浮上して遠ざかる水底の方へ





其処が水底であることにはもうずっと前から気づいていた。
何も見えない、暗い、暗い水底。息ができないことを思い出し今更ながらにえづいたけれど、そのすぐ後に呼吸など必要ないと思い至った。

肺にもとっくに水が満ち、ここが正常な世界ならばとっくに死んでいる。

「(……あれ……?でも、何で私……ここに……しかもたまにふらっと入り込んでしまうのとは違って、ずっと長い間居る気がする……)」

もうずいぶんと、長い時間。
いつから?わからない。一切の変化のない灰色の海の底では、時間の変化がわからない。それに、今ようやく“疑問に思った”。これまでの途方も無い時間、私は一度もそのことに疑問を抱かなかった。

「ぐ、ぷっ……」

大きな空気が、泡沫となって水面へ駆け登る。最後の酸素を仰ぎ見た先、一筋の光が刺すように煌めいた。何かが私のすぐ近くへと迫る。そして強く、腕を掴まれた。そのまま引き揚げられていく身体が重くて痛みが走るので、嫌がって逃れようとする。しかし“彼女”は決して私を離さなかった。

水面に顔を出したかと思うと、顔が冷たい冷たい外気に触れ、全身が震え上がった。目を開くことさえろくにできない。それなのに彼女は私を引きずって、砂浜に投げ出した。肺が閉まって、血と一緒に口から水が溢れ出る。それが砂を黒く染めていく。

「っつ、あ、はぁ……は……」

「……大丈夫か」

「……大丈夫、に……見えんのかこれが……?」

水底にいる間は寒さなどかけらも感じなかったのに、水から出たとたんにこれだ。刺すような冷たさが私を打ち続ける。一瞬たりとも楽になれなかった。私は苛立ちつつ、鎧を纏った彼女に視線を向ける。

「だいたい……何なのその格好?何でここにいるの?」

「何でだろうな?まあ、いろいろあって……結局こうなってしまったんだ」

まじまじ見つめると、彼女は少し照れたように顔を逸らした。鎧は上半身はきちんと守っているものの、下半身は相当深いところまでスリットが入っている。彼女はそれなりに露出に抵抗の無い女性ではあったと思うけれども、なかなか珍しい格好なので羞恥心を煽られるらしい。

「ここ……ヴァルハラだよね?私、何でこんなところに……」

「女神が時間をはじいたからだ。だからあの日、自分のことを諦めたお前と私は……ここから出られなくなった。だけどお前に、頼みがあるんだ」

「時間をはじく……って、あの女そんなことできたんか……っていうかできることあったんかあの女にも……」

彼女はいつも通り真剣な目で私を見つめている。頷いて続きを促した。頼みとやらの中身がなんであれ、彼女が求めることならできるだけ協力しようと思った。彼女は仲間だから。

「頼みって?何」

「……セラを、助けてほしいんだ。あの子が死なないように……」

私は驚きに目を瞠る。言われていることの意味がよくわからなかったから。セラちゃんに何か危険が?……それに、私はここから出られないのでは?

そう思った瞬間だった。
彼女が微笑み、視界が歪み揺らめいた。割れるように頭が痛む。めまいがして、真っ直ぐ立っていられない。

「何……これ……」

彼女は答えない。足がふらつく。私は意識が遠のくのを感じながら、灰色の海にまたゆっくり後ずさっていった。そして最後、ライトニングが手を伸ばし……押した。浅瀬に向かって、私は落ちていく。
そうやって再度水面に到達する直前、世界は真白に切り替わっていた。






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