そして世界はまた花開く
目が覚めたら、今度は特に暗くはなかった。
っていうかここ見覚えあるわ。どこだっけ……寝ぼけてんな私、とベッドに寝転がったままで思う。ああでも……うん、思い出した。ここは知っている部屋だ。
起きなければと腕に力を込めた。が、まるで動かない。それどころか鈍い痛みが走るばかりで起きられそうになかった。どうしてだろうか、身体がひどく重い。まるで長い間、眠り続けていたみたいだった。
「……ううーん…………」
長い長い時間を掛けて、それでもなんとか身体を起こしてみた。関節から音でもしそうなくらいに全身が強張っている。ふと、己の身体に何かがまとわりついているのに気がついた。腕には点滴の管。更に胸にも、なにやら貼ってある……どうやら心拍数を測定する機械のようだ。
なんで、と呟きながら彼女は無理矢理に針を引っこ抜き、胸元のパッドも剥がした。見れば明らかに病人が着るような衣服である。えっ待って、私病人なの?どこか悪いの?点滴抜いたのマズった?私は全て引き抜いてしまってから、当惑し意味もなく視線を彷徨わせた。
「……いや、もう今更だしいいや……それにしても、ここって……どうして、私ここにいるんだろう」
視線を彷徨わせる。決して広くはない、でも狭くはない部屋。窓が一つしかないのは残念だけれどそれは仕方ない。空母とはいえ飛空艇だから。
それにしても、家具の配置は同じなのに、どことなく前までと違う気がする。そんなに久しぶりだっただろうか?
立ち上がり、窓辺に寄った。
「え!?あれ、え、嘘……コクーン……?」
光を受けて輝くクリスタルの柱と、その上に鎮座するコクーンがとても遠くに見えた。どういうことだ?ここは下界なのか?でも……リンドブルム、だよね……?首を傾げて振り返る。と、部屋のドアが大きな音をたてて外から開かれた。
「ルカ!!」
「あ、はいルカさんは起きてますともー……あれ?先輩、どしたの?」
それはよく知る男だった。シド・レインズ。背が高く大柄で黒髪で、いつも皮肉を飛ばしてくる先輩……。そんな彼は信じられないという顔で私に歩み寄ると、突然ぐいと抱き寄せた。
「わぷっ……、え、何?どしたの、悪いもんでも食ったかー?」
「…………」
「まさかの無視ですかおい」
強く抱かれ、少し痛い。私は彼の腕の中でもぞもぞと動き、手を伸ばして彼の背中を叩いた。と、一瞬先輩の肩がびくりと跳ね、それからゆっくり私は解放された。ただし腕は掴まれたままだったが。見上げた彼が少し憔悴しているようにも思えて私は戸惑う。一体どうしたというんだ……。
と、バタバタと駆ける音がして、誰かが部屋に飛び込んでくる。人数は二人。
それもまた、私のよく知る二人だった。
「あ……ルカ……っ」
「本当に……目を覚ましたのか……」
「……。……うわああああジルの髪が短いいいいい!!」
私は飛び上がり、先輩の手から逃れるや否や、彼女――ジルに掴みかかった。ジルは肩口より少し下程度に切り揃えられた柔らかい金髪を揺らして睫毛を瞬かせる。それからすぐ、感極まった顔で、自分の両肩に手を置く私に抱きついてきた。
「ルカ……!!」
「え、何ですジルまで……サービスデーかなんかなの?そんな制度があるなら何で今まで適用してくんなかったのさ、……っておいヤーグ!?ヤーグ!?男泣き!!?」
「やかましい……!」
もう一人の友人であるヤーグはもう私の方を見もせず、片手で額を強く押さえている。泣いている、というか、泣きそうなのを必死に耐えているように見えた。
私は振り返って、この事態の理由を先輩に問うた。
「本当にどういうことなの?」
「……なんでもない。なんでも……ないんだ。ほら、いいから仕事に戻りなさい。……ナバートもだ、早く」
「い、や」
「嫌じゃない、ロッシュ!連れていけ」
「あー……はい。ほらジル」
「い、や、って言ってんでしょ」
ジルはぐりぐりと、肩に額を押し付けて離れない。ので振り返り、先輩に怒りの目を向ける。珍しくこんなに甘えたなジルなので堪能したい。そもそもこいつらは怒り以外の感情の発露がまるで無いから、こんな機会を逃すわけにはいかない。そういう意図を込めて睨めば少したじろいだ気がした。え、この人たじろいだりするんだ。
しかもそこにリグディが慌てて駆け込んできて、「おお……カサブランカまじで起きてる……じゃなかった、閣下、問題が」といかにも申し訳無さそうに言ったので彼は結局仕方ないと言いたげに踵を返す。
「……隣の部屋に居るからな。ロッシュ、見張っていろ」
「さすがにこいつも見張らなきゃならないようなことはしませんよ」
「信用できん」
先輩は部屋を出て行く。……なんていうか……えっと、なんていうか……。
「なんか……先輩と二人、距離が近くなってない?有り体に言えば仲良くなってない?なってるよね?」
「気持ち悪いことを言わないで」
「……あれ、待って、ヤーグも髪切った?ついに?え、何よ二人して……も、もしかして失恋とか?」
そう問うた瞬間、二人はうっと喉に息を詰まらせた。ヤーグに至っては咽た。なんというわかりやすい反応……マジに失恋なのかよ……!
私は打ちひしがれた。
「おい、どうした?」
「いや……相手が私じゃないのがなんか悔しくてだな……」
「は?」
「っていうか髪のことなんてどうでもいいのよ。身体は大丈夫?具合悪いところない?」
「んー、特には感じないかな。ちょっと身体重いけどそんだけ。……っていうか、あれ?私も二人も、何でリンドブルムにいるわけ?私は何で寝て……、え?」
さっきまで何してたんだっけ。よく思い出せない。でも……ライトに会っていた気がする。ライトはコスプレもしてたような……。なんでや。夢かな、場所も変だったし……ううん……しかし。
「……長い夢だったなあー」
「本当にね」
ジルはぐすりと鼻を鳴らし、また私の肩に額を押し付けた。ういやつういやつ。
「ねえ、ここってリンドブルムだよね?それに、下界だよね?」
「ええ。今は……軍、というわけではないけれど、騎兵隊をそのまま、名称だけ変えて広域パトロールと新地開拓を行ってるのよ」
「はぁー……思ったよりうまくいってるのかな、さすが先輩ってかんじ?」
私は感心してまた窓の外を見つめる。真っ昼間で、とても天気がいい。と、また外からドアが開かれた。開けた方のリグディはジルの様子に一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに顔色を戻して手招きした。
「カサブランカ。ちょっと来い。ナバートたちも来ていいから」
「ん?んんー……」
よくわからないながら、来いと言われたので向かうことにする。部屋の外に出るとそこは変わらず執務室で、手招きした当人のリグディは椅子に腰掛ける先輩に向かって微かに首肯した。ということは、これからリグディがすることは先輩の命令なのか。でも、なんで私を呼ぶんだ?
その疑問の答えはすぐに出た。連れて行かれた先は、医務室だったのだ。
「ねえ、私別にどこも悪くないんですけど」
「それを今から調べんだよ」
そもそも医者嫌いというか、医務室の臭いが好きじゃない私は嫌がるが、リグディはまるで取り合ってくれない。いつものことだ。
そうして医務室に放り込まれると、知った若い医者が一人と知らない老いた女医が一人、連絡でも受けていたのか待ち構えている。何なんだ一体?
「私が付き添うわ」
「俺は外で見張ってる」
「……じゃあ、終わったら閣下のところに届けてくれ。間違っても勝手にどっか行くんじゃねえぞ、高度200メートルから投げ捨てられたくなきゃな」
「わかってるわよ」
「……なにさ、物騒だなー」
顔をしかめると、リグディは肩を竦め「お前のせいなんだけどな」と呟いてさっさと踵を返し医務室を出て行く。ヤーグもそれに続いた。ジルは本当に立ち会うつもりらしく、勝手に椅子を引き寄せて一人だけ腰を下ろした。私はといえば、病人着のままなので、診察台に腰掛けさせられるや否や前を開かれ聴診器を当てられる。てっきり私も知っている、リンドブルム歴の長い彼の方が診察をするのだろうと思ったのだが、少しばかり年かさの女医が私を診はじめた。
「……心拍は正常だし、特に異常はなさそう。……傷も、特に変化はない」
「傷?傷って……っルカ、何よそれ!?」
ジルが覗きこんできたかと思うと、彼女は絶句し目を見開いた。傷って……ああ。
腹部に視線を落とすと、確かに潰れた花のような、直径にして十五センチ以上はありそうな傷が大きく脇腹に広がっている。確かに奇妙な傷だが、もうずっと前からあったような気がした。
「どこでそんな……!ああ、下界を旅していた時?もう、こんな大きな傷をつくるなんて……」
「……ううん?これは……コクーンで作った傷だと思うよ」
そう言うとジルは視線でどういうことよと問うてきたが、思い出そうとすると頭が痛んだ。目を細め額を押さえるとそれを女医が見咎め、「検査も必要ですね」と呟いた。うへぇ。
さすがに検査にはついて来られないので、ジルを診察室に残し私は女医と奥の部屋に入った。CTスキャンか……脳の断面図なんて見ても面白くないんだが、まあいいか。
「じゃあ横になってくださいな」
「あの、あなたはいつからここで働いてるんですか?会ったことありませんよね?」
「いいえ、私はもう何度も何度もあなたに会っていますよ。ここに勤めて二年近くになります。その間、ほとんど毎日あなたを診てきました。専属みたいなものです」
「え……?」
凄まじく奇妙な答えをされ、詳しく聞こうと思ったのに、装置に入れられるや否や「息を深く吸って、吐いて、そのまま止めて」と指示が飛んできたので、聞き返すこともできずそれに従った。そしてそれが終わるとスキャン室を出され、その先には当然またジルがいる。
それなら、とジルに問うことにした。
「ねえジル、さっき女医さんがね、二年も私を診てきたって怖いこと言ってたんだけどどういうこと?」
「……、そう。そんなこと言われたの。……きっと頭の可笑しい医者なのね、あとであの男に報告しておくわ」
「え……」
「あんたはもう何も気にしなくていいの」
ルカが目覚めたんだから、もう要らないしね。そう言ってジルは酷薄そうに笑った。その笑みが少し怖くて身震いする。ジルはこういう人だけど、それでも。
「結果はどうせあの男しか見られないんだから、帰りましょうか。ルカの姿が長時間見えないの、よくないと思うわ。リグディが心配した通りにね」
「え、何のはなし?」
「こっちのはなし。ほら、行きましょうか……前合わせて。戻ったらもう着替えましょう」
「んー」
ジルが一切の躊躇なく私の手を握りこんだ。幼子にするみたいに、優しい手つきで先導する。彼女らしくない仕草に戸惑ったけど、嬉しいから突っ込むのはやめておこう。やめられたくない。
外に出るとヤーグが待っていて、ヤーグはジルと繋いだ私の手を見つめ、得も言われぬ生暖かい目をした。てめえ!と思ったが、ジルはまるで気にしない。おかしいな、いつものジルならこの二十分でもう十回くらいキレててもおかしくないのだが。まあいいや、嬉しいから。
三人でさっきまで居た先輩の部屋に向かう。途中すれ違った兵士たちが驚いた顔で二度見してきた。最初はジルとヤーグがリンドブルムに居るのがおかしいのかと思ったが、違う気がした。
いや確かに、一度目はジルとヤーグに睨むような視線が向けられる。しかし二度目に見られているのは私だった。つまりジルとヤーグがここにいることは“良いことじゃないけどおかしくはな”くて、私がここにいるのは“おかしなこと”なのだ。
いちいち問いただしたい願望に駆られるも、両脇をジルとヤーグに固められしかも手を握られているのでルートを外れることはできない。だからといって二人に訊ねることなどできそうもなかった。両隣のジルとヤーグは険しい顔をまっすぐ前に向けていて話しかけることさえ憚られたのだ。
何なの、これは。執務室の扉を開けると、先輩は立ち上がった。近くでリグディが少しぐったりしてるように見える。
と、リグディは苦笑しつつ歩み寄ってきて、ジルとヤーグに退室を求めた。というかむしろ外に追いやって、自分も一緒に出て行く。
「え、ちょっと、」
「ルカ」
二人ともっと話したりしたいのに、と思ったが、後ろから近づいてきた先輩に腕を掴まれ制止することは叶わなかった。
さらに、私室へと連れて行かれるのにも抗えない。物理的に。ほら、先輩強いから。力は決して強く込められてないのに、振りほどけそうにない。彼はそういう人なのだ。
「ねえ、先輩?仕事は大丈夫?」
「ああ、今終わらせた。あとはリグディがなんとかする」
「おおお?先輩らしからぬ発言ですねえ」
リグディにまかせて大丈夫ですか、と軽口を叩こうと思ったときだった。先輩の手がゆっくりと、私の輪郭をなぞる。目が苦しそうに細められた。どこか痛いの、と聞こうとして、それがキスの距離だと気がついた。それでもこういう触れ方はあまりされるものじゃなくて、だからどうしていいかわからない。
と、唇は合わせられた。別に嫌とか、そういうことはなく……つまり構わないのだけれど、純粋に反応に困る。だって意味もなくいちゃつくとか、あんまりしたことないのに。
ざらりと彼の舌が上顎を舐める。反射的に肩が跳ねた。それに気をよくしたらしい先輩に舌を吸われ、背筋が震えた。
しばらく続いた口吻から解放された頃には、体温が上がって息も荒くなっていた。先輩の目が愉悦を訴える。まるで愛されているみたいだなぁ、と他人事のように思った。
「身体に異常はないか」
「……みんなそれ聞くね?私、なんか病気なの?この格好もそうだけどさ……それにここ、下界だし。あれから何が……あったの、か……」
あれから。
そう言ったとたん、頭痛がまた眼の奥に刺さった。あれから、って……いつのことを言っているんだろう?私は何の話をしているの?
「君は……何も気にしなくていい。そうだな、今現在の話をしようか」
そう言って先輩は私を抱き上げベッドに運ぶ。というか抱きかかえたままで、先輩もベッドに腰を下ろした。なんというか……さっきから、行動が甘い。触れ方もそうだし、なんだか大事に扱われている気がするというか。それはとても幸せなことなのだろうけど、今は違和感が大きい。
「今我々がいるのは確かに下界だ。君も知っているだろう、ホープ・エストハイム。彼の父親のバルトロメイ・エストハイム氏にも協力を仰ぎ、聖府とは違う国家体系を作り上げている。アカデミーというんだよ。下界を研究して、よりよい生活をするために努めてる。私たちもその関係で、今は広域をパトロールしつつ同時に土地を開拓している」
「ん、騎兵隊が名前だけ変えたんだよね?さっきジルがそんなよーなこと言ってた」
「ああ。……というか、わかりにくいから正式名称を騎兵隊にした。軍じゃないから旅団でもないしな。今は民間企業の形態で下界中を飛び回ってる。コクーン内部に行くこともある」
「そっか……ねえ、ライトたちのこと知らない?みんなどうなったかな」
「ああ……そうだな。スノウ・ヴィリアースとセラ・ファロンたちはネオ・ボーダムという村を作ったようだ。先程言った、ホープ・エストハイムはアカデミーに入って、かなりの好成績をたたき出している。あのぶんなら、すぐにアカデミーのトップに登りつめるだろう」
「ホープくんすごい!あの子がんばってんだなあー……まあ賢い子だったしなー」
「サッズ・カッツロイは騎兵隊とも関わりのある仕事をしている。アカデミー専属のパイロットとして、彼もまた下界中を飛び回っている。それから……ファロン軍曹は、亡くなったそうだ」
「……え?」
私はゆっくりと、先輩にあずけていた上体を起こした。今……なんと?
「詳細はわからん。だが、ルシたちが口を揃えてそう言ったからな。疑う余地はない」
「そんな……え?待っておかしいよそんなの、ライトが……死んだって、そんな……どうして?戦いには全員で勝ったし、ライトニングも……生きて、た……っ……!!」
痛い!!激しい頭痛に思考はジャックされる。割れるように頭が痛い!!死んでしまいそうに苦しい!!
先輩が慌てて私を抱えなおし、立ち上がった。医務室に連れて行くつもりなのかもと思う。ああでも……痛かったのは一瞬で、少しずつ治まってくる。
「先輩、……大丈夫。私大丈夫だよ」
「頭痛がするのか?CTの結果を早く確認しないと……」
私を抱き上げ部屋を出ようとする先輩の胸を叩いて制止する。喉元過ぎればなんとやらで、今はここから動きたくない。このままこの体温に甘えていたい。
「なんかね、さっきから何か思い出そうとすると頭が痛くなるの。おかげで何も思い出せない……ねえ、私たちに何があったの?」
「……思い出せないなら、思い出さなくていいよ。君はここに居ればいいんだ」
先輩の手が優しく背中を擦る。それがどうしようもなく心地良い。暖かいし、少し眠くなる。先輩の首裏に腕を回して抱きつくと、強く抱きしめられた。なんかよくわかんないけど幸せですなぁ。
なんだか、途轍もない違和感だけが、心の奥底で騒いでいたけど。
幸せすぎるから、私はそれに必死に蓋をした。見ないふりを、していた。
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