投げ出された右手の正体







少し冷たく水を含んだ空気が頬を舐るように打つ。ほんの少しの靄が視界を丁寧に埋め尽くし、終りが見えなかった。ここはどこだろうか。足元の地面を背の短い草が覆い、視界は白と薄緑だけ。降り立った地表は何もかもが白く霞み、数メートル先までしか視認できない。光がオレンジ色を強く示し、時折強く差す。おそらくは夕暮れ時か。

「ルカ、ここはどこなの?わかる?」

「えっと……待って、ちょっとこれだけじゃ……」

「風上から強いチョコボの臭いがする。チョコボは群生しない」

「じゃあそっちに集落か何かがあるって思った方がいいかな。うう、獣臭い……」

しかしチョコボの臭いか。下界に降りたときは野生のチョコボのあまりの獣臭さに辟易したものだ。そして今も。ただ、移動手段としては非常に優れている。足が早く、気性が優しく、ギサールの野菜だけで言うことを聞いてくれる。臭くなければ完璧だ。臭くなければ。

ふとルカは足元に、小さな黄色い花が咲いているのに気がついた。なんとはなしに足を止めて、それから気になる理由を考える。
――この花は見たことがある。確か、ヴァニラがこれを見つけて喜んでいたことがあった。確かそう……「この花はアルカキルティ大平原にしか咲いてないんだ」、そう言っていた。ああそうか、ここはアルカキルティ大平原なのか。なるほどなるほどー……。

「……ストーップ!二人ともストップ、待った待った!」

「は?……ちょっとルカ、言うの遅いんじゃないかしら」

アルカキルティならモンスターが跋扈しているから、適当に動くと危険。しかもこんな霧の中では。視界が良好ならなんとでもなるが、数メートル先がもう見えないのだ。こんなのは、檻の中で目隠しされているようなもの。
それに気付く頃には、もう獲物を見つけて涎を垂らす獰猛な獣の気配が四つ。荒い息遣いが聞こえている。

「とりあえずジルは援護。ルカ、無闇に切り込むな」

「何で前提として私が無茶するみたいなことになってんの……!」

「いつものことだからよ」

「やるせない!」

ジルがヤーグの肩に掛けられたライフルを見もしないで抜き取って、弾倉を取り付ける。そうしながら、殆ど待機時間無しでエンハンス魔法が三人を同時に包む。プロテス魔法、ブレイブ魔法、ヘイスト魔法。連続して力が降り注ぐのを感じる。かつてホープやサッズが掛けてくれたそれとは確かに威力では雲泥の差があるものの、かといってギア魔法なんかよりはずっと強い。ジルはこんなに魔法を使い熟せるようになっていたのか?元々適性があった?

「……変だわ」

「えっ?」

ふいに彼女はつぶやいたが、それに聞き返すと首を横に振った。

「いいわ、今はいい。とりあえずこいつらを死体にしてからよ」

「よそ見するな!!」

獣の前に突き出された口が、牙が霧を裂いて現れる。獣たちは互いに牽制しあっている。本能で格の違いくらい感じ取れないものか。それは、それだけは、量り間違えたら死あるのみだ。いついかなる時であれ、時勢であれ。
一瞬の後、全ての獣が一息に襲い掛かってくる。唾液を纏った牙が大きく存在を誇示して、ルカは自分が笑ったのを感じた。無意識に。そしてまた、ヤーグとジルまでもが同様に口角を上げたのを感じ取った。
結局、ある意味似たもの同士なのかもしれない。

誰かの咆哮、そして視界を埋める黒と赤。ルカはまだ扱いの慣れない両刃の剣と、刃先が微かに丸く真っ黒に血で固まったハイペリオンを同時に突き出した。両方ともその突きの鋭さと、それ以上に飛び掛かった獣の自重で喉を超えて突き刺さる。獣の臭いが勢い良く増して、さらにそれを血の臭いが覆い隠していく。ルカは項垂れた。

「……あー、不運だなぁ」

振り返ると、ヤーグは剣に付着した血を払っていた。ジルはといえば、あの至近距離で的確に獣の頭を吹き飛ばした上、銃の重さにあれだけ不満を漏らしていたのに軽々持ち上げ背負い直していた。どうやら重いというより、単純に持ち運ぶのが面倒だっただけのようだ。ヤーグは雑用扱いか。……雑用扱いなんだろうなぁ。

「不運って、何がだ」

「臭いが重なった。こんなんじゃ、チョコボの臭いなんて追えやしない」

「あ……」

ルカは剣を獣から引き抜きながら唇を窄めむくれた。どうしたものか。風上に向かうというのはもちろんアリだが、風はすぐに向きが変わるから、最悪の場合ぐるぐる回り続ける羽目になる。結果、輪になって踊ってしまうかも。
と、不意に靴裏を通して微弱な振動が伝わってくるのを感じた。新手か?新手だとしたら明らかに群れだ、更なる面倒を引き寄せたのか。俄な焦燥が心臓の鼓動を一度だけ高鳴らせた。
剣を構え直し、襲来を待つ。最悪の場合門をもう一度開く。駆け込む怒涛の足音の中、覚悟を決めながら腰を落とし姿勢を整えた。

が、結論から言えば、戦闘準備は杞憂に終わった。

「……あんたら何モンだい?」

そんなんこっちが問いたい。チョコボの上に乗っかった、短髪の女性が怪訝に問うた。後ろには何体ものチョコボ、そしてオマケのようにそれに跨る人間たち。服装はどう見ても、コクーンの系統を継いでいない。かといって、まるきり下界式……つまり、ファングやヴァニラのそれと同じでもない。それなのに、なぜか強烈なデジャヴュ感がある。なんだ、一体?

「狩りがヘッタクソだねぇ……殺すことしか考えてない」

「そもそも狩りじゃないもの。襲われたから撃退しただけよ」

「へぇ。じゃあそれはもらっても構わないかい?あたしらは警戒されちまってね、モンスターの方が近寄って来ないのさ」

もらうもなにも、このままここに放置する予定だったものだから。どうぞどうぞと手で伝えると、数名がチョコボから降りて死体を担ぎ上げチョコボに載せる。もしかしてその肉は食用だったりするのだろうか、と背筋を嫌な汗が伝う。まぁ旅していたときのことを考えればあまり批判できるものでもないのだが。

「あんたら旅人かい?」

「まぁ、そんなところね。あなたたちは?」

「ハンターさ」

ジルが問うと、彼らは事も無げに答えた。ハンターって何だ一体。困惑し顔を見合わせるルカたちをよそに、彼らはじろじろと三人を眺め顔を顰めた。

「……あんたらの服……セラのと似てるね。雰囲気がさ」

「へ?セラって……セラちゃんのこと!?セラちゃんがここに来たの!?」

彼女の言葉に驚き、ルカは詰め寄る。と、チョコボの強い獣臭が喉に刺さって、えづいた。それを見て彼女は声を立てて笑ったちくしょう。

「セラのことなら、うちらの郷で話してやるよ。毛皮をもらった礼にな」

くい、と親指で風上を指さした彼女の言葉に、ルカたちは互いに顔を見合わせる。なんかちょっと不思議な人たちだけどどうする着いてく?着いて行くしかないだろう?そうねじゃあとりあえず行きましょう。
頷き合って、揺れるチョコボの尾について歩いた。ゆっくりと歩いてくれているのはわかるのだが、深い霧の中では少し遅れるだけできっと見失ってしまうと思った。注意深く追う必要があるが、それは多分ヤーグやジルに任せた方がいいだろう。ルカは向いてない。

「で、ジル?さっき言ってたのってどういうこと?」

「何がよ?」

「変だって言ってたじゃない?魔法掛けた後」

ああ、とジルが嘆息するように息を漏らした。それから指先を摺り合わせる。

「なんだかね、魔法の威力が増してる気がするのよね。気のせいかしら」

「え……、増してるってそれつまり、旅に出てから……?」

「いいえ?それ自体はもうずっと前から。魔法の力なんてものが発現してからゆっくり威力は増してるの。でもこの間、あんたが落ちたのを受け止めた時よりは威力増してる。そう思うと、少しペースが早過ぎる気はする」

「……そう」

嫌な現象だった。どうしようもなく、嫌なこと。
魔法というものは、そもそも人の手には余る力なのだ。あれは神の力。だから、ただの人間である以上自発的に行使することはできない。ルシとなれば、ファルシを通してパルス神かリンゼ神の力が流入するので使えるけれども、例えばルカには使えない。いや、使える人間が出てきている以上使用できるかもしれないが、試していないのでわからない。ちなみに今のところは試したいとも思わない。
ともかく、魔法の力は人が自発的に得られるものじゃない。あの事件以降人々が魔法を使用できるようになったのは、混沌の流入が原因だと考えるのが妥当だ。あの事件でダメージを受けうるのは女神エトロだけだから。エトロに深刻なダメージがあって、彼女の御座のあるヴァルハラとこの世界を分かつ境界に傷がついて、混沌が流れ込んでいる。
そしてジルは、不可視世界を通ることでおそらく急速に混沌を身体に貯め始めている。……ああ、危険だ。

「……ねぇ、ヤーグは?魔法使えないの」

「使えない……こともないが。魔法というほどでもない」

どことなく歯切れの悪いヤーグに詳しく聞いてみれば、どうやら硬化魔法……スノウやファングの持っていた能力に似た魔法を行使できるらしい。まだまだ威力は弱く、例えば銃弾などは防ぎようはないらしいが、少なくともヤーグにも混沌の流入現象があることはわかった。

「ふぅん……」

――エトロの力を手に入れて、何も変わらずに今までと同じでいられると思うか?

カイアスの言葉が耳に残っている。苦しい。息が苦しい。
あれはどういう意味か。ルカは考える。エトロの力……即ちそれが混沌の流入だと考えるべきだろう。エトロの力を手に入れれば何かが変わる?エトロの力……不可視世界を通過することが原因だろう、おそらく。
やはり不可視世界を通る回数をできるだけ減らさなければ……魔力が増すことをただ喜ぶだけでは浅すぎる。大きな副作用が必ずある。でないと、女神が混沌をヴァルハラに押し留めていた理由がない。

「べぶぅっ!?」

「……ルカ、前くらい見て歩けこのバカ」

考え事を続けていたら、ヤーグの背に鼻を強かにぶつけてしまった。突然立ち止まるんじゃないよったくもう、と見当違いに八つ当たりした。ヤーグもそこそこ痛かったようだが、ルカは己のダメージの方が大きいと断言できる。鼻が折れたらどうしてくれる!……ケアル魔法って手があるのかそうか。どことなく不条理だ。だってそれじゃあ償いをすれば何をしてもいいってことになるじゃないか。生き返ったら殺したのはなかったことになるのか?……なるかもわからんな。

だめだ自分でも意味がよくわからない。ルカは首をかしげた。

「ついたよ、ここがうちらの郷だ」

案内されたそこは、建物と呼べるものもない遊牧的な集落だった。人口密度が高く、風が吹き込む場所。焚き火の煙があちこちから上がり、火の周りに座り込んで布を織る女性が遠くに見えた。

「……ほぉ、ヲルバともパドラともだいぶ趣きが違いますことで」

「そりゃ褒めてんのかね?ま、どっちでもいいや。こっちだ、着いてきな。ああそうそう、あたしの名前はティボ。セラのことを聞きたいんなら、あたしかミト……ほらあそこにいる、髪の短いやつ。あいつに聞きな」

郷の中は霧が薄い気がする。
それでも遠くは見えないが、丸太で作られた大きな柵が覆う郷の中腹の坂を昇った先、おそらく櫓としての役割も果たしているのだろう高地にいる女性を指してティボが笑った。ミトという彼女のことはまぁ、あとで話を聞くとして、とりあえずはセラのことをティボに問うことにした。

「じゃあ、ティボ。セラちゃんがいつ来たのか、教えてくれる?」

「ああ。そうだね……だいたい二、三十日前かね。突然やってきたんだよ。なんたら……おー……なんとかを探してるとかで。それで、ちょっと手伝ってもらう代わりに協力したのさ」

「おーなんとかって何だそれ」

「覚えてないねえ。ま、ともかく、セラとノエルはいい狩人だった。ゴブリンどもと、それからロングイをぶっ倒してくれてね。おかげで狩りも進むようになって、本当に助かったさ」

「……ノエル?」

セラと並べて語られた名前に聞き覚えが無くて、困惑して首を捻った。ティボはそんなことには構わない。

「丁度以上気象でねぇ、嵐みたいになっていて……ほとんど狩りができなくて大変だったんだ。でも解決したからもう大丈夫さ。あんたらも狩りを手伝ってくれたことだし、セラの知り合いの縁で今夜の寝床くらい提供するよ」

「おお……そういえば体感的にも、そろそろ夜?」

「ぐるぐる時間軸を移動していて気付かなかったけど、確かにそうね。あんたがリンドブルムから戻って、そろそろ十二時間くらいになるわ」

「疲労があるんだかないんだかわからんな……」

ヲルバの郷も時間は不明だったし、現在もそう。
ただひとつ、陽が傾いて少しずつ反対の空が暗く霞むような色になってきた。それに従って、おそらく霧が晴れ始めている。
夜になって晴れてくれても、暗いから探索できるわけがない。スノウくんはどこにいるのだろう?あのデカブツは動作も大きくて目立つので、今見えないならきっとこの郷には居ないのだろうと思う。だとすればどこで、何をしているのやら。

「ところでアンタさ、その剣だけど。すごい錆び方だね、血かい?それは」

「ああー……うん。なんかもろもろの血」

具体的にはルカやらバルトアンデルスやらオーファンやらの血。

「当然だけど、この郷にも鍛冶設備はあるよ。後で誰かに頼んで汚れを取ってもらったらどうだい」

「あ、えっと、設備を借りるってのはダメ?自分でやるよ」

できるのかい、とティボは驚いた顔をしたが、まぁそういう武人も多いからねぇと快く許可してくれた。多いのか?ルカは疑問に思いつつ、それに礼を言う。ルカはPSICOM出身で、そしてそれ以上にあの士官学校の出身だから、武器を自分で作る直すっていうのはそう縁遠いことじゃないが、世間一般で武器を扱う人間全員がそうではないことくらい知っている。まぁでも、この郷はまたきっと常識が異なるのだろうと適当にアタリをつけ、次はミトとやらに話を聞きに行くことにした。
ティボが紹介してくれて、ミトはようやく動かしていた機械らしきものから手を話した。

「セラの知り合いか。それで、何が聞きたいんだい?」

「セラちゃんのしたこととか、何を求めてここにきたのかとか……あと、どこに行くって言ってたかとか?知ってることは何でも」

「そうだねぇ……目的なんかは言ってなかったかな。別の時代がどうのこうのって二人で話し込んでたくらいか。あと、あいつはすごいんだ、この機械を見たばっかで簡単に操った!郷のみんなも必死に操作を覚えるのにねえ、勘だけで動かしちまったんだよ」

機械。
ミトが少しばかり興奮して指し示す彼女のすぐ近くのその機械は、聞けば平原にいくつもある風車に繋がっていて、レバーを操ることで天候を操作できるらしい。
ルカは硬直していた。ジルもヤーグも沈黙し、しかしジルがその驚愕を伝えるようにルカの腕を叩いたので二人の言いたいことはわかる。

これはPSICOMの応用技術の焼き直しだ。

「こいつは操るのが難しくてね。もうずっと昔からあるんだけど、ちょっとレバーの操作をミスっただけで大雨にもなっちまう。あんまり失敗すると狩りに影響が出るから、これを上手く扱えるやつはそれだけでこの郷じゃ重宝されるんだ。今のところ、あたしが一番巧いと思うけど、それでもセラはなかなかだったよ」

「……へぇ……」

コクーンでは、天候は全て操作できるものだった。風を操るのはもちろん、そしてファルシ=フェニックスの力で気温も動かせる。一定の場所に明かりを強く当てたり、逆に当てなかったりを繰り返せば、ほとんどの天候は再現可能だ。
当然、そんなのは閉じられた狭い箱の中だからできたことだし、光を調節できない以上気候変動は風に頼ることになる。それでも風を強くして霧を晴らすことができるし、冷たい風と温かい風をぶつけて雨を降らすことも、風車で水を汲み上げているのならばその水を使って霧を作ることもできる。大掛かりな装置が必要になるが、その大掛かりな機械はきっと霧の晴れた先にある。
その図面はヤーグが覚えているだろう。そしてジルもルカも、目の前の機械を扱うことができる。見ればわかる。歯車の位置も電源装置もコードの種類さえ、見ればわかる。
これは明らかに、ルカたちの領分だ。どうして彼らがそんな装置を?同じことを思っているのだろうヤーグが問う。

「……これは、いつからここにあるんだ」

「ん?ああ……そうだねぇ、本当にずっと前だよ。ここに郷を構えて少し立ってからだから……400年、ぐらいかね。350年くらいかも」

「よんひゃっ……」

ルカは絶句した。ここは400年後なのか。それはきっと、あの事件から数えての年月。

「そう……そんなに長く……」

ジルは少し苦しそうにつぶやいた。機械そのものは、部品さえ的確に交換できれば400年保たすのも可能だ。コクーンの技術フル流用である。
ふいにミトが気がついたように機械から手を離した。

「あ、そういや鍛冶設備が使いたいんだろ?こっちだよ、着いてきな」

ミトの案内に従って、櫓を降りる。その先に蜃気楼が見えた。鍛冶炉がある場所はそれで知れる。
熱気が頬を舐る感覚はどこでも同じだが、ここではそこに草の匂いが混じる。鍛冶工は最初は他人に設備を貸すことを渋ったが、自分で扱えることを話すと、ミトが説明したこともあって納得してくれた。炉に不純物を混ぜるなよと散々言いおいて、だが。これが飯の種なのだし、神経質になるのもわかるから丁寧に扱おうと決めた。

柵で一周囲まれた鍛冶場に入り、そして炉の前に立った。強い熱気が吹き上げて汗が垂れる。
ヤーグがふいごや器具を拾い上げて検分して、ふっと息をついてからジルにも見せた。

「……PSICOMの記章が埋め込まれている。准士官だな」

「こっちのは士官のだわ。名前は読めない。取り外すことも多分無理ね、融けてる」

「それに、この設備見覚えあるよね。PSICOM本部のと造りが全く一緒だよ」

これはもう、間違いない。
ルカは上着を脱いで、鍛冶場の入り口近くの椅子に放った。

「ヤーグ、手伝ってくれる?」

「……ああ」

「私は、ミトに聞いて寝床を確保してくるわね。その修理は早めに終わらせて」

「うん。大丈夫、慣れてるから」

ここはルカとヤーグのよく知る場所だとわかったから。
ルカは全身から滝のような汗が吹き出すのを感じつつ、ハイペリオンを取り出した。赤黒い血はこびりつき、もうただの錆びと化している。刃先は丸まって、鋭さを失っていた。上から付着した先ほどの獣の血もまた黒く変色していた。
それをまず削り取り、熱す。ヤーグと二人で叩いて伸ばし、水で冷やしてまた熱す。繰り返せば繰り返す程、鉄は強くなる。

「……かなり、歪んだな」

「長い旅だったもん。たった数週間でも、殺し合い過ぎた」

「その中には俺も含まれるんだろう」

「先輩も、ジルもね。でもこの剣が……二人の血で汚れなくて、良かったと思うよ」

ただ先輩の血は着いてしまったけど。彼の手も私の血で濡れたから、おあいこね。

ルカがそう笑うと、ヤーグがひどく傷付いた顔をした、ように見えた。それでもすぐにその色は見て取れなくなって、ルカは結局読み取ることを諦めた。ヤーグという男は、いつもはわかりやすいくせに、ある瞬間とてもわかりにくくなるのだ。今までそれでやってきているから、もういいのだけれど。

一時間程度は時間を要したろうか。ハイペリオンは元の強度と色を取り戻し、ついでに他の武器も研いで刃を鋭くさせてもらった。本当ならもっと早くこうしておくべきだったのだろうが、今からでも遅いということはない。剣がいつも鋭く在らんことを。ふいに、士官学校の決まり文句を思い出した。

「ま、ハイペリオンは、ファルシでも相手にするんじゃなきゃ必要ないけどね。強い武器ではあるけど、これじゃなきゃいけないわけじゃないし」

「ファルシか……旅に出た時点で、相当数休眠していたがな」

「もうファルシとだきゃー戦いたくないね……敵意剥き出しかやたら友好的か、どっちにしてもなんか企んでんだもん……」

剣を冷やして、ルカは苦笑した。全部を再度冷却してから拭き取りして、とりあえずそれだけでいい。明日時間があれば試ししてみよう。銃部分も弄り直したから。
ヤーグは己の片刃の剣を軽く振って調子を確かめた。表情から見るに、悪くなさそうだ。

と、丁度ジルが入ってきた。寝床は確保できたらしい。テントを一つ貸してもらえるそうだ。

全く、そんな厚意を受ける立場ではないというのに。……セラのおかげで、好意的に受け入れてもらえてるだけだ。
だから嫌な想定を上塗りするために、つまり真実を知るために……ルカたちはできることをすることにした。これは、三人の罪だ。

外に出て上着を羽織りつつ、夕食の用意をしている女達にルカは近寄った。その中に、ミトの姿があったからだ。

「ねぇミト、ここの……この郷の過去の記録とかって、ないかな?」

「記録?なんだってそんなもんが気になるんだい?」

「そういうの調べるの好きなんだよ。この郷ができたばかりの頃のこととか、知りたくなっちゃった」

知りたくなった。目覚めてから数日、今まで考えなかった、己の薄情さに泣きたくなりながら。それでも、知れば知るほど傷付くと知りながら、ちゃんと知りたい。
自分たちの部下があの後どうなったのか。守れなかったものがもしかしたら、逃れてここにいたかもしれないと……それなら全てを、今更知りたい。

全ての責任を放棄させたのはルカだ。他の全ての命より、ルカにとっては二人が尊いから。
それを永劫後悔はしない。するものか。

それでも、振り返らなかった先に何かがあったことを、忘れるべきではなかった。

忘れてはいけなかったのだ。








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