落日、そしてパラダイムシフト







何が起きてるんだよオイ、というリグディの質問には、はからずも全員が揃って無視をした。何と答えればいいかわからなかったのである。少なくとも、ルカはそうだった。
とりあえず、完全無視というのはかわいそうなので、ルカは「いろいろあんのよ」とだけ答えておくことにする。はめ殺し窓の向こうの方が、今はリグディより重要だ。

「……あれが空の穴?お色味がグロいんですけどなにあれ」

「ホープが言うには、ヴァルハラへの門?だとかなんとか。ところでヴァルハラって何だよ」

「ふぅん……じゃあ追うにはやっぱ飛び込むしかないってわけか」

「そろそろ答えてくれよマジで」

「いやである」

「もうお前きらい」

なぜだかやたらと落ち着くなぁ、とルカは目を細めた。リグディとの会話はほとんど思考を必要としない。言ってはならないこともないし、本気で腹の立つこともない。適当に思うがまま言葉を投げればいいのである。リグディとの再会自体は決してそう久しぶりでもないのに、この感覚はとても久しいものだった。不思議だ。疲れているのだろうか。
たとえどんなに疲れていたって、もう少し頑張らなきゃね。ルカは壁に凭れ、ずるりと頭を下に滑らせた。息苦しい、胸の閉塞感。飛空艇とはそういうものだ。

リグディが機銃を使って飛ぶモンスターを撃ち抜き、その体液や血液が空に舞い窓を叩いた。前方の門に近づくにつれて敵が増えている、そろそろ危険だ。

「リグディ、戦わなくていいから急いで飛んで。私が飛び込んだらさっさと門を離れてね」

「お前、何するつもりなんだよ」

「誰も知らなくていいこと」

リグディとルカ以外、一言も声を漏らさなかった。リグディが気まずそうに一瞬身じろぎした。すいませんね私のせいですよ、とルカは変な空気について一言で説明し飛空艇上部のハッチを押し開けた。簡易梯子を下ろして、登っていく。外に身を乗り出し、飛空艇の上を一歩進む。門はすぐ目の前に見えていた。
鈍い金属音を立て、後ろから誰かが上に上がってきた。誰であろうと構わなかった。というのも、その断続的な音はきっかり三人分響き、リグディを除く全員が追ってきたのだということは振り返らずともわかったからだった。

「セラちゃん……と、誰だっけ、ノエル?だっけ。アルカキルティで聞いたよね、その二人があの向こうに行ったんだよね。……カイアスは、ライトを殺して自分も死ぬつもりなのかな」

「……放っておけば、カイアスは殺されるのだろうな」

「よくわかんないんだけどねぇ。……それ以前に、あいつが何をしたいのやらまだよくわかんないしねぇ」

「死のうとしてる、のよね?」

「ん。それは絶対に止めないと」

リグディに頼み、もっと上へ機体は昇っていった。そして、飛び降りれば門へ到達できるだろうところまで辿り着く。
と、隣に先ほどの飛空戦車が並んだ。甲板に立つホープはルカたちに何事かを伝えようとしていて、でもこのままでは風に流されて言葉が通じない。ので、ルカはそちらへと飛び移ることにした。当然のように、シドたちもついてきた。ほとんど沈黙を保っているくせに、さっきからテコでも離れようとしない。

「ルカさん、さっき伝え忘れたことがあるんです!」

「ホープくんらしくないな」

「ええ、というか……伝えるべきだと思わなかった、というか。無線でリグディさんの艦と繋いでたら気になる言葉が聞こえたものですから。実は、セラさんたちですが、殺してでもカイアスを止めなければと思っているようです」

「……はいっ!?な、何それ早く言ってよ!」

ルカは慌てて、ヴァルハラに続く門を見た。急いだ方がいい、飛び込むために駆け出そうとする。
が、その瞬間。またもシドが、腕を強く掴む。それは決して強い力ではなかった。ルカは立ち止まったが、それはすぐに振り払える程度の枷だった。

「先輩、邪魔です」

「考えてみた。あの男の言葉を」

「そうやって暇さえあれば余計なことを考える、あんたらの悪い癖ですよ」

「誰が暇人だ誰が」

ちなみに、ルカの悪癖と似た部分がシドにもある。この男も窮地であればこそ楽しげに笑い、ふざけたことを抜かしてみせる。今もそうだ。苦笑して、ルカの顔を覗きこんでいる。

「はっきり言って、理解できない。あの男の言う世界のデメリットを。誰もが永遠に生きたとして、その何が問題なんだ?可能ならば止めた方が倫理的に正しいとしても、危険を冒してまで戦いに行くべきか?」

「……ライトが殺されるかも、しんないじゃん」

「セラ・ファロンがカイアスを止めに行っているのなら、なんとかなるかもしれない。君が無理を押す意味は」

そんなこと、問われることじゃない。そう思いながらルカは言葉に詰まった。
シドの言葉の真意なんて知っている。彼は秤に掛けさせようとしているのだ。今一度、ルカは問われている。
ライトニングを守るか、彼らと共に生きるか。……ライトニングを犠牲になどできないとさんざん思って、今もその気持ちは変わっていないのに、シドはわざわざ問うている。

「……いやそういう話じゃないでしょう……ちょっと待ってよ、話が飛躍どころか成層圏突破してますよ」

茶化して否定する言葉にも、シドはもう何も言わなかった。ジルもヤーグも黙っていた。ルカは腕を振り払おうと一歩後ずさる。彼らの沈黙は怖い。それでも、腕は振り払えなかった。どうしたらいいのだろう、ルカは今更迷う。迷わない、それ以外道は無いと知っているのに迷う。大切だから苦しい。

「何が起きているのか、わからないんだよ。だからどうしていいかもわからない」

結局そこに終始するのだろう。ライトニングもセラもカイアスも、まだ何が目的なのかさえいまいちはっきりしなくて。だからこそ、むしろルカは今飛び立たねばならないと思う。

「でも行くの。行かないといけないの。諦めなかったから、また先輩ともジルともヤーグとも一緒にいられるんだから、今諦めたらそれだって嘘になりそうでイヤなの」

「嘘でもいいわよ……そんなの」

「おい、ジル」

ジルが俯き呟く声を、隣でヤーグが押しとどめようとした。が、ジルはむしろいきり立って、「どうだっていい!」と怒鳴った。

「どんな理由があっても関係ない、私はあんたに苦しんでほしくない!……私は冷酷な人間よね、知ってるわよわかってるわ。だからこそ言うわ。セラ・ファロンもファロン軍曹もどうなったっていい!負い目があるのは事実よセラ・ファロンを追い詰めたのは私だもの。パージを始めたのも私だもの!でもそれ全部より、ルカと一緒に生きてる事のほうが大事なの!!」

言われなくても、わかっているんだそんなこと。ルカは泣きそうに胸が軋むのを感じた。それでもどうして、思うよりずっと痛い。
愛されていると思うより、ぶつけられる方が痛いのだ。相関する感情は一人では理解できないものだから、鋭利なその刃先で刺されない限り身を持って知ることなどできはしない。
ああそうか、と不意にルカは思う。こんな気持ちだったんだろうなぁと。こういう苦しさを彼らも味わったんだろうなぁと。

あの時、ルシたちと共に彼らと何度と無く衝突した期間。ヤーグと対峙して演じた欺瞞も、ジルを庇って呻いた戯言も、シドを謀って打ち立てた剣先も……どれもが痛いくらい真剣にルカの愛だった。それで切りつけたから、彼らとの関係はまたおかしくなった。ルカが突きつけたものを、彼らは拒絶して、そしてそれを後悔したからだ。
ルカがそんなこと気にしないでいいと何度言ったってそうはいかない。それは、彼らの人生だからだ。

しかし困った。ルカは己の足が固まっているのに気付いた。
ある意味、シドの手ならば、振り払うのはそんなに難しいことじゃない。ルカよりはるかに合理的な人間だから、それでもそこまで傷つきはしないだろうと楽観にも似た目算がある。
けれどジルはだめだ。ジルは苦しむ。既に苦しんでいるものを、もっとずっと苦しめる。今飛ばないといけないのに、空の彼方がどうでもよくなる。

ああ、最低だ。何度同じことを考えるつもりだ。ライトニングを放っておくことと、ルカの孤独はつながらない。だから今、走るのは当然だ。そう自分に言い聞かせる。
ルカは歯噛みして、シドの手を無理やり振り払った。強い風の中、ヴァルハラへ向かうために足を踏み出す。ほとんど同時に足元に風が産まれたのを感じる。その中に電気が混じり、誰かの手が背中から迫るのも直感的に理解する。走るのを阻害するための、愛する人々からの攻撃だった。ルカはそれを逃れるつもりだった。

「ルカっ……!」

誰かが呼ばなければ。誰でも構わない、悲痛な声がほんの一瞬、踏み出す足を遅らせた。コンマ数秒に満たない遅れだった。しかし致命的だった。
足が風に浚われ、電流が走り、身体は前のめりになる。そして飛空戦車の甲板から飛び出す前に、やはり止められた。大きな手がルカの腕を掴み、ルカはそのまま膝をつく。

「……う……うぅ……?」

それは同時だった。強い光が、眼の奥を突いた。
最近ずっと、一度も視えていなかったのに。ルカは辛うじてそれだけ考える。


ひとりの青年が見える。決死の表情で剣を持ち、“ルカ”の心臓目掛けて突き立てようとする。が、青年は最後の一瞬、悔しげに顔を歪め、そして驚くべきことに剣先は刺さる寸前で止まった。刺さらなかった。心臓は無事だ。
が、“ルカ”は内心それを嘲笑った。そんなの許さないと、“ルカ”は。

君たちの存在こそが、永遠のパラドクス。

“ルカ”はカイアスの声を聞いた。そして眼下、“ルカ”の腕が掴んだ剣の先端が心臓を貫き、溢れる血が全身に飛び散るように広がりゆくのを、呆然と眺めたいた。


「あ……っ」

目の前に、光が降る。暗く濁る雲間を裂いて、戻ってくる。
二人は、アカデミーの屋上に落ちた。ルカは辛うじてそれを見送った。

飛空戦車は二人を追って、そちらへ向かっていく。突然倒れ全身を微かに痙攣させるルカを案じて隣に膝をついたシドの手を借り、なんとか立ち上がる。そして目を凝らし二人を探した。セラと、あの青年……おそらく彼が、ノエルなのだろう。

セラはすぐに見つかった。二人は解決したことをおそらく喜んでいる。それが遠目にもわかる。と、セラがこちらを見た。目があった。その瞬間だった。

「セラ……ちゃん……?」

口が魚のようにぱくぱくと動いて、酸素ばかりを見失う。もう一度突き刺さった眼窩の奥の鋭い光は、明らかに眼を開かせた。エトロの眼。同じ紋章が、セラの目の中にも浮かぶとわかる。見える。
セラは瞳だ。今ようやく理解した。混沌を溜めやすいがためにヴァルハラに落ちたライトニングと同じで、彼女もまた混沌を深くその身に溜め込んだに違いない。……もっと、早く気付いてもよかった。どうして今。
だって、それなら、死ぬのはライトニングだけじゃなくて……。

「セラちゃぁぁぁん!!視ちゃ駄目!!」




鐘の音がする。


一打目。

二打目。


「私も戦うよ!」
彼女はそう言った。


三打目。


ライトニングを、カイアスが切り捨てる。


四打目。

五打目。

六打目。


ライトニングはクリスタルになった。玉座に腰掛け凍りつき、彼女は誰かの棺になった。


七打目。


それは空虚な棺だった。


八打目。

九打目。


生意気そうな顔つきの少女。まだ、幼い。


十打目。


あれは……セラちゃん?


十一打目。


それともライト?似ている面差し。


十二打目。


わからない。何もわからない。


十三打目、音が耳の奥で鋭く弾けた。


エトロは消える。ルカの中から、“母”が消えていく。
神が。彼女の唯一神が。


そしてすべては同じになった。それがルカには見えていた。視えていた。
可視は不可視に。ヴァルハラに。すべての人間が、同じに。
門が消滅するのをルカは視た。エトロが死ぬ瞬間の叫びを、聞いた。

「あ……あ……?」

身体が重い。それでも、先にセラたちの元へと駆けたホープを追って、ルカは歩いた。飛空艇を降りて、アカデミーの屋上を進んでいく。身体が心底ふらついて、頭が割れるように痛い。
見つめる先で、セラの身体が傾く。

「セラ……!セラ!!」

ノエルが叫ぶ。彼女の名を呼ぶ。
が、セラはがくりと身体を弛緩させ、明らかに生命の気配がない。ルカは己の唇が震えるのを感じた。酷く寒い。
何でこんなことに?……何で?

「ひどい……ひどい……!」

ルカは、己を支えていたシドを振り払った。振り返るとジルもヤーグも、こわばった表情でじっとルカと、その背後にいるだろうセラを見つめていた。
その表情に、無性に腹が立った。

「なんでこんなことに……っ!!救えたかもしれないのに!私にもなんとかできたかもしれないのに!!」

言っても無駄だと理解しつつも止まらなかった。彼らがルカのことを思うが故に起きた諍いの結果で、ルカが最初からきちんと全て説明していたら回避できたかもしれない事態だと気付きながらも。ルカは怒鳴り、彼らを責め立てた。もう十年以上にもなる長い付き合いの中で初めての事だった。

そして、ルカが癇癪を起こして怒鳴っているにも関わらず、シドたちはなぜか少し安堵しているような……そんな顔をしていた。ルカはそれを見て、不意に我に返る。
ルカを見つめ、ヤーグが目を細めた。

「……最初からそうやって罵ってくれればよかった。カタストロフィの間も、私達を救うためであれ……嘘なんて、つかなくても」

「……なにそれ」

ルカはもう理解している。あんな戦い方は確かに、ジルもヤーグもシドもまるで救えていなかったとわかっている。あれで終わりではなかったから。物語はまだ続くから。

でも、それじゃあ……あれだけ必死になって、自分は何を得たのだ?何を取り戻した?
何も得られなかった?ルカにはきっとわからない。

そしてこれから味わうことになる永き日々のことを考える。その永遠は誰の罪だ。誰が一番苦しい。誰の責任が、一番重い?多くを殺したヤーグか、そんなのどうでもいいと断言するジルか、パージを止められなかったシドか、自分のためだけに戦ったルカか。
多分全員の罪、なのだと思う。もしかしたらルシ一味の、大義のために立ちはだかる多くを殺した彼らさえ含めた全員の。だからまだ、ハッピーエンドが訪れない。

陽は落ちて、世界は作り変えられる。
それまでの真理が嘘になり、それまでの悪夢が現実となる。

ルカは穏やかなオレンジ色の光の中から世界を見ていた。後悔の旅路の果てに青が滲んで、どこまでも世界は繋がっているように見えた。
そして、後に思えばこの日から、ゆっくりと世界の崩壊は始まっていた。







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