亡霊はまだ君を待つ






不可視世界を渡るとき、大抵はルカがなんとなくで出口を選ぶ。扉から引き寄せられるとき、既にルカはそこを出口だと決めているのだ。
なのに。

「っづ、あああっ!!」

不可視世界の中、突然激痛が全身を襲った。隣のジルとヤーグも多分同様。確かめる余裕はないが。
そして突発的なその苦痛が消える頃には、もう出口から弾き出されていた。





「……う、うう……?」

「ぶ、無事……?ルカ?ヤーグ?」

「私は無事だぞ……」

「わ、私も生きてるみたいデース……」

痛みからやっと解放されて、自分たちがどこか堅い地面に転がされていることに気がついた。ここは……ここはどこなのだろう。暗い。時間はおそらく夜半、ぽつぽつと細かい雨が降っている。靴の裏の感触はコンクリート……どうやら高地に築かれた場所のようで、鉄製の手すりが周囲を囲っていた。
ルカはゆっくりと、しかし警戒しつつ様子を窺った。……何だ、この臭いは?ジルに手を貸して立たせながら、ヤーグと目を見合わせて頷く。これは血の臭いだ。雨の中でさえ伝わってくるそれはただの血ではない……流れて流れて凝り固まってそれからも更に時間が立って、腐ってしまったあの臭い。

ルカはよく知っている。これは、シ骸の臭いだ。

「やばいよシ骸がいる……ジル、プロテスとシェルお願い。余裕があったらブレイブも」

「シ骸って、あのシ骸か?ルシの成れの果ての!?」

「そう、あのシ骸だよ。ルシとしての使命を果たせなかった連中だから大抵はそこまで強くないけど……」

でもなんでシ骸が?ここはいつなんだ?ファルシはほとんど休眠したって、誰かが言っていなかったか。ファルシがいないのにシ骸なんて生まれるはずが……。
ふと、ぶわ、と強い風が空気を裂いてルカの頬を舐る。そして気配を感じ取った。ガスト……飛行タイプの、最も種類の多いシ骸。数十匹にも届きそうなほどにやかましい、大量の羽音。ああ、そうだった思い出した。

「あいつらなぜか、群れで行動すんだよ!!」

使命は全員違うくせに!ルカは怒鳴り、剣を構えた。ハイペリオンは都合により使う。整備が面倒くさいから、あまり傷つけたくないのだ。
隣でジルがエンハンス魔法を掛けながらライフルを構え、暗闇を裂いて断続的に銃弾を放つ。火花が散って、ガストが数匹落ちた。

「ちっ……暗すぎるわ。雨なのもよくない」

「仕方ないね……ねぇちょっと、二人のどっちかふつーの魔法……っていうか、炎とか氷とか雷とか使えます!?」

「私が風を使ってあんたを助けたの忘れた?」

「そーうでしたそうでしたぁ……!炎をこう、ぼわっと、軽くやってもらえません!?宙に浮かべる感じで!」

「敵に当てなきゃ意味ないんじゃ……ああもういいわ、わかったやるわよ!」

ジルが数十センチ大の炎を空気中に放つ。ルカはジルの腕を引いて背中に庇い、そして炎に向けて跳ねた。
ルカは魔法を使用するのが苦手だ。行使することと顕現させることは根本的に異なり、ルカは魔法を生むことができない。エトロの瞳だから?いや、それは関係ない……魔法を使うには混沌を多く抱えていることが重要だからだ。瞳ほど多く混沌を抱く者はいない。しかしユールもおそらく自分同様、魔法を創りだすことはできないだろうなとなんとなく思う。そう思えば、瞳に限った話なのかもしれなかった。
多分、それはもうずっと昔からだと思う。そうでなければ、コクーンにいた間に魔法を間違えて使ってしまうことがあってもおかしくなかった。

でも、ギア魔法を扱うのは得意だった。

「うらぁあああああ!」

一瞬で爆発的に肥大した炎は一気に空気を焼いて、ガストの群れを包み込んでいく。それがルカにも見えていた。雨の中でさえ炎が照って光を撒き散らし、おかげで今居る場所の全容が僅かな時間だけでも窺えた。

おそらくは街。それもかなり大規模で、隔離された場所。大気圧が少し低い気がするから、宙に浮かんでいる可能性も考慮される。
コクーンの最新鋭を集めたかつての首都エデンと同等か、それ以上にハイテクノロジーな街であるように思われた。しかし建築様式はエデンのものに近そうだ。エスカレーターが張り巡らされ、全体的に高低差が大きい。ある程度の地形に限定して街を築いたのではないだろうかとルカは考えた。つまり、ここは“できた街”ではなく“作られた街”。

「……アカデミーかしら。こんな大規模なことをするのは……それぐらいしか思いつかないわ」

「そうだな。何年経っているにせよ、アカデミーの組む流れが途中で寸断されたとは思えん」

「アカデミーようわからん」

「今はわからなくていいわ。まぁ……作ったのはほとんどあの男よ。それだけでよくわかるでしょ」

「ああ、そっか。先輩が作った機関ならきっと千年だって保つね」

そしていつもながら思考がそこまで至っていることを前提として、会話は展開する。
だからジルの説明に納得して、ルカは視線を彷徨わせた。ともかくこの時代でも、セラを探さなければ。ゆっくりと歩き出す。
と、ルカの耳に奇妙な音が届いた。ぶわんぶわんとハウリングするみたいな、本当に変な音。ジルとヤーグもまた、足を止めて音の発生源を探して周囲に視線を巡らせる。

「ねえ、この音なに、」

『……みつけた…………』

ルカが二人と話しあおうとした瞬間、その音の中に一瞬だけ声が混じった。
それはとても聞き覚えのある声。いくつもの声が重なった、どこかで聞いたはずの声。……でも、誰の?そしてどこで?

「何……今の……」

「わからないわ。何なの今の声?気持ち悪い……」

「いくつも重なってなかったか?」

「聞いたことある。一回だけ」

ルカは頭を内側から揺らすみたいな頭痛を感じ、全身を硬直させ額を押さえる。酷い痛みがある。何だこれは。……ああ、目覚めた直後に何度も感じた頭痛じゃないか。
自分はまだ、思い出していないことがある。そうだ……何か忘れている。この声だって、知っているはずなのだ。

「……どこでだっけ……聞いたんだよ、みんなで聞いた……!みんなで戦った!あの声は確か三つぐらい重なって……だって顔が、三つ……で……!!」

自分の目が無意識に見開かれた。そしてそのまま動かない。
ああ、なんてこと。

「オーファン……なの……?」

でもあの時、オーファンは確かに死んだのに。そうでなければコクーンが沈んだはずがない。
ならどうして?どうして、こんな声がする。再現したやつでもいたのか?しかし、この声を聞いたことがあるのはルカたちだけだ。いや……ライトニング、ホープ、スノウ、サッズ、ファング、ヴァニラ……そしてルカ。その七人しか知らないはず。あるいはバルトアンデルス?けれどあいつも、死んだはず。
ならばなぜ?

ルカが考えたくもない疑問に震えた時、バチッと電気系統がショートしたみたいな音が空気を伝播して肌を打った。音の発生源を見ると、それは街の案内板らしき電光掲示板だった。
と、突然。文字が濁流のように、左右両側から噴き出して画面を埋め尽くした。

「何あれ!?」

「ショート……じゃないわね。ウイルスソフトでも仕込まれたんじゃないの?」

「気味が悪いな……」

気味が悪い?そんなものじゃない。それどころか、これは……。

「待って、文字が集まってくわ」

飛び交っていた文字が規則性を纏ってフレーズを作りながら、画面を新たに覆い始める。
それはパチンと音を立て、ルカには信じたくない文章となった。

「じ……人工、ファルシ計画……?」

――予言の書により予見されし未来、コクーンを支えるクリスタルの柱は近い将来崩壊することが確定的となった。
――アカデミー最高議会の18回に及ぶ議論の末、新たなコクーンを創造することが決定する。
――新たなるコクーンの動力源とするためファルシ=エデンの素地を流用。
――コクーンが離陸し空に浮かび上がるまでの間、旧コクーンにて動力に関するコンソールコマンドを可とするメインブレインとして活用される。

そのファルシの名は。

「……デミ・ファルシ=アダム……」

作った。ファルシを。誰が?……誰であれ人間だ。
そんなこと可能なはずがない。人間がファルシを作るなんて正気の沙汰ではない。そもそも、ファルシという存在は二柱たるリンゼ神とパルス神が生み出す手駒である。対して人間はエトロの血から産まれた存在で、つまりは系統がまるで違うのだ。組む流れが違う。

だから、ファルシは人を産むことができない。逆に人間がファルシを産むこともできるはずがない。

それなのに、この掲示板が伝えることは、ルカの常識を否定する。

「ファルシを作った?……コクーンが崩落するから?そんなことのために……ファルシ=エデンを流用したって……!!」

「ルカ、落ち着け、」

「落ち着けない!!だって、だってファルシのせいで何百何千って人間が死んだのに!どうしてこんなことを!?コクーンが浮かばないなら地表で生きればいい!そのほうがずっとマシだよ……!」

ルカは怒鳴った。ヤーグに言ってもジルに言っても無意味だと知っているはずなのに、必死になって。
と、また電光掲示板から音がした。パチン。

――知りたいのなら、また不可視に身を投げよ。

「……誰なの、あんたは……」

「ルカ……よくないわ、だめよ、こんな文字を見てはだめ」

後ろからヤーグが腕を掴む。引いて、掲示板から引き剥がそうとするけれど。

「おいルカ、見るな!」


パチン。


――人がファルシを作った、その始点で“シド・レインズ”が死んだとしても?



暫しの沈黙があった。
雨は少しずつ強くなり重みを増して、ルカの頬を打つ。ルカは一瞬空を見上げ、ゆっくりと後ろの二人を振り返った。

「……またひとつ、思い出した」

人がファルシを作る――その方法を勘付いた。

「私のせいだ……」

「え……?」

考えてみればわかるではないか。
人が自らの手でファルシを作る?不可能だ。人工知能くらいは作れても、半神とも呼べるだろう神の手先を作るだなんて。

ではなぜ人工ファルシが存在するのか。

それは、神が力を貸したということではないか……。

「こんなことするのはリンゼ神……間違いなく、人工ファルシ計画に乗っかってあのバカが新しいファルシを作ったはず。人間が問答無用で信頼する新しいファルシなんて、こんな条件下じゃないと作れない……!人間に支配される振りをしたんだよ」

「待ってくれ、それで一体何がお前のせいなんだ!?」

「私のせいなの!」

またひとつ、思い出したのだ。

オーファンが死んだ日、ルカはその死の穴に身を投げた。
理由はいくつもあって、そのうちの一つは。

「リンゼ神から世界を遮断することが、できたかもしれなかった……」

リンゼ神もパルス神もエトロもブーニベルゼも、この世界に顕現しない。
もっとどこか遠くにいて、たくさんの世界に干渉しているのだという。
ルカは、そのうちの一つ、リンゼ神がこの世界に干渉するための道を塞ごうとした。己の身体と生命を使って。

新たなるファルシを産むことも、すなわちルシを作ることも、ルカがその道を塞げば不可能になるはずだった。
でもそうはならなかった。

だってルカは生きている。

「私があの時、死んでたらこうはならなかった……」

理解してしまった。ルカたちが見つめる先には、たくさんのシ骸の死体が焼けて落ちている。
あれはこの街の住人ではないのか。デミ・ファルシとやらがルシにして、そのまま即座にシ骸として……ファルシのよくやる手だ。人間を“再利用”して、壁として使った。

つまりこの惨状は己のせい。ルカは震える手を押さえるように、祈るみたいに組んで俯いた。

「……言いたいことは色々あるけど、なんでそんな面倒な話を今まで黙っていたの」

「忘れてた。私、まだ色々忘れてるんだ……忘れちゃいけないことばっかり、忘れてる」

ジルが呆れたように眉根を下げて、ふらつくルカを支えて止めた。その体温が辛うじてルカに正気を保たせている。
また多くが死んだ。そしてまた、ルカが“最善”の道を選べば避けられた虐殺だ。カタストロフィとまるで同じ。

「行かなきゃ……」

ファルシ。存在してはいけないもの。神の手先。人間の敵。

ルカはあの旅路の中で、彼女なりの理想を見つけた。
ファルシをできるだけ多く殺すこと。そして友人たちを生き延びさせること。

彼女はまだ、その理想を忘れていない。

「……ファルシは殺さなきゃ」

その始点にあなたがいると言うのなら、尚更。
ルカは足許に門を開いた。デミ・ファルシ=アダムはルカを待っているという。ジルとヤーグがルカを見失わないためにか、慌てて彼女を掴む。

そして混沌が、ルカたちを呑んだ。ファルシが先程告げたように、不可視世界に身を投げる。







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