You have a time to change your mind.







「ご迷惑をおかけいたしましたっ」

翌日。
ホテルのエントランスホールで、ルカは頭を下げた。頭上でジルが呆れ声混じりの溜息を吐く。そろそろと見上げた先の、ヤーグの心配そうな目に心が痛む。

「お前な……無理をするのはいいがそれで倒れていたら世話ないだろう……」

「すいませんまさかこんな羽目になるとは思わなんだもので」

「もう平気なの?あんた、自分の体調の変化に鈍感だから……」

「遠回しにバカって言われてる?」

「いいえ割りと直球で言ってる」

さんざん言われながら、ルカはゆっくり首を回してみた。頭痛もないし、だるさも感じない。多分大丈夫だろう。最近、昔に比べてよく眠っている気がするのに……それでも寝不足というのは、非常に気になるけれども。
と、後ろに居たシドが肩を叩いた。

「ナバートの言った通り、寝不足と貧血だっただけだろう。これからは注意すれば大丈夫だ」

「気をつけマース……」

「次倒れたら罰ゲームだな」

「何をさせましょうか?」

ヤーグとジルまで悪乗りしやがるのを聞きながら、ルカは反省半分苦笑半分で肩を竦めた。ともあれ休日は終わり、再度旅に出なくてはならない。ホープの教えてくれた未来は100年後だという。ホテルの外へ足を向けた。
そうして外に出、適当な路地裏に入り込んでから、ルカは足元に門を開いた。

「では行きますか」

「ええ。次は100年後ね」

互いにうなずきあって、ルカたちは門の中へ飛び降りる。世界が過ぎるほど鮮やかに、色を切り替えていった。
そして、数瞬ののち。




「……ここはどこですか」

ルカが次に目を開けたのは、見知らぬ場所だった。時代を超えているからそういう展開は今までにも何度も有り得て……だからこそ、問題だとは思わなかった。身体を起こし、周囲にジルもヤーグもシドさえも居ないことに気付くまでは。

「ジル……ヤーグ……?」

ルカは立ち上がる。頭が少しくらくらしていた。足元が覚束ないような、奇妙な感覚さえ覚える。一体ここはどこなのか、必死に周囲を探り……同時に酷く辟易としていた。不可視世界を超える途中で誘拐されるのは何回目だ?おかげでまだ、不可視世界に囚われている。

そこは異跡にもよく似た場所で、少し違うのは開放感に満ちあふれているところか。小さな庭園のような場所で、端に歩み寄らなくても下に地面などないことはわかっている。不可視世界なのだ。飲み込まれたらまたどこか遠くへ連れて行かれてしまいそうな、際限ない闇が広がっているはずだった。

「先輩ー……?……鬼ー悪魔ー人でなしー!!……いないか」

誰の声も返ってこない。ルカは歩き回って何度も彼らの名前を呼ぶけれど、ひとりきりなのはすぐにわかった。この場所に彼らはいないらしい。
そうなると、彼らがどこにいるのかという不安にも苛まれる。自分はなんとかなる、対処できる。でも彼らは?不可視世界のことなど何も知らない彼らはどうすればいい。

「……考えるだけ、今は無駄か」

とりあえず、ここを出る方法を考える方が先決。その後のことは必ずどうにかする。ルカがそう決め振り返った、その瞬間だった。

「君までここに迷い込むとはな……セラを追うから、そうなるのだ」

「カイアス……」

カイアス・バラッドが、崩れかけの玉座に腰を下ろしてルカを見つめていた。気鬱そうに翳る目許が憂いを帯びて、明らかにルカをただの面倒事として認識しているようだ。その眼差しに苛立ちながら、ルカはいつもの癖でおどけてみせた。

「誰かさんのやかましいご忠告に抗ってまだ生きてますよへっへーん」

「ああ、それだけならばパラドクスだ。処理すべきかもしれんがしかし……君は私の邪魔などしないだろう」

「は?なんで」

「私が歪めるであろう世界は、君のような存在が唯一行きていける理想郷だからだ」

その言葉の意味は、もうわかっている。カイアスがエトロを殺せば、世界の理は崩れ、ルカもユールも特異ではなくなる。
ルカはその未来を否定しようとして……しかし、そこまで自分が強くはないことを知っているから沈黙する。口先だけでなんとほざいても無意味だ……それなら、いずれくる女神の死に際しどう行動するかで否定するしかない。自分が、否定できるなら。

だから今は、この男からでも知識を得る。一つ、知りたいことができたばかりなのだ。今までは気にならなかったこと。

「ねぇ。私が眠らなくても動ける理由って知ってる?」

これまではずっとそうだった。それが変わっている、気がする。
ルカなどには到底見えも感じもしない部分で、ルカの世界が外から無理矢理に引っ掻き回されているような。カイアスは、真剣な顔で問うルカを見つめ返し皮肉げに口角を上げた。

「それは、瞳にはエトロが過剰反応するからだ。ユールもそうだが、エトロの力が強ければ強いほど、君も強くなる。ユールはその分早く生命を削るがな」

「エトロの力が強いと、私は眠らなくなるって意味?」

「人は、眠る間……ことさら夢を見る間、ヴァルハラに少しずつ生命を吸われそれが寿命を削っていく。が、君はそうならない。ヴァルハラに君は流れ込まない。だから眠らないのだ。……ちなみに、あの男。シド・レインズと言ったか。あれは、エトロに対しての抵抗力が強いな。高次の存在の干渉を防ぐらしい」

「先輩が?……あ」

思い当たる節がいくつかあって、ルカは無意識に口に手を当てた。ひとつはシドがルシ化したときのことだ。

つい最近聞いたことではあるのだが、彼がルシになったのは准将になってまだそう時間も経っていない頃だったという。あの事件が起きたのは、シドが准将になってもう半年以上経っていた。つまり、ルシの烙印の進行があまりにも遅すぎた。ルシ一味の烙印が最終段階に至ったのに掛かった期間がおよそ一ヶ月程度だったことも考えると、どう考えてもおかしい。無意味に議論の種を産むことを避け、シド本人には伝えなかったが。
それから、ルシ化を解いた時も。あの時のルカは多分混乱していて、今はもう的確に全てを思い出せない。でも、あの時は女神の助けを乞うただけでルシ化を解くことができた。エトロは仮にも神であり、たかがしもべが願っただけでほいほい願いを叶えはしない。望めば何かが叶うなら、ルカもユールももう生きていないはずだった。
あれはもしかしたら、エトロの力だけではないのではないか。

そして、もうひとつ。彼の傍では、あの夢をほとんど見ない。ヴァルハラの夢だ。意識だけで不可視に入り込むことがない。

「対して、ライトニングは非常に弱い。弱い……というよりは、性質が似ているとでも言うべきか。セラ・ファロンもだが、生命がヴァルハラに吸収される以上に、混沌が彼女自身に流れ込む。だから、カタストロフィ……女神の防げなかった混沌の侵食の際、彼女だけがヴァルハラに飲み込まれた。セラ・ファロンも、不可視の流入から逃れられない」

「ライトが巻き込まれたのはただ運が悪かったとでも言う気かこの野郎……。え、待って、じゃあ私が最近よく眠るのは……」

「エトロが弱り切っていて、君に影響を及ぼす余力さえないからだ。君に関わるぐらいなら、不可視世界を鎮めたいだろう」

カイアスはそう言い放つと、身軽な動作で玉座から飛び降りた。軽快な靴音と共に、視線の高さが近くなる。カイアスは背負っていた剣をゆっくりと持ち上げ、そして振り下ろす。剣先はルカの顔の前すれすれで止まった。

「邪魔をするな、ルカ・カサブランカ。もし邪魔をすれば、消す」

「……邪魔しなければ放っておいてくれるってわけ?それにしては、ヲルバの郷じゃ偉そうなことを言ってくれたじゃない。アガスティアタワーでも」

「君が自由だからだ。ユールを尻目に、好き勝手しているから……見ていると、腹が立つ」

「やっ……八つ当たりじゃないですか!なんだそれ!」

がっくり肩を落とすルカを睥睨しつつ、カイアスは剣を引いて踵を返す。その背中を見つめ、ルカは目を細めた。面倒を全て、一気に片付ける簡単な方法が目の前にあった。

今なら殺せる。女神の心臓を宿すというのなら、心臓だけ守れば良い。いくらでもやりようはある……。
そう、今なら。

ルカがそろそろと、背中に背負う剣に手をやろうとした……時だった。
後ろから突然、その手が掴まれた。

「ッ!?」

驚いて振り払い、飛び退きつつ振り返るその先には、銀の長い髪を髪飾りで纏める緑の目の少女が立っていた。その目は酷く冷たく、ルカを見上げている。ルカはカイアスに背中を取られることを恐れもう一度周囲を窺いカイアスの姿を探したが、もう見当たらない。逃してしまったらしい。
内心舌打ちするルカに、少女は問いかけた。

「カイアスを殺すの?」

「……ユールに邪魔されてなきゃ、殺してたよ。それが何」

「どうして殺すの」

「あいつは世界を歪めるつもりだから。……ねぇ、ユールはそれを望んでるわけ?」

ユールは視線を落とし、悲しげに微笑んだ。そして一言、「わからない」とだけ言った。

「でも、全てのユールがどう思うのかも、わからない」

「……望むユールもいるってこと?」

「おそらくは。望まないユールもいると思う。でも、全員の生命がかかっているから、誰も簡単には動けない」

カイアスの言う、全てのユールが生きる世界を理想とするユールがいるとして……他方、その世界を倫理的に拒むユールもいる。
後者がおそらく、今のルカと同一の思考。世界なんていう、大きすぎて知覚できない存在を守るために、自分を犠牲にできるかどうかの瀬戸際。世界と自分と、どちらを選ぶか。世界と永き幸福の、どちらを選ぶか。

「ねぇユール……女神を憎んでる?」

「……それも、わからない。不幸だからといって、母を憎むのは難しい。でも、ただ愛すほど寛容にもなれない」

「難しいところだよね。どんなバカでも、エトロは全ての生き物の母だから。単純にポイ捨てできるほどちっさい存在じゃないのよね」

「わたしには決められない。どのユールであっても、それはたぶん同じ。おそらく、最後の瞬間まで決まらないと思う」

ユールは感情の滲まない目でそう言った。最後の瞬間……ユールがどちらを選ぶか、か。
ルカには関係のないことだ。彼女たちが心の中でどう折り合いをつけようと、相当数いるというユール全員の想いが一致してカイアスを止めようとでもしない限り、もうユールはこの問題に関係できない。

「あなたは、エトロを憎む?」

「……まぁ、ちょっとはね。とりあえず保留かな。そもそも、私の気持ちなんてどうでもいいんだし。私は何も、決める必要ないんだよ」

「……わからないと言ったわたしが言うのはおかしいのかもしれないけど。そういうことは、決めておいた方がいい。特に、あなたは」

「え……」

突然目の色を変えてルカを見つめ返してきたユールに驚いて、ルカは戸惑う。ユールは足音も立てずにゆっくりと、ルカとすれ違うように歩き始めた。

「優先順位は決めておかないと、いざというとき困る。何かを選ぶときは、何かを捨てなければならない。女神か、世界か、……あの人たちか」

「あの人たち?……先輩たちのことを言ってるの?」

「そう。あなたの、大切なひとたち」

「じゃあ話は簡単じゃない。私が彼らを捨てることなんてあると思う?」

あまりにばかばかしい想像で、ルカは肩を竦める。ユールは表情を変えなかった。
背筋が寒いほど、彼女は無表情のままだった。

「でも、もう捨てた」

「え……?」

「あのとき、平気で自分の身を投げたあなたは、あなたを失いたくない人すべてを見捨てた。もう気づいてるはず。自己犠牲で満足しただけで、それが救いになんてなったはずがないと、あなたは思ったでしょう」

一瞬、目蓋の裏がちかちかした気がした。それが怒りのせいか、図星だからかは自分でもわからなかった。

「……それは、認めるけど。でも、だからこそもうしないよ。私だって成長してるんです」

「成長は退化と紙一重。いずれも人間だから負う過程。……わたしとあなたでは、成長なんて」

「できないって言いたいの?」

畳み掛けるように続く言葉を途中で断ち切って、ルカは眼差しを険しくして問うた。ユールの哀しげな視線が明らかにルカの高圧的な問いに肯定を返している。それに苛立って、でもルカは口には出さなかった。ユールは何世代も全く同じ姿で、おそらくほとんど同じ気質で生まれてくる。

ユールは人間らしく生きていた。カイアスはそう言った。ルカなどよりはるかにずっと、人間らしく生きていたと。
それならユールは、確かにルカより苦しんだのだろう。自己がひとつの繰り返しでもあるという事実。遂げられない変化……円環から外れて、正常に何かを学ぶことができないという絶望。

ユールは、哀れだった。

「……でも、何も学べないなんてことはない。一度諦めたら何も手に入らないなんてことも、絶対ない」

ルカは強い言葉で言い放つ。シドたちと出会ったのは、全て諦めた後だからだ。そしてシドたちと今一緒に居るのだって、あの時諦めた未来の延長である。
今、そこに立っている。神にどんなに踊らされたって、手の中で握り潰されたって、それで本当に全て終わってしまうかどうかはわからない。

強い言葉でそう告げて、ルカはユールに背を向けた。彼女にばかり構っていられない。シドたちを探さなければならないし、そのためにもここから出なくては。
ルカが門を開こうとした、そのときであった。

「わたし、あなたがうらやましい」

それは決して強い力ではなかった。
けれど全体重を載せた、躊躇いない背中への一撃で……だからルカは、その衝撃から逃れられない。

身体は不可視の闇の真上へと投げ出された。どこから発生しているんだかわかりようもない重力に絡めとられ、そしてどんどん落ちていく。
ユールが縁に立って、見下ろしているのだけわかった。銀の髪が、やはり風に揺れていた。







「……う、ううん…………?」

一瞬だけ、頭が割れそうに痛む。そのおかげで目蓋は開いた。その先は、単色だけの世界だった。ヴァルハラにも似た、温度なき世界。
一瞬本気でヴァルハラかと思ったが、そのうちになんとなく違うだろうなと思い直した。足だけさらされる水は凍えるほど冷たいが、ヴァルハラのような灰色一色ではない。

「どこ……ここ」

元から色のないヴァルハラとは違う。何もかもが枯れて、元々あったはずの色が褪せてしまったような印象。自分に一体何があったのか……思い出せるのは長い銀の髪だけだ。ルカは水から足を引っこ抜き、身体を起こして立ち上がる。そうして振り返ると、そこには一人の女性が佇んでいた。
ルカが起き上がるのをただ見つめて待っていたらしい“彼女”は、ルカと目が合うと皮肉げに笑った。

「久しぶりだな、ルカ」

「……ライト?」

ピンクブロンドの髪に、気の強い目許。わずかに上げられた口角と、見慣れた腕を組む仕草。
そこにいたのは、ライトニングだった。







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