある任務ではない。出来る限りでいい。
ジャマーはどこにあるだろうか。あれの影響がどの程度の範囲に及ぶのか、それがわかれば配置もある程度はつかめるのだが、高望みしていても仕方がない。今はまだ発動されていないわけだから、急ぐ必要もない。
と思っていたのだが。

「……ふぅむ?」

期待していないときほど結果が得られてしまうというのは往々にしてあることだ。廊下の奥の広間の中央にジャマーを発見してしまった。傍らに兵士が二人。さてどうしたものか?

「(……ジャマーって、どういう構造なんだっけ)」

ジャマーに向かって、足元から大量のコードが這うように伸びている。これを利用して何かできないだろうか。
例えば、爆発させてみるとか。……無理か、火薬がない。

「(ん?……いや、火薬ならいくらでもあるか)」

だって兵士は銃を構えている。それに空気は十分乾燥している……ナツメは一人、部屋の隅に身を潜め口角を上げた。そして、柱の陰に隠れつつ地面に膝をつく。足元に長く伸びるコードの一つを軽く摘み、爪で外殻の絶縁体を千切った。手の中に練り上げるのはサンダー魔法。爆発的なまでに高電圧の電流を指に走らせ、タイミングを待つ。
最も兵士が近づいた瞬間でなくては、意味が無い。

「……今だ」

小声で呟くと同時、指を押し付ける。バチリという音がして、光は真っ直ぐ伸びていった。
ナツメは柱に完全に身を隠す。数秒後、背後で破裂音がした。兵士二人の、声にならない悲鳴と共に。
もちろん弾薬程度の火薬ではたかがしれていて、炸裂した弾丸が身体を縫いながらも二人とも生きていた。もちろん、満身創痍だが。

「んー……」

殺すべきかどうか、一瞬迷った。が、ここまで弾丸でぼろぼろになっているのだし、これから魔導院精鋭たちによる大規模虐殺の予定だし、朱雀産の弾丸が一発増えていてもなんら問題あるまい。
蹴って頭を上に向け、ナツメは二人を撃ち殺した。

「さて、とても簡単な制圧法を思いついちゃったことだしぃ……」

できるだけこの作戦で行こうか。一角でも崩せれば、大いに後続の助けになる。
あまり得意でない雷魔法を手の中でバチバチ言わせながら、ナツメは次の部屋へ向かうことにした。






そうやって破壊と制圧を繰り返して数回。成功率は半々といったところだった。
銃を暴発させるのが難しいのだ。が、全てが全て同じやり方というのも芸がないし危険なので、成功しないならそれで構わない。コードをいくつか断ち切ってしまえば機械が動かないことくらい知っている。兵士が数名残っていたって、候補生たちの敵ではない。
白虎式の機械は、基本的に全てが大きな弱点を抱えているのだ。

「白虎式の防備しかないなら……簡単なのよね」

白虎ならば、知識だけで制圧できる。白虎だけならば。
さて、と来た道を振り返る。ナツメはジャマーをもう四つ破壊した。ここまですれば、もう四課武官としては十分な働きをしたと言っていいだろう。

ではぼちぼち帰投するかね、と外に向かおうとしたときだった。
不意にぞわっと背筋が凍った。嫌な気配がする。先程の腐敗臭とは違う、強い強い魔法の臭いだ。
危険だと本能が告げている。朱雀は相手にしてはならない。白虎ならばいい、かいくぐって生き抜く道は必ずある。しかし朱雀の魔法で作られた防御設備は、生き物のように敵を補足し駆逐する。

逃げるべきだ。だって、汗もかいていないのに髪がベタつく。これは空気中に漂う血だ。ただ死んだだけではこうはならない、よほど大量の死体が相当にえぐい方法で一気に作られなければ。
一体何が起きているのだろうか。不安になるから、つい覗き込む。一体何が。

「え……?」

ナツメはてっきり、白虎兵か捕虜の血の臭いだと思っていた。その扉を押し開けるまでは。
覗き込んだナツメの目に映るのは、ひたすらな赤と黒。
色もほとんど判別できないほどに黒ずんだマントとともに血の海に沈む、候補生たちがそこにいた。誰だかなんて知らない。顔も判別不可能。だって頭はことごとく潰され、四肢が揃っている死体は稀なほど。目の前の状況に、一瞬思考が飛んだ。ついそちらへ足を踏み入れる。背後で閉まるドアになど、向ける意識はかけらもなかった。

「どうして……」

候補生たちは、もうこんなところにまで侵攻してきていたのか。それに加えてこれはどうしたことか。何があったらこんな虐殺が起こる。白虎にここまで威力の高い兵器なんてないはず。少なくとも、ナツメには思い当たらない。
ナツメは疑問に思ったが、すぐに理解する。自分は答えを知っている。部屋の奥にまっさらな壁。そこに刻まれた、赤い魔法陣。

繰り返しになるが、白虎は実際別段怖くない。攻略法さえ知っていればどうとでもなる。先程のジャマーと同じ、機械には弱点がいくつもある。
しかし“これ”は。
朱雀の魔法が作り出した防御壁。岩でできた巨人、ゴーレム。
魔法陣が破られるまでその威力を発揮し続ける、この軍神たる巨人は。

「あ……あ……」

足が震えた。瞬きさえできなかった。指先は冷たく、全身を水に漬けられているような閉塞感があった。
先程白虎の連中には抱かなかった気持ちを、目の前の敵には確かに抱く。

これは恐怖だ。







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