挑発レンダリング
そしてやはり、ルカに出口を選ぶ自由はなかった。ファルシが自分を呼んでいるのだから。激痛なんて予測できていて、声を上げることさえ耐えた。
一瞬増した圧迫に目を閉じて、そして開けたら。
「……ここは……」
「塔……かしらね?」
「ああ。ここが最下層のようだな」
ヤーグがすぐ近くにあった1Fの表記を見て言う。ルカはまず出口を探したのだが、ドアらしきものは見つからない。どうやらこの階には無いようだ。が、階段があるわけでもない。上に登るにはどうしたらいいのだろうか。
と、ジルが「あれ、昇降機よ」と呟いた。
「……ファルシの力なしでファルシの恩恵を実現して、それなのにファルシを作ったというわけね?そういうことね?」
「……落ち着け」
「落ち着けるわけがっ……!だってあんなに苦労してファルシを倒したのに……!」
「いいから、落ち着け。ほら深呼吸しろ」
どんどん息荒くなるルカの両肩を、ヤーグが掴んだ。そして真正面からルカをじっと見つめた。ヤーグのグレーの目に覗きこまれると、どうしてかだんだん落ち着いてくる。少しずつ冷静になってくる。ルカは言われるがまま、ふーっと細い息を吐く。
「……そうね。怒っててもそうじゃなくても、私は人工ファルシとやらをぶっ壊すし……だったら冷静な方がいいもんね」
「お前本当に落ち着いてるか?」
「落ち着いてるわい。大丈夫……ファルシを殺すのは慣れてんの。四匹も殺したんだから、私達。……あ、パラメキアも含めると五匹?」
「あれは休眠したファルシだから違うんじゃないかしら……っていうかそうよ落としたわよねあんた母艦落としたわよね、忘れてたわ」
「昔のことはもういいんじゃないかな忘れても!」
ルカはパラメキアをさんざん傷めつけたことを思い出し苦笑した。報復の意図があったかなかったかと聞かれれば、正直あったと答えるしかない。反省もしないし後悔もしていない。お互い様というやつだ。そう言うと、ジルはなぜか安堵したように笑った。
昇降機の前に立って、ジルが操作パネルに触れる。20階まで一気に登れてしまうみたいよ、と言って慣れた様子でパネルを叩くけれど、そのうち指が止まった。
「……パスコードですって。人工ファルシ計画開始の年……知ってる人挙手」
「知りません」
「よねぇ……」
「未来のことだからな、私たちにとっては……が、ヒントくらいならあそこにありそうだぞ」
ヤーグが指し示したのは、アクリルで区切られた小さなブース。パソコンらしきものがあるから、きっと調べられるだろう。
ルカたちはそのブースに入り込み、一瞬顔を見合わせ……結局ジルが座った。ルカもヤーグも、こういったものの取り扱いは決して得意ではないのである。その点ジルは何でもできるので、こういったこともさらっとこなす。明らかに未来で作られたものでも。
「文字は同じだもの。なんとかなるわよ。コードのわかっている暗号みたいなものだから」
「それはできる人の言い分だ」
「料理と同じ。何もかも基本の応用なんだから難しいことなんて何もないの」
「だから!それは!できる人の言い分!」
ジルはくすくす笑いながらパソコンを操作していく。と、突然画面が勝手に動き始めた。
「あら……」
『アカデミーのネットワークにアクセスします。デミ・ファルシ計画はAF13年に開始されたプロジェクトです。人工的にファルシを作り、コクーンを再浮上させる計画です。立案者はアリサ・ザイデル。計画責任者はシド・レインズ並びにホープ・エストハイム』
「……嘘」
ルカはつい呟いて、それがあまりに自分の声とは思えないほど掠れていたのに戸惑った。それほどショックを受けていた。
だってルカがファルシを憎む、その根幹はシド・レインズなのだから。しかもホープまでもが関わっているだなんて、想像したくない。ホープの母親が死んだのはファルシのせいだし、あの旅の中でファルシがどんなに人間を駒として扱うか知ったはずだった。
それなのに。
「責任者が先輩とホープくんだなんて……そんなの……」
「……あの男がそんなこと、ただ考えるはずないわ」
ジルの言葉が妙に断言めいていた。縋るようにルカが彼女を見ると、ジルは振り返って頷く。
「アカデミーの責任者のひとりなんだから、壮大な計画であれば関わらないわけにいかないでしょう。あの男が、藪を突いて蛇を出すはずがない。何か簡単に解決する方法があるに違いないわ」
「……ジル」
「さっきからヤーグも言ってるでしょう、落ち着きなさい。まだ何も確定じゃない、前を向きなさい。そして考えなさい。あの男ならどうするのか、あんたが考えなさい」
「わかんないよ……わかんない……」
それは情報が足りないからでしょうね。でも必死に考えなさい。
ジルはルカの腕を軽く叩き、微笑んだ。あんたなら大丈夫だから。ジルが言うとなんだかふらっと信じこんでしまえる気がするから不思議だ。それでもかすかに不安は残り、ふとした瞬間に意思を焼き切ってしまいそう。
「……とりあえず、大丈夫。がんばる」
「そう、その意気」
ジルがエンターキーを叩くと、更に計画の詳細情報が表示された。ジルとヤーグがそれを覗き込み、どんどん下にスクロールしていく。
「……ふぅん……よし、覚えたわ。行きましょう」
「この情報からパスコードが発行されていればいいんだがな」
「されてるわよ。とりあえずさっきので20階までは行けるんだし……あとのことはそれから考えましょう。人が居れば聞き出すこともきっとできる」
ジルがいつになく強く言い切り、そして先程の昇降機のところに戻って「AF13年」と入力する。パスコードは受容された。
昇降機に乗り込むと、ぶわと下から空気が巻き上げるような心地がした。ルカは上を見上げる。
ここで自分はきっと多くの後悔に触れる、そんな予感がしていた。
数十秒の後、昇降機は静かに停止した。そして20階に降り立つ直前、ルカは既にその男の存在に気付いていた。背中だけでも誰だかわかる……変な色の髪に、自分たちとは様式の違う服装。
「か……カイアス……!」
「……ああ、君たちが先に現れたか。成る程、対象が限定的であるぶんショートカットできるというわけだ」
「ごめん意味わかんない。つーかもうあんたの存在そのものが意味わかんない」
子供か、と我ながら自嘲しつつ正直な気持ちをぶつけてみる。本音で話し合うのは大事なことだって誰か言ってたから仕方ない。
カイアスはルカの言葉に苦笑して振り返った。先日のヲルバの郷で出会った時とは違い、妙な圧迫感がない……殺すつもりがないと言っていたのは真実なのだろうか。ルカは彼を睨み上げた。
「それで?あんたなんで、こんなところにいるのさ……」
「私は待っている。運命が訪れるのをな。そしてそれは君らではない」
カイアスは溜息を吐いて、皮肉げに口角を上げた。
「だから、君たちがここにいては困る。君たちが何かしては困るのだ……」
「はぁ?あんた自分が前に言ってたこと覚えてる?殺す価値もないだのもうすぐ消えるだの言っといて」
「ああ……そうだな、確かに君はもうすぐ消える。そのときを待とうか。もう目前だ……旅は終わり、君の永遠もやっと終わる。喜ぶがいい」
そう言ってカイアスは去ろうとする。が、ルカはそれを制止した。まだ行かせるわけにはいかない。この男は手がかりなのだ。
「待って!ねえ……あんた何か知ってるでしょう。デミ・ファルシって何!?なんでそんなものが生まれて……ホープくんたちまで関係してるのは何故?それに、そう……あんたライトニングに何があったのかも知ってるんでしょう!?」
「これから死ぬ君に、何を話す価値が?」
それはひどくぞんざいで、どうでもいいという態度だった。ルカはそれによって、確かに自分は相当危機に瀕しているらしいと理解する。少なくとも、カイアスはルカが間もなく死ぬと本気で考えているのだ。
ルカは浅い息を吐いて、「冥土の土産って言葉があるでしょーよ。消える消えるって言うんならちょっとぐらい説明してくれてもいいんじゃないの」と言い放ってみる。他の誰かを待っているというのなら、時間は有り余っているのだろうし。
カイアスは目を細め数秒逡巡するような仕草をしてみせたが、すぐに「話すほどのことはないだろう」と返した。
「ファルシについては君の男に聞けばいいだろう。ライトニングについては……ああ、知っているとも。が、君だって少し考えればわかることだと思うがな」
「はぁ……?」
考えればわかる。その意味を量りかねてルカは片眉を上げた。答えが己の中にあるとは思えない。ライトニングに起きていることは前例がない。まるで見当もつかないのだ。
と、カイアスは片方の口角だけを上げて笑った。意地の悪い笑い方だと思った。
「覚えているだろう。君は最期に願ったはずだ、最愛と呼ぶ人々の幸せを。けれどそれは叶わなかった。誰一人幸福になどならなかった。なぜだか考えたことがあるか?」
どくりと鼓動が、一瞬だけ高く鳴った。その言葉の真意は。
考えたことがあるかって?あるに決まってるだろう。
見てはならない場所にカイアスの言葉が刺さってとても痛い。心の奥底、考えてはいけないことに楔を打ち込まれている感覚。
「そんなにも残酷な心変わりを一体誰が許す?君は生命の代わりに平穏を求めた。オーファンが闇の中に永遠に眠り、リンゼ神が沈黙することを願った。しかしそうはならなかった。……なぜだか、本当にわからないのか?」
君がまだここに生きているから。それ以外に、どんな理由があるというのだ。
「う、……」
「ルカ、だめよ、そんな言葉を聞いてはだめ!」
聞いてはだめ、って。
でもそれ……ある意味事実じゃないか……。
ルカは軋むような頭痛が一瞬、視界を激しく揺らすのを感じた。カイアスの言葉はどうしたって真実を孕んでいる。自分があの時、リンゼ神に繋がる道を断ってさえいれば、こんなことにはならなかったのに。
「君が死ぬことで得ようとした恩恵は全て否定されている。当然だろう?君は生きているのだから。死ぬ代わりに幸せを願ったのなら、君が生きる代わりに誰一人幸福になどなれない。わかりきったことだろう」
「そんなことは無い!」
ヤーグが突然怒鳴って、一歩前に出た。その顔には怒りが刻まれている。
ルカはつい縋るように彼を見た。
「貴様のやり口はわかった。こじつけだ。ルカが生きているから不幸?そんなことに因果関係は無い。貴様が無理やり結びつけているだけだ。くだらんな」
「そう思うのか。それで納得してしまえるわけか。自分さえよければいいというわけだ……」
カイアスは鼻を鳴らしてまた笑った。と、ジルが顔を顰める。カイアスの言葉にどこか引っ掛かる点があったらしい。
「……待ってちょうだい。あなた、運命がどうのって言っていたわよね。私達がそのことに本当に無関係だというのなら教えなさいよ……一体何が目的なの?まさか何の理由もなく、ルカにそこまで馬鹿な事を押し付けようとしているわけじゃないわよね」
「ふん……ルカならば、それも考えればわかるはずだ。もうヒントは出した」
「考えるのはこいつの仕事じゃないんでな」
「ちょっとヤーグどういう意味だこら」
反射的に軽口を叩きながら、ルカはカイアスの言葉の真意を考えてみる。目的。そもそも交わした会話などたかがしれている。男の声から、言葉を探ってみた。
――君がいたずらに生き続けるばかりで、何も変わらないから。君があの時死んでいたなら、女神も一息に死んで、ユールは解放されたかもしれなかった。
――女神の力を受け持つ命が死ねば、女神はその分力を失う。特に君は、ユールとは違う。混沌をただ多く宿すことで、永遠にこの世に留まり続ける。
「……女神の死?」
思えばこの男は、聞いてもいないものを女神の死にこだわっていた。そう思って口に出すと、男はにやりと口角を上げる。どうやら正解だったらしい。
「女神が死ねば、理は崩れる。ユールが無為に転生を繰り返すことはなくなる……」
「それが望みだって?理を崩すって、あんた意味わかってんの?」
何言ってんだこいつは、とルカは呆れ返った。
女神が死ぬ。実際そうなったことはないから確定とは言えないが、管理者を失えば誰もヴァルハラには入れなくなる。つまり人は死ななくなる。
つまりルカと同じだ。混沌に魂を削られないから年を取らず、寿命もない。ただ肉体が損傷すれば死に至ることもあるし、ルカは死んでもヴァルハラには入れない。ただ消えるだけだ。二度と浮かばない海に沈んで、存在ごと無かった事になるだけ。全ての人間がそういう状態になる。……いや人間だけじゃない。きっと、世界そのものが。
ふと何かに気付いてしまって、ルカは自分の顔がゆっくりと青ざめるのを感じた。体温が下がるような錯覚さえ覚える。足許が覚束ない……乗り物にでも酔った時みたいに。
待って、待ってくれ。考えさせてくれ。ユールの言葉を思い出せ。
ユールは転生体。ルカとは異なり、永遠に続きはするものの、僅かな年数で死を迎え続けるという円環で、一人だけで成立する系譜。転生を繰り返すのは女神の瞳として存在し続けるため。そしてルカとは重ならない場所で、逃げ惑うエトロが世界を監視するためだ。女神がいないなら、そんな役目はいらない。そもそもユールを転生させているのはエトロなのだから、カイアスが今そう言った通り、新たに生まれることはなくなる。
女神は生命の神だ。だから、彼女がいなくなれば時間が消える。
生命は死なず、産まれず、ユールは複数同時に存在し、ルカは一人ではなくなる。
「えっ……つまり何?ユールに合わせて世界を創り変えようっての!?どんな過保護だ!?そのために女神まで殺すって!?」
「茶化されて気分がいいものではないな……君だって理解できるだろうに。君は死なない代わりに、永く眠る。人を戯れに救ってみても、そうして変えた未来で人間たちがどう生きたかなど、数百年後に目覚める君には知る由もない。かといって、瞳である以上死ぬことも女神が望まない……君にとって、全ての生は苦悩に過ぎなかったろう」
「え、なんでつい二日前に知り合ったやつにそこまで言われなきゃなんないの?理解できないんだけど何お前、何者なの?何視点なの?」
あ、ダメだ追い詰められてるときほど強がるいつもの癖が出てる。なんで挑発してるんだと自分でも思うが、ルカ自身止められない。
「そしてユールは君より苦しい。君は一人だが、ユールは一人ではないからだ。彼女たちは思うように生きることができない……ユールとしての名に縛られ、それを逸脱することはいかなる時代であっても許されない。個人の望みなど、無いに等しい」
「……それは、そうかもね」
「君は孤独であっても自由だ。救うなら救う、見捨てるなら見捨てるで良い。君自身が決める余地がある。ユールにはそれさえなく、そして時に君などより遥かに孤独だ。……私は彼女の守護者だった。千年以上、彼女たちを見てきた……眠り続けて死を乞うただけの君よりずっと、彼女たちは人間らしく生きていた」
話は、理解できないでもない。確かに永遠に転生だけを繰り返すなど、ルカには到底知りようのない苦痛だと思う。
アイデンティティの完全な欠落。とはいえ自己認識なしに人が人たり得ることはないから、結局“誰も知らないユール”ばかりが数多の時代に生まれ続ける。
ルカはじっと唇を噛み、俯いた。
ユールが苦しんでいるのはわかる……けれど、カイアスのやり方はどうなのだろう?何よりも、カイアスの口ぶりにどこか違和感というか……嫌悪感が募る。何かが徹底的に歪んでいて、それを彼自身が認識していないような、不快感。
ルカはそれを的確に言葉にすることができなかった。だから結局、目を強く閉じて黙りこくるしかない。
けれど、隣のジルはそうではなかった。ふーっと細い溜息を吐いて、彼女は喉を鳴らして笑った。まるで出来の悪い子供への叱り方を考えている時のような、彼女らしい威圧を孕む吐息。
「やっぱり私、あんたが嫌いだわ。自分のしてることを理解してないんじゃなく、考える気さえない偽善者。いえ盲信者?ともかく馬鹿は嫌いなのよね、私……」
カイアスが真意を量りかねてか顔を顰めるのを見もせず、ジル微笑みを湛え低いヒールをわざと鳴らして一歩、二歩、と足を進めた。妙に演技じみていて、それが怖いくらいによく似合っていてルカは不意に寒気を覚える。
#ジル#がこういう仕草をしてみせるとき。それは大体、本気でキレる寸前なのだ。
「あんたの言い分って、つまりこういうことでしょ?ユールっていう、あの女の子が哀れで哀れで仕方がないから、世界を巻き込んででも彼女を“まとも”にしてやろう、って。みんなおかしくなってしまえば、彼女の特異はもう繰り返されないって。それはご立派よ、誰にでもできることじゃないわ。しかもその結果、ユールが本当に幸せになれるのかさえわからないのに実行する。こんなのはもう、まともな神経でできることじゃないわね。千年以上ユールが苦しむのを見てきた?むしろそれ以上に“千年以上自分は苦しんだ”が正解じゃないかしら」
「……何が言いたい」
ふと、カイアスの言葉に刺すような冷たさが混じったのに気付いた。ジルの言葉の裏側を悟り始めたらしい……ルカは一歩後ろに退いた。恐ろしい……カイアスとジルがぶつかって、どんな事態を引き起こすのかと思うと恐ろしくて鳥肌が立つ。
そしてジルの表情から、笑みが消えた。
「あんたの口ぶりをそのまま信じるのなら、全部ユールのせいなのね。世界が壊れてしまうのは全部ユールのせい。ユールが哀れな生を永遠に続けてしまうせい」
カイアスが完全に固まった。ルカは剣の柄を握った。楽しげなジルの美しい声が導く言葉を予感していた。
「ああ、ユールなんで存在しなければよかったのに!」
けれど最後の瞬間には、彼女の口角が意地悪く吊り上がる。そんなのは見ないでもわかった。
カイアスの剣先が降り注ぐ。予期していた通りの真っ直ぐな直線を、即座に前に出たルカとヤーグが剣で弾く。完全に一致したタイミング、ジルは避けようとさえしなかった。それは二人が己を庇うとわかっているからできることだ。
「……その上こんな安い挑発に乗るんだもの。うすうす自覚はあったというわけね。あーあー面白いわ。すばらしく面白いわよ、あんた」
挑発。……挑発か。
ルカには、ジルが本気で怒っているとわかっていた。挑発なんてものじゃない。彼女は今、本気で怒っていた。
そしてその理由は、もうわかる。たぶん、ジルが告げた通り。まるでユールの為だけという口ぶりに、ルカも微かに怒りを覚えていた。
ああでもたぶん、自分に似てるからだろうなぁ……。ルカは目前で引き返す黒い刃を見つめながら思った。
ジルのため。ヤーグのため。シドのため。それだけを理由にして、自分はオーファンと戦った。結局は自己満足、利己主義でしかなかった。
本当に誰かのために戦うというのなら、ルカはもっと必死にジルとヤーグを止めるべきだった。こそこそ裏で探ったりなどせず、シドのルシ化を解く方法を探すべきだった。
彼らの意思が翻って己を刺さないように、逃げながら。
この旅はきっと後悔のための旅路なのだと思う。禊ぐことなどできないと知っていても、贖いを探していくのだと思う。
ルカは、最愛の二人の後悔を見た。そして、あの時の自分は彼らを救おうなどとはしていなかったのだと思い知った。
あんなのは、救ったなんて言わない。あんな戦い方で、何かを救えたなどとはおこがましい。
最後だけハッピーエンドを演出したって、悲劇のヒロインにはなれない。わかりきった話だった。
シドがあんなに取り乱していたのは初めてだった。そして、ジルもヤーグもおかしいと何度も思ったのだって、確かに同じ理由だった。
ヤーグが伝えてくれたこと。あんなふうに消えて、彼らが苦しむと思わなかったのか、って。
ルカは、それに対する言葉をまだ持たない。
それでも、この男に言うべきことがあるのかもしれなかった。だから、顔を上げる。
「ユールが世界を歪めるなんて荒業についてどう思うか、私は知らない。喜ぶのかもしれない……私は、ユールのことはよく知らないから」
例えば自分は?考えてみる。
喜ぶ……だろうか。永遠に一緒にいられるかもしれない、それを……喜んでしまうのだろうか。
かもしれないな。自嘲してみる。だって己は、自分にばっかり甘いから。
「でもいつか、また後悔するんだと思う。誰かを自分の地獄に引きずりこんだことを、きっと後悔する。ユールが何人も、それこそ何十人もいるんなら……誰かが後悔すると思う。あんたの言う通り、ユールがみんな違う存在で、個人で異なる意思を持つんなら……確実に」
「……それでも。何もしないよりは善い。絶対にだ。今のまま、無意味にすり減らすだけよりは……それこそ確実にな」
どことなく苦しげな声音で、カイアスが笑う。と、彼の心臓の辺りが赤く光った気がして、ルカは驚いて目を瞠った。
……待った。まだ少し、彼の話には気がかりなことが残っていたではないか。それは女神を殺すなんて業を成し遂げる術であり、そして……瞳ではないながらに千年以上生きた、その方法。
その答えが、今の光ではないか?
ルカの視線の動きだけで意図を悟ったらしい。カイアスは剣を背中に背負い直し卑屈そうに笑った。なんだか初めて彼の人間らしい顔を見ている気がしてルカは顔を顰めた。
「……この心臓が、わかるか。これは混沌の心臓。かつて死した瞬間に与えられたものだ……女神の哀れみだよ。その結果、私は死ねなくなった。君とは異なる形でな。……その意味がわかるか?女神の心臓を抱えている、この意味が?」
「もったいぶんないで話すなら話せよ、聞いてやってるうちにぃ」
「少しは考えられんのか。つまり、女神が衰弱しきっている今となっては、ここに女神の力の大部分が存在しているということだ」
「え……はぁ?え?……は、また、あのバカ女神ぃぃぃ!!」
ルカはカイアスの言葉の意味を知るやいなや、自分でも知らないうちに怒鳴っていた。
エトロがまた勝手に地雷踏んでる。なんで自分を滅ぼしかねない相手に自爆スイッチ渡してんだあいつは。地雷を踏んだっていうかもう、対戦車用地雷の上でうさぎ跳びしてるようなもんである。
つまりカイアスが死ねば、心臓が朽ちれば、それがそのまま女神にとってのトドメになるということ。
「いや、待て待て大部分ってそんなはずは……エトロだってそこまでバカではないはず……」
「かつては大部分などではなかった、と言えば正確か。エトロは自分の事など切り売りしても誰かを哀れむ神だ。そんなこと、君だって知っているだろう」
「そいつは尊い自己犠牲だけど自分が死ぬことで及ぼす影響をもっと考えてだな……!」
「ふん……君、全く同じ言葉が返ってくるのではないか?」
ぎくりとした。まさしくついさっき考えていたことだったからだ。
しかしカイアスはルカのことになど興味はないらしく、「つまりそういうわけだ」と話を続ける。
「エトロの瞳としての役目を放棄し続けた君には、専有部分が減っている。君が女神に及ぼせる力はかなり少なく、ほとんどないと言って差し支えない程だろう」
「そんなんもともと無いっつの」
「あったものを、君が使っていなかっただけだ。つまり君にはもう、死ぬ価値さえない。死んだところで世界に影響はない」
そしてどうせ、もうすぐ消える。カイアスはそう言って背を向けた。死ぬ価値さえ、もう無いというのか。あの日死ななかった自分には、もう死んでもなせる価値はないと。
目を瞑った瞬間にはもう、彼は姿を消していた。おそらく門を開けるなりなんなりして、別の場所へ移動したのだろう。
しかし、あの態度。ルカに多くの情報をもたらして尚、「お前にできることはない」と言い切るなんて……ルカは嫌な予感を感じて仕方がない。
「……なんか、すごく不吉なことばっか聞いちゃったわけで……」
ルカはもうすぐ消える。
そしてその後、世界はあの男によって壊される。
しかも止める方法は無いらしい。無い、とルカは思う。殺す以外の遣り様としては……説得ぐらいしか思いつかなかった。
「でも説得なんてできる空気じゃないよねぇ……」
「したくもないわ」
「まぁ……それもそうだけど……なんかあいつ嫌いだし、っていうかもう何もしませんって態度だけどもうしたじゃんね?ヲルバの郷の一件は何だったんだ?自己を振り返れない男ってなんなんですか?」
はぁー、とうなだれて頭を抱えてみる。前途多難である。
それでも上の階層を見つめた。それ以上に厄介事は目の前にもあるのだ。オーファン、そしてデミ・ファルシ。ルカがまずせねばならないのは、それらファルシを片付けること。
「とりあえず行こうか……消える消えるってやかましかったのは、まぁ忠告程度に受け取っておこう」
「そうだな。……ところでルカ。お前、何百年も眠るとかなんとか言われていたな」
「……。へっ?知らないよ?」
「今更とぼけてどうするのよ……とにかくほら、」
詳細を話すまで逃さない。
がしりとルカの腕を爪立ててまで掴んだジルの笑顔の怖いこと。
ルカは冷や汗が垂れるのを感じながら似非笑いをした。まだ話してないことがあったなんてちょっとどういうつもりよと目が言っている。怖い。
「すいませんそれについてはまた今度纏めて話すんでぇ……手を離してあだだだだいだい」
「このバカがぁ……!」
「ほんと、話すから!わかった道すがら話す!ね!?」
結局ヤーグが仲裁に入って解放してもらえたが、ジルが発散しきれなかったイライラを空気中に滲ませるのまでは止めることができなかった。
恐怖に怯えつつ、ルカたちは反対側の昇降機に乗った。そしてルカは横から注ぐ視線に答えるため、躊躇いがちに口を開いた。
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