でも嫌とも言えないの






「嘘……だろ……」

ルカはがっくりと膝を打った。狭い暗闇、そこはルカにとっては慣れ親しんだ場所だった。よく知っている、そしてとても大事な場所。
ルカの大好きなものがたくさん置いてあって、冷たい空気が頬を舐るといつも少しだけわくわくした。
そして、かつてここから旅に出た。それだけ思い出の多い、大切な場所だった。今このときも、ここから旅に出る方法を探してる。それなのに。

「何で溶接されてんだよぉぉぉ!」

ワインセラーの奥、エアダクト。
場所柄人間でも通れるような大きさのダクトがある。ルカはそこで、一人項垂れていた。

昔―ルカにとってはほんの二週間前程度の感覚に過ぎないのだが―部屋に閉じ込められたルカはここを通りぬけて司令室へと抜けた。ダクトなので当然四方八方に伸びまくっている。もちろん上下に移動するのは難しいので同階層にしか抜けられないが、それでもこの部屋さえ脱出してしまえばこっちのものなのだ。リンドブルムは大所帯で、シドがルカを部屋に閉じ込めたいなんてほとんどの人間が知らないはずだから。

それなのに。

「……ドアから出られないのはまだ理解できるよ?でもダクト溶接て、おかしいだろ、それもうダクトじゃないだろ、そりゃ鉄格子だもの空気は通るよでも点検とかどうするつもりなんだよ……」

「点検の時に取り外せばいいだろう?」

「……そんでまた溶接するんですか……あと独り言に返事するの縁起悪いですよ」

「縁起なんて気にするのか」

「幸先悪いときはね……」

知らない間に部屋に戻ってきていたらしいシドがすぐ後ろに立っていた。部屋に入ってくる前にはそれを察知していたが、ルカは振り返らなかった。シドは床に座り込んでいたルカの腕を掴み立たせる。

「諦めろ」

「ううう……あんまりだ……私は外に出たい、もう純粋に外に出たい。具合悪くなるこんなん」

「いいんじゃないか?外に出る体力もなくなってしまえ」

「鬼め」

ルカにはどうしても、心に引っ掛かる楔がある。それは奥深くまで埋まり、銃弾みたいに心臓を抉り続け行方も知れない。取り出す方法もわからなかった。視線の先に、だらりと垂れた腕がある。こうして見るととても白い。血の巡りが悪いことと、それから二年の月日がおそらく理由。下界は陽が強く差し、コクーンに慣れきった肌は少し焼けた。それが、二年の間に白くなったのだ。だからルカにはまるで突然白くなったように見えている。

それでも、まだうっすらと“痕”は遺る。左手の指。……薬指。白い痕が、付け根の辺りを一周していた。それはかつての絆の残り香のようなものであり、一度誰しもに否定された遺物である。不必要だと言われたそれに、二年前のルカは必死に縋り付いていた。しがみついてそのためにもがいて何もかもを代償にそのためだけに生き残って、そして最後に投げ捨てた。身に余ると気づくのが遅すぎたことを後悔し、でもそのお陰で味わえた幸福に笑みを返して。

ルカは自分がまだ混乱していることに気付いていた。だからその痕を見つめている。そこに答えはずっとあるのだ。自分は、また同じことをするべきだ。今度こそ確実に。シドから現在の政府の話を聞いて、いくつもいくつも聞いているうちに、自分の存在が本当に邪魔にしかならないことに気がついた。何もできない。元々有能な人間でもないのだから当然だが。
だから旅に出たい。捨てる前に、ライトニングの願いくらい叶えてやりたい。それさえうまく行けば、もういい。何もかもルカの望みの通り。欲を言えばジルとヤーグがまた人々の先頭に立っているところが見たいなとも思うけれど、それは自分が叶えてしまえるものではないとさすがにわかっている。

「……お別れをもう言ったはずだよ」

だから今、絶対に言うべきでないと思う言葉を吐いた。だって自由に生きてほしい。自分が関わらない方が、それはきっとうまくいく。ルカの面倒を見るくらいなら人間の面倒を見ろ。シドはそれができる人間だ。そして、できる人間にはする義務がある。
正しいことを言っていると自信を持って言える反面で、シドの顔を見る勇気はなかった。腕を握りこむ力は、あからさまに増した。

「あの時、別れてあげると言ったはず」

「……私は、いいと言っていない」

「でも終わったんだと思った。……ううん、終わらせたと思った。それがなぜかこうして息を繋いでるけど」

「それは、誰もそれでいいとは言わなかったからだ……!」

誰も諦めなかったんだ。誰も、君を忘れようとなんてしなかった。その言葉に、ようやくルカは笑った。ただ笑みというには、少し苦味が混じりすぎていたけれど。酷い笑みだと、自覚もある。

「ここにいろ。外に出るな。わかったな」

耳元で強い声音がルカを打ち、額にキスを落としてシドは踵を返した。彼が執務室に詰めているため、そのドアからの脱出が一番儘ならない。なんだかまるで、本当に愛されているみたいだと思う。やめてほしいな、と彼の背中を見つめてまた苦笑した。それではいけないはずなのだ。だってもう役に立てない、いらないのだから。
ジルとヤーグに会いたいな、と思った。今、無性に二人に会いたい。でもそれさえ簡単ではない。シドの仕事が終われば連れて行ってくれる、というのは昨日までの談で、とりあえずしばらくはよほどの理由でなければ彼と一緒でも外に出してもらえないようだった。

ルカは上を向いた。まだあるはずだ。何か、外に出る方法が。ダクトが使えないのなら……窓を割る?いやリンドブルム全体に迷惑を掛けるなそれは、とルカは最後の手段にとっておくことにした。飛空艇の性質上、表面に穴なんてあってはならないのだ。特にこの窓は、窓としては小さくとも穴としてはあまりに大きすぎる。やむなしという事態ならまあ、最悪割るが、それまでは別の手段を考えるべきだ。

視線を彷徨わせる。他にはどんな道がある。とにかくこの部屋から出られればいい。そして、しばらくシドにばれなければ最高だ。
ふと、目に入ったのは換気扇。

「……いやいや危険だわ、危険すぎるわ。風速20メートル弱の中をロック・クライミングなんて、いくらなんでも……」

しかも、この筋力の落ちた身体では。窓と違って、あの隙間をくぐり抜けるのはなかなか難しいから、無防備な体勢で身を投げ出すことになる。あまりに危険すぎると言えた。
でもそれは、今のルカにとっては見つけてしまった活路。それを今更放棄するには、危険だからじゃ理由が弱い。
欲を言えばせめてグラビティ・ギアか何かがあればいいのだが、無いものは仕方がない。結局外を目指すことになる。

あとは工具か、その代わりになるものが必要だ。ルカは部屋の中を探しまわることにした。抽斗を片っ端から開け、中を検分する。大抵が書類やら電子機器やらで、役に立ちそうなものはほとんど見つからなかった。微かに焦りを覚えながら、最後にベッドの側のチェストを開けた時。

「……あ」

そこには見慣れた指輪が、一つ。あの時シドに返したはずの、あの指輪。
あの様子では捨てていないだろうな、とぼんやり考えてはいたものの、こうして実物を見ると戸惑った。貧血みたいにくらくらする。これは……これは、どうするべきなのだろう。ルカは恐る恐るそれをつまみ上げた。あの頃より綺麗になっている、気がした。汚れや傷が消えている。

「どうしたらいいんだろう」

ルカにはわからない。ルカには何も、わからない。
指輪をひとしきり眺めた後で、ここに残していきたくないなと思った。その理由さえもわからないが。
ルカはそれを、薬指に嵌めなおした。ただし右手に。本当は中指にできたらもっと良かったのだが、さすがにサイズの関係で厳しい。

そうしたことで、なぜか逆に覚悟が決まった。もう、どんな方法でもここから出なくては。そして行き先を定めて、また走る。息を深く吸い込んだら、ただひたすらに真っ直ぐ走るのだ。できることがまだきっとある。だから、ライトニングは己を起こした。
ライトニングは仲間だ。その望みは叶えたい。
そしてそれだけでもない。……ライトニングが起こしてくれなければ、自分は二度と彼らに会えなかったかもしれないから。あの時身を投げて、死んだはずだった自分が違う未来を垣間見れたのは彼女のおかげだと思うからだ。

キッチンに駆け込むと果物ナイフを引っ掴んだ。そして換気扇の下に近くの椅子を引き寄せるとその上に飛び乗り、換気扇の目の前に顔を寄せる。覆うカバーのビス留めにナイフの切先を突っ込んで回す。全てのビスを外したら、カバーを足元に投げ捨て次は網そのものを外していく。そしてファンを引き抜いたらまた外へ繋がる網を外す。人一人通れるか通れないかぐらいの小さな穴がそこに現れた。外から風が強く吹き込む。果物ナイフは腰のベルトに挟み込んだ。また別の換気扇を開けるのに必要だからだ。
ルカは一旦椅子から飛び降りると、自分の荷物が纏めて置いてある小部屋のドアを開けた。そこで一番風通しの悪そうな、綿の細かい服を探す。見つけたワンピースを
ダウン地のジャケットで包み、また換気扇のところへ戻った。そして、服を足の間に挟み込み、換気扇に後頭部を向けた。

「……っふー……」

膝を屈ませ、両手を上に挙げる。そして、穴の外へ両手を突き出した。手を動かして、取っ掛かりを探す。掴めそうな場所を見つけたら、今度は腕の筋力を使って全身を浮かせた。思ったよりはうまくいき、何度も引っかかりながらも外に上半身を押し出した。そしたら今度は下半身だ。足を片足だけ引き抜いて、片手を中に戻しもう片方の足の膝裏で掴んでいたあの服の塊を掴む。それを何とか引き抜いてから、足を両方揃えて外に出した。そしてルカは、服の塊を換気扇に押し込んだ。上手いこと詰めて、ちゃんと塞いでくれるようにする。これでしばらくは気づかれないだろう。

風が強い中、ルカは目をちゃんと開けていられない。それでも先に進む。
リンドブルムは外にも大量の配線がある。すでに使われていないものが殆どで、それを掴めば表面を動き回れる。怪しい虫のようだな、と悲しい自己評価を下しつつ、ルカは下層に向かうために動き出した。
こういうものは大抵、降りる方が面倒くさい。けれども言っていられないので、ゆっくりと足場を確かめながら降りていく。途中何度も落ちそうになりながら、しかしその内にやっとまた換気扇に辿り着いた。かなり下層に降りてきた。最下層にもきっと近い。

ルカはナイフを腰から取り出し、またビス留めに突き立てる。それは先ほどよりずっとずっと難しい行為だった。なんせ強風の中で、足場も安定しない。力が上手く入らないのだ。しかし苦労したのは表面の網を外した時だけで、後は向こうから開いた。ファンを外すと、中の人間と目があったのである。

「ジル!ヤーグ!」

「ルカ!?」

中からヤーグが開けてくれて、ルカが両腕を中に差し入れると掴んで引きずり入れてくれた。ヤーグに抱え上げられ、投げ出されずに済む。
ほっと安堵の息をつき、早い鼓動を押さえるように壁に身を預けた。と、ジルが手を伸ばし、乱れた髪を整えてくれる。顔に付いていただろう煤も拭ってくれた。……シドだけでなく、この二人もやはり行動が甘い。最初は嬉しいだけだったとしても、続くと違和感が大きい。

「良かった、うまくいった……二人のところに出られるとは、思ってなかった」

「どうしてあんなところから……!危険にも程があるだろう!」

「先輩が部屋から出してくんないんだもん!でも二人にも会いたかったし、ちょっと外に用事……が……」

そこまで言ったところで気がついた。この部屋は、変な感じがする。大量の書類も、壁際に積まれた大量のダンボールも。
……ここは資料室だ……それも、閲覧する必要もないような、古い資料ばかりを閉まっておく場所。ルカは困惑する。

こんなところで二人は一体、何をしているの?

「……もしかして……、」

嘘でしょう?そう呟いて机に歩み寄り、拾い上げた。ジルの字で終了とメモがある。……嘘でしょう。

「待っておかしいよ、こんな仕事……何で二人がこんな仕事させられて……ッ」

明らかに無用な仕事だった。あからさまに気が狂いそうな位、二人に任せるにはゴミにも等しい仕事。一体誰がこんなことを……!
そこまで考えて気がついた。そんなの一人しか……居ないじゃないか……。

「先輩は何を考えてるの……!」

「……あの男を弁護する気はないけどね、仕方がないのよ。私たちは、もう人前に顔を出せないから」

「そうなると何もすることがないからな。ここでできる仕事を請け負ってる。今日やってるのは確かに不必要な仕事に見えるかもしれないが、いつも“そう”なわけじゃない」

ざわり、と。背筋を嫌なものが這い上がるような気がした。
ぴりぴりと肌を焼くような苦痛から目を逸らして俯くと、気遣わしげなジルが隣でルカの背に触れ「外に用事って?」と訊ねる。

「ちょっと、会いに行かなきゃ行けない人がいるんだよ。でも先輩が許してくれそうにないから、出て行こうと思うの」

「出て行く、って……それって、あの男は……」

「知らない。だから換気扇なんてものを通って出てきた」

「……どこに行く気だ」

ヤーグがじっとルカの目を見つめる。

「ネオ・ボーダム……だっけ。スノウくんが作ったっていう、その街に行きたい」

「そうか。すぐ行くのか」

「あ、えっと、うん。すぐ行くけど……」

「着いて行く」

「……は、え!?着いてくんの!?」

驚いて目を剥くルカにはもう視線もくれず、ヤーグは椅子に掛けられた上着を取り袖を通し始めた。が、ジルが鋭い声を上げて止めた。

「ダメよ!あの男、今ならきっと地の果てまでもルカを追うわ。解ってるでしょう」

「それは理由にならない。ルカが行くんなら私も行く。……放っておくと何をしでかすかわからん」

珍しく、本当に珍しく、そう言ってヤーグが微かに微笑んだ。眉間の傷と皺が和らぎ、ルカは面食らう。こんな顔を見たのは年単位で久しぶりなのだ。
驚いているルカの隣でジルが頭を抱える。

「……私も、行きたいけど。でも無断は拙いわ。ちゃんと話し合うべきよ、時間が掛かっても説得したほうがいいわ……」

「ジル……ジルも、おかしいよ……!ジルがそんなこと言うはずない。先輩と話し合えなんて言うはずない!……ジルも、ヤーグも、リグディもおかしいよ……先輩は一番変、何も聞いてくれなくなった!!何で?何でみんな……みんな、こんなふうに……!」

「……お前にはわからないか」

ヤーグが一歩、ルカに歩み寄った。なんだか威圧感を覚え、ルカは戸惑う。それは変な表情だったのだ。さきほどの笑みよりずっと。
怒るでも嘆くでもない。呆れるでも恐れるでもない。ただ静かに、ヤーグはルカを見つめている。

「お前を責めるつもりはないけど。ああやっていなくなることで、俺達がお前の言う、“おかしい状態”になるとは思わなかったか。悲しむとか、懐かしむとか、その程度で終わると思っていたのか。忘れろと言ったから、本当に忘れてなかったことにしてしまえるとでも思っていたのか」

「や、ヤーグ……、」

「二年間か。……短いよな。今はそう思う。過ぎてしまえば一瞬だ。……でも甚振られるには、長かった」

ヤーグはそう言って、また笑った。ただし今度は、少し苦い。
ルカのすぐ隣で、ジルがふっとため息を吐いた。それから柔らかく微笑む。

「……いいわ。行きましょうか。確かに私らしくないわね、あの男がどう思おうとどうだっていいもの」

「二人とも着いてくるつもりなの?でも……でも、あの、……来ないでほしいよ、私は……」

「着いて行くわ。絶対に。何が待ってても、今度は手を離さない」

不意に、ジルがルカの手を握りこんだ。そのまま強く引き寄せられ、肩にまたジルの額が押し付けられる。らしくないほど甘いのは、さっきのヤーグの言葉が原因なのか?ルカはどうしようもないことを考えた。
それでも嬉しさが先に立つのだから、自分は本当に最低だ。これから危険すぎる旅に出るというのに。

「あれから何があったのかは、道々説明してやる。行くなら急ぐぞ、ほら」

ヤーグが狭い資料室の出口に立って、ドアを開けて待っていた。ルカはジルの手を引いたまま、ヤーグとも一緒に三人外へ飛び出していく。
すぐ近くに小型飛空艇のドックがある。また新しい、旅の始まりであった。
ただし今度は、誰より愛しい人たちと共に、幸せの中で。







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