仮想楽園での一日







ルカが傾き、倒れゆくのをシドは見ていた。それでも寸でのところで彼女を捕まえる。驚いたのは自分だけではなく、ロッシュもだがナバートの顔はさっと青ざめてしまった。だから、シドは自分がそうなるわけにはいかないと思う。ルカの身体を引っ張り、抱き上げる。

「病院なんてこの近くにあるだろうか?」

「え、あ……さっきの案内板にはなかったわ。だから、あの……わ、私だって診られるわ!」

ナバートは、ルカが目覚めなかった二年の間に暇つぶしと言って医療関係の勉強をしていたことを思い出したらしい。そのくせケアル魔法は苦手だそうだが。
彼女はシドが抱えたルカに手を伸ばし、薄く閉じられた下瞼を指でそっと引き下げてみたり脈を計ってみたりを繰り返す。その結果。

「たぶん貧血ね……でも突然倒れたから、直接的な原因は疲労よ。携帯食なんかで済ませるから……!」

「全くだ」

珍しく意見の一致をみながら、シドはルカを抱え直す。疲労と貧血で倒れたというのなら、病院に行くというほどでもないだろう。宿を取って、シドたちがきちんと監督さえすればすぐ回復するはずだ。普段から貧血を起こしているのなら改善しようもあるが、そうではないため直接の原因をなんとかするしかない。つまり、眠らせて栄養価の高いものを与える。

ホテルならばすぐに見つかった。観光客が多いのだろうか。それなりに大きいホテルなのに、エントランスホールはそれなりに混雑していた。フロントで部屋を借りようとしたところ、現在空き部屋は三部屋しかないとのことであった。
振り返ることもなくそれで構わないと伝え、カードキーを三つ受け取る。と、ナバートが呆れ返った顔をしていた。

「三部屋?正気?」

「無いのだから仕方ないだろう。ほら」

「……そうですか」

ロッシュはもう諦観の境地といった顔でキーを受け取った。ナバートもまた掠め取ったが、その後で「当然ルカは私の部屋で寝かせますから。さっさとヤーグに渡して」と言い放つ。誰が渡すか、阿呆。そう言わずとも皮肉げに嘲って、ルカを抱えたままエレベーターへ向かう。

「ちょっと待ちなさいよ、そもそも私が一番適任だわ!医療関係の知識があるのは私だけだもの!」

「私と彼女が恋人だということを君は忘れたのか?」

ナバートは騒いだが、勝ち目がないことはさすがにわかっているだろう。そう思っていたのだが、ナバートにしては“らしくなく”、地雷を踏んだ。

「だってルカは別れたって言ってたわよ!」

シドは一瞬、足を止める。
さてどんな方法でこの生意気な後輩を黙らせてくれようか迷いながら、彼は微笑みを浮かべ振り返った。








微睡みの中だというのに、頭の奥底がきしきしと痛む気がする。ルカはうまく目覚めることができなくて、その痛みの正体を探るように薄く閉じられた瞼に込める力を強めた。と、目の上に手が押し当てられた。それに抗って目を開けると、手はさっとどけられた。光を取り込みすぎて霞む視界、シドが見下ろしている。

「せんぱぁい……おはよう……」

「もう昼過ぎだが」

「起きたらおはようって言うでしょ……っていうか、え?ここどこ?」

大して広くもない部屋、ルカはベッドの上に横たえられていた。見覚えのない部屋だが、何ら個性のない造りだ。大きめのベッドの向こうには大きな窓があり、目覚めたルカの足の向く方にテレビらしき機械。更にベッドサイドに大きくもないデスクと備え付けのパソコンがあるところを見ると、ここは。

「ホテル……?」

「ああ。14階」

足元に腰掛けたシドが手を伸ばし、何度もルカの髪を撫でる。むず痒くて、嫌がった。
ルカは身体を起こして大きく伸びをする。眠気はもうすっかり飛んでいた。

「私、どうなったんです?」

「倒れた。アカデミーの前でな。ナバート曰く、寝不足と過労だそうだが」

「……寝不足はともかく、過労なんてこんなにも私に似合わない言葉があろうか」

「全くもってその通りだが自分で言うな」

呆れた声で言い放つ彼に文字通り擦り寄ってみる。コートの内側に手を差し入れて、入り込むようにして抱きつく。そうしてから、「心配しました?」と聞いてみる。

「いや?全く」

「そこは嘘でも心臓破れそうだったとか言うべきですよ」

「あいにく、嘘はつけない性分だ」

「ダウト」

普段から嘘ばっかついてるくせに何言ってるんだこの人。
それでもルカに大してはそこそこ誠実である彼に、溜息だけ返し身体を離す。しかし……過労か。

「別に疲れてなんかいないんですけどねぇ……?」

「目に見えた疲労はしていないかもな。でも、眠っていないだろう」

「それはいつものことですし……それを言うなら、旅の最中のほうが強行軍だったからなぁ」

「原因はわからんが、これからは無理するな。見張りは交代すればいいし……そもそも、ホテルに泊まることだってできるんだから」

それはそうかもしれないが、見張りを交代制にすると何が起こるかって、彼らから組を作る必要が出てくるのだ。ジルとシド、シドとヤーグ、ジルとヤーグの三つを。ジルとヤーグならば大丈夫だが、あとの二つはおそらく最悪だ。そしてジルを見張りに出すことは避けたいから、そうなると必然的に一組作らなくてはならなくなる。即ちシドとヤーグの組を。ヤーグの体調が悪くなるのが組む前からわかる。あれで時々ナイーブな男である。

あれ?つまり先輩が鬼門なのでは……?
気付いてはならないことに気付きながらも、ルカはベッドから降りるためブーツを探す。と、シドがそれを押しとどめた。

「こら、だめだ。まだ寝ていろ」

「ええー……だってもう目が冴えちゃったしー……」

眠くもないのにこんな何の変哲もない部屋に篭もりっきりとか御免被る。

「それでも大人しくしておけ。休めるときに休んでおくものだ」

「……寝るのは夜だけで十分ですぅ」

上から薄手の毛布をすっぽり被せようとするシドの手に抗ってみる。強制する力は彼にしては強くなくて、簡単に振り解けた。けれども、きっと部屋からは出してくれないだろう。自分には、良くない前科がありすぎている。ルカが単独行動すると、大抵良い結末にはならない。それはもう士官候補生だったころからの通例だ。それでもつい単独行動してしまうのが自分の悪いところだとルカはよく知っている。ので、たまには単独行動を避けてみることにした。

「じゃあさぁ、先輩。一緒にちょっと抜け出したりしません?遊びに行き……ません?」

こんな提案を自分からするのは多分ほとんど初めてで、だから10年以上もの付き合いだというのに柄にもなく緊張した。実年齢を明かせないような年齢で初体験する行為か、これは。多少のいらだちを感じはしたが、こういうことに年齢は関係ないのかもしれない。だって、いつまで経っても上手くならない。
不意に、シドが噴き出した。どうやら自分は相当にらしくない顔をしているらしい。口元が引き攣っているから、自覚はある。

「何だ、その顔……!これだけの付き合いなのに、そんな顔初めて見たぞ!?くくく……」

「も、何、笑わないでくださいよ!しょうがないじゃないですかっこんなの慣れようがないんですから!ジルとかヤーグ誘うんなら別に緊張する必要ないけど……っ」

そのまま笑い続ける彼の胸元に頭突きの要領で一撃かましてやると、そのまま背中を抱き込まれた。そうされなかったら許さなかったので、まぁそれはそれでいいのだが。
本当に、昔は大人になればもっと賢く付き合えるのだと思っていた。今思えば、昔のほうがよほど上手く関係を築いていた。世界が単純だった、その一言に尽きるのだろう。そこに底なし沼のような愛情はなく、互いを認め合うだけで十分だった。今はもうそれじゃ足りない。それだけでは、飢える。

ルカは顔を上げた。シドの青い目が自分を覗きこんでいる。ああ、怖いまでの多幸感。幸せの理由を考える自分は、明らかに貧乏性だった。

「先輩、デートしよう」

「喜んで」

額に押し当てられた唇が離れる、その瞬間のリップ音にルカは心臓が跳ねるのを感じた。


そうして二人、ジルとヤーグに見つからないようこっそりホテルを抜けだした。部屋のドアの入り口の札は就寝中、だ。真っ昼間から。
シドの腕に己の腕を絡めて街に降りて、やはりエデンと似た感覚にルカは感嘆の溜息を漏らす。空が近く、そして狭い。

「先輩、懐かしいねー……エデンそっくりだよ」

「ああ。結局こういう景色に帰ってきてしまうのかもしれないな」

「でも見てちょっと、店とかはパルムポルムと同じ!自販機以外は対人販売だよ……。すごいね、なんか感動しちゃうね」

エデンにも微小ながら対人販売の店舗は存在したものの、本当に極小で、なかなか見られるものではなかったのだ。だからそんなものにもつい心が動かされる。もちろん、対人の方が良いとか優れているとかそういう話ではないけれど。それは人それぞれの問題だ。

「ねえ先輩あれ!何あれ?」

「商工会議所、そう書いてあるだろう」

「わー、それもパルムポルムみたい……あれっ?あの蛍光看板は何ですかな?」

「わざとらしいぞ」

「いいんです、デートだから。アイス食べたいんですデートだから」

「君、デートが何だか本当にわかってるか?」

怪訝に尋ねるシドと共に、アイスクリームの絵が原色ばかりで描かれたカウンター型の小さな店に立ち寄って、ルカはアイスを選ぶ。通貨が使えて良かったと時代の流れに感謝しつつ、自分はいらないと言うシドに無糖コーヒーアイスという誰が買うんだよつまりコーヒーだろコーヒー飲んでろよという味を押し付けてみた。なんだかんだ、少しは楽しそうだ。そうじゃないと張り合いがない。
少しもらってみると苦味が咥内に広がって、酷い味を押し付けたものだとルカは反省した。不味いわけではないが、所詮アイスなのでコーヒーとして美味なわけでもない。微妙なところだった。
と、ルカは空を見上げるついでにアイスクリーム屋の上階の店舗を見た。どうやら二階も飲食店らしい。大きな窓がある。何かが気になって、道の反対側にある交通標識のミラーに視線を遣った。立ち位置をずらせば、店内も覗ける。
驚くべきものを見て、ルカは窓をもう一度指差した。

「先輩先輩、見てあれ。何してんだろ」

「……あれは……銃だな」

「銃だねぇ」

「そして血だな……」

「ガラスが血みどろだねぇ……」

言ってる場合か。顔を見合わせた。それから二人、上階へ行く階段を探す。見つけたが、シャッターが降りていた。顔を顰めて振り返り、ルカは首を横に振って開けられないと伝えた。シドの力なら開けられるかもしれないが、かなり音がするし危険だ。

「そりゃさ、銃を持ってどこかに突入するなら、入り口は絶対塞ぐよね。背後取られるもん……」

「ああ。……君、あの窓破れるか?」

「無理だよ銃無いと。……先輩、魔法使える?」

「もちろん」

シドの手の中で炎が渦巻いた。それを見ながら、ルカは口角を上げ、反対側のビルに視線をやった。窓枠、あまどい。三階ぐらいまではよじ登れそうだ。シドが炎で窓を痛めつけ、ルカは三階から跳ねて突入すればいい。

「じゃ、あいつを取り押さえて合流しましょ。そんでその後はあっちの方も見に行きたい」

「なら早くしないとな」

ルカは壁に真っ直ぐ身体を向けた。そして駆け出す背後、炎が渦巻くのを空気で感じた。



強盗を片付けて、警備隊とやらが来る前に急いでホテルへの道を駆け登る。怪我人は居たが、死人はゼロ。あの怪我ならば痕は残るが、障害にはなるまい。珍しくそこそこに良い結末だ。それでも、ルカは少々不機嫌だった……思いの外大混乱になってしまい、散策を続けることが困難になってしまったのだ。仕方がないので、ホテルに戻ることとして、今は坂道を駆け上がっている。
ホテルに入り、エレベーターで14階へ向かい、部屋に辿り着く頃にはさすがに息も荒くなっていた。

「やだもー、無茶!無茶苦茶!」

「まさか強盗に出くわすとはなぁ……」

「なんとか阻止できてよかったね。でも……強盗かぁ。昔のコクーンでは有り得なかったよね。金銭的に余裕ない人っていなかったから……」

かつてのコクーンでは、生活は絶対に保障されていて、こういう問題は起こらなかった。誰かから奪わなければならないほど追い詰められる人間がそもそも居なかったのだ。
そう思えば、これは間違っているのだろうかとルカは一瞬だけ迷った。そういう意味では、完全な管理の方が誰かにとっては善だったのかと。その僅かな躊躇いを察してか、シドがルカの腕を引き抱き締めた。

「……まぁ、自由意志の結果だよ。自由を得た代償だ」

「でもさぁ、私達の暴走の結果でもあるわけじゃん……」

「ある側面ではな。それでもいいさ。殺される代わりに人間は自由を得、守られなくなった。あとは彼らの人生だ。その自由に足る人間かどうかを一人ひとりが決める。養豚よりははるかにマシだと思わないか?」

「そいつぁ極論だぜ。……でも、うん、ただしい」

いつだってこの人の正しさは、誰かを救うために発揮される。今はたぶん、ルカを。
ルカは彼の鎖骨の下辺りに頭をうずめてから、はたと気付いて顔を上げた。さんざん汗をかいた後である。

「先輩、シャワー浴びたい」

「一緒に入るか?」

「いつもなら何言ってんだって怒るところですけど、そうですねぇ……惚れ直した直後ですし」

久々にえろいことしよっか、と言ってみれば、彼は喉を鳴らして笑った。意味もなく唐突に、幸せだなぁと思った。








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